がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

【情報更新】琉球史イラスト展開催のお知らせ

2024年03月02日 | ・琉球史散策/グスク時代


↑クリックでサイトにジャンプ

 

展示会開催のお知らせです。

 

Pop in Ryukyu
~琉球史イラストレーター 和々作品展~

2024.3.30~4.21

あまわりパーク企画展示室

入場無料
(常設展示見学は有料ですが、企画展示室は無料です

 

 

関連イベント 

上里隆史講演会&上里隆史×和々トークセッション

4/7(日) 13:30~15:00

あまわりパーク多目的室
入場無料

事前申し込み制
あまわりパーク(窓口・電話・メール)にて受付。
TEL:098-078-2033(9:00~17:30)
MAIL:info@katsuren-jo.jp 

 

 

初期作品から最新作まで、
考証イラストから歴史エンタメまで、
130点以上の作品を一挙公開します!

琉球史に出会って(ハマって)、
最初に作った作品も公開しちゃいます…!
(私自身、見るのは十数年ぶりかも!?)
厳密にいうとその時はまだ「和々」ではないのですが…

 

展示構成としては

・現代版組踊 関係
・書籍 関連
・映像コンテンツ 関連
・絵図史料とイラスト
・創作イラスト
・ゆんたくマンガ
・御城印・武将印関連
・閲覧コーナー
・体験コーナー
・販売コーナー

です。

 

単なる絵の展示…ではなく
イラストを通して琉球史に触れる・楽しむ
が目的なので、
琉球史解説なども織り交ぜながら、

そして、

マンガも短編小説もあるので
琉球史を知っている人も知らない人も、
大人も子供もポップに楽しんでいただけると思います♪


どうぞよろしくお願いします。


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中城グスクの起源に迫る【続報】

2022年02月11日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

皆さんは、中城グスクの城壁の中から古い城壁(14c中頃)が発見された!
というニュースを覚えていますか?

ちょうど3年前のことです。

その時の過去記事がこちら→

 

 

そこは今はすっかり埋め戻されて見る影もないのですが、
その壁の延長線にあたるコーナー部分が
新たに修復・解体工事に入っており
予想通り、古い城壁が出た!!という情報をゲットし、
早速見に行ってきました!!

 

場所は、正門から入って南の郭に向かう通路の所です。

 

 

ちょうど人がいるところ。

表面を覆っていた雑積みの城壁の中から
きれいな布積みの城壁が!

 

ふおーーーーー!!やっぱりきれい!!

曲線を描いたコーナーも美しい!!

 

 

…って……、

 

ん???

 

 

古い城壁…が外の城壁ラインに繋がっている??

 

茶色い部分が城壁に埋もれていたところ
白いところはこれまで外に出ていた城壁。

 

繋がってる!!

 

ってことは、中城グスクの起源にもせまる
古い城壁(の一部)を、
私たちはそれとは知らずに既に見ていたというのか!?

 

 

こちらが、9年前に撮影した同じ場所。

 

 

……ある…!!( ゚Д゚)

 

なんということでしょう…!

 

 

そして更に興味深いのは、
布積みの城壁の上部が崩れて
それを補修するかのように石が詰め込まれていること。

布積みの表面ラインとピッタリではなく
微妙に奥まっているので
後からのそうされたものであるのは明らか。

 

古い城壁が、むかし崩れていた。

地震でもあった?

それとも劣化?

 

一部が崩れたのを急いで補修して、
更に崩れないように表面を新たな城壁で覆って押さえたのであれば
Ⅳ期の近代ということになりますが…。

 

はてさて、想像が膨らみます。

 

表面に出ていた古い城壁のラインが
南の郭に向かってどうなっているのか、
また中に入り込んでいるのかどうかも気になりますね。

 

今、石材に印があるのは取り外されると思うので
今後の進展も気になります!
(また見に行かなきゃ…!)

