中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

蝉の声

2009-07-31 10:45:45 | 危機管理
 夏の朝、開けっ放しの窓の外のわりと近い所で、いきなり「ミ~ンミンミン…」と始まって起こされることがありますよね。いかにも夏らしい音ですけど、前日の酒が体内に大量に残っていたりすると、本当にうるさい…。窓ガラスを力いっぱいたたくと「ミミっ…」と言い残して飛んでいきます。ここ何年かは、セミよりも私の方が早起きになってしまいましたから、こういうこともなくなりましたが。

 世の中、だいぶ「夏休み」な雰囲気になってきましたね。家の周りは学校が多いので、特にそう感じるのかも知れません。朝の人通りが全然違います。閑散とした雰囲気で、今日が平日だとは思いませんでした。「人の気配の無い学校」というものは、実際以上に静かな感じがします。


 さてさて、今日と明日は山響モーツァルトシリーズの本番です。そして一日空いてブルックナーのレコーディング。それが終わると山響も夏休みです。「何をしようかな…」などと考えているうちに、終わってしまうんですけどね。気がついたらツクツクホウシが鳴いていて、「もうすぐ秋か…」となってしまうことが多いのです。

 息子は昨日、友達同士で連れ立ってプールに行ってきたようで、だいぶ黒くなってきました。忙しくてなかなか連れて行ってやれないからな…などと済まなく思っていたら、机の上には日記帳(夏休みの宿題)が開きっぱなしになっていて、見るともなしに見ると(親ってぜったい覗き見しますよね…良くないな)

「子供だけでプールに行ったのは初めてでしたが、その方がはずかしくなくて良かったです。」

という一文が。もうそういう年頃に入ってきたか…。「忙しい」なんて言ってるとあっというまに時が過ぎてしまいますね。今のうちにできることはしてやらないと…。夏が貴重なのは、セミも人も一緒ですな。


 夏休みまで、もうひと頑張り。

 
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使いきった男

2009-07-29 22:43:20 | 読書
 夏の夜はやはり怪奇小説でしょう。ということで…。

 「部屋へ入った時、むろん私は主人の姿を求めてあたりを見まわしたが、すぐには眼につかなかった。床の上の私の足もとに近く、非常に奇妙な格好をした、束のような怪物があった。私は非常に上機嫌だったので、その束を側へ蹴ってみた。
『えへん!はあん!こりゃ失礼だと言いたいね』と、その束がとても小さな、およそおかしな声で言った。それは今まで私が聞いたことがない、きいきい声だった。」   (ポー 「使いきった男」より)

 人の「実体」とは何でしょうね?例えば「あの人の歯並びが好きだ」と思っても、それは入れ歯かも知れません。同じように「あの人のきれいな髪が好きだ」といっても、それは「かつら」かも知れません。

 もともと「私のどこが好きなの?」みたいな質問は、まったく意味がありませんよね。その質問には答えようがないからです。例えば「その瞳だよ」なんて、ちょっとサムいですが、言ったとします。それが本当なら、もっときれいな瞳をもった人が現れれば、そちらの方が好きにならなければおかしいわけですから。つまり「パーツが好き」ということはありえないわけです。

 この程度のことは、言われなくとも誰もがなんとなく感じることでしょうが、「評判」ということになるとどうでしょう?「どこどこの権威あるだれそれが高く評価していた」とか「すごいプロフィールを持っている」とか、そういうパーツ(しかも全く根拠のない)に左右されてませんか?

 この、ポーの「使いきった男」の主人公(語り手)は、ある眉目秀麗な紳士が一目で気に入ってしまいます。髪はきれい、歯並びは美しい、手足は長く、眼は一度見たら忘れがたいような印象的な眼…、すべてが美しく完璧なのです。

 それで、どうしてももっと親しくなりたくて、その家へおしかけてみると、執事からは「ご主人様はまだ身支度ができておりません」と言われます。かまわずに上がってみると、冒頭のような、怪物に出会うわけです。つまり、完璧な紳士のその美しいパーツはすべて作り物で、かつら、入れ歯、義眼、義足…だったわけです。

