がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

海底からやってきた村シーサー

2020年03月30日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

 

今週の金曜日、
4月3日はシーサーの日!

ということで、今週は
数ある村シーサー(石獅子)訪問ストック写真の中から
いくつかをUPしていこうと思います。

 

今回はこちら!

平安座島にある村シーサー。

 

私は個人的にこのような単体で大型の石製獅子は
村シーサーと呼んでいます。
資料では「石獅子」でしたが
ここでは村シーサーで書かせていただきます。

 

 

…なんだか表面が妙な感じですね?

 

実はこのシーサー、
海底にあったのです!

 

表面に貝がついていたような跡が
びっしりと…。

 

なぜ海底にあったのか、
最初からそうなのか、
それとも海に捨てられた?のか、
いつ引き上げられたのか。

手元の資料には
「海底にあった石獅子」のみで
詳しいことは書かれていませんでした。
(何かで見たか聞いたかしたような気もするんだけど……
案内板があったっけ?でも写真には撮ってないし…

 

 

…ただ、この村シーサー、
周りがひどいゴミだらけで……
板とかトタンとかそういう…


大切にされている感がなくて
残念でした…。

設置されてた場所、
私有地なのかな…。

 

文化財ではあるみたいだし、
見直されるといいな。

 

参/うるま市文化財シリーズ平安座島

 

 

*おまけ*

 

平安座島集落散歩で見かけた
屋根の上のシーサー。

顔が細身で妙に味わい深い。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

首里城赤瓦漆喰はがしボランティアに参加しました

2020年03月29日 | ・琉球歴史/文化風景

 

首里城赤瓦漆喰はがしボランティアに参加してきました。

参加者は定員フルの老若男女。

おひとりさまから
友達同士、親子など。

外国の方や
リピーターの方もいました。

 

銭蔵で受付をしたら、
淑順門を通って
作業場所である後之御庭へ。

ちょうど正殿の真後ろにある広場です。

 

 

現在立ち入り禁止になっているここ、
かつての有料区域は
撤去工事が進められています。

右側奥が北殿、左側奥が南殿、
中央奥が正殿にあたります。

奥の赤い建物は奉神門です。

 

 

作業は破損を免れた赤瓦の
漆喰をはがすこと。

作業に必要な道具、
軍手やマスク、ゴーグルも準備されていました。

受け取った瓦は、
奉神門の丸瓦。

 

 

ひたすら、漆喰をこすり取っていきます。

思っていたよりもぼろぼろと取れるので
特に難しい作業ではありません。

でも、まんべんなく
きれいに落とすには時間がかかります。

 

ひたすらこすり取っていく。

ただひたすら瓦に向きあう。

どんどん無心になっていく。

 

黙々と無心になることで、
それは
祈りにも似た表現行為になっていく

 

という、
石の声」での体験を思い出しました。

 

 

瓦を抱えて、
支えて、
こすり取って、
磨いて、
払って、
なでる、
そしてまた抱え持つ、
このような単純な一連の作業が、
自然に首里城と己に向き合う時間になっていきました。

 

それは
首里城への想いであったり
復元に携わったへの想いであったり
祈りであったり
追悼であったり
後悔であったり
愛おしさであったり
決意であったり

 

……。

 

 

 
もちろん、
かしこまって神妙な面持ちでやらねばならない
というわけではありません。


でも防塵マスクしてるし
作業は一人でやるものなので、
グループで来ている人も
作業中は自然とそうなっていたんじゃないかな、


というのが私の感想と、実感。
 

 

作業が終わった瓦は検品へ。

ハンマーで軽く叩いて、
その音で瓦の良し悪しを判断します。

高く響く音は合格の印。
赤瓦ってこんなきれいな音がするんだ、と
ほれぼれしました。

 

 

2時間(途中休憩10分ほど?)の作業で
丸瓦6枚、平瓦4枚、
合計10枚の瓦の漆喰はがしをすることができました。

 

ノルマがあるわけじゃないので
自分のペースで無理なく進めることができます。

 

 

休憩時間や作業の合間には
現場作業員さんの話も聞くことができました。


瓦の構造。
丸瓦と平瓦の組み合わせ方。
どこを漆喰で固めるのか。


その組み合わせ方を知る、
間近で見るって、
意外とないですよね。

 

 

