最近読んだ本の話でも。
「人前で演奏する」ということへのプレッシャーと責任は、それを厳密に真剣に考えれば考えるほど、「自分にはまだそんな資格はない」という結論に達してしまいます。「世の中には自分より上手くて、自分より一生懸命音楽と向き合ってきた人がゴマンといる。そんな中で、『この私の演奏を聴きに来て下さい!』などと、一体どういう根拠でそんなことが言えるのか?」と考えてしまうことがあります。私も、特に昔はそうでした。
「もう少し修練を積んで、自分にはお金を取って人に聴かせる資格がある、と思えるだけの段階に達したら、いよいよチラシを刷って、演奏会を企画しよう」と考えるのが、本来は常識的な判断でしょう。
しかし、実際はそういう人はいないんだということが、わかりました。プロでも「俺の演奏には、入場料分の価値がある。それに見合うだけの準備を完了した!」と確信してから、ホールを押さえてチラシを印刷する人など、いないと思います。
「プロは期日にきちんと間に合わせられるだけの、能力と資格を持っているから、それが許されるのだ」と思うかも知れませんが、実際はそんなこともありません。そもそもそんなの誰が判断するんでしょうか?自分でそんなことを思っていたら、かなり重い病気だと思います。
では、どういう根拠で「○月○日の自分の演奏会へ、○○円払って聴きに来て下さい」などと言えるのか?演奏会の日程をもう一年、いやもうひと月、先に延ばして、そのぶん練習を重ねて、クオリティをさらに上げるべきではないのか?
こういうような自問はすっかり忘れていましたが、トルストイの「光あるうち光の中を歩め」を、先日の本番前の待ち時間に読み返して、そんなことを思った時期があったことを思い出しました。人が、自分よりももっと大きなもの(音楽そのものであるとか、それによって人を喜ばせたいとか思う気持ちなど)、に忠実であろうとするにあたっては、「機が熟す」などということはありえない。そういう気持ちが「本当にあるかないか」だけが問題なんです。
私は「信仰心」みたいなものはまったくありませんが、いつ読んでも感動的な小説ですね。こういう「まっすぐな心」を忘れてはいけないな(忘れてないつもりですが)・・・と、ジーンときました。
「神のもとには大きいもの小さいものもありはしませぬ、また人生においても大きいものも小さいものもなく、存在するものは、ただまっすぐなものと曲がったものばかりじゃ。人生のまっすぐな道に入りなさい、そうすればあんたは神と共にあるようになるだろう。そしてあんたの仕事は大きくも小さくもならない、ただ神の仕事となるだろう。」
「人前で演奏する」ということへのプレッシャーと責任は、それを厳密に真剣に考えれば考えるほど、「自分にはまだそんな資格はない」という結論に達してしまいます。「世の中には自分より上手くて、自分より一生懸命音楽と向き合ってきた人がゴマンといる。そんな中で、『この私の演奏を聴きに来て下さい!』などと、一体どういう根拠でそんなことが言えるのか?」と考えてしまうことがあります。私も、特に昔はそうでした。
「もう少し修練を積んで、自分にはお金を取って人に聴かせる資格がある、と思えるだけの段階に達したら、いよいよチラシを刷って、演奏会を企画しよう」と考えるのが、本来は常識的な判断でしょう。
しかし、実際はそういう人はいないんだということが、わかりました。プロでも「俺の演奏には、入場料分の価値がある。それに見合うだけの準備を完了した!」と確信してから、ホールを押さえてチラシを印刷する人など、いないと思います。
「プロは期日にきちんと間に合わせられるだけの、能力と資格を持っているから、それが許されるのだ」と思うかも知れませんが、実際はそんなこともありません。そもそもそんなの誰が判断するんでしょうか?自分でそんなことを思っていたら、かなり重い病気だと思います。
では、どういう根拠で「○月○日の自分の演奏会へ、○○円払って聴きに来て下さい」などと言えるのか?演奏会の日程をもう一年、いやもうひと月、先に延ばして、そのぶん練習を重ねて、クオリティをさらに上げるべきではないのか?
こういうような自問はすっかり忘れていましたが、トルストイの「光あるうち光の中を歩め」を、先日の本番前の待ち時間に読み返して、そんなことを思った時期があったことを思い出しました。人が、自分よりももっと大きなもの(音楽そのものであるとか、それによって人を喜ばせたいとか思う気持ちなど)、に忠実であろうとするにあたっては、「機が熟す」などということはありえない。そういう気持ちが「本当にあるかないか」だけが問題なんです。
私は「信仰心」みたいなものはまったくありませんが、いつ読んでも感動的な小説ですね。こういう「まっすぐな心」を忘れてはいけないな(忘れてないつもりですが)・・・と、ジーンときました。
「神のもとには大きいもの小さいものもありはしませぬ、また人生においても大きいものも小さいものもなく、存在するものは、ただまっすぐなものと曲がったものばかりじゃ。人生のまっすぐな道に入りなさい、そうすればあんたは神と共にあるようになるだろう。そしてあんたの仕事は大きくも小さくもならない、ただ神の仕事となるだろう。」