がじゅまるの樹の下で。

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めんそ~れ♪

3000年01月01日 | ・徒然日記

   

    

    


交通安全見守りシーサー

2020年04月01日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

 

今日の村シーサーは
豊見城市名嘉地のシーサー。

それなりに車通りのある住宅街に
しっかりなじんでいます。

 

 

寄ってみます。

 

 

どん。

 

やはり村シーサーの造形は
個性的で迫力がある。

 

なんだか頬や口元が猿っぽいですね。

 

 

このシーサーには

25円が埋め込まれています。

 

 

もちろん、
王国時代じゃなくて、
現代の、ね。

 

 

さて、どこにあるでしょう。

 


↑クリックで拡大

 

名嘉地のシーサーの建造年は
分かっていないようですが
明治期にはすでにあったようです。

とすると、建造年は明治初期か、
それとも王国末期か…。


集落の変化や道路整備に伴って
今の場所に移動したとのことです。

ちなみに埋め込まれた十円玉は
昭和50年、54年モノでした。

 

 

交通安全見守り隊としても一役買っている
名嘉地の村シーサー君でした。


海底からやってきた村シーサー

2020年03月30日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

 

今週の金曜日、
4月3日はシーサーの日!

ということで、今週は
数ある村シーサー(石獅子)訪問ストック写真の中から
いくつかをUPしていこうと思います。

 

今回はこちら!

平安座島にある村シーサー。

 

私は個人的にこのような単体で大型の石製獅子は
村シーサーと呼んでいます。
資料では「石獅子」でしたが
ここでは村シーサーで書かせていただきます。

 

 

…なんだか表面が妙な感じですね?

 

実はこのシーサー、
海底にあったのです!

 

表面に貝がついていたような跡が
びっしりと…。

 

なぜ海底にあったのか、
最初からそうなのか、
それとも海に捨てられた?のか、
いつ引き上げられたのか。

手元の資料には
「海底にあった石獅子」のみで
詳しいことは書かれていませんでした。
(何かで見たか聞いたかしたような気もするんだけど……
案内板があったっけ?でも写真には撮ってないし…

 

 

…ただ、この村シーサー、
周りがひどいゴミだらけで……
板とかトタンとかそういう…


大切にされている感がなくて
残念でした…。

設置されてた場所、
私有地なのかな…。

 

文化財ではあるみたいだし、
見直されるといいな。

 

参/うるま市文化財シリーズ平安座島

 

 

*おまけ*

 

平安座島集落散歩で見かけた
屋根の上のシーサー。

顔が細身で妙に味わい深い。


首里城赤瓦漆喰はがしボランティアに参加しました

2020年03月29日 | ・琉球歴史/文化風景

 

首里城赤瓦漆喰はがしボランティアに参加してきました。

参加者は定員フルの老若男女。

おひとりさまから
友達同士、親子など。

外国の方や
リピーターの方もいました。

 

銭蔵で受付をしたら、
淑順門を通って
作業場所である後之御庭へ。

ちょうど正殿の真後ろにある広場です。

 

 

現在立ち入り禁止になっているここ、
かつての有料区域は
撤去工事が進められています。

右側奥が北殿、左側奥が南殿、
中央奥が正殿にあたります。

奥の赤い建物は奉神門です。

 

 

作業は破損を免れた赤瓦の
漆喰をはがすこと。

作業に必要な道具、
軍手やマスク、ゴーグルも準備されていました。

受け取った瓦は、
奉神門の丸瓦。

 

 

ひたすら、漆喰をこすり取っていきます。

思っていたよりもぼろぼろと取れるので
特に難しい作業ではありません。

でも、まんべんなく
きれいに落とすには時間がかかります。

 

ひたすらこすり取っていく。

ただひたすら瓦に向きあう。

どんどん無心になっていく。

 

黙々と無心になることで、
それは
祈りにも似た表現行為になっていく

 

という、
石の声」での体験を思い出しました。

 

 

瓦を抱えて、
支えて、
こすり取って、
磨いて、
払って、
なでる、
そしてまた抱え持つ、
このような単純な一連の作業が、
自然に首里城と己に向き合う時間になっていきました。

 

それは
首里城への想いであったり
復元に携わったへの想いであったり
祈りであったり
追悼であったり
後悔であったり
愛おしさであったり
決意であったり

 

……。

 

 

