がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

めんそ~れ♪

3000年01月01日 | ・徒然日記

   

   

  


キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

2018年11月17日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

*お知らせです*

ツイッターにて
新シリーズを始めます。

題して、

です!

 

『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』
キャラクターを使ったスピンオフ四コママンガです。

本の<ゆんたくコラム>にも
少し四コママンガが収録されているのですが、
テイストはあんな感じです。

琉球史をマンガで紹介…というよりも、
本で描いた琉球史キャラクターたちが
自由にわちゃわちゃする
キャラマンガだと思ってください。

(もちろん琉球史のエッセンスが入ってくる時もあります)

 

 

これまでコツコツ描き溜めてきたものを
週に3~4のペースで公開していきたいと思います。

ただし、ツイッター内限定です。

基本的にブログでは掲載する予定は
今の所ありません。
(少なくとも1年間は)

 

よろしければフォローお願いします

 

 

@wawa_ryuq

 

 

 

イントロダクションマンガを
掲載しておきます。

 

 

ちなみに

(株)中山軍

は実在しません。

「北山(きたやまじゃなくて、ほくざん)」
「中山(なかやまじゃなくて、ちゅうざん)」
「南山(みなみやまじゃなくて、なんざん)」
を使ったものはあるけどね。
(病院は三山コンプリート。学校は北山のみかな?)

あと、人物名を使ったのは
居酒屋などの飲食店に多いです。


長崎の坂本龍馬

2018年11月15日 | ・徒然日記

今日は坂本龍馬の誕生日で命日。

以前からこのブログを読んでくれている方は
覚えているかもしれませんが、
龍馬はワタシの(歴史上の)初恋の人。


これまで記事もたくさん書いてきているのですが、

ここ数年はこの記念日に記事を書いてなかったので
久々に龍馬記事をば。

 

数年前、
長崎に行った時に立ち寄ったこちら。

 

 

坂道が多いことで有名な長崎。

こちらも例にもれず、
坂道をえっちらおっちら。

冬でしたが、
天気が良かったこともあって
汗をかきました

 

たどり着いた先は……

 

 

念願の、
亀山社中。

龍馬が興した日本初の株式会社です。

龍馬巡りは京都や土佐ではやっていたのですが
長崎ではまだだったのでこれが初!

今は記念館になっています。

 

 

龍馬が持たれたという柱。
(こーゆー類のよくあるよね(笑))

スタッフのおじさんが
小道具(月琴)やポーズまで指定して
写真をとるように指示されました。

ちなみに男性客だとまた違う。
女性客はおりょうさんイメージなのか?

 

 

 

亀山社中のそばにある

龍馬のブーツ像。

…って、

ブーツ像でかっっ!!!

見下ろすのは長崎の街並み。

 

時がたち、家並みは違えど、
龍馬も見た同じ場所、同じ景色。

 

今日は龍馬が生まれて182年。
今日は龍馬が死んで151年。


【描いてみた】琉球史人物、を、32【キラ男子】

2018年11月06日 | ・琉球史散策/グスク時代

久々に

新規の
【描いてみた・キラ男子】シリーズです。

 

ラフで描いたデータはずーーーっと前からあったのですが
ようやくお披露目です。

 

今回は、英祖王です。

 

イメージ台詞
「太陽は、死んでもまた甦るのです」

イメージカラーはやっぱり
オレンジ~黄色系。

 

すっきり系の顔立ちに(唇も薄い)、

前髪オンザで内巻きマッシュルームカットの
モッズヘアにしたかったのですが
そのままだとあまりにも現代人っぽかったので
草髪を足しました。

やっぱりなかった方が良かったかなー?

太陽のイメージから
黄金系のアクセサリーを多くまとっています。

 

英祖は、舜天の次の王統の始祖になります(英祖王統)。

舜天王統の3代目、舜天の孫・義本王の時代に
天災が相次ぎ大飢饉が起こります。
義本王はこれは自分に徳がないせいだ、とし、
当時摂政として義本に仕えて、
幼いころから才徳高しと評判だった英祖に
王座をゆずり、姿をくらました…

とあります。

でも義本王のその後の消息が不明な事や
義本王の墓とされているものが
広範囲に点在していることから(  
実際にはなにかしらの争い(クーデター)があり、
義本王は追われたのでは、とも見られてもいます。

