電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

特定のカテゴリーの記事で古いものを読みたいときは

2016年06月30日 06時06分57秒 | ブログ運営
当ブログの中で、特定のカテゴリーの記事を、古いものを読みたい時にはどうするか。例えば「手帳文具書斎」の場合はどうか。これは、記事数が少ない場合にはそれほど重要な問題ではありませんが、記事数が450件を超えるようなカテゴリーで、検索語を特定できない場合など、意外に重要な課題です。その場合、URL/n というのを覚えておくと、便利です。

例えば、当ブログは15件の記事で次のページに移るように設定していますので、「手帳文具書斎」カテゴリーに 496件の記事がある場合、

496÷15=33…1(余り1)

より、余り1件でも1頁になりますので、全部で 34ページ あることになります。goo ブログでは、特定のカテゴリーを選択した場合、最初の15件が表示されるのが 0頁 となりますので、次の15件が1頁、最後のページは33頁ということになります。

そこで、例えば「手帳文具書斎」カテゴリーを選択したときに、ブラウザに表示される URL は

http://blog.goo.ne.jp/narkejp/c/c87e23ead42099273252eafe9339ec8c

となりますので、この後に半角英数字で /n (n:ページ数) と指定してやれば、特定のページが表示されます。つまり、

http://blog.goo.ne.jp/narkejp/c/c87e23ead42099273252eafe9339ec8c/20

としてやれば、最初の0頁から数えて20頁めの15件の記事を読むことができる、というわけです。/21 ならば21頁めです。

古いものから順に読みたい時は、こんなふうにして逆に頁数を減らしてやればよい、ということになります。
本日は、当ブログの閲覧に関するちょっとした Tips でした。

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明け方の激しい雷鳴で目が覚めた

2016年06月29日 06時04分11秒 | 季節と行事
前夜から涼しい天候で気持ちよく眠っていたのに、昨日は明け方の激しい雷鳴で目が覚めました。稲妻が走り、数秒後には激しい雷鳴がとどろきます。どうやら、けっこう近いところで鳴っているみたい。いよいよ夏の到来のようです。

時計を見ると、夜中の二時すぎで、もうひと眠りしようと思ったのに、こんどはなかなか寝付けません。うとうとしたと思ったら、明け方の四時にまた目が覚めました。しかたがないので家人を起こさないようにそっと起き出し、熱い紅茶とヨーグルトで空腹を紛らしました。外は雨降りで畑に出るわけにもいかず、仕方なくネット三昧です。

おかげで、昨日の日中はときどき猛烈に眠気が襲います。こんな時に運転しなくてすむのはありがたい限りです。季節が変わりつつある今日このごろ、皆様どうぞ健康でお過ごしください。

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内田義雄『武士の娘~日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』を読む

2016年06月28日 06時04分07秒 | -ノンフィクション
講談社+α文庫で、内田義雄著『武士の娘~日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』を読みました。本書は、『鉞子(えつこ)~世界を魅了した「武士の娘」の生涯』という題で、2013年に単行本として刊行された評伝が、題名を変更して文庫化されたもので、オリジナルの杉本鉞子著『武士の娘』(大岩美代訳・ちくま文庫)は、残念ながら県立図書館にも配架がありません。それはともかく、本書の構成は次のとおり。

序章:エツ・イナガキ・スギモト
第1章:幕末維新に翻弄される父と娘
第2章:戊辰戦争と明治の稲垣家
第3章:婚約そして東京へ
第4章:空白の五年間
第5章:アメリカへの旅立ち
第6章:フローレンス・ウィルソン
第7章:帰国
第8章:賞賛された「不屈の精神」
第9章:協力者の死と戦争への道
第10章:鉞子が遺したこと
終章:黒船(The Black Ships)

