がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

オギヤカの一生

2014年10月27日 | ・琉球史散策/第二尚氏

昨日、幹部(笑)来沖に伴い、
内々で第4回琉球歴女の会を行いました。

となると、毎度のことながら話題はオギヤカさん。

そこでオギヤカさんの生きた時代を
年齢ごとに追ってみることになりました。

 

 

1445年 生まれる

1453年 志魯・布里の乱(8歳)

1458年 護佐丸・阿麻和利の乱(13歳)

1459年 金丸、御物城御鎖之側任命(14歳)

1460年 尚泰久、没(15歳)

1461年 尚徳、即位(16歳)

1465年 尚真を生む※(20歳)

1466年 尚徳、喜界島征服(21歳)

1468年 金丸、内間に隠居(23歳)

1469年 尚徳没(24歳)

1470年 金丸改め尚円、即位(25歳)

1476年 尚円没(31歳)

1477年 尚宣威即位式+尚真即位(32歳)

1480年 尚真、居仁と結婚(35歳)

1494年 尚真と居仁(正妃)の子、尚維衝誕生(49歳)

1497年 尚真と華后(側室)の子、尚清誕生(52歳)

1500年 オヤケアカハチの乱(55歳)

1501年 玉陵建設(56歳)

1505年 没(60歳)

 

 

20歳の時に尚徳を生んでいるということは、
オギヤカと金丸の結婚は
その1年前か、2年前か、
とりあえず数年前ということになりますね。

 

個人的なポイントとしては、

金丸がまだ第一尚氏高官の、
尚徳王とバチバチしている時に結婚&尚真出産、

その後、金丸が隠居して内間村で細々と暮らしている時も
幼子尚真もつれて(場合によっては月清らも出産してて)
金丸について行っていただろう、

ということです。

これまでのオギヤカイメージだと、
「田舎暮らしは嫌!私は首里にとどまるわ!」
と言って別居してた可能性も無きにしも非ずですが…

でも金丸が引退&隠居となると、
離縁しないで完全別居とは考えにくいような?

 

生い立ちなどその人となりは
謎の多いオギヤカですが、

当時の世の中の動きを
年齢ごとに追っていくと
またオギヤカのイメージが変わってきませんか?

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 優美な装飾石垣 | トップ | 久高島パノラマ »