 

工事の看板を見たら2月28日までって書かれていたので、
中城グスクの起源に迫る古い城壁を見たい人は
是非この機会をお見逃しなく!!

 

 

そして今気づいたんだけど、
ブログなかなか更新できてない中、
中城関連の記事が3連続だ(笑)
別に狙ったわけではなく、たまたまです。

 

 

☆現場説明会時の写真追加☆


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リテイク版・攀安知

2021年09月21日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

琉球戦国列伝リテイクシリーズ
攀安知(はんあんち)/1300年代~1416

今帰仁グスク城主で、最後の北山王。

武勇に優れた豪傑王だと伝わる。

1416年、尚巴志率いる中山軍が北山に侵攻。
攀安知は300の軍勢で迎え撃ち、中山を苦戦させるが、
側近の本部平原の裏切りにより、戦況が逆転。

本部平原を征伐したものの時すでに遅く、
今帰仁グスクの霊石を斬り、
ついに自害する。

 

なかなかイメージ通りに描けなくて苦労した1枚。
一度完成させたけど、なんか気に入らなくて
即、没にした幻の1枚もあったりする。

前作よりも
「赤地の錦の直垂・緋縅の鎧・竜頭の兜」感が
出るようにしてみた。

…でも赤の直垂って言っても、
籠手も佩楯も装備してるから
襟元くらいしか見えないんだけどね。

ということで、籠手も一応の赤茶系に。

赤尽くしの攀安知です。

 

手に持つはもちろん千代金丸。

今に見ることのできるあの金ピカの外装は
後の時代(尚泰久時代)に作られたものなので、
ここではいたって普通の外装にしています。


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リテイク版、懐機

2021年08月28日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

琉球戦国列伝リテイクシリーズ
懐機(かいき)。

 

久米村の華人(出身地・生没年不明)。
尚巴志の参謀的な存在として政治・外交を担い、
尚巴志の死後も第一尚氏王統を支えた人物。
王茂の跡を継ぎ、琉球のナンバー2とも言える国相(王相)の地位に就く。

琉球の諸葛亮、でおなじみの懐機です。
まだ久米村でもまだ駆け出しの、
若き尚巴志とタッグを組み始めた頃のイメージです。

彼の生涯を見ると業績がすごすぎて、
なのにその人物は謎すぎて、
さらに彼の息子か!?と思える人物(※)はいたりして、
とにかくミステリアスで興味の尽きない人物の一人です。

彼が主人公にした小説があってもいいくらい。

基本、感情の起伏を表に出さない人
(かといって無表情というわけではない)
というようなイメージがあります。

 

キラキラ版でもそうでした→

 

アイテムは朱漆加工のクバ扇。

 

 

(※)
彼の息子かと思われる「懐徳」は
『琉球戦国キャラクター図鑑』の
予約特典用にキャラ化しました。


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リテイク版・他魯毎

2021年05月05日 | ・琉球史散策/グスク時代


琉球戦国列伝リテイクシリーズ
他魯毎(たるみい)。

これまでリテイクシリーズは全員、
日本や明の”外国人”だったのですが
そろそろ琉球人を、ということで、
推しの他魯毎です。
(南山に光を


常服、補子は麒麟、
手に持っているのは染付の馬上杯。

10年前に琉球戦国列伝を描いていたときは
気づいていなかったのですが、
明役人の制服である常服も時代によって
袖や帽子の形が変化しており
今回はちゃんと明代前期の形で書き直しました。

量多めのくせっ毛という個人的な設定は
ずっと踏襲です♡
(キラキラ版も例外なくそうなのである)


10年前の他魯毎とキラキラ版の他魯毎はこちらから見れます


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リテイク版・亜蘭匏

2021年04月30日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

琉球戦国列伝リテイクシリーズより、
亜蘭匏(あらんぽう)。

察度の代から進貢使として活躍し、
明との外交や貿易に従事。
続く武寧にも仕え、
中山ひいては琉球の発展に貢献した華人。

その実績により、明の皇帝から
琉球で最初の「王相(国相)」に任命され、
正五品という位をさずけられます。

↑の服は正五品の公服。
常服ではないので、
ホシ(胸部にある四角の刺繍)はありません。

 

