がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(24)『正味3時間』

2020年06月18日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

キラキラ版の他魯毎は、
「琉球史の人物をなぜキラキラ化して描く必要があったのか」
という問いへの、柱になっている人物でもあります。

 

 

なぜならば、彼が1番分かりやすいから。

こちらの記事に詳しく書いていますので
良かったらご一読下さい↓

★キラキラ化に、なんの意味があるのか

 

ゆんたくマンガ版の他魯毎は
かわいいぐゎ~のキャラクターになっています。

なぜならば!

もっとみんなが他魯毎に愛着をもってほしいから!
特に南山の、糸満の人たちに

キラキラ版やゆんたくマンガを通してでも、
他魯毎を気に入ってくれたら嬉しいです♪

 

 

 

 

他魯毎の弟、守忠については
こちらの過去記事をご参照下さい。

 

★南山のドラマ人、南風原守忠

★イラストで見る、守忠周辺関係図

★守忠と守知の伊舎堂墓

★【またまた】推定年齢考証してみた

 

 


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キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(23)『琉球国南山王之印』

2020年06月13日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ


三山時代はそれぞれ明から

「琉球国中山王之印」
「琉球国北山王之印」
「琉球国南山王之印」

をもらっていたようです。

 

残念ながら現存はしていません。

北山、南山のものは
尚巴志の三山統一の過程で
没収されたりもしたのかも?

 

中山王之印は
1453年の志魯・布里の欄で溶解してしまい、
新しく王となった尚泰久は
新しい王印の再支給を明に願い出ています。

北山、南山のものはその時一緒に焼けたのか、
それとも子孫がひそかにどこか秘密の場所(お墓など)に
隠し埋めていたりして……
という妄想もまた楽し。

なお、「琉球国南山王之印」の陰影(想定)は
@mangaryukyuさんから許可を得てお借りしました!

 

ちなみに、
清朝になって贈られた「琉球国王之印」は、
レプリカを首里城で見ることが

でき…ました。

以前は。

 

火災で燃えてしまいましたので
過去記事からどうぞ。

持ち手はラクダ。
ゆるキャラ風です。

 

 


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キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(22)『本部のうちなーぐち講座』

2020年06月07日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

2コマ目の宇宙観の図について。

太陽が通る地中の穴は「テダガアナ(太陽の穴)」といい、
太陽が落ちる(沈む)場所は「テダバンタ(太陽の崖))と言われています。

図で、太陽が昇る(東)側の穴を、
テダバンタと水平に位置する場所にしましたが、
(つまり、昇る側にも崖がある)
太陽の穴が地上に直にあるバージョンも載せておきます。
(ブラタモリではそっちの図解でしたね)

 

 

こんな感じ。

 

西のテダバンタとは違って、
東側にも「崖」のイメージがあったのかどうかは
不明なので、
境界線はぼかしておきました。

世界の果てはハッキリした境界線のない、
もやもやとした異世界(ニライカナイ)
という認識だったのかもしれません。

 

 

*おまけ*

西原町はなんで東側にあるのに
「西」なの?

というのは、
琉球の中心であった、首里の「北(ニシ)」側にある
という意味でついていた「ニシ」読みに、
後から「西」の字があてられた。

という豆知識。

 

 


 

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真珠道から出土した骨

2020年06月05日 | ・琉球史散策/第二尚氏

埋蔵文化センターの常設展示室には
埋文コレクションからその時のイチオシを紹介する
「まいコレ」コーナーが月替わりであります。

 

先日、
首里城正殿跡出土品展の時に訪れた時に展示されていたのが、

 


現在のグーグルマップの写真がちょうどこのエリアを発掘している時のものだった。

 

首里城、守礼門後ろに位置する、
真珠道の起点エリアから出土した、

 

 

人の頭蓋骨(!)

 

 

まぁ、でも遺跡から昔の人の骨が出土するのは
特別珍しいことではないし…
とお思いでしょうが、
この頭蓋骨は、ちょっと不思議な点がひとつ。

 


それは、

 


頭蓋骨以外の体の部分が、
一片も発見されなかったこと。

 

つまり、
生首状態
で埋まっていた…!!

 

 


実際の「モノ」も展示されていましたが、さすがに憚れたので展示写真を。

 


…これは一体、どういうことなのでしょうか。


気になったので、真珠道跡の発掘調査報告書も見てみました。

 

調査の結果、
頭蓋骨は17世紀初頭の、
20代前半の男性で沖縄集団に属する
とのこと。

骨の形から、彼は
小顔で面長、
鼻が高く立体的な顔立ちで
健康体であったようです。

なかなかのイケメン!?