 
もちろん、
かしこまって神妙な面持ちでやらねばならない
というわけではありません。


でも防塵マスクしてるし
作業は一人でやるものなので、
グループで来ている人も
作業中は自然とそうなっていたんじゃないかな、


というのが私の感想と、実感。
 

 

作業が終わった瓦は検品へ。

ハンマーで軽く叩いて、
その音で瓦の良し悪しを判断します。

高く響く音は合格の印。
赤瓦ってこんなきれいな音がするんだ、と
ほれぼれしました。

 

 

2時間(途中休憩10分ほど?)の作業で
丸瓦6枚、平瓦4枚、
合計10枚の瓦の漆喰はがしをすることができました。

 

ノルマがあるわけじゃないので
自分のペースで無理なく進めることができます。

 

 

休憩時間や作業の合間には
現場作業員さんの話も聞くことができました。


瓦の構造。
丸瓦と平瓦の組み合わせ方。
どこを漆喰で固めるのか。


その組み合わせ方を知る、
間近で見るって、
意外とないですよね。

 

 

焼失前の各屋根の写真や、
瓦の種類も見ることができました。

 

 

正殿の赤瓦は、
完形のものはほぼ残っていないそうです。

 

 

正殿左 龍頭下 丸瓦。

貴重な1枚。

 

瓦も、龍頭棟飾(陶製)も、
落ちて粉々に割れてしまいました。
(瓦や龍頭に関していえば、火災で燃えたというよりは
焼け落ちて割れたという被害)

割れてしまったそれらも全て回収して
次の何かに活かせる予定とのこと。

 

作業員さんの言葉が印象的でした。

 

「私たちは、割れてしまったこれらを瓦礫とは言わない」

 

 

左右両端の赤丸部分に
龍頭棟飾のひげが見えます。

真ん中の丸が大龍柱。

左側のブルーシートのあるところが
世界遺産でもある遺構部分。

 

↓2本の大龍柱。

 

 

さて、ここで
ボランティア参加者の特典を
書かせていただきます。

もうお気づきのように、

 

① 
現在、一般立ち入り禁止である「現場」に入れる


現場や遺物を間近に見れる


作業員さんなどから話が聞ける
(ほかにも色々聞いたり、見たりしたけど
ブログに載せたのは一部です)


通常通れない淑順門を通れる


参加証がもらえる

 

の5つです。

 

 

淑順門、これね!

完成した時からずっと見てるけど
ずっと行き来できない門だったから
実際にここを通るのはワタシも初めてでした。

 

 

淑順門の裏!

ひそかにテンション上がったよねー。
(…ワタシだけ?)

 

赤瓦漆喰はがしボランティアは
4月26日まで実施されます。

4月実施分の申し込みは
明日3月30日11:00から、
専用サイトの応募フォームから受付開始になります。

 

一人でも多くの人が(特に県民が)
参加してくれたらな、と思います。

 

詳細、申し込みは☟

首里城赤瓦の漆喰はがしボランティアについて

 

 

 

「え~?
でも15歳未満は参加できないじゃない?

子どもと参加したかったけど、
うちは子どもが小さいし無理だわ…」

 

と言うそこの奥さま!旦那さま!

 

ちょーっと待った―――!!

 

 

 

見学会もございます。

 

実際に作業はできないけれど、
この現場に入って、
同じ景色を見て、
作業員さんの説明も聞けます!

もちろん、
子ども連れだけじゃなくて
大人の方だけでも見学OK!

 

現地を見るだけでも十分価値がありますよ。

 

当日、現地受付先着15名限定になります。

 

詳しくは☟

首里城赤瓦漆喰はがしボランティア見学会 開催

 

なお、気になる駐車場についてですが、
首里城駐車場を利用できます。
(ボランティア参加者優先というわけではありませんが、
時世柄、駐車場、余裕ありです…)

料金は定額320円です☆


キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(12)『初謁見』

2020年03月27日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

うちの尚巴志さまは

猫がお好き。

 

 

再掲載。


首里城赤瓦の漆喰はがしボランティア

2020年03月25日 | ・琉球歴史/文化風景

 

首里城再建に向けて、
市民参加型の取り組みとして、
赤瓦の漆喰はがしのボランティアを募集しています。

これは破損を免れた赤瓦を
今後様々な形で再利用すべく
漆喰をはがしてきれいな状態にする活動です。

3月1日から実施の予定でしたが
コロナの影響で延期になり、
今週からやっと始まりました。


実施期間は当初の予定を延長して
4月26日までです。

 

3月実施分
全日、定員に達しているため
現在申し込みはできません。

 