焼失前の各屋根の写真や、
瓦の種類も見ることができました。

 

 

正殿の赤瓦は、
完形のものはほぼ残っていないそうです。

 

 

正殿左 龍頭下 丸瓦。

貴重な1枚。

 

瓦も、龍頭棟飾(陶製)も、
落ちて粉々に割れてしまいました。
(瓦や龍頭に関していえば、火災で燃えたというよりは
焼け落ちて割れたという被害)

割れてしまったそれらも全て回収して
次の何かに活かせる予定とのこと。

 

作業員さんの言葉が印象的でした。

 

「私たちは、割れてしまったこれらを瓦礫とは言わない」

 

 

左右両端の赤丸部分に
龍頭棟飾のひげが見えます。

真ん中の丸が大龍柱。

左側のブルーシートのあるところが
世界遺産でもある遺構部分。

 

↓2本の大龍柱。

 

 

さて、ここで
ボランティア参加者の特典を
書かせていただきます。

もうお気づきのように、

 

① 
現在、一般立ち入り禁止である「現場」に入れる


現場や遺物を間近に見れる


作業員さんなどから話が聞ける
(ほかにも色々聞いたり、見たりしたけど
ブログに載せたのは一部です)


通常通れない淑順門を通れる


参加証がもらえる

 

の5つです。

 

 

淑順門、これね!

完成した時からずっと見てるけど
ずっと行き来できない門だったから
実際にここを通るのはワタシも初めてでした。

 

 

淑順門の裏!

ひそかにテンション上がったよねー。
(…ワタシだけ?)

 

赤瓦漆喰はがしボランティアは
4月26日まで実施されます。

4月実施分の申し込みは
明日3月30日11:00から、
専用サイトの応募フォームから受付開始になります。

 

一人でも多くの人が(特に県民が)
参加してくれたらな、と思います。

 

詳細、申し込みは☟

首里城赤瓦の漆喰はがしボランティアについて

 

 

 

「え~?
でも15歳未満は参加できないじゃない?

子どもと参加したかったけど、
うちは子どもが小さいし無理だわ…」

 

と言うそこの奥さま!旦那さま!

 

ちょーっと待った―――!!

 

 

 

見学会もございます。

 

実際に作業はできないけれど、
この現場に入って、
同じ景色を見て、
作業員さんの説明も聞けます!

もちろん、
子ども連れだけじゃなくて
大人の方だけでも見学OK!

 

現地を見るだけでも十分価値がありますよ。

 

当日、現地受付先着15名限定になります。

 

詳しくは☟

首里城赤瓦漆喰はがしボランティア見学会 開催

 

なお、気になる駐車場についてですが、
首里城駐車場を利用できます。
(ボランティア参加者優先というわけではありませんが、
時世柄、駐車場、余裕ありです…)

料金は定額320円です☆


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(12)『初謁見』

2020年03月27日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

うちの尚巴志さまは

猫がお好き。

 

 

再掲載。

 

 


 

「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

首里城赤瓦の漆喰はがしボランティア

2020年03月25日 | ・琉球歴史/文化風景

 

首里城再建に向けて、
市民参加型の取り組みとして、
赤瓦の漆喰はがしのボランティアを募集しています。

これは破損を免れた赤瓦を
今後様々な形で再利用すべく
漆喰をはがしてきれいな状態にする活動です。

3月1日から実施の予定でしたが
コロナの影響で延期になり、
今週からやっと始まりました。


実施期間は当初の予定を延長して
4月26日までです。

 

3月実施分
全日、定員に達しているため
現在申し込みはできません。

 

4月1日~4月3日実施分
申し込みの電話先行予約を
明日26日(木)から受け付けるようです。

 

4月4日以降の実施分
3月30日(月)以降に専用応募フォームからの受付になります。

 

詳細、申し込みは☟

首里城赤瓦の漆喰はがしボランティアについて

をご覧ください。

 

 

+ + +

 

 
撤去工事が始まった頃の首里城
(2月中旬撮影)

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ/SEASON2キャラクター紹介その①

2020年03月22日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ、
SEASON1察度編はひとまず終わりとして、
SEASON2尚巴志・三山編に入ります。

まずはキャラクター紹介その1。

この3名からスタートです。

 

 

時代区分的にはこう。

尚巴志・三山編はあと3名のキャラがでてきますが
出番はもう少し後になりそうなので
キャラクター紹介その2は
間近になったらやろうと思います。

それでは、尚巴志・三山編も
よろしくお願いします♪

 

 


 

「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

琉球王家は、アノ香り…!?