本書を読み、はじめて知ったことがたくさんありました。

  • 稲垣鉞子の父親・平助は、長岡藩の筆頭家老で、非戦論の立場から主家存続を図ったが、主戦論者の河井継之助らに敗れ、失脚したこと
  • 明治維新の後、鉞子は東京に出てミッション系の女学校に給費生として学び、代わりに卒業後の五年間、遊廓のある浅草地域のミッション系私立小学校で教師として働き、熱心さと有能さを評価されていたこと
  • 渡米した兄が仲立ちして、サンフランシスコで事業を営む杉本松雄と婚約、オハイオ州シンシナティに移り、親日家のウィルソン夫妻のもとで結婚する。夫妻の姪フローレンスは、このとき花嫁の鉞子に付き添ってくれた人であったこと
  • 米国で夫が急死し、二人の子を育てる鉞子のエッセイ修行に、フローレンスが助力したこと。後にベストセラーとなる鉞子の自伝的小説『武士の娘』も、フローレンスの存在がなければ成らず。しかしフローレンスは絶対に自分の名前を載せることを許さなかったこと
  • 杉本鉞子は、太平洋戦争の終結を見た後に、昭和25年に亡くなっていること。日清・日露・日中戦争と太平洋戦争と続く争いを、戊辰戦争で非戦論を主張したために失脚した家老の娘は、何を思いながら見ていたのだろうか

鉞子は、米国における日本人初のベストセラー作家であるとともに、日本人初のコロンビア大学非常勤講師となります。そのころの感慨:

「米国人でも日本人でも人情に変わりはなく、ただ皮想が異なっておるばかりで、紳士はどこでも紳士、淑女はどこでも淑女、であるということに帰着いたしました」(p.227)

このあたり、今では常識となっていますが、当時の日本女性が自分の体験を通じて得た結論なのですから、言葉の重みが違います。



ところで、勇ましい論は人の耳目を引きますが、恭順を唱える非戦論は腰抜けだと非難されます。結果的には、藩主の地位は家老の努力によって保たれたというのに、藩主は家老を疎んじ、失脚させてしまいます。このあたりは、どうも君主のあり方の影響が大きいようです。もう一つ、河井継之助が抜け目なく確保したガトリング砲でしたが、どうやら使い方がわからなかったのか、活躍した形跡がないようです。

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古いBARZの椅子は修理可能か

2016年06月27日 06時01分03秒 | 料理・住まい
私たち夫婦の結婚の記念にと、職場の同僚たちがプレゼントしてくれた、リクライニングできる椅子と高さを調節できるテーブルのセットがあります。BARZという、たしかドイツ製?のもので、木製の骨組みはまだしっかりしておりますが、クッション部分が色褪せ、中の綿もだいぶへたりが来ておりました。なによりも、二脚あるはずなのに度重なる引越しで見失ったのか、取り外し可能なクッション部分が一脚ぶんしかありません。



たまたま通りかかったお店で椅子の修理を請け負うとの看板を見て、母屋のリフォームの機会に修理できるかどうか、見積りをお願いしました。今残っているクッション部のクリーニングと中綿の入れ替え、それに行方不明の一脚分はクッションの新調という内容です。さっさと諦めて、新しいものを買えばいいと思わないでもないのですが、この椅子でゆったりと過ごすのが若い頃の夢だったはずですので、できれば修理して使いたいところです。さて、どうなるでしょうか?

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メンデルスゾーン「弦楽のためのシンフォニア」を聴く

2016年06月26日 06時02分27秒 | -オーケストラ
先の山響定期(*1)で、鈴木秀美さんの指揮とチェロで聴いたメンデルスゾーンの「弦楽のためのシンフォニア」第3番が印象的でしたので、他の曲も聴いてみたいと、会場でCDを買い求めました。鈴木秀美さんの指揮とチェロ、オーケストラ・リベラ・クラシカの演奏で、Arte dell arco というレーベルの ADJ-033 という型番のCDです。収録されているのは、先の第3番の他に4曲で計5曲。上野学園、石橋メモリアルホールで収録されたもので、2012年6月の演奏会のライブ録音だそうです。やっぱり初夏はメンデルスゾーンか(^o^)/

弦楽のためのシンフォニア 第1番、ハ長調
弦楽のためのシンフォニア 第2番、ニ長調
弦楽のためのシンフォニア 第3番、ホ短調
弦楽のためのシンフォニア 第7番、ニ短調
弦楽のためのシンフォニア 第8a番、ニ長調

実に爽やか! 弦楽合奏で聴く若きメンデルスゾーンの音楽は、習作の域を越えて、古典的でありつつバロックのようでもありロマンティックでもあるという、実に魅力的な音楽となっています。とりわけ緩徐楽章の美しくチャーミングな性格は格別なものがあり、このCDを購入して良かったと感じます。

弦楽のためのシンフォニア第8a番というのは、後で管弦楽に編曲した第8b番というのもあるのだそうで、それも興味深いところです。梅雨の合間に、午前中に草刈りを終えた果樹園から吹いてくる微風を取り入れながら、小さすぎず大き過ぎず、家族のクレームが出ない程度の音量で聴いている午後は、ほんとに気持ちの良い音楽の時間となります。