彼は『琉球戦国キャラクター図鑑』でも採用したりと
これまで色々なタイプで描いてきましたが、
今回が1番ニュートラルかも。


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浦添市電子紙芝居を固定アイコンにしました

2020年12月23日 | ・琉球史散策/グスク時代

全イラストを担当させていただいた
浦添三大王統の歴史をえがいた
浦添市の電子紙芝居。

 

・舜天~琉球最初の王~
・英祖~太陽の子と呼ばれた王~
・察度~海外貿易を開いた王~

の3つの動画をブログトップの固定記事と
左サイドバーに貼り付けました。
(※パソコン表示推奨)

 

 

サイドバーは直接YouTubeコンテンツを貼り付けているので
クリックですぐに視聴できます。


大きく見たい方は右下の「全画面表示」をクリックしてください。

 

 

この3動画についての制作裏話などはこちらから


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【電子紙芝居】浦添市三大王統/舜天/英祖/察度

2020年11月10日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

浦添の三大王統(舜天・英祖・察度)の
歴史を紹介する電子紙芝居がこのほど完成し、
YouTubeで公開されています!

ワタクシ和々が3編の全イラストを
担当させていただきました(しめて45枚)!

 

風景系のイラストもガンバリました!(´;ω;`)

昔の浦添グスクの様子などは
監修の元に作成したイメージイラストになりますが、
地形やガマやカーなど、
自然物で今も残っているものは入れているので
探してみてください♪

 

 

1作品5分程度なので
さくっと見れます。

学校の郷土教育などにも
利用してくれたら嬉しいな(*'ω'*)

 

 

動画はナレーションのみなのですが、
固有名詞やちょっとした専門用語など、
表記(漢字)がわかると、
調べたいと思ったときに検索しやすかったり
言葉がより耳や頭に入ってきやすかったりするかな?
と思いまして、
少しピックアップしてみました。
(意味はナレーションの中で説明しているので割愛します)

合わせてご参照下さい。

 

 

■浦添市三大王統① 舜天~琉球最初の王~

・按司(あじ)
・利勇(りゆう)
・天孫氏(てんそんし)
・世の主(よのぬし)
・源為朝(みなもとのためとも)
・滝沢馬琴(たきざわばきん)
・椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)
・葛飾北斎(かつしかほくさい)
・舜天丸(すてまる)
・浦々(うらうら)……浦/地域・エリア、浦々/多くの地域・エリア

 

 

■浦添市三大王統② 英祖~太陽の子と呼ばれた王~

・伊祖(いそ)
・伊祖のイクサモイ(いそのいくさもい)
・義本(ぎほん)
・禅鑑(ぜんかん)
・元(げん)
・瑠求(りゅうきゅう)
・尚巴志(しょうはし)

 

 

■浦添市三大王統③ 察度~海外貿易を開いた王~

・奥間大親(おくやうふや)
・森の川(むいぬかー)
・黄金宮(くがにぬみや)
・泰期(たいき)

 

 

+ +

 

英語字幕版や中国語字幕版もあるので
(ナレーションは日本語のままです)
外国の人はもちろん、
英語・中国語の勉強をしているという人にも
役立つかも?!