2020年03月19日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

去った日曜日まで県博で開催されていた
「手わざ」展。
みなさま、見に行きましたか?

私は会期の最初の頃と、最後らへんと、
2度行って楽しみました♪

 

↑は、手わざ展で展示されていたものの中の一つ
「丁子風呂(ちょうじぶろ)」

丁子とは植物の名前で、
クローブとも言います。

香辛料として料理にも使われるので
聞いたことがある人もいるはず。


丁子は香辛料以外にも、
香料としても用いられていました。

丁子風呂は、
丁子の香りを出すための香炉、
つまりアロマポットのこと。

 

ワタシ、丁子風呂って最初に聞いた時、
菖蒲湯みたいに、丁子を浮かべた湯舟をイメージしてたよ(^^;)

同じ発想した人、ほかにもきっといるよね…?

 

 

東南アジア産の丁子は
貿易でしか手に入らない貴重なもの。

吉祥文様として王族の紅型にも描かれました。
(こちらも「手わざ」展より黄色地鳳凰蝙蝠宝尽青海波立波文様紅型袷衣装)

 

 

貴重で、日常にはない特別な香りは、
特異性や神霊性を演出し、
人々の感覚や嗅覚記憶に印象付けることができるため、

特別な空間、聖なる空間を演出したり、
着物に焚きしめたりもしていたのかもしれません。

参/『沖縄県史図説編』『ウチナー紀聞( 丁子風呂)』

 


もちろん、そんな貴重な丁子を使えたのは
王族や、神事を司る高級ノロたちだけだったことでしょう。

 

国王に、王妃に、聞得大君、王子や王女たち …

 

琉球王家がまとった特別な香り……
いったいどんな香りなのか、気になりますよね。

 


 

展示会では、丁子を実際に嗅げるコーナーも!

 

お!どれどれ?

 

くんくん…

 

…ん?

 

この独特な香り……
どこかで嗅いだような…?

 

 

もう一回…

 

 

くんくんくん…

 

 

…もう一回……

 

 

くんくんくん……

 

 

 

 

…あれ…
もしかしてこの香りって……

 

 

 

 

 

これか…?

 

 

 

 

 

 

正露丸。

 

そのものというより、
正露丸を少し薄くしたような感じ…

 

もしかして正露丸の成分に丁子が入っている?
と思って調べてみたけど、
そういうわけではないみたい。

 

 

正露丸の香りというのは
あくまで個人の感想ですが、

「丁子は正露丸のにおい」

って感じる人は一定数いるみたいです。

 

丁子は
香辛料、
香料、
そしてもう一つ、
生薬としても用いられていました。

生薬としての使用例の一つが「歯痛」。

正露丸も歯に詰めて歯痛止としての効用があり、
正露丸と丁子は成分的には共通点があるのかもしれません。

 

実際、丁子は歯医者さんの匂いって表現する人もいますね。
歯科治療薬には正露丸の主成分・クレオソートが使われているんだって。

ほら、やっぱり「正露丸」だ!

 

 
というわけで、
皆さんに分かりやすく伝わるように

琉球王家の香りは正露丸(仮)

…としておきます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(11)『羽衣伝説~察度の母~』

2020年03月15日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

前回に引き続き、
「羽衣伝説」をお送りました。

羽衣伝説は組踊『銘苅子』の題材にもなっています。
2コマ目の子守歌は、
実際に『銘苅子』で謡われているいるものを
ベースにしました。

実際の曲→(子持節

 

キラキラ本では察度と泰期は
異母兄弟という設定にしています。
(本当は弟・泰期は進貢使としての
名目上のものだとは思っているのだけれど)

 


 

 

 

ところで、
琉球史を振り返ると
ちょいちょい「天女」の存在が散見されます。

そのことから、
天女の正体は王女、もしくは身分の高い女性なのではないか
という解釈もあります。

『琉球歴史夜話』源武雄著
『新琉球王統史2』与並岳生著  他


『琉球の伝説集』(石川文一著)では
神人という解釈をされています。

この本での羽衣伝説は少し小説仕立てになっていて
特に奥間大親の生々しい人間っぷりが描き出されていて、
なかなか…、なかなかです(笑)

