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がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

11月の連休は現代版組踊へ♪

2015年07月25日 | ・肝高の阿麻和利レポ

 


TAO Factoryのサイトから画像お借りしました 

 

お!!これは嬉しい情報!!

肝高の阿麻和利+百十MOMOTO連続公演!

11月の連休は久々の現代版組踊はしごになりそう

くわしくはTAO FactoryのHPへ。

 

AMAMIKIYO、また再演してくれないかなー。


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御後絵の龍

2015年07月24日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

首里城のシンボルでもある龍。

でも琉球の龍は指が4本。

それは中国皇帝を表す龍が指5本なので
遠慮して指を減らした…
というのはもうお馴染みの話。

そのエピソードを知った時から
なにかと龍の指に目がいくようになり
ちょこちょことブログにも書いてきましたが

ここでひとつ、まとめてみましょう。

龍と言っても建築物の装飾、
漆器などの工芸品から絵画まで色々ありますので
今回は琉球国王を描いた御後絵をピックアップ!

御後絵に描かれた龍は
はたして何本指なのか…!?

 

 

尚円王 … 4本(背景のカーテン)

尚真王 … 4本(背景のカーテン)

尚元王 … 3本(背景のカーテン)

尚寧王 … 3本(背景のカーテン)

尚豊王 … 4本(背景のカーテン)

 

尚貞王 … 4本(服)(背景のカーテン)

尚敬王 … 4本(背景のカーテン)(背景の扇)・5本(服)

尚穆王 … 4本(背景のカーテン)(背景の扇)・5本(服)

尚灝王 … 4本(背景のカーテン)(背景の扇)・5本(服)

尚育王 … 4本(背景のカーテン)(背景の扇)・5本(服)

 

 

以上が現在確認できる御後絵10点です。

尚貞王で一度区切ったのにはわけがあります。

尚貞の代から、
清国が冊封を行っています。

明国時代の冊封では直接皮弁服をもらっていましたが
清国の時代になると反物をもらい、
それを琉球で服に仕立てていました。

中国で作られた反物だから
5本指の龍の刺繍、ということなのでしょうか。

 

服を自分たちで作るようになった琉球は
時代を追うごとにどんどんエスカレート(笑)

清代最初の尚貞はまだちょっとおとなしいけど、
以後、どんどん派手になっていってます。

皮弁冠も作っちゃってるしね。
五本指の龍(簪)で。

 


清代は琉球の龍の指の数とかそういう形式的なものは
どーでもよかったりしたのかな?

好きにすればー?( ̄д ̄)

状態?(笑)

 

首里城には10点の御後絵が並べて飾られているので
時代を追って変化を見比べることができるので
面白いですよ。

 

個人的には尚元、尚寧だけに出てくる
3本指のほうが気になる(笑)

なんでここだけ?

 

トップ写真は尚灝王。


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琉球史的オモシロ看板

2015年07月21日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

琉球史的オモシロ看板。

とある場所でみかけました。

「怕尼芝」って…あの「怕尼芝」?

どう考えても、あの怕尼芝(ハニシ)だよな??

 

 

琉球が統一される前、
北山にも政権交代が起こっているのですが、
中昔北山時代の"今帰仁世の主"を倒して
新しく北山王の座に就いたのがこの怕尼芝。

怕尼芝から始まった王統が
北山の最後の王統であり、
怕尼芝の次の次の北山王が、
尚巴志に滅ぼされたあの攀安知です。

つまり攀安知のじいちゃんが怕尼芝。

怕尼芝の孫が攀安知ってことですね。

 

ちなみに、
この怕尼芝が倒した"今帰仁世の主"は
あの「千代松(丘春)の子」、
そして隠居していた「千代松(丘春)」、
とも言われています。

打たれた千代松たちの血筋は
護佐丸や大城賢雄につながるということに。

 

くわしくは過去記事に→    

 現代版組踊「北山の風」、久しぶりに見に行きたいなー。

 

また、怕尼芝は北山として初めて進貢した人で
中国の歴史書に初めて名前が記された北山王となります。

 

…と、まー、
怕尼芝は琉球戦国時代を愉しむ上で欠かせない
北山エリアのキーパーソンなんですけど、
護佐丸や阿麻和利とは違って知ってる人は極小だと思うんだけど…、
なぜそれを会社名に?(^^;)

経営者が怕尼芝の子孫なんだろうか?