同じ録音が、YouTube にもありました。第1番 ハ長調です。
**♪Mendelssohn : Sinfonia No. 1 in C Major, MWV N1 : Hidemi Suzuki / Orchestra Libera Classica 2012


(*1):山形交響楽団第253回定期演奏会でメンデルスゾーン、ハイドン、ベートーヴェンを聴く~「電網郊外散歩道」2016年6月

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三浦しをん『神去なあなあ夜話』を読む

2016年06月25日 06時09分43秒 | 読書
徳間文庫で、三浦しをん著『神去なあなあ夜話』を読みました。前作では、横浜生まれでフリーター希望の少年・平野勇気が、なんの因果か、三重県の山奥にある神去村で林業に従事する話が描かれていました(*1)が、この作品はその後日談です。なかなかおもしろい。構成は、次のとおり。

第1夜:神去村の起源
第2夜:神去村の恋愛事情
第3夜:神去村のおやかたさん
第4夜:神去村の事故・遭難
第5夜:神去村の失せもの探し
第6夜:神去村のクリスマス
第7夜:神去村はいつもなあなあ

山奥の神去村の伝説は、神話風のいろどりを持ち、おもしろい。そういえば、多くの地域に「昔は水の底」伝承が伝わるのは、縄文海進(*2)の時代の記憶なのでしょうか(^o^)/
スーパー山男・ヨキとその妻みきさんのなれそめの話もいいけれど、中村林業(株)の親方である中村清一さんの人柄は、ノブレス・オブリージュを体現したような、まことに見上げたもので、直紀さんが姉のダンナなのにポーッと憧れるのも無理はない(^o^)/
自分がしっかりしなければ、と若い頃から自分を律して生きてきた年上の聡明な男性は、それは頼り甲斐があり、ステキに見えるでしょうけれど、でもそれは憧れであって、恋愛とは違うぞよ(^o^)/

村人が乗ったバスの転落事故のことを話す山の中の夜。

「おかしなもんやなあ」
と、ヨキは静かな声で俺に行った。「お袋のことは、指を見ただけで、わかった。親父は腹のあたりで確信を持てた。ほんまに親しいひとのことは、そんな些細なところも、よう覚えとるもんなんやな」
 ヨキは、「父と母です」と警察官に告げた。警察官は小学生のヨキに、「ご愁傷さまです」と深々と頭を下げたそうだ。あれは心のこもった一言やったな、とヨキは言う。(p.178~9)

うーむ、このあたり、最後の一言で涙腺がゆるみます(^o^;)>poripori

とくに、村人が乗ったバスの転落事故、遭難の後の経緯を知るとき、清一さんがヨキと無邪気に唐揚げをめぐってじゃれあうのも一種の息抜きで、無理もないと思えてなりません。姉妹が清一さんをめぐって争うようなドロドロした展開は、似合わない。その点からは、勇気クンが年上の女性・直紀さんに恋して成長することは、双方にとって望ましいことのように思いますなあ(^o^)/



神去村の名家、中村家のように、当地にも旧家が、しかも「○○様」というように「様」付けで呼ばれる旧家がいくつかあります。戦後の農地改革で没落したことなども影響し、当主の子供たちは旧家の出身であることを重荷に感じることが多かったようです。でも、なぜ地域の人たちが「様」と敬称を付けて呼ぶようになったのか、そのいわれを調べると、数百年前に大規模な水路工事を行い、かなり遠くから農業用水を引いたことによって、当事者はもちろん多くの人々がその恩恵を受けたことがわかります。いわば、水の恵みを受けた土地の人々の尊敬と感謝の気持ちが、「様」づけで呼んで顕彰するという慣習になったらしい。たんに「金持ちだから」ではなかったのです。

中村清一さんも、誇りを持って旧家を担っていってほしいものだと思いますなあ(^o^)/

(*1):三浦しをん『神去なあなあ日常』を読む~「電網郊外散歩道」2013年2月
(*2):縄文海進~Wikipediaによる解説

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各種のメモを何に書くか

2016年06月24日 06時04分27秒 | 手帳文具書斎
多忙な時期には、買い物にもなかなか行けません。機会をみて、一気に買い物を済ませたいところですが、つい忘れてしまうものが出てきます。思いついた買い物リストを、何に書いておけば忘れにくいのだろうか。

