がじゅまるの樹の下で。

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奥間鍛冶屋の正体

2020年03月14日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

昨日、キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ
で奥間大親について触れたので
、関連して、
ずっと下書きのまま、"うっちゃん投ぎてた"記事を
アップしますね。

国頭村奥間にある、
アガリカンジャー。

ここには3つの見どころがあります。

1つは奥間鍛冶屋の拝所

1つはかぎやで風節の碑

そしてもう一つ。

 

かぎやで風節の碑の右にある碑。

 

見出しは、
「奥間鍛冶屋発祥の地」

 


↑クリックで拡大

 

書いてあることをザっと要約すると、

 

ここ、奥間で生まれた男は、
後に浦添間切謝名村に居住し、
察度や泰期を生んだ。

つまり、この男は、
察度の父ちゃん、
奥間大親その人だった(!!)

 

やがて察度は中山王となり、
異母弟である泰期や金満按司は進貢使として
琉球と明を行き来する。

明から鉄加工の技術を身に着けた二人は
父(奥間大親)の故郷である奥間に戻り、
鍛冶屋となった。

 

これが沖縄の鍛冶屋の祖と言われる所以だ。

そして、泰期、金満按司が奥間鍛冶屋の祖である。

 

 

というもの。
子孫の座安家に伝わる伝承のようです。

 

奥間大親の「奥間」は
まさに国頭村の「奥間」ということになります。

浦添・宜野湾と、国頭村の奥間がつながるとは
ちょっと意外ですね。

(なお、浦添間切には現在の宜野湾も入っていました)

 

泰期が鍛冶屋の始祖だった
というのも、他ではあまり聞かない伝承です。
(※本によっては泰期はなく、金満だけの記述だったり、
「泰期金満」で一人の人物だったりしています)

 

参/
沖縄拝所巡り300(比嘉朝進著)
くんじゃん徒歩ナビ国頭村奥間区編(国頭村)

 

 

また、
「カニマン(金満(万))」という名も各地に色々見られるのですが、
それが銭を指すのか、金属(鉄)を指すのかなども
諸説あるようです。

 

そして、彼らの子孫が、
あの金丸と繋がっていくのです

 

ふっしぎ~☆

 

 

 

それにしても、
察度・泰期時代、
14世紀の鍛冶場か……

と言ったら
宜野座村の「漢那ウェーヌアタイ遺跡」が
思い出されますねぇ。

こっちからは実際に鍛冶遺物が出土しているようですが、
この奥間鍛冶屋周辺はどうなんでしょう。

気になるところです。