がじゅまるの樹の下で。

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鬼大城三兄弟

2013年04月12日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

 

以前、護佐丸三兄弟の話をしましたが

護佐丸三兄弟よりも有名なのは

鬼大城三兄弟。

 

元々は喜屋武按司の息子

長男・賢雄
次男・賢休(けんきゅう)
三男・賢膺(けんよう)

賢雄はいわずもがな、
この弟たちも武勇に秀でていたらしく、
三名そろって当時越来王子だった泰久に仕え、
彼が王位につくと、共に首里に登ります。

 

そしてこの三兄弟がそろって歴史の表舞台に出てくるのが
1458年の勝連(阿麻和利)討伐。

 

王(尚泰久)、夏居数(賢雄)に命じて大将と為し、
勝連を討伐せしむ。

居数 旨を奉じ、弟 居忠(賢休)、居勇(賢膺)
及び官士・兵卒を率いて勝連に前み赴く。


BY「球陽」
※( )内は和々。

 

弟二人も軍を率いる立場だったようで
この勝連戦でもおおいに奮闘するのですが…

2人ともこの戦で戦死してしまいます

1458年の勝連討伐は王軍も苦戦したこと、
勝連軍が強かったことがこのことからも伺えますね。

 

なお、「夏姓太宗由来記」では弟二人を失った時、
賢雄は声を上げて泣いた(哭=慟哭)とあります。

また、その亡骸を葬って兵を撤収した、とも。

 

…戦死した弟2人は勝連グスクのそぐそこ、
与勝中南側の断崖に葬られた、らしいです。

(参/「真説 阿麻和利考」(高宮城宏著))

 

さて、ちなみにこの弟たちの戦死のシーンは
ワタシの好きな小説「百十踏揚」にもあるのですが

このシーンがまた壮絶というか、阿麻和利かっこよすぎというか
とにかくすごく映像的に(漫画的に?)
ビジュアルが浮かんできた印象的な場面!

一時、兎音ちゃんとこのシーンの話で盛り上がっていたのは
よい思い出(笑)

 

ちょっと長いけど…そのシーンをご紹介↓

 

「行くぞ!」

という声とともに、阿麻和利の身体が跳ねた。

あッ!……と感じて、鬼大城は反射的に身を開いた。

その鼻先を、阿麻和利の切っ先が

ヒュッ ―――

と、風を切った。

間一髪に、鬼大城は避けたが、阿麻和利はここぞとばかり、
目にも止まらぬ早さで、避ける鬼大城を追って
右へ左へ、顔面へと斬りつけてくる。

鬼大城は転がって、その切っ先を避けるのが精いっぱいであった。

明らかに、力は、阿麻和利の方が圧倒していた。

(こんな男だったのか…)

鬼大城は、転がり避けながら、己の驕りを思いしったことだ。

(やられる…)

と、思ったのだった。

その時、

「兄上、危ない!」

と、叫んで飛び込んできたのは、賢休であった。

阿麻和利は振り向きざま、その賢休を下から切り上げた。

 あッ……と呻いて、賢休は刀を振り上げたまま、
ドオーッと、仰向けに倒れた。

 

「百十踏揚 539-」(与並岳生著/新生出版)

 

 

イラストはこの記事のイメージの賢雄とは違うけど、
花織の宴バージョンの美形ポニテ賢雄。

前、描いてUPしなかったヤツ。

 

 
あー、やっぱ賢雄おもしろいなーっと。
全然飽きない…。

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2 コメント

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いかんいかん (かわた)
2013-04-16 11:19:25
和々さん、こんにちは!

この記事も面白いですね!
なんだか兄弟ネタにはロマンを感じます。
ちなみに私は次男坊。

前回の護佐丸3兄弟の記事の
私のコメントで非常に反省しております。
『琉球戦国列伝』に、しっかり兄弟関係が書かれてますよね……
少し離れてしまってたので色々忘れちゃってました。
いかんいかん。
今度の訪沖まで、
復習、予習、妄想、復習、予習、妄想を繰り返します!(宣言)

その前に「護佐丸まつり」にも今回は参加するぞー

とりあえず、また

返信する
かわたさんへ (和々)
2013-04-21 20:01:27
琉球史の偉人たちは「兄弟」くくりでとらえられているのは
少ない気がするので、こうやって見てみると新鮮ですよね♪

>反省

いえいえ、本も1回読んだだけじゃ覚えませんものね。
全然OKですよ!
次の沖縄旅行は妄想炸裂!?で楽しんでくださいね!
護佐丸の日の参加もお待ちしております!
返信する