朝礼の話題

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夏の終わり

2012-08-29 22:02:15 | 21世紀
夏の終わり
2012/08/30
 「夏休みを最大限に遊び、真っ黒に日焼けした人が、秋の涼風を楽しめる」昔の小学高の先生が言っていました。頭のどこかに残っていて、現役の頃一生懸命働いてこそ、引退生活が楽しめるのだと考えていました。
 考え方によっては、「今は楽しむ時間ではない。働く時間だ。楽しむのは引退してからだ」自分に言い聞かせていたのかもしれません。
 活動的な真っ黒な顔をした孫たちを見ていて、彼女たちは、秋は秋で楽しいだろう。結局何時でも楽しいだろう。何をやったから楽しい、満足感があるから楽しいというような条件はない。楽しい人は何時でも楽しいし、暗い人は何時でも暗いと感じます。
 苛められるのは辛い。苛めるのは不満解消し楽しい。学校の成績が上がると、褒められ認められてうれしい。成績が下がるとバカにされて癪だ。だから勉強し、良く覚えよ。と言うような原始的な考えで、私達70年前の子供は育ったようです。
 教育理論を教育学部で習って、先生になって、実行しようとしても、どこか違う。生徒は理論どうりには動かない。そこで愛情が必要と悟っても、日教組の先輩先生などは、「そんな青臭い事は忘れよ」「学習指導要綱のとおりしておけばよいのだよ」「私達はしいたげられている労働者なのだ」と言っているような気がしてなりません。
 子供は楽しませてやらなくてはならない。しかし、それは他から与えられるものではない。自分の好奇心でやってみて、好奇心が満足したことが楽しみであるという定義はどうだろう。与えられた宿題やっても楽しい事はない。
 英語で教育=エデュケーションとは、引き出すという意味だそうで、その子供の持っているものを引き出すことを教育と欧米では考えられています。
 日本の義務教育とは、社会生活に必要とされる事を記憶することと定義され、それを覚えたかどうかで成績が付けられます。
 次の世代、欧米と日本の差が出るのはこの教育の違いによる、人間性の薄さではないかと心配です。
 小学校・中学校など、小さな組織の寺子屋的大きさでいいのではないか?
 学校の定員は、1クラス40人、1学年3クラス、1学校18クラス位を限度とし、狭い地域の小学校で、PTAは直接学校に文句言ってはいけない。文句のある人は警察に言うなどの規定はどうでしょう?
 テレビ・ゲーム・携帯など学校には一切持ち込み禁止、連絡事項は高等で言い書き取らせるなどの、原始教育が必要な時代と感じます。


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