 主人公(語り手)はそれがわかると、急いでその場を逃げ出してしまいます。が、それはどうなんでしょう?もともとその「表面的」な部分に惹かれていたわけですから、それが本物であろうと偽者であろうと、大差ない気もします。今の世の中なら、そうはしないかも知れません。表面を取り繕うことこそ何よりも大切ですし、宣伝は「実体」とかけはなれてこそナンボですから。

 
 「だが現代は発明の時代ですよ…たしかにすぐれた時代といっていいでしょう」 (同上より)

 …宣伝効果がすべての現代では、この小説の怪奇性はあまりよく伝わりませんね。
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洗心

2009-07-28 22:11:35 | お酒の話し(山形県)
   「そこに山があるから」

 …名言ですが、その心は「登山家として、登山を通して人生を極めたいという長期的な野望は持ちつつも、いまはとにかく目の前にある一つの山を登り終えて、その打ち上げをしたい」という短期的な目標におきかえて、それを一つ一つ達成していくんだ、ということだと思います。つまり、「あと少し頑張ったらビール飲もう」ということが原動力なんじゃないでしょうか?「千里の道も一歩から」…人生の偉業も一杯のビールから。そんな気がしませんか?

 正直言って、疲れがとれたとは言いがたい中、今日を頑張るには短期的な目標設定しかないと思い、朝起きると、以前に人から頂いた「洗心」という取って置きの酒を冷蔵庫へ。「とりあえず今日一日がんばったらよく冷えた洗心!」ということで、モチベーション確保。

 目標設定と共に、「今日起こることは、どんなことも洗心を美味しくするスパイスなのだ」と言い聞かせます。例えば「暑い」とかそういうことで「イラッ」としても、「今この瞬間にも家では洗心が着々と冷えている…」と思うことで、ちょっとした清涼感を味わうことができます。どんな理不尽な目にあっても、まさに「心が洗われ」ます。

 …ということで、リハーサルから帰って、夜は「洗心」。

 …うまい。新潟は長岡の酒ですが、とにかくすっきりしていて「やっぱ新潟だわ」という逸品です。神社やなんかで、手を洗う水が出ているところに「洗心」と彫ってありますが、それよりも清められますな。

 きれいさっぱり「洗い」ました。明日も頑張るかな…。
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第32回定期演奏会

2009-07-27 09:56:21 | 山形弦楽四重奏団
 そこのアナタ、演奏中はお静かに願います…。


 やたらと蒸し暑いと思っていたら、雷とともに土砂降り。やんでもすっきりせずに、しばらくするとまた土砂降り、の連続で昨日はひどい天気でした。

 「こんな日はどこにも行かずに、家でクーラーかけてビール飲みながらDVDでも見てすごそう…」
と思わずに、文翔館へ足を運んで下さったみなさま!本当にありがとうございました。悪天候の中、多くのお客さんがわれわれ山形Qの演奏会に来てくれて、本当に感謝しています。演奏中も雷が鳴ってましたね。

 忙しいスケジュールの中でしたが、なんとか定期演奏会が終わって、ホッとしています。回数多く練習した成果が少しは出たかな、とは思っていますが、いかがだったでしょうか?

 終演後は、ホルモン屋で楽しく飲みました。いいですね~、疲れがとれます。

 …ということで、この後もまたまた山響の忙しいスケジュールの中、8月7日の秋田でのコンサートに向けて頑張ります。夏休みはその後ですな…。

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漕ぎ出でな

2009-07-26 08:41:52 | 山形弦楽四重奏団
 「熟田津に 船乗りせむと 月待てば
        潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」 (「万葉集」 額田王)

 思いきり簡単に訳すと、「よしっ、行くぞ!」という意味の歌ですね。気合だけじゃなくて、「月や潮も味方になってくれるだろう」という、「意気にあふれた感じ」が好きです。気ばかりあせるような「やる気」とはちがいます。


 昨日は酒田で山響の演奏会。酒田の「希望ホール」は良いホールです。コンサートを聴いたことはないので、ステージからの感想でしかありませんが、気持ちよく弾きやすいホールだと思います。酒田フィルの方々をはじめ、来て下さったたくさんのお客様に感謝します。