  • ワイシャツのポケットに入る名刺サイズくらいのメモ帳は、実際に買い物をするときには便利
  • システム手帳や備忘録ノートに、思いついたときに買い物メモを控えておき、ときどきメモ帳に転記

こんなところかな。

買い物リストがあれば、どの店をどういう順番に回ると最短か、などを考えることもできます。スーパーや文具店の中で、セカンドバッグからごそごそとシステム手帳を引っ張り出している図は、あまりスマートではありません。まるっきりヘンなオジサンですので、ワイシャツのポケットから小さなメモ帳というあたりがよろしいでしょう(^o^)/



写真は、某日のお昼の麦切りです。二十日大根が辛味があって美味しい。

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USBメモリで聴く通勤の音楽は、なじみの曲に偏りがちになる

2016年06月23日 06時02分50秒 | クラシック音楽
長年、通勤のお供に音楽を聴いてきました。就職した頃は、カセットテープによるカーコンポが普及しはじめた頃で、LPレコードからダビングしたり、FM放送を録音したりして、様々な音楽を聴きました。山形県にUターンしてからは、LPからCDへの転換期になり、CDカーステレオで長時間ものの曲も続けて聴くことができるようになりました。車の中に何枚かのCDを積んでおき、そのうちの幾つかは購入したばかりの新譜を選ぶようにしていましたので、新しい曲に接する機会となっていました。

先年、車を更新し、USBメモリに蓄積した音楽をお供に、通勤するようになりました。CD/DVDプレーヤーも付けたのですが、車内にCDを保管しておくような小物入れスペースもなく、USBメモリを主体とした形になってしまっています。すると、これまでパソコンに取り込み、何度も聴いているお馴染みの曲が主体になってしまいます。うーむ、どうしてもお馴染みの曲に偏ってしまいます。

そうだなあ、やっぱり購入してきたCDを机や棚に積んでおかず、車に積んでおくようにしたほうが良いのだなあ。「夏はメンデルスゾーン」とばかりに、弦楽四重奏曲全集でもいいし、梅雨時の鬱陶しさを振り払う、ドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲でもいいなあ。それとも、オペラやオペレッタのDVDを映像抜きで音楽だけを楽しむというのもありだなあ。でなければ、未聴の曲だけを集めたUSBメモリーを用意してもいいのか(^o^)/

梅雨時に、ほおづえをつきながら、そのような事をつらつらと考えております。



写真は、我が家で提供したサクランボ「紅さやか」を使って、某さんが今年も作ってくれた「サクランボのパイ」。美味しかった~(^o^)/

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東洋経済新報社の「住みよさランキング」は雪国でない人の発想では

2016年06月22日 06時01分00秒 | Weblog


東洋経済新報社が全国の都市を対象に毎年公表している「住みよさランキング」の結果が発表されています(*1)。これは、公的統計をもとに、それぞれの市を「安心度」「利便度」「快適度」「富裕度」「住居水準充実度」の五つの観点から、採用した15の指標をもとに偏差値化し、その単純平均で順位付けをしたものだそうです。

どんな指標によっているのか、参考までに調べて見ると(*2)、要するに、

  • 病院や保育所、福祉施設等がととのい、
  • 大型店舗が進出して小売業の販売額が多く、
  • 下水や都市公園などが普及し新設住宅が多く、
  • 自治体の財政力指数が良好で、
  • 持ち家住宅の床面積が広い

というような都市が住みやすいと評価されているようです。

なるほど、それでこんな結果になるのですか。でも、昔は大家族で住んでいたけれど、最近は若い人がよそに移って行ってしまっている地域は、持ち家住宅の床面積が広くなり、住みやすいことになってしまうのでは?
実際、北陸や東北の日本海側の豪雪地帯の都市が高順位にランキングされる理由が、そのあたりで説明できます。

この指標は、豪雪などの災害の実態は反映されにくいのではなかろうか。台風や洪水のひんぱんな地域だって同じなのかもしれませんが、自然災害の少なさという条件が欠けているように思えてなりません。たぶん、そういう公的指標はないから、ということなのでしょうけれど(^o^;)>poripori