 

 

ということで、気になる怕尼芝看板でした。

 

 

なお、ハニシの漢字表記は
尼芝だったり尼芝だったりしてます。


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沖縄トヨタ×琉球偉人【尚巴志×オヤケアカハチ/対面編】

2015年07月19日 | ・沖縄トヨタ×琉球偉人

実はもう数か月前にもらっていたデータなのですが、
色々と確認で手間取ってるうちに時は流れ…

昨日、久しぶりに担当者に会って
直接確認取れましたのでUPいたします。

 

もう実際にオンエアされてるようなのですが、
見られた方はいますか?

ワタシはまだ見れてないです(^^;

 

前回は時空を超えてやってきたオヤケアカハチが
尚巴志と出会うシーンでした。

その続編、です。

 

沖縄トヨタ×琉球偉人【尚巴志+オヤケアカハチ/対面編】

 

アルベルトさんの「マ」の発音が
スパニッシュなのはペルー出身だから。

BGMの歌もアルベルト(DIAMANTES)さん。

八重山は沖縄島とはまた違った文化圏だったということもあるし、
異文化感が出てるかも?(笑)
(八重山がスパニッシュという意味ではない)

 

第3弾もありますが、
こちらはオンエアがまだなのでまだ内緒。

お楽しみにー。

 

過去の沖縄トヨタ×琉球偉人のCM集はこちらから

 

いまだにこの下地勇さんの尚巴志には
尚泰久って言ってしまう。


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summer vacation!

2015年07月18日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

今日から夏休み、というところが多いのでしょうか。

学生諸君、夏休みおめでとうございます。

やりたいことも、やるべきこともしっかりこなして、
有意義な夏休みをお過ごしください。

 

 

夏生まれのワタシは夏が好き!!

今年もぱぁ~っと旅行にでも行きたいのですが、
今年は諸々の事情で断念(-_-;)

飛行機に乗った旅行ではなくても、
せめて県内一泊プチ旅行でも行きたいものですが…。

 

 

なので、先日、ちょっとフライングで
やんばるに川遊びに行ってきました。

川遊びは10年ぶり!?くらいでしたが、
海と違ってしょっぱくないし、日陰はあるし、水は冷たいしで
とっても良かったです。

なにより、水の透明度に感動

この日はちょっと曇り空で
ずっと水に浸かってると少し寒いくらいだったので
この夏、もう1回は行きたいなーともくろんでます(´m`)

 

 

皆さんも、
水の事故には気を付けて、
夏を楽しみましょう

 


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八重山の象形文字

2015年07月12日 | ・琉球史散策/第二尚氏

カイダ字(カイダー字・カイダディ)という言葉を
聞いたことありますか?

沖縄にあった象形文字のことです。

与那国で発達した文字で、
八重山地域全般で近代まで使用されていました。

個人的な備忘記録に使われることもあったようですが
主に納税告知書などの公の書類(→板札)に
このカイダ字が使われていたようで、
庶民が読み書きができなかった事を物語っています。

その成り立ちは
首里王府への朝貢、人頭税(1637~1903)との関係があるようです。

一説には、

17世紀ごろに納税制度に伴って導入されたが、
まだ個人差や地域差があるなど完全ではなかった。

19世紀前半になって、
役人による不正行為(中間搾取など)を防ぐため、
大浜親雲上正喜が完全な象形文字を創作して徴収制度を整えた

とあります。

 

参「与那国島のカイダー字をめぐる一考察」(萩尾俊章/2009)

 

 

では、実際にはどのような文字だったのでしょうか。

たとえばこんな感じ。

左から、

一俵、一斗、一舛、一合、一勺

という具合。

物を計る単位ですね。

 

 

では「物」はどのような形なのでしょう。

「油」

ふむふむ。

ひしゃくの形だからかな。
水とか酢とか醤油とか酒じゃなくて
油っていうのがちょっと意外。

 

これは「酒」。

うーん?
なんでこの形なんだろ?