URLのみ載せておきますね。

なお、チャンネル名は
「浦添市観光協会うらそえナビ」です。

 

【英語版】
舜天/https://www.youtube.com/watch?v=tMu_E-eoy4I
英祖/https://www.youtube.com/watch?v=7erhEwPZk1o
察度/https://www.youtube.com/watch?v=MrEJyvwM8vg

【中国語版】
舜天/https://www.youtube.com/watch?v=E3D8HMZFn-s
英祖/https://www.youtube.com/watch?v=9rZIa_IVB0c
察度/https://www.youtube.com/watch?v=KOHBAwuvZZA


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キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(40)『願かけ』

2020年10月29日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

百十踏揚登場です。

つづきます。

 

 


「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい。


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キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(28)『大隅(うーしみ)』

2020年08月02日 | ・琉球史散策/グスク時代

繁忙期につき、
ゆんたくマンガのみの更新が続いております。

少なからずコロナの影響もあり、
もう少し続きそうです

 

 

ゆんたくマンガ(25)を併せてお楽しみください。

 

大隅の抜け穴については
こちらの過去記事をどうぞ。

 

+

 

さて、北山落城について。

歴史としては、本部の裏切りにより
志慶真門廓から陥落。
本部の裏切りに怒った攀安知は本部を殺すも、
あたりは火の海で自刃して果てる…
という流れが一般的です。

しかし、ゆんたくマンガでは
みんながおバカにわちゃわちゃしている
姿ややり取りを描いているので、
登場人物であるキャラとキャラが
裏切ったり殺したり殺されたりetc…
ということは敢えて直接は描いておりません。

 

もーね。
みんな仲良くやったらいいよ。

 

と思っています。

 

 


「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい。


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紅型・藍型風白澤

2020年04月19日 | ・琉球史散策/グスク時代

前回、
疫病退散の神様アマビエについて紹介しました。

 

肥後の海、ということで
熊本にゆかりのあるアマビエ。

琉球にもアマビエような
疫病のお守りになった生き物って
いないのかしら、

と漠然と思っていたところ…

 

情報をいただきました!

 

調べてみると確かにこの生き物を描いた絵が
疫病のお守りとして使用されたらしいので

早速、
アマビエ同様、紅型風に描いてみました。

 

 

 

その生き物というのがこちら!

 

 

 

 

 

白澤(はくたく)です!

 

もともとは中国伝来の神獣ですが、
琉球を代表する絵師・自了が描き、
県指定有形文化財であり、
現在は首里城(美ら島財団)が保管し、
あの火災でも焼失を免れた、
「白澤之図」をベースにしました。

自了の「白澤之図」はこちらから
(1番下にいます)

 

白澤についてはこれまでも何度か記事にしていて( )、
徳の高い王の治世に現れる、縁起のいい神獣…
という認識だったのですが、

『白澤図』という
白澤から教えられた話をまとめたという中国の書物が、
災害や病への対処法(防災マニュアル)だったことから、

転じて、民間では
白澤の絵には厄除け・病除けの効果があると
信仰の対象になったようです。

 

日本でコレラが流行した時には
白澤の絵が売られ、人々はそれを身につけたのだそう。

参/「くすりの博物館」

 

白澤については例えばこちらのサイトがわかりやすいです。

https://amaterasu49.media/archives/7008

https://gakkenmu.jp/n/nc3b90e1779c4 
↑あの「ムー」の記事です

 

白澤は疫病から守ってくれる
存在でもあったのですね!

 

 

白澤はだいたい白いので
紅型風にするのはなかなか難しく…

藍型のほうがしっくりくるかも?

ということで、藍型バージョンも。

 

 

藍型バージョンその2。

 

どれがお好み?

 

こちらもスマホ壁紙用のサイズで
ツイッターにアップしています。

よろしければご利用ください♡

 

白澤 スマホ用壁紙(3種)

白澤 ぬりえ(2種)

 

※個人使用に限ります

※再配布・転載は禁止です

 

☆紅型・藍型風アマビエのスマホ壁紙・ぬりえはこちらから

 

 

ワタシのスマホは現在
藍型白澤バージョン1です♪

 

+

 

紅型・藍型風アマビエ&白澤は現在、
マスクアクセサリーとして
ブローチやワッペンなどにも展開しています。

詳しくは→  


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奥間鍛冶屋の正体

2020年03月14日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

昨日、キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ
で奥間大親について触れたので
、関連して、
ずっと下書きのまま、"うっちゃん投ぎてた"記事を
アップしますね。

