朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

アダム・スミスに学ぼう

2012-02-02 00:07:18 | 21世紀
都会の進歩
2012/02/02
 葬儀があって大牟田に行きました。これが人口が減り衰亡している街だと直感しました。見慣れた高層の新築マンションが全く無いのです。帰り道は柳川・八女を周りましたが、マンションは見当たりません。
 北九州市は高層マンションだらけで、都市としての力があるのだとうれしくなります。
 「ヨーロッパ鉄道の旅」とかアメリカ映画で、鉄道場面がありますが、街を出ると、農地・荒野が続き人家はあまり見えません。中世から続く、レンガ・石造りの街がありますが、歴史遺産など説明されますが、ごみごみし下水もなさそうで日本人は生活出来ないようにも思います。
 ロビンソン・クルーソー漂流記を、正訳の岩波文庫で読んだことがあります。
 18世紀の話で当時のイギリスの様子が書かれています。ロンドンを出て
カレーの港まで馬車を走らせます。時間が遅れて夜になりました。狼の群れに襲われ苦労します。ヨーロッパ時代映画でも、狼に襲われる場面が良くありますから本当だろうと思います。江戸時代日本の郊外では有り得ない話です。
 「バルジ大作戦」の再放送を観ました。戦車の走り回るフランスの田舎は現代でも狼の居そうな原野です。
 イタリアの世界遺産の田舎町は、狼や盗賊団・他国の兵隊から自衛する城塞都市であり地震のない国の石造りだったから残っているだけであり、遺産というような尊ばれるものではありません。
 日本で鉄道に乗りますと、原野や農村は僅かでほとんどが住宅地を走ります。
 中国やヨーロッパの都市の出来る歴史と日本の都市の成り立ちとは違い、日本の都市で人口は流動的に動き、景気の悪い街から景気の良い街に移動します。
 人が沢山集まりますと、仕事は細分化され、それぞれが自分の専門分野だけしかわからなくなって、他人の力を借りなくては、何にも出来なくなるように感じます。人が集まる都会で生活していると、一人である程度独立生活する田舎では生活する能力をなくしてしまうようです。
 都会で生きる能力失い、田舎の原始的力にとって変わられるのが、秦に始まり漢に、唐から宋・明・元・清と王朝の変わる歴史でした。
 日本では、全体が都市化され、新しい勢力が生まれず、追い上げる力がないようですが、大牟田、北九州、大阪、東京と進化の差のあることが、次の勢力造成を期待させます。日本の人口が減少すると憂う報道が沢山あります。
 アダム・スミスを思い出しましょう。世の中は見えざる手に支配されています。経済と同じです。成るようにしか成らないのです。明るく考えましょう。