 ということで、今日はいよいよ我が山形Qの第32回定期です。12時間後の「美味しいお酒」に向けて、意気揚々と漕ぎ出すことにしますか。

 (写真は能代の「風の松原」の中の神社です。月や潮、そして風も味方になってくれますように…)
  
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何の花でも

2009-07-24 23:01:40 | 山形弦楽四重奏団
 「多くの人々は欺かれまいとしてかえって相手に自分達を欺く道を教え、自分から疑って見せてひとに不忠不信を教えた」  (セネカ)


 何の花かわかりませんが、河原にいつもある「オジギソウ」を大きくしたような木の花です。きれいですよね。何だかわからないけど。でも、それでいいんじゃないですか?「きれいだな」と思えば。正確な名前を知らなくても。

 さてさて、今日は山響の定期でブル3の本番でございました。昨日まで時間一杯ガッチリリハーサルでしたが、昨日はリハ後に元気に山形Qの練習をしました。

 思えば、お互いに対する「不信感」ほど、アンサンブルにとってマイナスになるものはありません。相手を信頼し、「今までこうやって来て、それでうまくいってたから」というあたりが、本番の突き詰めた状況では一番頼りになるものです。それなしに、「どうなっちゃうんだろう?」と思いながら演奏することほど怖いことはありません。

 今回の山形Qでは、本番直前になってようやく「信頼感」に近いものが芽生えました。それはやはり「相手からも信頼されている」という確信からくるものです。そのためにはまずはこちらから信頼しないと。

 塾講師時代に、中3のクラスで、いつもかなり遅れてくる男子生徒たちがいました。理由を聞くといつも「部活が遅くなったから」と言います。それを聞いて「そうか…大変だな」と言っていたら、ある時同じ学校に通っている女の子が「あいつらいつも本屋で立ち読みしてるんだよ。先生は優しいから疑わないけど…」と教えてくれました。

 「どこの本屋なの?」と訊いて、授業中に長くかかりそうな問題を解かせている間に、夜道を走ってその本屋に行ってみました(今考えると若いね…熱血だな)。するといつも連れ立って遅れてくる二人が、肩をならべて、漫画を読んでいました。後ろから、そぉっと近づいてうなじをつかみ、「行こうか!」と教室に連れてきました。途中の夜道で、僕はその二人に何も言いませんでした。こっぴどく叱られるものと思っていたらしい二人は、僕が何も言わないので意外だったようでした。いいじゃないですか…まだ中学生なんだし。でもその二人は僕の授業には二度と遅刻してこなくなりました。


 もし出来が悪くなりそうでも、それを誰かのせいにしたらおしまいです。そういうジタバタはしたくないものです。忙しい中ですが、山形Qは決して神経質にならず、妄想ではなく本当の意味で「前向きに」やって行きたいと思っています。

 今日の山響にも、多くのお客さんが来てくださいました。長い演奏会でしたが最期まで真剣に聴いて下さってるのが伝わってきて、励みになりました。ありがたいことです。
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暑気払い2009

2009-07-22 22:47:40 | さくらんぼ弦楽四重奏団
 「ビヤパーティー」…いいひびきですね。聞くだけで涼しく、また「ワクワク感にあふれている」といいますか、暑さやら忙しさやら俗世のうざさを忘れます。

 今日は山響のリハーサルの後、去年に引き続き新山Qで、ビヤパーティーに招いて頂きました。ここはとにかく、演奏した後にパーティーの参加者となれるのが魅力です。正直言って朝から楽しみにしておりました。

 ビールはもちろん、山形市の酒「秀鳳」がおいしくて(特に純米大吟醸)、感動いたしました。参加者のなかに「秀鳳」の蔵元の方がいるとかで、いつも今年の新酒がふるまわれるようですが、今年のは去年のものより出来が良いと感じました。

 実は今週はさすがに疲れが抜けなくて、どんよりしていたのです。よりによって「ブル3」でそのまま山形Qの定期かと思うと、それだけで気が重くなります。疲れている中、午前中にはユニオン役員の会議があったりと、ぐったり気味でした。

 しかし今日は「頑張れば秀鳳」という偉大なる目標があったので乗り切れました。仕事帰りに、一杯のビールを飲んで「このために今日一日頑張った」というおじさまの気持ちがよくわかります。たとえ、ちょっと気に入らないことがあっても、それは「この一杯を美味くするためのスパイス」なのです。