(*1):最新!「住みよさランキング2016」トップ50~東洋経済オンラインより
(*2):同記事の5つの観点と算出指標

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久しぶりに書店をのぞき『武士の娘』などを購入する

2016年06月21日 06時04分27秒 | 散歩・外出・旅行
平日は自宅と職場を往復し、週末はサクランボ果樹園の管理と収穫に追われる毎日が続きましたが、先日、久しぶりに山形駅周辺に出かける用事があり、待ち時間の合間に書店に立ち寄りました。わずかな時間でしたので、丹念に新刊・既刊書を調べることはできず、文庫本の棚をさらっと眺めました。目についたのが、次の二冊です。

  • 三浦しをん『神去なあなあ夜話』(徳間文庫)
  • 内田義雄『武士の娘~日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』(講談社+α文庫)

前者は、言わずと知れたベストセラー、三浦しをん著『神去なあなあ日常』(*1)の続編で、いつの間にか文庫化されていることに驚きました。そうか、あれからもう三年も経ったのか(^o^;)>poripori
後者は、明治のアメリカで二人の娘を育てながら暮らし、当時のベストセラー『武士の娘』を書いた杉本鉞子(えつこ)と彼女を助けたアメリカ人女性フローレンスの交流をまとめた評伝風の読み物のようです。なんとなく、これは面白そうだとの嗅覚がはたらいたもので、これくらい硬軟を組み合わせれば、二冊とも投げ出すことはなかろう、という読みです。さて、どうか(^o^)/

(*1):三浦しをん『神去なあなあ日常』を読む~「電網郊外散歩道」2013年2月

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サクランボの収穫と出荷

2016年06月20日 06時02分14秒 | 週末農業
ただいま、サクランボ「佐藤錦」の収穫の最盛期となっております。勤め人の週末農業である我が家では、私と妻の労働だけではとても無理な規模ですので、亡父から経営を受け継いで以来、ずっとお願いしている雇人の人たちに収穫してもらいます。幸いに、あまり雨による実割れの被害も大きくなく、自宅裏の園地のほうはたいへん良好な出来でした。もう一つの園地で、少し離れたところにあるほうは、母屋のリフォームに伴う荷物の引越しや後片付けに時間をとられ、剪定や管理が不充分で、あまり良い出来ではありません。実がつきすぎて粒が小さく、葉が混みすぎて色づきも充分でないために、ジュースにするしかないものが多い状態です。今日は、収穫から出荷までの過程をこっそりとご紹介(^o^)/




収穫したサクランボは、軽トラックで作業場に運び、粒の大きさでS,M,L,LLに分類し、Sを除き、手作業でパック詰めします。



上の写真は、パック詰めの必需品。実割れ果などを取り除いた後で、規格毎にパック詰めをします。
下の写真は、2kgパック詰用の500gパック。実を三段に詰めます。



左が 2kgバラ詰、右が 2kgパック詰。


こちらは、手詰フードパック。実を二段に詰めます。200g 用ですが、実際は 230gくらい詰めています。残念ながら、こちらは共同選果用で、箱のフタがないので他に流用はできない仕組みとなっております(^o^;)>



これが、意外に手間がかかります。労力の半分はこれだな(^o^;)>



小玉のSは、ジュースになります。Lを主体に、LLとM規格のものを箱詰めして、フタがない状態で共同選果場に運び込みます。




ここで着色の状況から、特秀、秀、○秀などに評価され、フタをしてから出荷されていきます。出荷価格からこの共同選果の手数料が差し引かれ、これが農協の取り分になると同時に、残りが後で農家の手元に入る仕組みです。

正直言って、雨避けテントの掛け外しの費用や収穫・箱詰めの人件費、肥料や消毒の経費、出荷資材等の支出を積算すると、結構な額の経費がかかります。私(本人)の労賃まで考えれば赤字になってしまうのですが、そこは半分は楽しみでもある週末農業です。収穫物をお送りする親戚・知人・ブログの常連読者の皆さん等の喜びの声が励みになって続けているようなものです。

年齢的な体力・気力と、健康状態とを勘案して、はたして経営規模が適正なのかどうか、とくにスピードスプレーヤが壊れて動力噴霧器での防除作業になっていますので、二ヶ所ある果樹園の面積(本数)を見直す必要を感じながら、もう少し工夫してみようかと考えている昨今です。

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三菱ユニボール・シグノ307を使ってみる

2016年06月19日 06時03分06秒 | 手帳文具書斎
ボールペンでは、黒インクのものはジェットストリームJetstreamの0.7mmまたは1.0mmとパワータンクPowerTankの1.0mmで、ほぼ全用途をまかなっています。他の製品は、ほとんど入り込む余地がない、というのが実情です。実際、三菱ユニの新製品、ユニボール・シグノSigno307を購入して使ってみましたが、レギュラー選手をおしのけてスタメン入りする可能性は少ないかも。書きやすいことは宣伝文句のとおりですので、カバン等に入れておき、いざという場合に備える指名打者のような存在になりそうです。