 

そんな彼ですが、
異常出生秘話として、

太陽が懐に入る夢を見て懐妊した。
いよいよ彼が生まれる時
部屋に光が満ち、瑞気は天に昇り
部屋中に香ばしい香りに包まれた
(「球陽」)

という逸話が有名です。

 

よって彼は

「太陽の子(てだ・こ)」

と称され
今でも浦添ではまつりや施設やお店や企業などに
「てだこ」を使ったものが多くみられます。

 

ワタシの彼個人としてのイメージは…
まだふんわりしていますが
頭が良く、大人で、浮ついたところがない落ち着いた人
というようなイメージ。

哲学(か倫理)の先生、みたいな。

うーん、きれいな優等生像しかない…。
人間臭さを感じるところまでは行ってないので
まだ英祖とはしっかり「お友達」にはなれていない証拠ですね…。

 

武系というよりは文系かな。

 

琉球に初めて仏教が入ってきたのも英祖の時で
英祖は浦添グスクのすぐそばに極楽寺を建てて
禅鑑を招いてもいますしね。

琉球で初めての仏教徒は英祖
って言ってもいいのかもしれない。

 

(でも先述したようにクーデターが起こっていて
英祖がその先駆けとなっていたのであれば
またガラリとイメージが変わりますね)

 

 

英祖関連の史跡は

浦添ようどれ( 

伊祖グスク

伊祖の高御墓(父)

などあるので

もっともっと「人間・英祖」を突き詰めていきたいです。


第一尚氏期琉球一のお寺、天界寺

2018年11月04日 | ・琉球歴史/文化風景

前記事の続き

「三ヶ寺参詣行幸」の、3つのお寺、

今回は天界寺について。

 

天界寺は、玉陵の隣にありました。

その敷地は現在の
首里城公園管理センターから首里杜館のあたるようです。

 

 

とはいえ、
玉陵、それから円覚寺も
第二尚氏、尚真の時代に作られたもの。

 

天界寺はその前の時代、
第一尚氏の、尚泰久~尚徳の代にかけて建てられました。

(尚泰久代に着工され、完成を見ずに尚泰久死去。
次王の尚徳が引き継いで仏殿を建て完成させた、と考えられている)

尚泰久は在位中に数々のお寺を建て、
多くの梵鐘をつくりましたが、
天界寺はその集大成として着工されたのでしょう。

本格的な伽藍も備えた広大で壮麗な、
当時琉球一のお寺でした。

 

後の冊封使・郭汝霖も
天界寺と円覚寺を琉球で最も大きい寺だ
と記録しています。

 

初代住職は渓隠
万国津梁の鐘の銘文を作ったあの彼です。

 


↑クリックで拡大

 

そんな天界寺ですが、

現在はその面影は見ることができず、

ただ、井戸が残っているのみです。

 

 

こちらがそれ。

道沿いにあるので
これも知らないと見過ごすポイントかもしれませんね。

拝みの人がきているようでした。

 


天王寺跡、あの人のおうち。

2018年11月03日 | ・琉球歴史/文化風景

今日は文化の日。

首里城祭の一環としての
「古式行列」が催される予定でしたが
雨で中止になってしまいました。

また、来年までのお預けです。

 

さて、この古式行列とはなんぞや。

 

「古式行列」は琉球国王の行幸の一つ、
正月三日「初行幸」と呼ばれる「三ヶ寺参詣行幸」の行列を再現したものです。

琉球王国時代、国王が国家の安寧と五穀豊穣を祈願するため、
首里城下にある三つのお寺を参詣した様子が華やかに再現されます。

(首里城サイトより)

 

この「三ヶ寺参詣行幸」の3つのお寺と言うのが

首里城近隣にある、
円覚寺、天界寺、天王寺。

そのどれもすでに記事に書いているか
ツイッターで軽く写真UPでもしてあると思いきや、

あれ…っ!?

円覚寺は当然のごとくあるもの、
天界寺も、まさか、あの天王寺さえUPしてないとな…!?

 

マジかー!

 

(最近、訪問済なのにアウトプットしないの多すぎ

 

というわけで、
急きょ写真フォルダをあさって
写真を整えて記事にしてます!