 「空腹は最高のスパイス」という諺がありますけど、酒に関しても同じ事が言えると思います。私の父親は仕事をやめてから酒量がぐっと減りました。信じられないほどの大酒呑みでしたから「仕事やめたら好きなだけ呑もう」と言っていましたが、逆に酒を呑む必要がなくなったみたいです。もちろん今でも、普通の人よりは呑みますが。

 何においても「目標」は大切です。とりあえずの目標に向かう心…「今日頑張ったらこの酒を飲もう!」とか。それが良い意味での「方向性」ですかね。
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いかなる風も

2009-07-21 22:39:30 | 音楽
 「その頭のなかに全体の形をつかんでいないものには、部分部分を整理することはできない。なにを描くのかわからないものには、たくさんの絵の具がいったいなんの役に立とう?」  (モンテーニュ)


 「絵のような風景」と言いますけど、これなんて本当にそういう感じがしませんか?晴れた日の朝の散歩コース、馬見ヶ崎川にかかる歩道橋(川に架かっているやつも、そう呼ぶのでしょうか?)から見た蔵王方面の昨日の景色です。旅行に行かなくてもこんな感じだから、わざわざ混んでる所を通過して遠出する気になれないんですよね…。旅行好きな、ウチの奥さんには怒られますが。

 ところで、昔から絵が下手で困っています。図工は良い成績を残したことがありませんでした。「わんわんのえ、かいて~」とか子供に言われると、かるくビビります。初めのうちは、描き上がった自分の絵にゾッとして、息子(当時は幼児)に「ゴメンっ!他のことして遊ぼうか?」と言ったものです。(教育上悪影響があるといけないので)。それでも学習はしますから、下の子に言われても最近は「わんわん」とか「うさぎさん」ならビビらずに描けるようになりました(つまらないが、できはそこそこ)。人間は何歳からでも成長できるものなんですね。

 これほどのド素人が原始的な感性で思うには、やはり描き始める前に「完成形のイメージができているかどうか」、が運命の分かれ道ですね。何も考えずにまず「上の方…ということは耳から」みたいにして、パーツとしての「耳」だけからイメージして描き始めると、恐ろしい生きものが描きあがります。子供にせがまれて恥を忍んで一生懸命に描いたあげく、「これなあに?こわい…」と言われると、救われません。


 「射手はまずなにを射るべきかを知らなければならない。そのうえで、その目標に、手を、弓を、弦を、矢を、そして射方を、合わせなければならないのだ。われわれの企ては、目的目標がないために、失敗する。いかなる風も、目ざす港をもたないものにとっては無益である」  (モンテーニュ)

 …音楽づくりもそうかも知れません。
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レクイエム 6

2009-07-20 21:49:36 | クァルテット
 「美しい街だと思った。何を見ても物珍しく、奇妙で新鮮だった。それはぼくが見るものを、アキが一緒に見ていたからだ。でも、いまはどんなものを見ても、何も感じない。ぼくはいったいここで、何を見ればいいのだろう。
 そういうことだ、アキがいなくなるということは。彼女を失うということは。ぼくには、見るものが何もなくなってしまった。オーストラリアでもアラスカでも、地中海でも南氷洋でも。世界中どこへ行こうと同じことだ。どんな雄大な景色にも心は動かないし、どんな美しい光景も、ぼくを楽しませない。
 見ること、知ること、感じること…生きることに動機を与えてくれる人がいなくなってしまった。彼女はもうぼくと一緒には生きてくれないから。」   (片山 恭一 「世界の中心で愛をさけぶ」より)


 姉のファニーが亡くなった後、メンデルスゾーンはその悲しみから立ち直るために、大好きなスイスを訪れます。人間のあっけない一生とは対照的な、常に変わらない自然の美しさが、自分をなぐさめてくれるだろうと思ったからです。