 
とはいえ、
生首状態ということは、穏やかではありません。
打ち首(処刑)か、
それとも首取りか、が考えられます。

刀傷などは見当たらなかったようですが、
残された頸椎との関係から、
前かがみになって後ろから切られる「打ち首」ではなく、
顔を上に反らせた状態で喉から斬られた
「首取り」の可能性が高いとのこと。

 

首取りと言えば、本土の戦国時代につきものの行為ですが、
17世紀、本土戦国時代の、首取りの作法……

1609年の薩摩侵攻!!


バリバリの戦国世を生き抜いてきた島津軍が、
琉球軍と戦った時の犠牲者なのでしょうか!?

 

 

報告書執筆者の土肥直美先生(人骨といえばこの人!)は、

尚寧王の側近で僧侶の喜安入道蕃元が記録した『喜安日記』に
「薩摩軍は太平橋で)被弾した城間鎖子親雲上盛増の首を取った」
とあることから、
生首の主は彼の可能性もあるでは?
と推測しています。

 

薩摩の首取りの行為を見た琉球軍は
したたか驚いて戦意喪失し、
首里城に逃げ込みます。

薩摩軍は取った首を持ったまま首里城へと向かい、
首里城の入り口(守礼門・真珠道付近)で
琉球側への脅しと、見せしめにさらし首にした…
そして琉球はついに降参をする…

その後、
その場に埋葬(もしくは打ち捨てられた)とすれば、
この場所に埋まっていたことも確かに合点が行きます。

 

 

推論に推論を重ねたほとんど妄想に近い話のようではあるが、
人骨の状況証拠の部分は事実であるので
敢えて可能性として提示しておきたい。
いずれにしても、真珠道の頭骨が琉球史の貴重な証人であることは間違いない。
今後、家譜や新たな資料などにより、
事実関係の検証がなされることを期待したい。

土肥直美


参/
『真珠道後・松崎馬場跡-県営首里城公園整備に伴う発掘調査報告書-』
(沖縄県埋蔵文化センター/2020.3)

 

 

月替わりの展示なので、
もう別のものに変わっているかな?
それとも、コロナで長く閉館してたから
6月もそのまま展示されてるかな?

そこはちょっと未確認ですが、
これから埋文に行く人は
展示室入ってすぐの
「まいコレ」コーナーも忘れずにチェックしてみてくださいね。

 


 

 

現在の、
守礼門を過ぎたところ。
真珠道の起点。

頭蓋骨の出土場所は
人が写っている後ろあたりです。

ちょうど通路になっていて、常に人通りのあるところ。

色んな人が行きかう地中に、
こんな骨が埋まっていたなんて……。

 

合掌。


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キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(21)『年中、』

2020年06月03日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

季節外れですが、
二人のキャラクターや関係性を示すのに
必要な回なので載せておきます。

 

数年前、沖縄でもみぞれが降りましたね。

昔ならなおのこと、
雪やみぞれが降ったこともあっただろう、
ということで。

 

あと、年中半そでの小学生男子って
学年に一人や二人いたよね。


今もいるかな?

 

 

そして、
寒くて息が白くなるとテンションが上がるのは
今でも、大人でも、同じ(笑)

 

 


 

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『沖縄の戦後を歩く そして、地域の未来を考える』

2020年06月01日 | ・和心な本、琉球な本

 

最近購入した本の紹介です。

 

『沖縄の戦後を歩く そして地域の未来を考える』
(編集/NPO法人 沖縄ある記 発行/沖縄しまたて協会 2020)

1800円+税

『しまたてぃ』連載の25編に加え、
地域マップや関連コラム、
貴重な未公開写真、
沖縄の戦後史年表を収録

 

A4サイズ172ページの、
読み応えばっちりの1冊です。

お馴染みのあの大通りや風景を、
親世代は懐かしさをもって、
若い世代は新鮮さをもって、
楽しむことができます。

 

 

字(アザ)巡りマップのあるPART2が特にお気に入り。

読谷の喜納番所(観光案内所)で見た喜納集落マップ。
配布物は出払っていてもう手に入らなかったので
パネル展示されていたものを
反射に四苦八苦しながら写真に撮って、
プリントアウトしたものを見ながら
喜納歩きをしたのは去年のこと。

その地図が載っている!!

個人的にはこれが購入の1番の決め手。

喜納歩き、まだブログ記事にはしてないので、
これを気にまとめてみようかな。

 

同じように21の集落マップが掲載されているので
これを片手に集落ぶら散歩、したいです。


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