 

まずは、

 

天王寺(跡)について。

 

 

場所は首里城龍潭にほど近い、

首里公民館の向かい、

現・首里教会に当たります。

(琉球を代表するお寺が今は教会ってちょっと面白い)

 

 

石垣の一部は当時のものだそう。
(でもこの写真の部分とはちょっとずれるのかな~?)

 

そして、個人的に、
この天王寺の萌ポイントはこれ!

 

金丸さんち。

 

そう、天王寺って、金丸のおうち跡なんです!

 

で、

 

オギヤカが尚真を生んだ場所

なのです!
(尚真が生まれた時は金丸はまだ役人で、王ではありません)

 

だからオギヤカも一緒に暮らしていた場所
ということにもなります。

 

金丸が尚円として王になって首里城入りしたあとに
邸宅跡をお寺にした…という感じなのかな?

 

とにかく、そうと分かると
俄然この天王寺跡の見え方が変わってきます…よね!?

 

金丸さんちといえば
西原の内間御殿が有名ですが、

首里城下で暮らす、
王府高官としての金丸を感じ取れる史跡です。

 


↑クリックで拡大

 

天王寺跡の観方をもう一つ。

それは石垣の中にある、
首里教会。

 

 

この十字架のたつ塔に
なにやら見覚えがある…という方もいるでしょうか。

 

沖縄戦の写真として有名な
こちらの一枚。

 


↑写真クリックで写真元記事にジャンプ


これが首里教会なのです。

この塔が、昨年復元されています。


戦火を乗り越えた首里教会 旧会堂塔を復元 沖縄戦の激戦地
(沖縄タイムス 2017.10.16)


時代は違いますが、
歴史を語るスポットとして外せない天王寺跡。

龍潭前の通り沿いとはいえ、
知らないとすーっと通り過ぎてしまうスポットですので、
車窓からでも目を向けてみてください。


戦後の海中道路建設に、長虹提を想う

2018年10月31日 | ・琉球歴史/文化風景

 

勝連半島と平安座島をつなぐ
海中道路。

その道の途中に
うるま市立海の文化資料館
があります。

主に沖縄で使われてきた木造船や造船技術、
漁に使われる道具や、
海の自然などの紹介がある
小さな博物館です。

(写真撮影等確認済)

 

 

その一方で、
個人的に興味深かったのが
平安座島と勝連半島を結ぶ、
この海中道路の歴史について。

 

戦後、
島の人々が、それこそ男女関係なく
子供から大人まで総動員で、
道作りを行っていた時の写真。

 

 

 

島民ひとりひとりの、
まさに手作業で土や石が運ばれでいます。

(後に米軍からブルドーザーが提供されたそう)

 

 

建設途中に台風で道の一部が決壊するなどの困難もありつつ、
それらを乗り越え、無事に完成します。

 

 

これらの写真を見ながら、
15世紀の長虹堤建設なんかも
割とこんな感じだったんじゃないかなと
想像しました( ˘ω˘ )。

 

 

ドライブスポットとして、
観光スポットとして、
一役買っているうるま市海中道路ですが

海中道路にまつわる歴史にも
是非触れてみて欲しいです。

 

入場無料です。


尚家の石敢當

2018年10月29日 | ・琉球歴史/文化風景

 

尚家の塀(道路沿い)に埋め込まれていた石敢當。

さすがは、尚家。

なんだか字体もカッコイイ。

上にあるマークのようなもの?はなんだろう…。
(花押のようなデザインに見える…)


尚泰王の四男、尚順の屋敷跡

2018年10月28日 | ・琉球史散策/神話・近代

首里の桃原には
琉球最後の王、尚泰の4男である尚順の屋敷跡があります。

ただの住居としての屋敷だけではなく
農園があったことも特徴。

「桃原農園」と呼ばれていました。

 

 

さすがに当時の屋敷そのものはありませんが、
庭や樹木など、一部当時からのものを見ることができ、
イタリアンレストラン「ラ・フォンテ」として

営業されて…

 

いたのですが…

 

残念ながら、現在は閉店しています。

 

行こう行こうと思いつつ、
行くなら庭が見れる昼がいいよねー、
晴れてる時がいいよねー

と伸ばし伸ばしにしていたら…
まさかの閉店。

 

思い立ったら早めの行動が吉、ですね…。

 

お店の建物や敷地は壊されずにそのままなので、
また歴史に理解のあるオーナーさんが入ってくれたらいいなぁ。

 