 しかし、目に映るものは見る者の心によって見え方がちがうものです。メンデルスゾーンは、絵を描くことに専念して悲しみを忘れようとしますが、ここで描いた絵の一つが、上の絵です。彼にしては「てきとー」で、へんな絵です。木の葉っぱもいい加減で、人物も全体の構図の中ではへんな小ささで、しかも「ボヤーッ」としています。よく見ると中央下には、テーブルを一度描いてから消したあとが見えます。

 スイスのインターラーケンという町のこの場所は、ずっと昔、ファニーと訪れた場所だったのです。現実と想い出が交錯して、目に映る物や、絵を描くことにまったく集中できなくなっている様子が伝わってきます。

 この町で、この絵を描いたのと同じ7月に、「弦楽四重奏曲第六番」は着手されて9月に完成しました。「ファニーへのレクイエム」であるといわれるこの曲も、鎮魂歌と言うよりは、上の絵と同じく、取り乱した彼自身の精神状態を表したものだと言えるような気がします。結局、彼の魂も鎮まることなく、11月には姉と同じ脳卒中でこの世を去ってしまいます。

 もちろんメンデルスゾーンとファニーは兄弟であって恋人ではないのですが、上に引用した「世界の中心で~」に通じるものを感じます。むしろ「世界の~」の主人公は恋人の死から立ち直るわけですから、それ以上であるとも言えるわけです。共に「神童」として生まれてきた兄弟の結びつきというものは、常人には計り知れないものがある、ということなんでしょうか。

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子孫の代まで

2009-07-19 20:52:57 | 山形弦楽四重奏団
 「子じゃが」って何だかわかりますか?小さいじゃがいものことじゃありませんよ。合唱団「じゃがいも」のメンバーの子供で、その合唱団の舞台に立っている子供団員のことです。ですから、なんと「孫じゃが」もいます。 

 今日は文翔館にて「じゃがいも」の演奏会に山形Qでご一緒しましたが、相変わらず「アツい」ね…。満席の本番を、活き活きと楽しむ様は、同じ舞台にたつものとして良い刺激になります。

 普通「親子共演」というものは、めったにないものです。例えば山響では、親子の団員はもちろんいませんし、ほかのオーケストラでもなかなかあることではないと思います。ましてや「孫」は…。

 「じゃがいも」とは一昨年個人で共演させて頂きましたが、その時と比べて「子」や「孫」団員は、明らかにいろんな意味で一回り成長していて、驚かされました。そういうふうに、みんなで成長していくから、独特の「一体感」があるんでしょうね。

 山形Qももう9年…。共に成長していけたらいいなと思いつつ、今の所それはどうかな…。まだまだ、お互いの「相容れない」部分が目に付いて、寂しい思いをすることがあります。「一体感」とは程遠いな。意思の疎通さえ、前よりスムーズになっているという実感が無い…。「どうしてそういう答が返ってくるかな…」みたいなのの連続ですし。

 けど大切なのは「演奏を楽しむこと」。そのためにやってるわけですからね。今日は、本番の「じゃがいも」のみんなのパワーを予測して、気持ちで負けないようにしたつもりでしたが、与えられたものは大きかったです。そうそう、そんなふうな「アツい」ものを、「小手先(と言うより二の腕か?)」じゃなくて「心」に持ってないとね。

 山形Qの定期演奏会までちょうどあと一週間。山響も忙しいさなかですが、まだまだやれることはあるはず。今日もらったエネルギーを良い意味で活かしていきます。

 (写真は今日も演奏したいつもの「文翔館議場ホール」です。今日は天気が悪くて、暗い写真になってしまったので、代わりに初夏に撮ったさわやかなやつを。)

 
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本物?

2009-07-17 22:33:28 | 旅の空
 「昔の不徳は今日のならわしとなった」 (セネカ)


 さて、最終日は秋田の横手に宿泊してから、今日は雄勝で演奏してから山形に帰ってきました。この旅行中は全国的には暑さが厳しかったようですが、我々は運が良いのか、たまたま涼しい地域や、暑い日(今日のような)には空調の効いたホールでの演奏会だったりと、暑さの直撃を受けずに、今年度前半のスクールコンサートを終えることができました。「運も実力のうち」…意味もなく前向きで行きます。(少々疲れているのは隠し切れない)。