国頭村奥間にある、
アガリカンジャー。

ここには3つの見どころがあります。

1つは奥間鍛冶屋の拝所

1つはかぎやで風節の碑

そしてもう一つ。

 

かぎやで風節の碑の右にある碑。

 

見出しは、
「奥間鍛冶屋発祥の地」

 


↑クリックで拡大

 

書いてあることをザっと要約すると、

 

ここ、奥間で生まれた男は、
後に浦添間切謝名村に居住し、
察度や泰期を生んだ。

つまり、この男は、
察度の父ちゃん、
奥間大親その人だった(!!)

 

やがて察度は中山王となり、
異母弟である泰期や金満按司は進貢使として
琉球と明を行き来する。

明から鉄加工の技術を身に着けた二人は
父(奥間大親)の故郷である奥間に戻り、
鍛冶屋となった。

 

これが沖縄の鍛冶屋の祖と言われる所以だ。

そして、泰期、金満按司が奥間鍛冶屋の祖である。

 

 

というもの。
子孫の座安家に伝わる伝承のようです。

 

奥間大親の「奥間」は
まさに国頭村の「奥間」ということになります。

浦添・宜野湾と、国頭村の奥間がつながるとは
ちょっと意外ですね。

(なお、浦添間切には現在の宜野湾も入っていました)

 

泰期が鍛冶屋の始祖だった
というのも、他ではあまり聞かない伝承です。
(※本によっては泰期はなく、金満だけの記述だったり、
「泰期金満」で一人の人物だったりしています)

 

参/
沖縄拝所巡り300(比嘉朝進著)
くんじゃん徒歩ナビ国頭村奥間区編(国頭村)

 

 

また、
「カニマン(金満(万))」という名も各地に色々見られるのですが、
それが銭を指すのか、金属(鉄)を指すのかなども
諸説あるようです。

 

そして、彼らの子孫が、
あの金丸と繋がっていくのです

 

ふっしぎ~☆

 

 

 

それにしても、
察度・泰期時代、
14世紀の鍛冶場か……

と言ったら
宜野座村の「漢那ウェーヌアタイ遺跡」が
思い出されますねぇ。

こっちからは実際に鍛冶遺物が出土しているようですが、
この奥間鍛冶屋周辺はどうなんでしょう。

気になるところです。


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ドッキドキの土器話【2】

2020年03月07日 | ・琉球史散策/グスク時代

ドッキドキの土器話【1】の続き。

土器は見るだけよりも
触って、体感したほうが
その面白さが伝わる!!

しかし、保存の面から
なかなか簡単なことではないらしい…

というのが前回の話。

 

しかし、
そんな土器を少しでも「体感」できる!
という展示会に行ってきました。

沖縄市立郷土博物館で行われていた
『沖縄の土器づくり よみがえる技』展。

 

 

出土した土器がガラスケースの中に
鎮座しているのはこれまでと変わりませんが、

この展示会の特徴は
出土した土器を、
土から作って、同じような手法で作って、焼くという
「臨作」が一緒に展示されていること。

 

 

「臨作」なので、実際に触ったり、持ち上げたりと
体感・体験できるものもいっぱい!

また、「臨作」を作る中での
「失敗作」や調理などの「実験」や、
気づいたことや感じたことも紹介されていたりして

道具としての「土器」を
よりリアルに感じることができて
色々と目からウロコ。

 

 

1月で終わっている展示なのですが
(私も最終日に訪問したので、ブログで紹介できずじまいでして…
土器関連は定期的にやっているっぽいので
次回開催の時はぜひ訪れてみてほしいです!