ちなみにこの形の上真ん中に
「↓」を加えると「醤油」になります。

 

「藁縄」

これもちょっと由来不明。

 

 

これは鶏。

左が雌鶏で、右が雄鶏。

しっぽの大きさが違う。

雄鶏にはトサカをつけると
もっと区別しやすいかも。

 

この形、個人的には結構ツボなんですけど。

「葱」です。

根っこまで表現してます。

なんかそのままキャラクターにできそう。
ピクミンみたいな(笑)

 

 

では、ここからはクイズです!

カイダ字にチャレンジ!
※はヒントです

 

【1】

※見たまんまです。

 

 

【2】

※下の線が二重線になってるのもポイント
鳥居ではありません。

 

 

【3】

※動物です。よく特徴をとらえてます

 

【4】

※穀物です。
沖縄といえばこれ、みたいな。

 

(答えは最後に)

 

 *

 

 他にもいろいろなカイダ字があって
一つ一つ見てみると面白いですよ。

なお、地域(時代?)によって
微妙に形が変化しているものもあり、
今回紹介したものは
石垣の南嶋資料館にあった
「竹富島の象形文字(カイダジ)」を参照しました。

(単位のやつは別資料をみましたが…たぶん、単位はそう変わらないはず)

 

 

*答え*

1 卵

2 家

3 豚

4 芋


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【続】またまた、金丸の落とし子

2015年07月10日 | ・琉球史散策/第二尚氏

前記事の続き)

 

北谷ノロ真加登金が金丸との契りを隠し、
密かに生んだのは一人の男の子。

彼女は赤ん坊を山内村の大名神宮裏の林にいったん置き、
周りには捨て子を拾ったかのように言って
自分で養育した。

"父母不詳の不遇の子"は
大良金(うふらがに)と名付けられた。

 

大良金が7つの時、母である真加登金の願いにより
越来間切の大湾按司に引き取られ、
すくすくと成長。

成長した大良金は大工仕事に力を発揮し
首里王府のお抱え大工に。

さらにその功をたたえられ士族に列せられた。

 

その後、明国に留学し学問を修め帰国すると
なんと三司官に大出世!!

尚真、尚清時代に三司官として大活躍した彼は
"故郷"である山内村の拝領を願い、
山内村に永住することとなった。

 

 

童名・大良金、唐名・楊太鶴(ようたいかく)、
和名を山内昌信(しょうしん)と言う。

彼は山内の始祖として、
また山内大明神として祀られている

とさ。

 

参「おきなわ 村の伝説」(青山洋二著/那覇出版社・1988)

 

 

お宮の中には
「山内大明神」と書かれた石碑。

修復されていてきれいです。

子孫の方々や地域の人に大事にされているのがわかります。

 

 

お宮の右側には、
中山への結び(通じ)となる「ウタキ」

 


左側には、
移設された火の神。

 

 

この史跡は知っていたけど、
まさか祀られている人が金丸の子(伝)だとは知らなかったなー。

金丸の落とし子伝説、
もっと調べてみたら
もっと出てきそう…(笑)

 

台風9号暴風域中ー。


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またまた、金丸の落とし子

2015年07月09日 | ・琉球史散策/第一尚氏

今年は金丸生誕600年!

記念の催しが色々行われていますね。

 

さて、金丸の落とし子(庶子・私生児)の伝えは
各地にたくさんあります。

イケメン色男で有名な金丸なので、
実際にそうだったということもあるでしょうが、

伝・金丸の落とし子たちが
けっこー偉人扱いになってるあたり
偉人特有の異常出生秘話というか、
"金丸という偉大な人の血を引いているが故だった"
という飾りもあるのでしょう。

身分ある人が出生不明ではカッコつかないというのもあるのかな。
昔は血筋や出生が重要な時代だっただろうし。

だからこそ「伝承・伝説」であり、
真実はどうなのかは
確かめようもないんですけどね。

 

でもまぁ、本当に多いこと、多いこと。

本当に金丸の子かどうかはさて置き、
そういう扱いをされている伝承が多々あること自体
金丸という人物像を垣間見れますね。

 

 