 秋田からの帰り道、山形県の尾花沢の「道の駅」で昼食。なんとなくひかれて「モツ煮」を頂きましたが、やはり山形の味付けは安心します。味覚も山形県民になってきたのかな?新鮮な野菜の旨みと、しっかりして臭みのないモツが美味しくて、「あぁ、早く家に帰って飲もうっ」という気になります。(昼間から「モツ煮」なんて注文してる時点で、問題を感じないこともないが…)。


 昨日は横手の宿の近くで飲みましたが、横手と言えば「横手焼きそば」、焼きそばが名物です。焼きそばがある居酒屋を、極めて「てきとー」にチョイス。少々疲れていたものですから。でもこれが良くなかった…。

 「焼きそば」自体はまあまあ。そもそも、焼きそばの味の違いにうるさくないせいか(って言うかそんな人、世の中にたくさんいるんですか?)、焼きそばの味は「こんな感じかな」。なかなか美味しいが、「この焼きそばを食べに横手に行きたいっ」と思うほどではない。普通に「美味しい焼きそばだな」と。

 しかし、そこの店主がうるさい。「ここらで本物の横手焼きそばを出してるのはうちと○○の二件だけだ」から始まって、「横手焼きそばっていうのは、炒めないところがポイントで、炒めた時点でまがいものだ」とか「麺の太さは~で、それは決まりで定められているから、それ以外は横手風とは言えない」などと、もう止まらない。(旅行で来たんですけど、これがうわさの横手焼きそばですか。などと話をふってしまったことを後悔)。

 いい加減うるさくなってきたので、比内地鶏を食べていたら「この比内地鶏も、きちんと産地と契約してしてるのはこの辺ではウチだけですよ。まがい物が多くてね。」

 …食品偽装が多い昨今、確かに「ウチは本物だ」と言いたい気持ちはよくわかりますが、ただ単に「美味しいものを食べたい」旅行客にそこまでウンチクから何から語られると、ちょっとげんなり。あんまり言葉が多いと、「そこまで偉そうにするほどの味かな…」などと、逆の感情を持ってしまうということもあるのに気づかないんでしょうか?「まずくてもいいから本物が食べたい!」という人よりも「何から何まで本物とは言えなくても、美味しいものが食べたい」という人の方が多いんじゃないでしょうか?

 横手の焼きそばは、もともと「駄菓子屋」のような所で、子供のおやつのためにできたようなもので、駄菓子屋には麺を炒めるような設備がなかったから、炒められなかったのだ、とも言っていました。ということは、設備さえあれば炒めていたはずですよね、その方が美味しいから。であれば、その設備が整った現在にそれを忠実に再現する人にとって、それは「考古学的」な意味はあるかも知れませんが、一般の「美味しいものが食べたい」客のことは二の次な感じがします。「古楽ばやり」の音楽業界も、考えなければいけないことがあるんじゃないでしょうか?時代と共に、「その方が良いから」変わってきた部分もあるわけですから。

 
 今朝、昨夜別行動をしていたらびお氏が、「よく炒めてあって美味しい横手焼きそばの店があったよ」と。
 「それは本物じゃないっ!」と言う気はおきませんでした。良いじゃないですか…それで。

 
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風の松原

2009-07-16 09:42:03 | 旅の空
 「♪名も知ら~ぬ~、遠きし~まよ~り、な~がれよ~る、椰子~の実一つ♪」

 海に打ち上げられた椰子の実を見つけて、遠い南の島やここにたどり着くまでの永い年月に思いを馳せる…こういうイマジネーションが詩的なんでしょうね。もちろん「椰子の実」というものが持つ「異国情緒」みたいなものが、インスピレーションを与えたわけですけど。これがただの外国の洗剤かなんかのポリ容器だったら、「こんなもの捨てやがって!」となるだけでしょうから。

 「南極の氷で作ったオンザロック」とかも、似たようなものですね。グラスを傾けながら、多分一生行くことの無い、遠い氷の世界に思いを馳せる。実はさっき水道水を冷凍庫に入れて作った氷であっても、その味の違いはわからないわけなんですが、「思いを馳せる」というところが良いんです。昔どこかの店で飲んだその「南極の~」は、長いこと冷凍庫に大事にしまってあったせいで、冷凍庫臭いような感じもしましたが、それでも許せます。