 

 

 

察度の反抗期についてですが、
これ、ちゃんと正史に記述があるんです。

『中山世鑑』(諸見友重訳注)によると、

男の子(察度)はようやく成長したが、
畑仕事もせず朝な夕な魚釣りや猟に遊び惚けていた。

父(奥間大親)も腹を立て時々たしなめたが、
教えに従うことなもなく、
ただいたずらに方々を遊び歩く親不孝者であった

 

 

『中山世譜(蔡鐸本)』(原田禹雄訳注)では、


息子(察度)は大きくなっても農業に従事せず、
漁猟を好んで毎日あちこちで遊んで暮らし、
父の言うことなどきかなかった。
大親は、大層心配していた。

 

です。

『球陽』も『中山世譜』と同じ感じ。

 

察度、どんだけ😂

 

察度の人間臭さが表れていて
ワタシ的に外せない察度像です♡

 

 


なお、"煙草を吸ってる察度”は演出です(笑)
この時代にはまだ琉球に煙草はありません。
煙草は尚寧王(16世紀末ごろ)に
琉球に入ってきたといわれています。
尚寧が住んでいた浦添グスクからは
様々なキセルが出土しています。

 

 


 

「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥間鍛冶屋の正体

2020年03月14日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

昨日、キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ
で奥間大親について触れたので
、関連して、
ずっと下書きのまま、"うっちゃん投ぎてた"記事を
アップしますね。

国頭村奥間にある、
アガリカンジャー。

ここには3つの見どころがあります。

1つは奥間鍛冶屋の拝所

1つはかぎやで風節の碑

そしてもう一つ。

 

かぎやで風節の碑の右にある碑。

 

見出しは、
「奥間鍛冶屋発祥の地」

 


↑クリックで拡大

 

書いてあることをザっと要約すると、

 

ここ、奥間で生まれた男は、
後に浦添間切謝名村に居住し、
察度や泰期を生んだ。

つまり、この男は、
察度の父ちゃん、
奥間大親その人だった(!!)

 

やがて察度は中山王となり、
異母弟である泰期や金満按司は進貢使として
琉球と明を行き来する。

明から鉄加工の技術を身に着けた二人は
父(奥間大親)の故郷である奥間に戻り、
鍛冶屋となった。

 

これが沖縄の鍛冶屋の祖と言われる所以だ。

そして、泰期、金満按司が奥間鍛冶屋の祖である。

 

 

というもの。
子孫の座安家に伝わる伝承のようです。

 

奥間大親の「奥間」は
まさに国頭村の「奥間」ということになります。

浦添・宜野湾と、国頭村の奥間がつながるとは
ちょっと意外ですね。

(なお、浦添間切には現在の宜野湾も入っていました)

 

泰期が鍛冶屋の始祖だった
というのも、他ではあまり聞かない伝承です。
(※本によっては泰期はなく、金満だけの記述だったり、
「泰期金満」で一人の人物だったりしています)

 

参/
沖縄拝所巡り300(比嘉朝進著)
くんじゃん徒歩ナビ国頭村奥間区編(国頭村)

 

 

また、
「カニマン(金満(万))」という名も各地に色々見られるのですが、
それが銭を指すのか、金属(鉄)を指すのかなども
諸説あるようです。

 

そして、彼らの子孫が、
あの金丸と繋がっていくのです

 

ふっしぎ~☆

 

 

 

それにしても、
察度・泰期時代、
14世紀の鍛冶場か……

と言ったら
宜野座村の「漢那ウェーヌアタイ遺跡」が
思い出されますねぇ。

こっちからは実際に鍛冶遺物が出土しているようですが、
この奥間鍛冶屋周辺はどうなんでしょう。

気になるところです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(10)『羽衣伝説~察度の父~』

2020年03月13日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

察度の父は「奥間大親」と言います。

奥間大親の屋敷跡とも伝わるのが
宜野湾市にある西森御嶽。
(つまり、察度の実家)

そのそばには天女伝説のある「森の川」があります。

詳しくは過去記事こちらから。

 

+

 

8コマ目の察度のぼやき、
「俺は嫁さんもらうときは まっすぐ勝負したぜ?」
について。

察度の嫁は、勝連グスクの姫でした。

察度の嫁取りエピソードはこちらから。

 

 


 

「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(9)『ミッション』

2020年03月09日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

目を見開いた?亜蘭匏はこちらから。

島バナナは、おいしいです。

 

 


 

「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドッキドキの土器話【2】

2020年03月07日 | ・琉球史散策/グスク時代

ドッキドキの土器話【1】の続き。

土器は見るだけよりも
触って、体感したほうが
その面白さが伝わる!!