4月1日~4月3日実施分
申し込みの電話先行予約を
明日26日(木)から受け付けるようです。

 

4月4日以降の実施分
3月30日(月)以降に専用応募フォームからの受付になります。

 

詳細、申し込みは☟

首里城赤瓦の漆喰はがしボランティアについて

をご覧ください。

 

 

+ + +

 

 
撤去工事が始まった頃の首里城
(2月中旬撮影)

 


キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ/SEASON2キャラクター紹介その①

2020年03月22日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ、
SEASON1察度編はひとまず終わりとして、
SEASON2尚巴志・三山編に入ります。

まずはキャラクター紹介その1。

この3名からスタートです。

 

 

時代区分的にはこう。

尚巴志・三山編はあと3名のキャラがでてきますが
出番はもう少し後になりそうなので
キャラクター紹介その2は
間近になったらやろうと思います。

それでは、尚巴志・三山編も
よろしくお願いします♪

 

 


 

「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい


琉球王家は、アノ香り…!?

2020年03月19日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

去った日曜日まで県博で開催されていた
「手わざ」展。
みなさま、見に行きましたか?

私は会期の最初の頃と、最後らへんと、
2度行って楽しみました♪

 

↑は、手わざ展で展示されていたものの中の一つ
「丁子風呂(ちょうじぶろ)」

丁子とは植物の名前で、
クローブとも言います。

香辛料として料理にも使われるので
聞いたことがある人もいるはず。


丁子は香辛料以外にも、
香料としても用いられていました。

丁子風呂は、
丁子の香りを出すための香炉、
つまりアロマポットのこと。

 

ワタシ、丁子風呂って最初に聞いた時、
菖蒲湯みたいに、丁子を浮かべた湯舟をイメージしてたよ(^^;)

同じ発想した人、ほかにもきっといるよね…?

 

 

東南アジア産の丁子は
貿易でしか手に入らない貴重なもの。

吉祥文様として王族の紅型にも描かれました。
(こちらも「手わざ」展より黄色地鳳凰蝙蝠宝尽青海波立波文様紅型袷衣装)

 

 

貴重で、日常にはない特別な香りは、
特異性や神霊性を演出し、
人々の感覚や嗅覚記憶に印象付けることができるため、

特別な空間、聖なる空間を演出したり、
着物に焚きしめたりもしていたのかもしれません。

参/『沖縄県史図説編』『ウチナー紀聞( 丁子風呂)』

 


もちろん、そんな貴重な丁子を使えたのは
王族や、神事を司る高級ノロたちだけだったことでしょう。

 

国王に、王妃に、聞得大君、王子や王女たち …

 

琉球王家がまとった特別な香り……
いったいどんな香りなのか、気になりますよね。

 


 

展示会では、丁子を実際に嗅げるコーナーも!

 

お!どれどれ?

 

くんくん…

 

…ん?

 

この独特な香り……
どこかで嗅いだような…?

 

 

もう一回…

 

 

くんくんくん…

 

 

…もう一回……

 

 

くんくんくん……

 

 

 

 

…あれ…
もしかしてこの香りって……

 

 

 

 

 

これか…?

 

 

 

 

 

 

正露丸。

 

そのものというより、
正露丸を少し薄くしたような感じ…

 

もしかして正露丸の成分に丁子が入っている?
と思って調べてみたけど、
そういうわけではないみたい。

 

 

正露丸の香りというのは
あくまで個人の感想ですが、

「丁子は正露丸のにおい」

って感じる人は一定数いるみたいです。

 

丁子は
香辛料、
香料、
そしてもう一つ、
生薬としても用いられていました。

生薬としての使用例の一つが「歯痛」。

正露丸も歯に詰めて歯痛止としての効用があり、
正露丸と丁子は成分的には共通点があるのかもしれません。

 

実際、丁子は歯医者さんの匂いって表現する人もいますね。
歯科治療薬には正露丸の主成分・クレオソートが使われているんだって。

ほら、やっぱり「正露丸」だ!

 

 
というわけで、
皆さんに分かりやすく伝わるように

琉球王家の香りは正露丸(っぽい?)