なお、図録は今でも販売中。
沖縄市立郷土博物館にて購入できます☆

 

そんな沖縄市立郷土博物館、
この土器展に合わせたワークショップが色々ありました。

「本気の土器づくり」に参加したかったのですが
(初心者向け、親子向けもあり)
日程の都合上参加できなかったので…

数年前から耳にしつつも
事前に情報をゲットできずに
ずっと流れてしまっていた「アレ」に
やっと参加できました!

 

 

土器クッキーつくり!!

フゥ~~~~~!!!!(テンション↑↑↑)

 

ココアのクッキー生地をベースに着色をし、
「砂」もアーモンドで表現しながら
土器片を作っていきます!

 

 

これは出土した本物の土器片。

おいしそう…。

 

 

土器片の模様はこちらの「臨作」を参考にしていきます。

今回は、


伊波式土器
荻堂式土器
大山式土器

の3種類。

 

生地を寝かしているときや
焼いている間には、
学芸員さんによる土器講座もありました。

 

 

こちら、参加者さんから集めた完成品。

きな粉をまぶして
「出土したて」感の演出もあったのには笑いました(笑)


考古に対するこだわりと愛を感じました!
さすがです

 

 

こちらがワタシ作。

形がシャープになりすぎてしまったのが反省点

綿棒できれいに伸ばすだけでなく、
わざと指で凹凸をつけて
「指圧痕」も表現してみたんだけど…

本物の土器片同様、
触ってみないと分からない

ですね(^^;)

 

スタッフさんも言ってたけど、
土器クッキーは奥が深い!

何度もチャレンジあるのみ!

という感じでした。

 

10年ぶり?いや、15年?…まさか20年?ぶりに
クッキーづくりをしましたが、

楽しくて
美味しくて
勉強になる
3拍子揃った講座でした!

また自分でも作りたい!
(…けど、めん棒もはかりも鉄板もないマイハウス!泣)

 

親子参加も多かったです。
きっと土器を見る目が変わっただろうなぁ♪

こういうのがもっともっと増えたらいいな!

 

+

 

なお、この土器クッキーは
横浜市歴史博物館で始まったものなのだそう。
(本土では縄文土器がベース)

おそらく第一人者であろう
〝おかし作り考古学者〟ヤミラさんが
臨時休校における自宅での過ごし方として
ドッキー(土器クッキー)つくりを紹介していたので
興味ある方はぜひチャレンジしてみてください♪
https://twitter.com/yamiramira/status/1233336667504726016

レシピ
https://cookpad.com/recipe/2876550

見本土器(文化財オンライン)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/search/era_2:1/from:menu


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ドッキドキの土器話【1】

2020年02月23日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

ちょっと前の事になりますが、
発掘された土器の破片を触らせてもらう機会がありました。

おそらく、900~500年前のグスク土器。

 

土器って博物館に行けば
必ずと言っていいほど展示されているし、
むしろ考古=土器ってくらいメジャーな存在。

だけど色が華やかでもなければ、
本土の縄文土器のように造形がすごいわけでもない。

それが装飾性のないグスク土器で、
しかも破片となればなおさら。
「ああ、土器だね」
で終わるくらい、
正直、無感動で味気ない存在です。

 

実際、

展示されてる土器(の破片)を見て
フゥ~!テンション上がる~!!
ってなる一般人はなかなかいないと思います(^^;)

 

が。

 

ワタシ、上がっちゃったんです。

土器の破片で。

テンションが。

もう、ドッキドキの胸キュンもの。

 

今日はそのお話を。

 

 

 

当然ですが、
昔の土器は「ロクロ」は使いません。

粘土を紐状に伸ばして
くるくると積み上げていき
手でならしていく
「紐づくり」の技法で成形されています。

陶芸の基礎なので
今でも陶芸教室なんかで体験できます。
(例えばこんな感じ

 

 

でね、

本題はここからです。

 

 

触らせてもらった土器の中に、
粘土を積み上げて、
手でならすときについたでろう
指の跡がくっきりついた破片が…!!!

 

おもわず

「ぎゃっ!」

って言ってしまうほど

生々しい指の跡…!