しかし、保存の面から
なかなか簡単なことではないらしい…

というのが前回の話。

 

しかし、
そんな土器を少しでも「体感」できる!
という展示会に行ってきました。

沖縄市立郷土博物館で行われていた
『沖縄の土器づくり よみがえる技』展。

 

 

出土した土器がガラスケースの中に
鎮座しているのはこれまでと変わりませんが、

この展示会の特徴は
出土した土器を、
土から作って、同じような手法で作って、焼くという
「臨作」が一緒に展示されていること。

 

 

「臨作」なので、実際に触ったり、持ち上げたりと
体感・体験できるものもいっぱい!

また、「臨作」を作る中での
「失敗作」や調理などの「実験」や、
気づいたことや感じたことも紹介されていたりして

道具としての「土器」を
よりリアルに感じることができて
色々と目からウロコ。

 

 

1月で終わっている展示なのですが
(私も最終日に訪問したので、ブログで紹介できずじまいでして…
土器関連は定期的にやっているっぽいので
次回開催の時はぜひ訪れてみてほしいです!

なお、図録は今でも販売中。
沖縄市立郷土博物館にて購入できます☆

 

そんな沖縄市立郷土博物館、
この土器展に合わせたワークショップが色々ありました。

「本気の土器づくり」に参加したかったのですが
(初心者向け、親子向けもあり)
日程の都合上参加できなかったので…

数年前から耳にしつつも
事前に情報をゲットできずに
ずっと流れてしまっていた「アレ」に
やっと参加できました!

 

 

土器クッキーつくり!!

フゥ~~~~~!!!!(テンション↑↑↑)

 

ココアのクッキー生地をベースに着色をし、
「砂」もアーモンドで表現しながら
土器片を作っていきます!

 

 

これは出土した本物の土器片。

おいしそう…。

 

 

土器片の模様はこちらの「臨作」を参考にしていきます。

今回は、


伊波式土器
荻堂式土器
大山式土器

の3種類。

 

生地を寝かしているときや
焼いている間には、
学芸員さんによる土器講座もありました。

 

 

こちら、参加者さんから集めた完成品。

きな粉をまぶして
「出土したて」感の演出もあったのには笑いました(笑)


考古に対するこだわりと愛を感じました!
さすがです

 

 

こちらがワタシ作。

形がシャープになりすぎてしまったのが反省点

綿棒できれいに伸ばすだけでなく、
わざと指で凹凸をつけて
「指圧痕」も表現してみたんだけど…

本物の土器片同様、
触ってみないと分からない

ですね(^^;)

 

スタッフさんも言ってたけど、
土器クッキーは奥が深い!

何度もチャレンジあるのみ!

という感じでした。

 

10年ぶり?いや、15年?…まさか20年?ぶりに
クッキーづくりをしましたが、

楽しくて
美味しくて
勉強になる
3拍子揃った講座でした!

また自分でも作りたい!
(…けど、めん棒もはかりも鉄板もないマイハウス!泣)

 

親子参加も多かったです。
きっと土器を見る目が変わっただろうなぁ♪

こういうのがもっともっと増えたらいいな!

 

+

 

なお、この土器クッキーは
横浜市歴史博物館で始まったものなのだそう。
(本土では縄文土器がベース)

おそらく第一人者であろう
〝おかし作り考古学者〟ヤミラさんが
臨時休校における自宅での過ごし方として
ドッキー(土器クッキー)つくりを紹介していたので
興味ある方はぜひチャレンジしてみてください♪
https://twitter.com/yamiramira/status/1233336667504726016

レシピ
https://cookpad.com/recipe/2876550

見本土器(文化財オンライン)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/search/era_2:1/from:menu


