昨日、途中までになっていた日記の続きです。
筑紫館・鴻臚館、なぜ 福岡市の、あの場所にできたとー?ということを理解するための
白村江のたたかいあたりから 大宰府政庁の成立と その発展・はたらき・・・のこと。
そうなんだー、そうなんだー、へー、そうなんだー・・・・と声には出さぬとも心の中でびっくりしながら 手書きでまとめています。
この後、おちびさんが起きなければ、昨日の続きを書くつもり。
この作業やってよかったーと思うのは、今まで集めた資料を改めて読むことで、
手に入れた当時には気づかなかったことを、ほんと 改めて 気づけることです。
今回の気づきは 平成24年4月の鴻臚館跡発掘記念フォーラムで配られた資料の中にあった、文章から。
7世紀末以降、大宰府は中央朝廷の縮小版のような役所でした・・・とあり。
大宰府の特徴3つが書いてあって。
蕃客(外国使節の管理・監督)、帰化(帰化志願者の管理・監督)饗宴(きょうえん)、(外交施設のもてなし、迎賓)。
『この3つのうち、饗宴は朝廷と大宰府だけが持つ機能です。』・・・・とあり。
このあとの説明文!!!
これを読んで、この印象がしっかり私に植えつけられたことで、筑紫館・鴻臚館の印象が ぐっと変わりました!!!
今頃?!
いまさら?!
・・・・・・・・・・なんですけどね
でも、この文章のイメージがあるのとないのとでは、筑紫館・鴻臚館へ持つ印象って、違うんじゃないかなってホント思ったんです。
その文章とは・・・・・こちら↓
『朝廷に不都合があって外国使節を入京させない(させられない)場合、朝廷から使者が来て大宰府で外国使節を迎え、
儀礼・饗宴を行いました。つまり、都に上らない外国使節は、大宰帥(だざいのそち)(大宰府の長官)や朝廷の使者、
大宰府の街の姿、そこでの接遇を通して日本をイメージし、帰国することになります。これは大変重大な役割といえます』
これです。
このときは「大宰府客館を掘る」という話だったので、大宰府政庁のこと、大宰府のことをメインに説明されていますが、
さっきの文章のあとに、
『外国使節を迎えるための広域整備』とあって、鴻臚館跡のことも
外国使節を受け入れた客館跡で、ここに外国使節が逗留したことは間違いありませんが・・・とあるので、
博多湾岸の鴻臚館も、
“都に上らない外国使節が、そこでの接遇を通して日本をイメージし、帰国する”・・・という場所の一つだったんだ!!!と。
そういう“そこ見て、そこでもてなし受けた内容で、日本 イメージして、帰る”トコって、そうそうないですよね?!
鴻臚館と呼ばれる 9世紀なかば頃になると、外国使節が来なくなったこともあって、
大宰府には客館はなかったのかな??という文章が あとのほうにあったので、
博多湾岸の鴻臚館が
“都に上らない外国の商人が、そこでの接遇を通して日本をイメージし、帰国する”場になったんだ!!と気づき、
いやー、めっちゃすごいやん、鴻臚館・・・・と思いました!!!!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はよ、気づけって????
いや、気づいてなかったわけではないと 思うんですけど・・・・・・
ただ、“だざいふ”というと、天満宮にやっぱり行っちゃうし、天満宮すごいなーって思うがゆえに、
これこれ・・・・・
流刑にあって、ながされた場所、というイメージが・・・・
おっと様からは「右大臣からの流刑なんだから、すごいんだよ」とか
「筑紫館のころの大宰府政庁とは、時代にずれがあるよ」とか いろいろ教えてもらってたんですけど、
うーん、なんだかちょっと ピンときてなかったんですよね
でも!!!
ノートに手書きでまとめようとして、改めて 資料読んで、さっきの引用した文章に出会ったことで
「当時の大宰府って、すごいじゃん!!!!!!!!!!!」って思えました。
ということは・・・・・つまり。
他のまちから 観光にやってくる友達とか 孫に会いに来る我が家のじいじ・ばあばを鴻臚館跡に連れて行ったり、
おちびさんがある程度大きくなったとき 鴻臚館跡に連れて行くという場合には、
“7世紀後半から8世紀、9世紀前半までくらいの大宰府”の様子を ちゃーんと伝えきっておかないと
うまく、鴻臚館跡の魅力って、伝えきれない・・・・ってことなんでしょうね
ああ・・・・・
まちまなび やらねばならないことが、増えていく~~~~
でも、ちゃんと伝えたいから、頑張らねば―
今度、大宰府資料館、連れてってもらおう~!
ちょっと行きにくいんで、車で連れてってもらおう~~
おちびさん連れてっても・・・平気かな?!
大丈夫だったらいいんだけどなー
市美術館は 2回行ったから、なんとなく ベビー連れ市美鑑賞のコツ?!も つかめかかってはいるかもなんだけど・・・・
まぁ、年内、どこかで 大宰府資料館、いけたらいいな!!!
でも、手書きの作業は 先にすすめます♪
・・・・・・・・・・2月初めの検定の勉強も、しなきゃだめよ~~!!!!