 さて今回の旅行は、初日に宮城県の栗原で演奏して、岩手の安比高原に宿をとり、昨日は秋田の大舘で演奏してから、能代にやって来ました。全国的には大変な暑さのようですが、能代はどんよりとした曇り空でとにかく風が強いので、昨晩などは外を歩くと寒いほどでした。

 風の強い能代と言えば「風の松原」ですよね。秋田が誇る「日本五大松原」の一つです。

 …また出た「知ったかぶり」です。例のごとく中日の昨日は休肝日にしたので、今朝も睡眠不足で徘徊してたどり着いのが「風の松原」だった、というだけのことでございます。受け売りついでに「日本五大松原」とは、「虹の松原」(佐賀)、「天橋立」(京都)、「気比の松原」(福井)、「三保の松原」(静岡)、そして能代の「風の松原」だそうです。ふーん…知らなかった。結構すごいんですね。天橋立は前に山響の演奏旅行で行きましたが、他は行ったことありません。

 説明書きによれば、能代は昔からとにかく風が強くて、飛ばされてくる砂で町が埋まりそうになるほどで、人々は困っていました。そこで江戸時代の偉い人が町の人達と協力して、何十年もかけて松を植えたそうです。植えた松が広大な林に育つにはさらに永い年月が経ったことでしょう。

 しかしそのおかげで、能代の町は安心して人が暮らせる町になった、とありました。携わった人達はその成果を見ることなく、この世を去ったでしょう。それは作業している時からわかっていたでしょうから、その「志」はすごいですよね。海と反対方向に傾いている松林を見ると、経過した時間の長さがしのばれます。

 「俺が生きているうちは、地球温暖化なんて関係ない」という気持ちを持ってしまうことがどうしてもありますが、反省しなくてはいけませんね。

 さてと…空気の美味しい所で一服するか…、とも思いましたが昔の人達の偉業を前に何となく気がひけて、出したタバコを箱に戻して宿に引き返しました。
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荷造り

2009-07-14 07:48:55 | 旅の空
 「降る雨や 耳も酸うなる 梅の雨」  (芭蕉)
 
 暑さがそれほどでもないのは良いのですが、毎日天気が悪くてジメジメしたかと思えば、いきなり集中豪雨みたいな土砂降りになったりと、梅雨のこの時期は気持ちが良いとはいえませんね。学校の体育館で演奏している時に、屋根に打ち付ける雨の音は、正直あまり好きではありません。

 
 さてさて、今からまた旅行です。今日は何県に行くんだっけ?運転をらびお氏にお任せしているせいもあるのですが、あちこち行き過ぎて少々わけがわからなくなっております。とりあえず3泊分の荷造りを急がなければ…。

 この「荷造り」というのがまた苦手でして…。旅行が多いので少しずつ速くできるようにはなっているのですが、入れ方が悪いのかな…。どうしてこんなに巨大化しちゃうんだろう?このカバンが帰る頃にはさらにパンパンに肥大してしまう。

 もともと「整理」というものが苦手ですので、次に演奏する曲のCDを探すのにいつも苦労しています。みんなどうしてるんだろう?作曲家別とかにして並べてるんですか?それってすごい大変な作業じゃないですか?…いちいち探す方が結果的には重労働なのかも知れませんが。この間も買って来たばかりのCDとまったく同じのを、部屋の棚で発見してがっくり…。

 だいぶ前ですが「超整理法」という本がはやりましたよね。私もすかさず買って読みました…が、ああいう本は一生懸命読んでもなかなか内容が頭に入って来ないんです。才能が無いようです。


 …さあ、ぐずぐずしてないで荷造りを始めないと。 
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完全犯罪

2009-07-13 21:22:16 | クァルテット
 「われわれはあやつり人形のように、外部の糸にあやつられる。」 (ホラティウス)

 何事にも「原因」というものはあるものです。朝起きて、二日酔いだったら「昨日飲みすぎたからだ」とか、お腹をこわしていたら「昨日食べたあれがだいぶ古かったかな」など。こういうのはわかりやすいのですが、そんな「思い当たるふし」が無いとなると、妙に不安になったりします。「もしかしたら、何か悪い病気なのかな…」なんて思ったりして。

