がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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リテイク版・オギヤカ

2021年06月26日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

琉球戦国列伝リテイクシリーズ
オギヤカ。

第二尚氏の始祖である尚円(金丸)の妻であり、
尚真王の母。

尚円王の死後、幼い我が子(尚真)を王位につけるために画策。
尚真が王位についた後はその背後にあって「女王」の如く権力を振るった
…とみられている女性。
 
キツめの表情の「悪女」として描かれることが多いオギヤカですが、
稀代のモテ男・金丸を射止めた女性なので
意思の強いかっこいい美人という感じで。
 
 
 
今回は琉球の身分の高い女性が外出の際にしていたという
「被衣」を採用。
 
着物を頭からかぶるあれです。
 
この風習は18世紀頃にはすたれますが、
婚礼衣装にその名残が見られます。
 
 
それからウシンチー。
琉球の女性は「帯」を締めません(ひもはあり)。
歩くとき、裾を引きずらない・汚さないように
表着の身丈をたぐって、下着の腰ひもに押し入れます。
この着方がウシンチー。
これは今でも琉装に見られますね。
 
 
本来は表衣を被衣に使う…のかもしれないけど
今回は『琉球服飾史(嘉数津子著/1960)』内の
復元写真(国際婦人クラブファッションショー)を参考に、
ウシンチー+被衣にしてみました。
 
 
表衣の柄は「現存する最古の紅型」とも言われている
「菊花繋文絹地型付胴衣裂地」を参照。
ちょうど尚円王の時代のものだと言われています。
 
「最古の紅型」と言われていますが。
紅型の最大の特徴である(と私は思っている)隈取は見当たらず。
なので、あえて隈取を入れず、
「紅型スタイルが確立される前」の感じにこだわってみました♪
 
 
草履は身分に応じて素材や厚みが違いました。
上級MAXは三重の竹皮草履。
 
絵では1ランク落として二重草履で。
 
 
簪は王族の金ではなく、士族ランクの銀。
 
 
そう、この絵は王妃になる前のオギヤカの想定です。
だって、王妃になってから、ましてや「女王」になってからは
外出は徒歩ではなく輿こしですから。→
(被衣なんていらないよね~^^;)

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リテイク版・本部平原

2021年06月19日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

琉球戦国列伝リテイクシリーズ
本部平原(もとぶたいはら(ていばら))。

 

最後の北山王・攀安知の側近で
1416年の中山VS北山の戦の際、
尚巴志がひそかに賄賂を贈って寝返らせ、
北山を滅亡に招いたとされる人物。

正史には
「勇猛だが知恵がなく、欲深い」
と書かれてしまっている。

琉球戦国列伝は基本、正史・通史ベースなので
本部の人物表現もその路線で。

でも、いかにも、あからさまな悪・かっこ悪いではなく、
その匂いはさせつつも、かっこよさも感じさせるように
が、リテイク版のテーマなので
男気が感じられるような感じで描いてみました。

ポイントは「体毛」です(笑)
髭だけじゃなくて、手や脛にも毛を描き足したら
一気に男くさくなったよ。

「北山の風」メンバーさんには不評かな~?(^^;)

服装や武器はオリジナル版を踏襲。
鎧のタイプが少し変わりましたけどね。

ところで下に履いてるハーフパンツ
「袴」っていうんですけどね。
当時の人の「下着」なんですけどね。

私、先日「那覇袴」を購入しまして。
型紙と縫製が普通のズボンと全然違うのです。
全体的にピタっとしていないので、
股位置がたるむというか、実際の位置よりも下がるのです。
しわのつき方も少し変わる。
(あ、サルエルパンツのイメージに近いかな?)

鎧でほぼ隠れちゃったけど(^^;)、
今回はそんな所もこだわってみました☆

 

カタカシラはバリエーションを出すために頭頂部に。
頂部に結うって証言もありはするので(李朝実録)、ね。

 

そして実は…
オリジナルの琉球戦国列伝
それから琉球戦国キャラクター図鑑、
そして今回のリテイク版、
本部はALL横顔アングル(笑)

もちろん気づいていたし、
別アングルのラフも描いてあったんだけど
結局こっちのほうがしっくりきたので
「横顔が決め顔の男
ということにしておきます。


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リテイク版・王茂

2021年06月12日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

琉球戦国列伝リテイクシリーズ、
王茂(おうも)。

久米村の華人で、
思紹王代の王相(国相)です。

 

マイナーな人物ではありますが、
懐機の前任者、といえば「ああ」ってなるかな?

 

琉球の王相は
亜蘭匏(察度・武寧王代)にはじまり、

王茂(思紹王代)

懐機(尚巴志王代)

と続きます。

 

彼らは同じ久米村の華人ですが、
1406年に尚巴志・思紹親子が武寧を滅ぼすと
彼らの王相だった亜蘭匏の名前も見えなくなります。

よって、
久米村内でも武寧派と、新勢力の尚巴志派のようなグループがあり、
1406年を境に亜蘭匏は失脚したとも考えられています。

 

ということで、
オリジナルよりはもう少し図太そうなおじさんにしてみました。

服装はオリジナルとそのまま踏襲で
武官8品の常服、補子は犀牛。


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リテイク版・百十踏揚

2021年06月04日 | ・琉球史散策/第一尚氏


琉球戦国列伝リテイクシリーズ、
百十踏揚(ももとふみあがり)。

すっかりおなじみかもしれませんが、
尚泰久王の娘(王女)、
護佐丸の孫、
阿麻和利の妻、
阿麻和利を討った大城賢雄の妻、
という
15世紀の偉人たちをつなぎ、
故に波乱万丈な人生を送った王女です。

 

今回は服飾を色々と調べまして頑張りました!

まずは、打掛がこちら!

 

 

手わざ展で復元された伊平屋のあもがなし衣装。

最新の研究により、この衣装は赤地ではなく黄色地であることが発覚。
模様は染ではなく刺繍で施されています。


この衣装をそのまま資料にして描いたのですが…
う~ん、なんとけったいな模様なんだろう…(笑)

ぐるぐる巻きやうねうねうねった蔦?や、
正体不明のこいつ↓とか。

 

視写っして観察すればするほど、
どのモチーフも有機的で活動的でどこか熱帯的で、
とにかく不思議。

これに類似する柄は、他国・他地域にあるのだろうか…。

配色もカラフルというわけでもないし、
多用されている黄色も紅型の黄色とは違っていて、

すっごい着る人を選ぶ色の着物だな~
(ブルべとかイエベとかの、アレね。)

とか思いながら描きました(^^;)

 

打掛の下のドゥジン・カカンは
『琉球服装の研究』(辻合喜代太郎、橋本千栄子著)
を参考にしました。

ドゥジンは4枚重ね。
丈を変えてそれぞれの色が見えるようになっています。

こちらも黄色が多用されていますが、
参考資料にあった配色を踏襲。

 

今回は
自分では想像だにしない柄と選ばない配色に
やや戸惑いつつの作画・着色でした。(^^;)

でもそれがかえって”琉球独特感”
ということになるのかもしれません。

 

 

手に持つは、紅釉水注。

↑写真の下段中央にあるものです。

このブログでも何度か紹介していますが、
現在世界で4点しか確認されていない
非常に貴重なもので、
1459年に燃えたとされる首里城倉庫跡から出土しています。

百十踏揚もきっとこの水注を目にし、
手に取っていたかもしれません。

 

リテイクシリーズでは、今、実際に残っている考古遺物なんかも
なるべくたくさん取り入れていきたいなと思っています♪


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