筑紫館・鴻臚館、なぜ 福岡市の、あの場所にできたとー?ということを理解するための
白村江のたたかいあたりから 大宰府政庁の成立と その発展・はたらき・・・のこと。
そうなんだー、そうなんだー、へー、そうなんだー・・・・と声には出さぬとも心の中でびっくりしながら 手書きでまとめています。
この後、おちびさんが起きなければ、昨日の続きを書くつもり。
この作業やってよかったーと思うのは、今まで集めた資料を改めて読むことで、
手に入れた当時には気づかなかったことを、ほんと 改めて 気づけることです。
今回の気づきは 平成24年4月の鴻臚館跡発掘記念フォーラムで配られた資料の中にあった、文章から。
7世紀末以降、大宰府は中央朝廷の縮小版のような役所でした・・・とあり。
大宰府の特徴3つが書いてあって。
蕃客(外国使節の管理・監督)、帰化(帰化志願者の管理・監督)饗宴(きょうえん)、(外交施設のもてなし、迎賓)。
『この3つのうち、饗宴は朝廷と大宰府だけが持つ機能です。』・・・・とあり。
このあとの説明文!!!
これを読んで、この印象がしっかり私に植えつけられたことで、筑紫館・鴻臚館の印象が ぐっと変わりました!!!
今頃?!
いまさら?!
・・・・・・・・・・なんですけどね
でも、この文章のイメージがあるのとないのとでは、筑紫館・鴻臚館へ持つ印象って、違うんじゃないかなってホント思ったんです。
その文章とは・・・・・こちら↓
『朝廷に不都合があって外国使節を入京させない(させられない)場合、朝廷から使者が来て大宰府で外国使節を迎え、
儀礼・饗宴を行いました。つまり、都に上らない外国使節は、大宰帥(だざいのそち)(大宰府の長官)や朝廷の使者、
大宰府の街の姿、そこでの接遇を通して日本をイメージし、帰国することになります。これは大変重大な役割といえます』
これです。
このときは「大宰府客館を掘る」という話だったので、大宰府政庁のこと、大宰府のことをメインに説明されていますが、
さっきの文章のあとに、
『外国使節を迎えるための広域整備』とあって、鴻臚館跡のことも
外国使節を受け入れた客館跡で、ここに外国使節が逗留したことは間違いありませんが・・・とあるので、
博多湾岸の鴻臚館も、
“都に上らない外国使節が、そこでの接遇を通して日本をイメージし、帰国する”・・・という場所の一つだったんだ!!!と。
そういう“そこ見て、そこでもてなし受けた内容で、日本 イメージして、帰る”トコって、そうそうないですよね?!
鴻臚館と呼ばれる 9世紀なかば頃になると、外国使節が来なくなったこともあって、
大宰府には客館はなかったのかな??という文章が あとのほうにあったので、
博多湾岸の鴻臚館が
“都に上らない外国の商人が、そこでの接遇を通して日本をイメージし、帰国する”場になったんだ!!と気づき、
いやー、めっちゃすごいやん、鴻臚館・・・・と思いました!!!!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はよ、気づけって????
いや、気づいてなかったわけではないと 思うんですけど・・・・・・
ただ、“だざいふ”というと、天満宮にやっぱり行っちゃうし、天満宮すごいなーって思うがゆえに、
これこれ・・・・・
流刑にあって、ながされた場所、というイメージが・・・・
おっと様からは「右大臣からの流刑なんだから、すごいんだよ」とか
「筑紫館のころの大宰府政庁とは、時代にずれがあるよ」とか いろいろ教えてもらってたんですけど、
うーん、なんだかちょっと ピンときてなかったんですよね
でも!!!
ノートに手書きでまとめようとして、改めて 資料読んで、さっきの引用した文章に出会ったことで
「当時の大宰府って、すごいじゃん!!!!!!!!!!!」って思えました。
ということは・・・・・つまり。
他のまちから 観光にやってくる友達とか 孫に会いに来る我が家のじいじ・ばあばを鴻臚館跡に連れて行ったり、
おちびさんがある程度大きくなったとき 鴻臚館跡に連れて行くという場合には、
“7世紀後半から8世紀、9世紀前半までくらいの大宰府”の様子を ちゃーんと伝えきっておかないと
うまく、鴻臚館跡の魅力って、伝えきれない・・・・ってことなんでしょうね
ああ・・・・・
まちまなび やらねばならないことが、増えていく~~~~
でも、ちゃんと伝えたいから、頑張らねば―
今度、大宰府資料館、連れてってもらおう~!
ちょっと行きにくいんで、車で連れてってもらおう~~
おちびさん連れてっても・・・平気かな?!
大丈夫だったらいいんだけどなー
市美術館は 2回行ったから、なんとなく ベビー連れ市美鑑賞のコツ?!も つかめかかってはいるかもなんだけど・・・・
まぁ、年内、どこかで 大宰府資料館、いけたらいいな!!!
でも、手書きの作業は 先にすすめます♪
・・・・・・・・・・2月初めの検定の勉強も、しなきゃだめよ~~!!!!