これに対して、青は群雄割拠状態です。ジェットストリームJetstreamの青(1.0mm)は、色は好みなのですが、「にじみ抜け」することから使用頻度が低下し、パワータンクの青色は能天気に明るすぎるように感じて、もっぱらシグノRT1のブルーブラック(0.5mm)を使うことが多い。というよりも、青系はほとんど万年筆の独壇場のようなもので、ボールペンの出番が少ないのです。
そういう中で、顔料ゲルインクのボールペン(0.7mm)というのは、けっこう盲点だったかもしれません。さらさら書きやすい点とダマになりにくい点は好印象です。ぐんぐんインクが減る点も、「使ってる」感があって好印象(^o^)/

ただし、「カ・クリエ」の用紙のような抜けやすい紙の場合、やや滲むような文字の広がり感があって、カッチリした印象ではありません。万年筆インクでいうとパイロットの青のような傾向です。もう少し使ってみたいと思います。

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母屋のリフォームの進行状況:冷暖房機器を設置する

2016年06月18日 06時03分43秒 | 料理・住まい
主に水回りの更新を目的として進めてきた母屋のリフォーム工事についての記事は、「料理・住まい」カテゴリーの中でけっこうな比率になりましたが、作業のほうは冷暖房機器の設置でまずは一段落となりました。以前の茶の間と客間と縁側とをぶちぬいて作ったリビング・ダイニング・キッチンですので、けっこうな広さがあります。夏場は北側・果樹園からの風が通り抜けて涼しい部屋ではありますが、真夏の暑さ対策として、大きめの寒冷地用エアコンを設置しました。



また、厳冬期の暖房はエアコンだけでは無理と予想し、補助的にFF式の温風ヒーターも併設。真冬の早朝にはタイマーで温めておこうという作戦です。




機器の選定や設置工事は、地元の電器店にお願いしましたので、若干ですがエコ・リフォームの補助金も出るそうです。先日、古い梁を避けて配管する工事もなんとか無事に完了して試運転も終わり、すでに支払いも済ませました。そんなことから、先日は電器店の方から記念に掛時計をいただきました。鴨居に掛けてみたら、黒とシルバーのコントラストがあざやかで、たいへんレトロでモダンな感じになりました。




ちょうど妻と「時計を買わなければ」と話していたところでしたので、これはありがたい。アフターサービスとともに、このあたりの気配りが、地元のお店とのお付き合いの良いところでしょう。

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「Bun2」第66号(2016年6月号)を読む

2016年06月17日 06時02分50秒 | 手帳文具書斎
過日、久しぶりに文具店に立ち寄り、ステーショナリー・フリーマガジン『Bun2』の最新号(第66号:2016年6月)をもらってきました。今号の特集は、

「気持ち伝わる 手書きの魅力」

です。近頃、この季節には同じテーマを取り上げている(*1~*3)気がする(^o^)/

どちらかと言えば、暑中見舞いの準備を意図しているのか、手書きの手紙関連の題材が多いようです。その中では、水性ボールペンに注目したり、紙へのこだわりを取材したりする記事にひかれましたが、一番に注目したのは、やはり三菱ユニのユニボールシグノ307についての記事でした。
顔料ゲルインクボールペンは、これまでも何種類か使っておりますが、ボール径の小ささからか、書き味は独特なものがあり、筆記抵抗を感じるものでした。それが、セルロース・ナノファイバーを増粘剤として配合することで、書き味が劇的に改善されたとのこと、昔ジェットストリーム・ボールペンが登場した時のような画期性があるのかどうか、試してみたいと思っていました。

ということで、買ってきました。ユニボールシグノ307を、黒と青を試しに1本ずつ。たっぷり使ってみるのが楽しみです。

(*1):「Bun2」No.48を読む~「電網郊外散歩道」2013年6月
(*2):「Bun2」2014年6月号を読む~「電網郊外散歩道」2014年7月
(*3):「Bun2」第60号(2015/6月)がきっかけでマイベスト筆記具を考える~「電網郊外散歩道」2015年7月