金丸がまだ一家臣だった頃、
中城の久場に視察に訪れた際、
北谷ノロ真加登金(まかとがね)と一夜を過ごしました。

またノロさんですよ。

やっぱり、王や按司など身分の高い人と
地域のノロが結ばれる率は高い気がします。

 

もちろん、それは一夜限りの関係。

二人が正式に結ばれることはなかったのですが、
後々、子を宿していることに気づいた真加登金は
ノロという立場もあり、人目を避け、
一人でひっそりと男児を生みます。

 

(つづく)

 


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辺戸の神アサギ

2015年07月08日 | ・琉球歴史/文化風景

 

毎年、年始の行事に使われるために
辺戸の大川から首里城まで運ばれていた
首里城お水取り。

大川へ降りる手前には
神屋と神アサギがあります。

 

 

首里城お水取りの再現儀式、
ワタシはまだ実際に見たことはないのですが、
参加された方の動画などを見ると
この神アサギ全体がクバの葉でおおわれていました。

柱代わりの塩化ビニールパイプ(?)も
この時ばかりは神々しい姿に。

供物をささげ、祈願し、舞を舞います。

 

 

神アサギから振り返ると
安須森御嶽がドーン!

すごい迫力です。

(広角レンズ撮影なので遠くに見えますが、実際にはもっと間近に迫って見えます)

 

 

そして、安須森御嶽のふもとにある辺戸集落。

ホント、断崖絶壁だよなぁ。

よく登ったもんだ。。。

 

 

大川へのアクセスは、
電柱の手書き案内頼り。

公式な案内板などはありません。
大川への道中、蛇に2匹遭遇したのでお気をつけて

 


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心と体を整えよう月間

2015年07月06日 | ・徒然日記

 

ブログをお休みしていた6月は
「心と体を整えよう月間」
でした。

新しく始めたこと、
これまでよりも意識したこと、
ちょっとだけ変えたこと、
色々ありました。

Instagramでその都度UPしていたのですが、
せっかくなのでここでもご紹介。

 

 

まずは食べること。

年度末・年度初めの忙しさにかまけて
かなりてーげーになっていた食生活に喝!

なるべく自炊を心掛けました。

↑はぶつ切りオクラとタケノコと豚肉炒め丼。

オクラ、今が旬ですね。

いろんな調理法で楽しもうと思っています。

細かく切ってお味噌汁に入れるのもいいよ♪

 

 

それから2月に注文していた品が
やっと届きました!


京都・金網つじの手付きセラミック付焼き網。

 

 

コンロで使う焼き網。

パンもこれで焼くと
中はふんわり、外はかりっ!

深津絵里さんが出てる超熟のCMでパンを焼いてるのがこの網)

 

 

安物のアンパンもこれで温めるだけで
ワンランク上の味に★

金網の焼き目もいい感じ♪

パンはめったに食べない私ですが、
この焼き網のおかげで今はパン食も楽しんでいます。

 

 

そして無印良品のジューサーミキサーもお迎えして…

 

 

自家製スムージー生活。

 

 

食材は時間のある時に
まとめて切って、ZIPして、冷凍庫へ。

小松菜やホウレンソウ、水菜などの葉野菜も
冷凍しちゃって大丈夫。

凍った食材でスムージーを作ると、
シャーベットのようになり、
今の時期にぴったりです。

ほぼ毎朝、作ってます。

 

 

スムージーだけじゃなくて
ポタージュも。

かぼちゃ、ジャガイモ、ニンジンなどを
豆乳とまぜて。

冷製ポタージュもいいですよ。

 

 

食べたら、運動も(笑)

今流行りの「ワンダーコアスマート」で
腹筋運動。

座面のロゴがかわいくなかったので
SOU・SOUの座布団を常時スタンバイ。

腹筋、まともに1回もできないワタシですが、
これを使えばできます(笑)

1日50回~100回。

時々忘れるけど、なんとかやってます。

そろそろ腹筋以外の運動も入れたいところ。

 

 

リラックスするためのものにお金をかけよう!
ということで、ソファーを新調しました。

ホントは買い替えるにはまだ早かったんだけど
自分を甘やかすために(笑)
思い切って買いました。

「人をダメにしかけるソファー」
と呼んでます。

これまでのソファーは頭がもたれられなかったり、
足を延ばして寝れないサイズだったり、
座ったときの感触がちょっと硬かったりで、
それを全部クリアできる品を探してました。