その跡に自分の指を重ねてみると
ちょうどワタシと同じくらいの指の大きさ。

土器の面を挟むように
内側には親指の跡も。

 

他の土器片も注意して触ってみると、
このような指の跡(指圧跡)が
色んな所についていることに気づきます。

 

そうするとね、

なんかわかるんです。

この土器を作った人の人間性というか、

タイプが(笑)

 

4本指がぴしっと揃ってたり
方向も位置もバラッバラだったり
指の先だけでちょんちょんとやってたり
指全体を使ってたり
跡が深かったり
浅かったりetc…

 

紐づくりを実際にやったことある人は分かるかもしれませんが、
こういう所に性格って出るんですよね(笑)

 

500年前か、700年前か、900年前か、
名もなき土器職人の生々しい痕跡。

しかもその体格(指の大きさや長さ)や
性格も分かるようで。

指圧痕に指を重ねることで
何百年もの時を超えて通じ合ったような、
不思議な気分。

気分はまさにコレですよ。

 

すごい!!

土器って
なんて人間臭くて
なんて面白いんだ!!

 

中には
こねた粘土の余りをポイっとした?ような
土塊もあったりして、
それにもくっきりと指圧痕や指紋が(!)

 

考古遺物でこんなにも人間味を感じたのは初めてでした。

 

この衝撃と感動を
色んな人に味わってほしい…!!!

 

 

が、
この指圧痕、見るだけではなかなか気づけません。
正直、触ってみないと分からない。

触って、指を重ねて直接感じられる
展示ができればいいのだけど……

 

土器はもろいため、
不特定多数の人に自由に触らせると
人の手の脂がついたり摩耗したりするので
なかなか厳しいらしいです…。

 

かといって袋越しに触るとかじゃ
生々しさは伝わらないしなぁ…。

 

う~ん、なんとかできないかなぁ…。

 



トップ写真は伊波式土器の臨作。
ドッキドキの土器話【2】に続く。


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金丸、恋の軌跡

2020年02月12日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

琉球史における稀代のモテ男と言えば、
金丸ですね。

後に第二尚氏王統の始祖(尚円王)となった、
あの男です。

 

生まれ島の伊是名を脱出して
沖縄本島に渡り、
各地を転々としたのち
尚泰久王子(のちに王)と出会い、
首里城に仕官。

王府の役人としてとんとん拍子に出世し、
クーデター勃発の末
ついに国王へ!

という
シンデレラストーリー男
でもあります。

 

しかし、
その彼のたどった道中には、
まぁ~~~女性にまつわる話が多く、
現地でできた子供たち(伝)も
一体どれだけいるのやら…。

というわけで、

ドラマ「尚円王」放送を記念して(!?)
これまで記事にした

金丸、恋の軌跡スポット

を、まとめてみました!

※現地妻のみ。
正妻ポジションである伊是名の女性や
オギヤカ関連は除きます。

 

北部から中部、南部まで!

もしかしたら、
あなたのお住まいの地域にも
金丸の恋の軌跡があるのかも?

 

 

緑の字or ★をクリックで該当記事にジャンプします。

 

 

 

伊是名村(逆田)

 

 

国頭村宜名真(宜名真御殿)

 

 

国頭村奥間(アガリカンジャー)

 

 

名護市汀間(金丸カー)

 

 

沖縄市山内(山内大明神) 

 

 

北中城村安谷屋(若松公園) 

 

 

西原町内間

ナコーモー

カヤブチ御殿

ウガンジャマー

 

 

<番外編>

南城市知念(知名グスク)

 

記事にしてないけど、
もっとあったかもしれない。

首里や越来周辺にそういう話がないのは
やはり、尚泰久の手前、控えたりしたのだろうか…?
(越来は大城賢雄の方がそういう話はあったりする)

 

ちなみに、
現地のノロさんとデキている確率が高いのですが、
それについて考えた記事がこちらになります。


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