 

(元)ラ・フォンテの入り口には
ちゃんと松山御殿跡の案内パネルがありました。

今はこの辺りは住宅地で
広大な農園としての面影はありません。

 

 

松山御殿跡前のバス停には
「松山御殿」と書かれたベンチが(笑)

ピカピカだったので最近置かれたものなのかなー。

 

+ + +

 

松山御殿、それから尚順に関しては
本もいくつか出ているので参考までに。

 

■「松山御殿の日々・尚順の娘・茂子の回想録」
(知名茂子著 尚弘子監修/ボーダーインク)

 

■「松山御殿物語」
松山御殿物語刊行会/ボーダーインク)

 

■「松山王子尚順全文集」
(尚順著 金子豊編/榕樹書林) 


読谷村史跡MAP

2018年10月26日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

読谷村は史跡の宝庫!

特に、古琉球好き、現代版組踊好きとしては
ゆかりの偉人、史跡がたくさんあるのがたまりません。

昔、読谷村にまつわる偉人史跡mapを作ったことがあるのですが
情報も記事も増えてきたことですし、
改めてまとめてみようと思い立ちました。

ただ、全て…となると収拾がつかなくなるので
(読谷は戦跡や文化スポットも多い)
今回は以前作ったmapの改良版ということで、
現代版組踊ゆかりの偉人や関連史跡、
そして私のオスススポットを+αしたもの、としています。
(ちょこっとだけ嘉手納町も)

 

明日・明後日は読谷まつりもある事ですし、
読谷にお越しの際は、気になった史跡も
ちょこっと周ってみてはいかがでしょうか?

(史跡名または★をクリックで過去記事にジャンプします)

 

① 泰期像

読谷村が誇る偉人の代表格。
(護佐丸と違って他地域とかぶらないため泰期推し)
察度の弟として明国に行った琉球初の進貢使。
その像。

 

② 宇座グスク

泰期のゆかりのグスクともいわれている。
レベルC↓(藪覆われ系)なので内部散策は厳しい。

 

③ 三重城(復元)

那覇港にあった(ある)三重城を
大河ドラマ『琉球の風』のために復元した者。
晴れたらロケーションは最高。

 

④ 座喜味グスク(→  

言わずと知れた世界遺産。
入場無料。

 

⑤ ユンタンザミュージアム

今年リニューアルした博物館。
見ごたえありますよ。おすすめです。
(まだちゃんと記事にはしてないので写真を少し…)

 

⑥ 喜名番所

宿場エリアだったここを
北山戦に向かう尚巴志たちもここで宿を取ったかもしれない…との事。
(※ただし今の私は、北山遠征は陸路ではなく海路だと思っている)
ここで尚巴志とノロとの間に子が生まれ、読谷地域で繁栄した、とも。
現在は観光情報センターになっている。

 

⑦ 平田之子と屋比久之子の墓

第二尚氏クーデターの際、尚巴志らの遺骨をもって
ここまで逃げてきた忠臣の墓。

 

⑧ 尚巴志の墓(尚忠と尚思達も)

第二尚氏クーデターの際に移された墓。
⑥で描いた喜名の子孫を頼ってここに逃げたきた、との説も。
詳しいアクセスは→

 

⑨ 赤犬子宮

赤犬子が昇天した場所。

 

⑩ 阿麻和利の墓

謎多き、阿麻和利の墓(伝)。
詳しいアクセスは→

 

⑪ 徳武佐

北山騒動の際、逃げてきた丘春(千代松)が一時過ごしたとされる場所

 

⑫ 吉屋チルー歌碑

比謝矼のたもとにある歌碑。
…なぜかまだブログ記事にしていません。
(写真は何度も撮った覚えがありますが見つけきれず…)


⑬ 屋良グスク(→ ) 

阿麻和利のお父ちゃん(伝)とされる屋良按司のグスク。
グスク前に建てられている系図パネルがなかなか興味深い。

 

⑭ 泊グスク

北山騒動の際、逃げてきた丘春(千代松)が一時過ごしたとされる場所


⑮ 丘春の墓

丘春(千代松)は北山騒動後、今帰仁城を奪回するも、
次の代で再び攻められ、
ここに逃げ戻るも、再起叶わず死んだとされる。