オプションで付けたヘッドレストのおかげで
頭までしっかりもたれられます。

柔らかさもダウンフェザーなので
ぼふっと座った時に、
全身を程よく沈み込んで包まれているような感じ。
おかげですごく気持ちいい。

今はソファーカバーやクッションカバーもお迎えして
ソファータイムを楽しんでいます。

 

 

毎年恒例のDRUM TAOの公演も
もちろん行きました!

今回は宮本亜門さんが演出しており、
これまでとは違って
物語性のある構成になっていて新鮮でした。

舞台セットはシンプルだったけどね。

↑は公演に履いていったSOU・SOUの地下足袋。
奇しくもTAOメンバーさんも同じ柄の地下足袋でした

来年も行くぞー。

 

 

 

パソコンも結局新調することになり、
デスクトップに。

画面が今までよりも2倍近く大きくなりました。

デスクトップ画面はSOU・SOU柄。
ワタシんちのインテリアは
SOU・SOUと無印良品とニトリでできている(笑)

でもこれまで使ってたphotoshopが
この最新のOSと相性が悪いようで
スムーズに動かず…

どうやらこっちのほうも
いい加減新調しないといけなさそうです。

まぁ、古すぎるバージョンだったので
そのうち買い替えようとは思っていたけど…
ああ、出費がかさむ~

(今は1か月限定の体験版で対応してます)

 

 

 

他にもスキンケアとか、
家の収納見直し&掃除とか、
今までよりもじっくり時間をかけて
自分自身や生活と向かうことができました。

おかげで出費もかさんだけど…

 

もちろんそれも続けていきながら、
うまくバランスをとって

琉球史やブログもこれまで通り
楽しみたいなと思います

 

 

あっ、現代版御後絵:尚巴志
南城市の広報誌6月号の表紙に使われました

現代版御後絵:尚巴志は
フリー素材なのでどうぞご自由に~。

 


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首里城から100kmの水

2015年07月05日 | ・琉球歴史/文化風景


安須森御嶽のふもとにある、
辺戸の大川(アフリ川)。

この川は由緒ある特別な川で
王国時代、ここで毎年
首里城に献上されるお水が汲まれ、
首里城の年始の儀式で使われていました。

現在、「首里城お水取り行事」として
再現儀式が行われています。

私はまだ生で見たことないな…

 

 

琉球七嶽のひとつであり、
琉球開闢の第一の場所である
辺戸岳(安須森御嶽エリア)から染み出て流れている
パワーある水、ということなのですね。

 

 

今でもしっかり水が流れています。

川の水は透明度も高く、
ひやっとしていました。

 

 

前回の儀式で使われていたクバの葉の敷物が
まだ残っていました。

ここにノロさんたちが座って
お水取りの儀式を執り行っていたそうです。

 

 

本島最北端である辺戸から首里まで
約100km。

当時の苦労がしのばれますが
それほど価値のある特別な水、
ということだったんですね。

 

同じく琉球七嶽のひとつである
藪薩の浦原受水走水の水じゃダメだったのかな(^^;)

神聖な水スポットって色々あると思いますが、
場所によってパワーの意味合いや役割が
違ったりするのかもしれませんねー。


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7月になりました

2015年07月01日 | ・徒然日記

 

7月になりました。

長らくお休みをしていたブログですが、
そろそろ再開しようかな、と思います。

おかげさまで体調も良くなりました。
メールくださった皆様、ありがとうございました。

とはいえ、ただいま表のほうが立て込んでいるので
更新はぼちぼち…という感じになると思いますが、
また「がじゅまるの樹の下で。」を
よろしくお願いします

 

そういえば6月は史跡巡りとかもしてなかったな…。

でもある骨董市で
「沖縄大百科事典」(定価55000円/絶版)を
破格の値段でゲットできたのが6月のハイライト☆

一緒に「琉球史辞典」も購入。
実は沖縄大百科事典よりこっちのほうが高かった…(^^;)


 


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