…としておきます。


キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(11)『羽衣伝説~察度の母~』

2020年03月15日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

前回に引き続き、
「羽衣伝説」をお送りました。

羽衣伝説は組踊『銘苅子』の題材にもなっています。
2コマ目の子守歌は、
実際に『銘苅子』で謡われているいるものを
ベースにしました。

実際の曲→(子持節

 

キラキラ本では察度と泰期は
異母兄弟という設定にしています。
(本当は弟・泰期は進貢使としての
名目上のものだとは思っているのだけれど)

 


 

 

 

ところで、
琉球史を振り返ると
ちょいちょい「天女」の存在が散見されます。

そのことから、
天女の正体は王女、もしくは身分の高い女性なのではないか
という解釈もあります。

『琉球歴史夜話』源武雄著
『新琉球王統史2』与並岳生著  他


『琉球の伝説集』(石川文一著)では
神人という解釈をされています。

この本での羽衣伝説は少し小説仕立てになっていて
特に奥間大親の生々しい人間っぷりが描き出されていて、
なかなか…、なかなかです(笑)

 

 

 

察度の反抗期についてですが、
これ、ちゃんと正史に記述があるんです。

『中山世鑑』(諸見友重訳注)によると、

男の子(察度)はようやく成長したが、
畑仕事もせず朝な夕な魚釣りや猟に遊び惚けていた。

父(奥間大親)も腹を立て時々たしなめたが、
教えに従うことなもなく、
ただいたずらに方々を遊び歩く親不孝者であった

 

 

『中山世譜(蔡鐸本)』(原田禹雄訳注)では、


息子(察度)は大きくなっても農業に従事せず、
漁猟を好んで毎日あちこちで遊んで暮らし、
父の言うことなどきかなかった。
大親は、大層心配していた。

 

です。

『球陽』も『中山世譜』と同じ感じ。

 

察度、どんだけ😂

 

察度の人間臭さが表れていて
ワタシ的に外せない察度像です♡

 

 


なお、"煙草を吸ってる察度”は演出です(笑)
この時代にはまだ琉球に煙草はありません。
煙草は尚寧王(16世紀末ごろ)に
琉球に入ってきたといわれています。
尚寧が住んでいた浦添グスクからは
様々なキセルが出土しています。

 

 


 

「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい


奥間鍛冶屋の正体

2020年03月14日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

昨日、キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ
で奥間大親について触れたので
、関連して、
ずっと下書きのまま、"うっちゃん投ぎてた"記事を
アップしますね。

国頭村奥間にある、
アガリカンジャー。

ここには3つの見どころがあります。

1つは奥間鍛冶屋の拝所

1つはかぎやで風節の碑

そしてもう一つ。

 

かぎやで風節の碑の右にある碑。

 

見出しは、
「奥間鍛冶屋発祥の地」

 


↑クリックで拡大

 

書いてあることをザっと要約すると、

 

ここ、奥間で生まれた男は、
後に浦添間切謝名村に居住し、
察度や泰期を生んだ。

つまり、この男は、
察度の父ちゃん、
奥間大親その人だった(!!)

 

やがて察度は中山王となり、
異母弟である泰期や金満按司は進貢使として
琉球と明を行き来する。

明から鉄加工の技術を身に着けた二人は
父(奥間大親)の故郷である奥間に戻り、
鍛冶屋となった。

 

これが沖縄の鍛冶屋の祖と言われる所以だ。

そして、泰期、金満按司が奥間鍛冶屋の祖である。

 

 

というもの。
子孫の座安家に伝わる伝承のようです。

 

奥間大親の「奥間」は
まさに国頭村の「奥間」ということになります。

浦添・宜野湾と、国頭村の奥間がつながるとは
ちょっと意外ですね。

(なお、浦添間切には現在の宜野湾も入っていました)

 

泰期が鍛冶屋の始祖だった
というのも、他ではあまり聞かない伝承です。
(※本によっては泰期はなく、金満だけの記述だったり、
「泰期金満」で一人の人物だったりしています)

 

参/
沖縄拝所巡り300(比嘉朝進著)
くんじゃん徒歩ナビ国頭村奥間区編(国頭村)

 

 

また、
「カニマン(金満(万))」という名も各地に色々見られるのですが、
それが銭を指すのか、金属(鉄)を指すのかなども
諸説あるようです。

 

そして、彼らの子孫が、
あの金丸と繋がっていくのです

 

ふっしぎ~☆

 

 

 

それにしても、
察度・泰期時代、
14世紀の鍛冶場か……

と言ったら
宜野座村の「漢那ウェーヌアタイ遺跡」が
思い出されますねぇ。

こっちからは実際に鍛冶遺物が出土しているようですが、
この奥間鍛冶屋周辺はどうなんでしょう。

気になるところです。