 不思議なことですが、原因がわかるとホッとするのです。状況は何も変わらないのに。本当はそれが原因なのかどうかは証明されなくても。また、実は別の原因があったとしても。


 ところで、「完全犯罪」ってあると思いますか?私は、一般的な意味では、それは不可能だと思います。もしあるとすれば、犯罪と偶然との境目で、それはありうるかも知れません。

 「これはその後、私が実際にやってみて成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に~急行列車か何かが疾風のようにやってきて、お婆さんから二、三間のところまでせまったと仮定します。
 その際、お婆さんがそれに気づかないで、そのまま線路を横切ってしまえばなんのことはないのですが、誰かが大きな声で『お婆さん危ないっ』とどなりでもしようものなら、たちまちあわててしまって、そのまま突っ切ろうか、一度あとへ引き返そうかと、しばらくまごつくに違いありません。そして、もしその電車があまり間近いために急停車もできなかったとしますと、『お婆さん危ないっ』というたった一言が、そのお婆さんに怪我をさせ、悪くすれば命までも奪ってしまわないとは限りません。
 ~この場合『危ないっ』と声をかけた私は明らかに殺人者です。しかし誰が私の殺意を疑いましょう。なんの恨みも無い見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味のためばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに『危ないっ』という注意の言葉はどんな風に解釈してみたって、好意から出たものとしか考えられないのです。表面上では死者から感謝されこそすれ、決して恨まれる理由がないのです。皆さん、なんと安全至極な殺人法ではありませんか。」
(江戸川 乱歩 「赤い部屋」より)

 例えば誰かが演奏で失敗したとしましょう。その原因はいろいろあると思います。練習不足だったとか、そこはもともと難しいとか、同じパートに変わった人がいるとか…。

 でも実は案外無関係に見える、その前の音楽をしている人が変な、音楽と無関係な事をしていたり、指揮者が曲と無関係な速さで予備拍を振ったりしていたことが原因であることが多いんです。

 でもそういうのはお客さんにはバレない。わざとではなくても、まさに「完全犯罪」ですな。アンサンブルをするときにはこういう「完全犯罪」をしないように、気をつけなくてはなりません。 

 
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風物詩

2009-07-12 21:51:58 | 山形弦楽四重奏団
 この写真、何だかわかりますか?「花笠祭り」はもうすぐですが、花笠ではありません。紅花です。紅花のはなびらを集めて干して、色が濃くなったものを餅状にしたものです。この時期の山形の風物詩ですな。

 …こういうのを「知ったかぶり」といいます。実はこの間、山形Qの練習場として使わせていただいている公民館で、初めてこのような、紅花を加工するところを見せてもらい、館長さんに説明を聞いたばかりなのです。実際何のために、もち状にするのかもわかってません。でもオレンジ色の花が、一日陰干しすると真っ赤に色づいているのは、ちょっとびっくりしました。


 さてさて、昨日も今日も山形Qの練習でした。来週はまた旅行ですし、できる時にはやっておかないと。今日は後半、合唱団「じゃがいも」と合わせをしてきました。来週の日曜日に、文翔館で共演させていただくのです。もう来週か…今日渡された楽譜もあるのに…。

 弦楽四重奏で合唱の伴奏をするのは初めてで、バランスやアンサンブルにいつもとは別の神経を使います。はっきりと聞かせないといけませんし、四重奏としては一体となっていないといけませんし。音程だって頼りにならないといけません。そこへきて林光先生の曲は音が難しい…。

 そういう細かいことを考えていたら、雰囲気にのまれました。以前に別の編成で共演した時も感じたのですが、この合唱団はとにかく「楽しそうに」歌うのです。団員すべてが一つの家族みたいに仲が良いし、「歌うのが楽しくてしょうがない」みたいなんです。こうなると、精度がどうのこうのではなくて、表現力がすごいんです。そして楽しいから、本番にも強いんです。

 逆に良い刺激をもらいました。時間的な余裕が無い時は、ひとつひとつの体験をプラスにしていきたいですしね。
…来週は負けないよっ!(前向きな捨てぜりふで)

 
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