がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(3)『THE★SATTOⅢ』

2020年01月25日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

前回の続き。

 

元ネタは少年ジャンプで連載していて、
アニメ化・ドラマ化もされた
『地獄先生ぬ~べ~』

私は読んだり見たりしていたわけじゃないけど、
それでもキャラクターや設定くらいは知っているほど
大人気の漫画でした。

今の若い子は…知ってるのかな…?

ウィキってみたら
ドラマ化が2014年でそんなに昔ではないけど、
日本テレビ系みたいだから、
沖縄では放送されてないかも??


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中城ハンタ道マップ

2020年01月24日 | ・琉球歴史/文化風景


昨年の秋に「歴史の道百選」にも選ばれた
中城ハンタ道(中頭方東海道)。

 

中城ハンタ道が「歴史の道百選」追加選定(沖縄タイムス)

中城ハンタ道「歴史の道」に 文化庁、23年ぶり選定(琉球新報)

 

その中城ハンタ道をたどることができる
「中城ハンタ道マップ」
ができていました!

 

ルートや各ポイントの史跡、景勝ポイント、
近くの飲食店などが紹介されています。

 

 

ルートが分かりにくいところは
拡大表示されているので安心!

 

ただ、中城ハンタ道の特徴は
アップダウンが激しいこと!

以前実際に歩いた時のレポがこちら

 

距離の数字だけみて
「これくらいならいつも歩いてるから大丈夫さ~」
と余裕こいてて痛い目にあう…

なんていう話もしばしば。

 

 

そうならないために、
このマップには標高グラフがついている!

おお、これは親切

時間と距離の目安もついているので
参考にできますね。

 

私も昔歩いたことがあるけど、
このマップ片手に、もう一度歩いてみたいかも♪

 

中城ハンタ道マップは
中城村内公共施設、近隣の観光案内所などで
無料配布されていますので
気になる方はぜひゲットしてみてください~♪

 

 

注意

中城南小学校そばの糸蒲公園スタート、
中城城跡ゴールのルートです。

が、ゴール手前の中城高原ホテルが解体工事のため
現在はその中を通ってグスクまで歩くことはできません。
(その手前で立ち入り禁止になっているようです)


(2020.1.9)

解体工事が終わっても整備工事のため、
しばらくは立ち入り禁止が続くようなので
その点はあらかじめご了承ください。

 

また、
往復するとかなりハードなので、
帰りはタクシーなどでスタート地点に戻ることを推奨します。
そのつもりでご計画を☆


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『THE★SATTO Ⅱ』

2020年01月15日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

前回のつづき。

 

察度の左腕エピソードから
サイボーグキャラになったキラキラ版察度。

察度の服飾で
コードやチューブのようなものを纏っているのは
それからのイメージです。

マンガではだいぶ省略していますが、
ではけっこうコード&チューブ男です。


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『THE★SATTO』

2020年01月13日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

このマンガは、実は、むかーしにこのブログで描いたことのある漫画を
キラキラバージョンで描きなおしたもの。

 

1コマ目、
琉球史で存在が証明云々とあるのは
察度が同時代史料(『明実録』)に名前が出てくる最初の琉球人だから。

察度の前の王統、英祖王もだいぶ確実視されているようですが、
「記録」という意味では察度が初です。

 

2コマ目の
明人スタッフの琉球永住願いとは、
「久米三六姓」のこと。

久米村の始まりは、察度から、なんですね。

 

 

 

 

3コマ目の察度が建てた高い塔は、
「高よぞうり高世層理(殿)」といい、
高さが数十メートルもあったといいます。
(『中山世鑑』)


現・首里城京の内から建物の礎石や瓦などが見つかっており、
「高よぞうり」の
跡だとされています。



首里城は尚巴志が遷都して建てたというのが通説ですが、
それ以前から、察度がすでにこの土地を利用してた可能性もあります。

よって「首里城」の始まりがいつなのか、
「首里」に「城」を作ったのは察度なのか尚巴志なのか…。

どちらにせよ、
いわゆる「首里城」になる前から
この地は何かしらの立派な建物や拝所などがある
好エリアだった事が想像できます。



また、察度が高よぞうりでのたまったセリフ(3コマ目)は、
「球陽」を参考にしましたが(「予、此の楼に居る。誰か敢えて害を与へんや」)、
他の歴史書では
「常にこの楼上に居れば、毒蛇などおそれないものを(中山世鑑/諸見友重訳)」
「ここにいれば、ハブも咬みつけないだろう(中山世譜/原田兎雄訳)」
などとハブに言及していて、
球陽と微妙~にニュアンスが違うのが面白いですよね。



なお、このエピソードは察度晩年の頃のものですが、
キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガでは
キラキラ超法規的措置として
本と変わらぬ姿でお送りしていますw


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ブログ公開スタート!キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

2020年01月12日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

2018年11月に始めた
『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』のスピンオフマンガ、
「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」シリーズ。

スタートした頃にブログでもちらっと触れていましたが( 
あれからツイッターで定期的に公開し、
2ターンが終わりました。

 

当初はブログでの公開は予定していなかったのですが、
最初の公開から1年以上経ち、
3ターン目に入ることから、
ブログでも1~2話遅れで公開していくことにしました。

 

 

 

 

ブログではマンガのネタに関連する史跡や伝承など、
「背景」も一緒に紹介したりしてきますよ。

 

ツイッターですでに見たよという方も、
初見という方も、

またどうぞお付き合いください♪

 

 

