以前、護佐丸三兄弟の話をしましたが、
護佐丸三兄弟よりも有名なのは
鬼大城三兄弟。
長男・賢雄
次男・賢休(けんきゅう)
三男・賢膺(けんよう)
賢雄はいわずもがな、
この弟たちも武勇に秀でていたらしく、
三名そろって当時越来王子だった泰久に仕え、
彼が王位につくと、共に首里に登ります。
そしてこの三兄弟がそろって歴史の表舞台に出てくるのが
1458年の勝連(阿麻和利)討伐。
王(尚泰久)、夏居数(賢雄)に命じて大将と為し、
勝連を討伐せしむ。
居数 旨を奉じ、弟 居忠(賢休)、居勇(賢膺)
及び官士・兵卒を率いて勝連に前み赴く。
BY「球陽」
※( )内は和々。
弟二人も軍を率いる立場だったようで
この勝連戦でもおおいに奮闘するのですが…
2人ともこの戦で戦死してしまいます
1458年の勝連討伐は王軍も苦戦したこと、
勝連軍が強かったことがこのことからも伺えますね。
なお、「夏姓太宗由来記」では弟二人を失った時、
賢雄は声を上げて泣いた(哭=慟哭)とあります。
また、その亡骸を葬って兵を撤収した、とも。
…戦死した弟2人は勝連グスクのそぐそこ、
与勝中南側の断崖に葬られた、らしいです。
(参/「真説 阿麻和利考」(高宮城宏著))
さて、ちなみにこの弟たちの戦死のシーンは
ワタシの好きな小説「百十踏揚」にもあるのですが
このシーンがまた壮絶というか、阿麻和利かっこよすぎというか
とにかくすごく映像的に(漫画的に?)
ビジュアルが浮かんできた印象的な場面!
一時、兎音ちゃんとこのシーンの話で盛り上がっていたのは
よい思い出(笑)
ちょっと長いけど…そのシーンをご紹介↓
「行くぞ!」
という声とともに、阿麻和利の身体が跳ねた。
あッ!……と感じて、鬼大城は反射的に身を開いた。
その鼻先を、阿麻和利の切っ先が
ヒュッ ―――
と、風を切った。
間一髪に、鬼大城は避けたが、阿麻和利はここぞとばかり、
目にも止まらぬ早さで、避ける鬼大城を追って
右へ左へ、顔面へと斬りつけてくる。
鬼大城は転がって、その切っ先を避けるのが精いっぱいであった。
明らかに、力は、阿麻和利の方が圧倒していた。
(こんな男だったのか…)
鬼大城は、転がり避けながら、己の驕りを思いしったことだ。
(やられる…)
と、思ったのだった。
その時、
「兄上、危ない!」
と、叫んで飛び込んできたのは、賢休であった。
阿麻和利は振り向きざま、その賢休を下から切り上げた。
あッ……と呻いて、賢休は刀を振り上げたまま、
ドオーッと、仰向けに倒れた。
「百十踏揚 539-」(与並岳生著/新生出版)
イラストはこの記事のイメージの賢雄とは違うけど、
花織の宴バージョンの美形ポニテ賢雄。
前、描いてUPしなかったヤツ。
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この記事も面白いですね!
なんだか兄弟ネタにはロマンを感じます。
ちなみに私は次男坊。
前回の護佐丸3兄弟の記事の
私のコメントで非常に反省しております。
『琉球戦国列伝』に、しっかり兄弟関係が書かれてますよね……
少し離れてしまってたので色々忘れちゃってました。
いかんいかん。
今度の訪沖まで、
復習、予習、妄想、復習、予習、妄想を繰り返します!(宣言)
その前に「護佐丸まつり」にも今回は参加するぞー
とりあえず、また
少ない気がするので、こうやって見てみると新鮮ですよね♪
>反省
いえいえ、本も1回読んだだけじゃ覚えませんものね。
全然OKですよ!
次の沖縄旅行は妄想炸裂!?で楽しんでくださいね!
護佐丸の日の参加もお待ちしております!