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(8)『引継ぎ航海』

2020年03月05日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

察度の弟として琉球の進貢志使となり
何度も明と琉球を行き来した察度。

同じく、華人の進貢サポーターとして
何度も明と琉球を行き来した亜蘭匏。

彼らが一緒に明に渡った記録は
1382年の1度だけ。

この年を境に泰期の名前が消えることから
引退したか、死亡したか、とも推測されています。
(代わって、その後は亜蘭匏の名前がずっと出てきます)

 

 

 

…が、本では私のミスにより
2人が何度も一緒に航海を共にした、
と書いてしまったので(orz)、

泰期は1382年以降も非公式人員として
その後も一緒に航海をした…

という
苦し紛れの裏設定マンガ、がこちら(^^;)

 

詳しくはこちらもどうぞ。

 

 

とりあえず、
心の内を表に出さない、読ませない、
パーフェクトマン・亜蘭匏の、
無様な姿(弱点)を描けて楽しかったです(笑)

 

 


 

「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(7)『オフィシャル仕様』

2020年03月03日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

4コマ目、察度のつぶやき解説

 

<中山王印>
明の皇帝から贈られた[琉球国中山王之印]という印鑑。
北山王、南山王にも同様に贈られた。

 

<糞箱>
いわゆる「おまる」

 


 

「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尚徳王代の首里城CG

2020年03月02日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

ドラマ「尚円王」で
毎回登場していた「首里城CG」について。

特に2話の最後でピックアップされ
「15世紀の首里城を時代考証にもとづき再現したCG」
とのテロップもついたこともあって、
ちょっとした物議を醸しだしてしまいました

 

う~ん、やはり、
ワタシとしても
スルーすることはできない…なぁ…。

 


念のため最初に断っておきますが、
これは特定の誰かを批判したり
擁護したりするためのものではなく、

番組で初めて見て、
イチ琉球史ファンである私が率直に感じたことであることを
記しておきます。


そして、
色んな人の目と、意見で
今後、より良いものにしていけたらいいな

との願いも込めて、
ワタシも見解を書いておきたいと思います。 

 

 

 


第一話で出てきたのを見て、
一目で正殿位置と向きが変わっていることに気づいて、
え、ええぇぇぇ……((((;゚Д゜))))??!?!?
ってなりました…。

 
「かつて首里城は南面しており、
美福門が正門だった」

という伝承があるのは知っていましたが、

え、でもこの伝承って14世紀とか、古い時代の、
とにかく首里城最初期の話だよね…?

しかもこのCGの正殿、北向きになってるから
この伝承をなぞってるわけでもないよね??
と思ってたら、

「CGは(この伝承に基づき)南面しているのを表現」、
とのこと…。

うむむ?????


だとすれば、
首里城を後ろからみた図を
視聴者に見せてるってことになるよ?

敢えて南面説をとるなら
違うアングルの(南側からの)絵にするべきでは???

それに、あれが南面正殿だとしたら
他の施設との関係がおかしくない?
正殿と御内原が更地を挟んであんなに離れてるってことある?
御庭空間は?(〝背後〟にあるのは御庭ではないことになるし)
グスク全体の構造としてはどうなの?
正門とされた美福門周辺は???

…と、正殿だけを移動させて南面させても
他を近世と全く一緒にしてしまってるから
至極ちぐはぐな印象に…。

もちろん、全体的に見て
外郭を消しているとか
系図座を消しているとか
建物の色味を変えているとか
高世層理殿をいれているとか
色々と押さえているのは分かります。


でも、
 尚徳期は実際に今の正殿の場所に基壇が出てるし
火災前までは1階の床の一部をガラス張りにして
実際に見学できるようになってたんだから、

仮に、この基壇が「正殿」ではなかったとしても、
何もない更地にしちゃうのはマズイくない……?(´;ω;`)
 
と、
結局、これがずーっとつまずきになってしまいました…。

 


首里城跡-正殿地区発掘調査報告書-(2016)』黄色が尚泰久や尚徳の時代の基壇。水色が戦前まであった首里城の基壇ライン。

 
もちろん、
その時代の首里城を誰も見たことがないんだから、
100%の「正解」なんて誰にもわからないし
「フィクションドラマ(娯楽)」だからある程度は……
というのは十分分かるけど、

「完全正解」ではなくとも、
もっとリアル(研究成果)に近づけられたはずだし、
一般視聴者からの
「これが当時の首里城なんだ!感動!」
という類の反応をみると
正直「うぅ~~~ん………(困)」
となってしまったのも事実。
 