 

 

マンガは時代ごとに「SEASON」分けし、
SEASON1から順に公開していきます。

 

SEASON1は「察度」編。

登場人物は上の3人。

 

 

時代的にはこの位置です↓

 

 

 

(※SEASON5まで描く予定でしたが実際には4までになります)

 

本では、すましてポーズをとってたキャラたちですが、
マンガでは、感情や動きや会話や絡みがある事で
より「生きた人間」として
身近に感じてもらえるんじゃないかな?と思っています♪

 


時にはおふざけがすぎることもあるかもしれませんが、
ゆんたくマンガとしてお楽しみ下さいませ。


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近代那覇の都市風景

2020年01月04日 | ・琉球史散策/神話・近代

今日が仕事はじめという方も多かったでしょうか。

三が日明けがちょうど土日だったことから
私は、月曜日まで持ち越しです。

 

そこで、この正月休みの内にやっておきたかった「宿題」を
2つ片付けました!

偉いぞ自分!!(笑)
(でも本当はあと一つ、手を付けておきたいトコロ)

 

その「宿題」に使うため、
編集した画像。

どうやらまだブログ記事にはしてなかったようなので、
ツイッターではUPしてたけど
ずらっと公開。

 

 

それは、
那覇市歴史博物館に常設展示されている
ジオラマ(模型)です。

 

 

昭和7~12年頃の那覇の中心地(現:那覇市東町)を再現したものです。

路面電車が走り、
洋風建築の中に赤瓦が混じる、
独得な都市風景を作り上げています。

 

 

今でいうレトロモダンな洋風建築は、
那覇市役所、那覇郵便局、那覇市公会堂や山形屋など。

 

 

この模型は、このまちに暮らしていた
人々の姿も生き生きと再現しています。

 

 

では、その人々に焦点を当てて
当時の那覇の暮らしを覗いてみましょう。

 

 

いかがでしたでしょうか。

一人ひとりにドラマがありそうですね。

 

近代沖縄の物語といえば、
琉宮城の姫君』(滝沢志郎著)が記憶に新しいですが、

このような”ハイカラ”な那覇で暮らしていた
近代沖縄の人々の物語がもっと読んでみたいものです。

 

 

那覇のランドマークでもあった
那覇市役所の塔。

5階建ての鉄筋コンクリートの塔で
時報を知らせるサイレンがついていた。

だけどそのサイレンはたびたびズレていたため、
人々からは「バカ塔」と呼ばれていたそうです(笑)


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若水汲みと年末詣

2020年01月02日 | ・琉球歴史/文化風景

あけましておめでとうございます

 

2020年になりました。

昨年は(私の人生史において)大きな転換の年になりました。

昨年の「転換した1年」を受けて、
今年は「前に進める1年」
にできればと思っています。

 

楽しくがんばります!

 

今年も「がじゅまるの樹の下で。」を
よろしくお願いいたします。

 

―和々―

 

 

 

さて、
お正月に合わせて行っている
「若水取り」

昔ながらの樋川から水を汲んで
お正月に使う、というもの。

前回は澤岻樋川と金武大川の
若水汲みを行いしました。

 

 

今回はどうしようかなーと考えた挙句、
南へ!

 

 

夏場の水遊びスポットとしても有名な
垣花樋川(かきのはなひーじゃー)

に行ってきました。

 

前回同様、元旦の早朝に行くのは
無理だったので、前日の大晦日に。

 

 

参考にしたのは、
前回同様こちらの本。

 

『おきなわ湧き水紀行』
(ぐしともこ著/ボーダーインク)


泡盛の水割り、スープ、コーヒーなどに
垣花樋川の水が使ってるエピソードが
紹介されています。


 

夏と変わらぬすごい水量。

どばどばどば~!!

 

動画→

 

 

汲ませてもらいました。

ほかにも水を汲みに来ている人が
途切れずに訪れていましたよ。
(ペットボトル10本分とか!)

 

 

水は自宅でろ過装置にかけたのち、煮沸。

お正月のお雑煮とコーヒー、白湯に使いました♪

 

 

 

 

若水汲み同様、
お参りも、年始の「初詣」ではなく、
年末の「年末詣」にしています。

 

今回は、南ということで「真壁宮」へ。

 

 

だいぶ前に来たことがあったけど
その時以来、久しぶりに訪問。

 

お正月仕様にはなっていませんでした。

 

 

糸満市の建てたオフィシャルの案内版がありました。

拡大↓

 

 

南山時代にさかのぼるとなると
かなり古い。

元々あった
真壁グスクの御嶽と弁財天が
合体したパターンかな。

 

 

真壁宮の案内板。
半年前にできたばかり。

琉球八社の沖宮の分社っていうのは
オフィシャル案内板の「臨海寺の和尚が…」
という部分のことか。

沖宮の神宮寺(併設寺院)が臨海寺

 

 

真壁宮の裏が真壁グスクです。

遊歩道もあったけど、
草ぼーぼーで完全に機能を失っていました…。

 

…ので、
遊歩道ではない、宮の右側から。

 

奥までは行けなかったので
手前のほう。

大きな岩。

 

 

岩の上のほうに
石積みらしきものがちらり。

崩れ落ちたであろう石が
下に落ちていました。

 

野面積みや一部切石積みがあるようですが…
せっかく遊歩道や展望台も設置しているのだから
草刈メンテナンスされるのを希望。

 

真壁宮ゆかりの岩(霊石)も
きっとこのグスク内にあるのでしょう。


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