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高等教育に注目するだけで良いのか

2016年06月16日 06時05分02秒 | 歴史技術科学
明治維新の後、学校教育は小学校と師範学校を重点にして開始されました。この点、少数のエリートに高度な専門的教育を施すのではなく、小学校からスタートし、師範学校で核となる教師養成を行うという行き方をとったことになります。これは、身分制の撤廃という政治的なねらいだけでなく、教育の面からも特徴的です。つまり、レベルの高さではなくまず広がりを重視することで、全体の底上げを図り、続いて高等教育のレベルアップを図っていくという方向性です。


(ヘンリー・ダイアー)

この発想は、技術者養成の面でも発揮されました。1873(明治6)年に来日した工部大学校の都検(実質的には校長)のヘンリー・ダイアーは、外国人教師の代わりを勤められる指導者を養成するという高等教育の目標の他に、技術者養成の観点から、中級エンジニア層の形成を目標にした技術者養成の教育を提言します(*1)。工部大学校や帝国大学等の高等教育機関で養成できる上級技術者の人数は、語学のハンデもあって、限りがあります。しかし、実際に現場で必要とされる、従来技術の職工や技能者を指示・指導できる中級技術者の数は、桁違いに多くなると予想されたのです。

実は、高等教育だけでなく、横須賀造船所における横須賀黌舎(こうしゃ)や、灯台寮・電信寮・勧工寮などの寮(今風に言えば省庁)ごとに技手を養成するための修技学校などが作られていました。たとえば電信修技学校では、明治3年から工部省が閉鎖される明治15年までに、1,239名の卒業生を送り出し、全国の電信網の建設・維持・運用を担っていたとのことです(*1)。これは、工部大学校や帝国大学の関連学科の卒業生人数と比較して、たいへん多いものでした。

また、東京職工学校は、工部大学校とは別に、中等程度の実用的な技術教育の必要性から1881年に作られた、修業年限三年の官立の学校です。ここでは、東京大学理学部を卒業した日本人教員を中心にして、機械工学科と化学工芸科、陶器玻璃工科を通じ、伝統的工芸を近代産業へと移行させる結果を導きました。
この初代校長となった正木退蔵(*2)は、1846(弘化3)年に萩藩士の家に生まれましたが、1870(明治3)年に井上馨とともに上京し、翌1871(明治4)年に英国に留学します。留学先はロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジの化学教室であり、やはりウィリアムソン教授の世話になりながら、実験室を通じた化学教育を受けます。正木退蔵は、1874年まで三年間英国に滞在しますが、ここでアトキンソンに出会い、帰国後はともに開成学校で化学を教えます。その後、再び英国留学をした後、帰国して東京職工学校の校長となります。従来の職工のイメージから、校名が災いした面もあり、学生募集と学校運営に苦労したようですが、目標とした中級技術者の育成の課題は、着々と果たされたといえるようです。
そしてここでも、工部大学校や帝国大学で実験室教育を受け現場実習を経験し養成された人たちのうち、国費留学生に選ばれなかった人たちが指導者となり、実験室や実習室を通じた教育を日本語で実施しています。

当時の日本の教育は、高等教育から中等教育・職業教育まで、理論学習と実験・実習室を通じて集団教育を行い、仕上げには現場実習を課すという、徒弟制にはない、理論と実習を併せ持つ画期的なシステムでした。今では当たり前のことですが、明治期の世界の状況を見れば、注目すべき画期的なものであったと言えます。英国に帰国したダイアーが、東洋の島国の技術水準の向上を教育を通じて予見した(*3)ように、当時の識者の注目を集めたもののようです。

また、時代はだいぶ後になりますが、農業においても農林学校教員を養成するための機関として農業教員養成所等の機関が作られました。記念の写真集を見ると(*4)、こちらも実験室・実習室を備えており、理論学習と実験実習とが並行して行われる点で、共通の特徴を感じます。




ちなみに、次の写真は、当時の東京帝国大学の総長だった古在由直の肖像です。古在「由直」が「直由先生」になっています。


以下、実験室・実習室の写真です。





(*1):中岡哲郎『日本近代技術の形成』p.435、朝日新聞出版、2006
(*2):沼倉研史・沼倉満帆「東京職工学校初代校長・正木退蔵の経歴と業績~『英学史研究』No.19,(1987)
(*3):ダイアー『大日本』~「超読み日記」より
(*4):「農科大学農業教員養成所・卒業記念写真帖」、大正15年3月

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