当時の姿がわからないものを
ビジュアル化して公に提示することは
とても効果的ですが、
その分リスクもあるんですよね…。
(ワタシも絵を描く人間として、その点は重々…)

ゴールデンタイムのTVだと、
さらにそれは大きくなるわけで…。

 
 


とりあえず問題提起というか、
製作サイドにとっても「次」につながればいいな、
との願いを込めて、
あのCGを、
「(尚徳時代の首里城であることを前提に)〝私なら〟こうする」
というのを上げてみます。
 



首里城正殿の位置と向きを
平成復元の首里城正殿の所に戻す
(発掘調査結果から、尚徳王時代にこの場所が更地なのはありえない)
もちろん、「南殿」の場所にもなんらかの建物を建てる。
(こちらも南殿地区の発掘調査から建物の存在が分かっている)



正殿の外観(屋根、壁の色など)を
朝鮮王朝実録の目撃証言に合わせて、
これ」のようにする。


周辺施設の建物の屋根を
灰色ではなく木の色にする


奉神門の高さ及び三門の形式を、なにかしら変える。
今の奉神門のスタイルは1754年以降のことらしいので。
(参/『首里城 甦る琉球王国』海洋博覧会記念公園管理財団)


御内原の色味を他とそろえる
(作画ベースにしたであろう空撮写真の、
新築の色味そのままで他と統一感がない)
これは美術的なこと。


御内原側の内郭城壁ラインを
単に緑で削るのではなく、きちんと取る
(ただ、正殿が元の場所に戻れば見えなくなるかも)


高世層理殿(3階建ての塔)の位置をもっと奥にする。
実際に礎石が出ていて、
高世層理殿跡ではと推測されている場所がちゃんとあるため。
(参/『首里城京の内展』(沖縄県埋蔵文化材センター)、他)

 


瑞泉門の外側のすべてを原生林にしない。
 
 →15世紀前半頃(尚巴志期か)に
  綾門大道が整備されていることを考えると、
  それに続く瑞泉門に至る道が未整備だとは考えにくい。

 →安国山樹花木記碑(1427年)から、
  この一帯が憩いの場として様々な木や花を植え、
  「太平の世の象徴」として整備されていることがうかがえる。

 →龍潭は画面外だとしても、
  安国山エリア(園比屋武御嶽石門の裏)は入るはず。

 →もし入らないとしても、以上の点から
  この一帯すべてが未整備の原生林だとは考えにくい。
 


首里城のすべてに施設・エリアついて調べているわけでないのですが、
少なくとも以上のことは上げられると思います。

 

繰り返しますが、
ワタシが上げたことや、資料も
必ずしも「正しい」とは限りません。
同じ資料でも、解釈や判断も色々あるでしょう。

 

あくまで、イチ意見として、
私が現時点で考えたこと、思ったことです。

 

いかがでしょうか。

 

 

 

 

【追記】
今回、ドラマの時代考証をした嘉数さんが
このCGについての見解をツイートしていたので
リンク貼っておきます。

合わせてご覧下さい→ 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドラマ「尚円王」を見て

2020年03月01日 | ・琉球史散策/第一尚氏


↑クリックで公式サイトにジャンプ

 

ドラマ「尚円王」、
皆さまご覧になりましたでしょうか?


「尚巴志」につづく
RBC琉球歴史ドラマ第二弾。


TVerなどネットでも配信され
本土の方でも見れるようになったのは
すごかったですね!


それほどニーズがあった
ということでしょう。
(同意!)
 
ワタシの周りでも
見た人が多く、
「最初はあんまり興味なかったけど、
なんだかんだで見ちゃったよね」
という人も少なくなかったです(笑)
 
ドラマとして「見せる力」があった証拠なのでしょう。
 

 


さて、
クレジットで気づいた方もいるかもしれませんが、
実はワタシ、物語展開を事前に知ってしまっておりまして、
(でも製作関係者ではない)

それで既にワタシの中で人物描写や演出など
(勝手に)イメージができあがってしまっていたので、
(贔屓の人物は特に)
実際の放送を見たときに、
どうしてもそれとの差異を感じてしまい、

「…oh…しまった……」
となってしまいました…

 

なので今回は
主要人物や物語展開などについて、
いつものようにここで書くのは
控えることにします


 
そんな中、
放送を見て「おっ!」って思ったのは
 
● 程茂の悪役っぷり
● 国笠が盲目設定だったこと
● 護佐丸の「ナーが、くぬ琉球、守れぇ」の重み
 
です。
 

アラフィフ&オーバー50の役者さんたちが
印象的でした。

個人的には、金丸も
アラフィフの役者さんにやってもらいたかった…かも。
(今回の役者さんが悪かったというわけではないけれど)

金丸もあの時代、50代でもあるし。

程茂役の人が金丸をやっていたら…
とか思っちゃった。

程茂の演技力は圧倒的でしたね。
 
 

国笠が盲目という伝承は聞いたことがないのだけれど(ある?)、
それがかえって常人とは違う、
神秘的な感じを出していたと思います。
 
そんな国笠に惹かれた尚徳のことを考えると
また色々「読め」てきますね。
 


護佐丸はさすがの年の功!
短いセリフの、字面だけではわからない
深みと重みのある一言で
非常に印象的でした。
 
 

 
作品全体を通しての印象は
第一弾の「尚巴志」に比べると
「色」がだいぶ変った!
ということ。
 
コミカルな描写も多く、
テーマソングもポップな感じに。
ストーリーも創作要素満載。
 
なので、
ドラマを見た人からいろいろ聞かれて、

「あっ…、それはフィクションです…」
「あっ…、それもドラマ上の設定です…」
「あっ…、それは歴史的には謎です…」

と答えることも何度か(^^;)
 


謎が多い古琉球の人物模様。

フィクション上等!

エンタメ化万歳!


 
で、
ドラマではああだったけど、
じゃあ、歴史的にはどうだったの?
って調べてみて!
 
気に入った人物名をキーワードに
歴史ではどう書かれているのか
どう捉えられているのか
調べてみて!
 
両方知ると、楽しさ倍増だから!
(歴史フィクションについての私の考えは→


あの説をこう入れてきたのね!とか
あの部分をこう解釈したのね!とか
あの謎はこう繋げたのね!とか
色々分かるから。
 
 
そして(いろんな意味で)驚愕するがいい……フフフ…。
 


 
では、せっかくなので、
数ある過去記事の中から
登場人物の関連する記事を
少しだけピップアップしてみます。

関連史跡なども含むので
「巡礼」にもどうぞ。
 
ドラマのイメージを1㎜も崩したくない人は閲覧注意かも!?(笑)



ドラマがそうであったように
このブログで書いていることが
「100%正しい」というわけではありません。
歴史ではこう書いてあるんだ、
時代背景やあの時代の前後はこうなっているんだ、

こんな解釈や、こんな伝承、こんな小説もあるんだ、
という感じでお読み下さいね。

 

金丸→      

宣威→  

オギヤカ→     

真五郎(マグラー)→   

大城賢雄→      

尚徳→    

安里大親→  

守忠→ 

国笠→  ★

 

<おまけ>
歴史人物の二面性について→    

琉球史ふりかえり一覧表
(三山時代~第二尚氏初期までの年表、相関図、国王系図など)

 

紹介したのはごく一部なので、
もっと気になるっていう人は
ブログ内の検索ボックスから
人物名などを入れて検索してみてくださいね★

 

なお、程茂は完全フィクションキャラなので
調べても出てきません♡

 

 

最後にちょっとだけ。

今回ちょっと気になったのは、
前作に比べて画面に広がりと、量感(厚み)をあまり感じなかったこと。


引きの映像のなさや、
ロケ地自体の狭さ(カメラを引けないことと繋がる)・バリエーションの少なさ、
エキストラが(前作に比べて)いないことが原因かな?

(特にクーデターシーンは、
大人数の迫力が欲しかった…というのが本音。
オーサーレも…。)


もちろん色々と制約があったであろうことはお察ししますが、
もう少し工夫できたら
きっともっと良くなるだろうな~と思いました。

 

でも、いろいろと制約がある中で
ドラマという「形」にしてくれたことは
とても意義があることであり、
ご苦労された出演者、スタッフの皆さんには
感謝と敬意を表したいです
 

ありがとうございました

 



 
ドラマ内で登場し、物議をかもした首里城CGについては
長くなったので別記事で…。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする