がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

かっちんカナーで見た、百十踏揚の人間味

2018年11月30日 | ・現代版組踊レポ

 

かっちんカナー

2018年11月23日(金・祝)

きむたかホール

 

 

現代版組踊かっちんカナーとしては
去年に引き続き、2年目の舞台。
(去年レビュー→

去年と同様、
肝高の阿麻和利中学生メンバーで演じられました。

 

昼公演はロビーのテレビで通しで見て、
夜公演を中で観劇しました。

 

今回は舞台全体のレビューと言うよりは
百十踏揚こと百十姫について感じたこと、考えたことが多々あったので
それをメインに書(描)いてみます。

 

 

まず、
昼公演の時に声を聞いて、
「ああ、あの子か!」と。

 

舞台って、テレビと違って顔をアップで見ることもないし
舞台化粧も特殊だし、
私は身内ではないので
顔と名前が一致する子はほぼいないんだけど、

顔を覚えてなくても(見えなくても)、
名前を憶えてなくても、
声や演技を覚えている演者さんっていうのはいますね。

彼女はその中の一人でした。

声に特徴あります。
声色だけじゃなくて、しゃべり方というか、
テンションというか、そういうのも含めての声。

そういう特徴って、
(テレビのように)顔が見えない舞台では特に武器になると思う!

是非磨いていってほしいです。

 

彼女の百十は、去年にも増してハチャメチャ元気いっぱい。

喜怒哀楽がはっきりしてて
表情がコロコロ変わって
例えるならば、アニメ(マンガ)のよう。

マンガ表現しやすい感じ、
と言えばいいのかな?

そのままアニメのキャラにいそう、
と言えばいいのかな?

かっちんカナーはコメディなのだから
そのキャラ表現が上手い具合にマッチしていたと思う。

 

 

キャラクタータイプとしては

無邪気系小悪魔ちゃん

かな★

(計算して駆け引きする小悪魔ではなく
無邪気な素の行いが小悪魔ちゃん的)

 

自分に好意を持ってくれている人を
知っててちゃんと甘えているというか
いじってるというか(笑)

賢雄とか護佐丸とか尚泰久とかね。

 

「うふふっ♡」

を武器に、周りを弄ぶ(!?)最強モモちゃん。

 

護佐丸に指切りみたいに小指絡ませて(たよね?)
「(おじいさまは)お留守番ね♡」
は、かわいすぎだろー!
台詞はともかく、この仕草(小指)はずるいっ!

 

対して、金丸はそれほど自分を特別視してくれないから
ツンツンな態度っていうか、むしろ敵視?的なね。

 

 

ふと、

「そっか、人間臭いんだ」

って思った。

 

偉人を雲の上の存在にしないためにも、人間臭さを!
ということは何度もブログでも書いてるし
ワタシが人物を捉える時に
特に意識していることもでもあるのですが、

得てして百十踏揚は完璧な「THE★悲劇の王女」であることが多く、
なかなか彼女の人間臭さ・人間味って捉えがたいなと思っていたのです。
(だからキャラクター図鑑でのワタシの百十踏揚は小悪魔キャラにしている)

なるほど、
百十踏揚の人間臭さ・人間味はこういう所にあるのかも、
と思ったりもしました。

 

その百十踏揚との関係性で
賢雄もカナーもマンガっぽくてコミカルでした。

こんな感じ↓

 

『よくわかるかっちんカナー関係図』笑

二面性ももちゃん、
気弱なカナー、
振り回される賢雄、

…みたいな。

 

年齢はどれくらいの設定なんだろうね?

個人的には10~12歳くらいかな?と思ったんだけど
どうかな?

 

 

+ + +

 

【蛇足】

肝高の阿麻和利での百十踏揚とのキャラギャップについては
成長するにつれ、
王女となり王女として扱われるにつれ、
次第に変わっていったというのももちろんあると思うんだけど。
(百十踏揚だけじゃなくて賢雄もかな)


ある日『ガラスの仮面』の演目・たけくらべ(3巻)を見て思った。

たけくらべの主人公は美人で気前のいい姉御肌で
町の人気者の女の子。
密かな恋をするも素直になれぬまま実らず、つらく切ない経験をする。
そして彼女は、ある日突然いわゆる"元服"をし、少女時代に別れを告げる。

以来、人が変わったようにおとなしくなり、
それまで仲の良かった仲間たちとも遊ぶこともしなくなった。

ぐっと大人びた主人公がそこにいた。

というような流れなんだけど。


百十踏揚にも人がガラリと変わるほどの
思春期(恋模様)があったら面白いなーと思ったりしました。

百十踏揚が一転してに大人びて王女らしくなる、
そして賢雄が一気に身分差(現実)を突き付けられる、
そして二人の間に子供時代とは違う空気・距離ができる、

かっちんカナーと肝高の阿麻和利の間の頃の物語。


……を勝手に妄想 ( ˘ω˘ ).。oO



+ + +

 

 

前回、

最初にカナーを助けた団体は何?

と書いていたので注意して見てたんだけど、
ただの商船っぽい?

その後の海賊との戦いは
殺陣とかではなくペンライトのオタ芸風ダンスで。

(…これって前回もあったっけ?)

 

 

海賊団と山賊団はもっとはっちゃけられたらいいなー(^^)

まだちょっと、はっちゃけるのに照れとかがあるっぽいかな?
でもそれが中学生男子らしいではあるんですけれどね
(女子はそうでもないけど、中学男子はそういうお年頃よね)

でも中学男サンだけでも10人以上いるのは頼もしい。

 

あ、最後のテーマソングで指笛してた男サン!

ナイス指笛サポートでした!

それがあるのとないのとでは音の華やかさが変わりますからね!

指笛は武器です!

自信もってどんどんやっていってほしいと思います!

 

 

最後に、

大主様の脱帽姿はなかなかのレア姿でした★
(印象変わる~!)  


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金丸と安里大親の御打御嶽

2018年11月27日 | ・琉球歴史/文化風景

 

那覇新都心から安里に下る途中にある御嶽。

その名も

碁打の御嶽(碁打御嶽)

 

 

安里大親と金丸が
ここで碁を打ちながら
クーデターの計画をしていた…

という場所らしいです。

密談の場所が御嶽になるんですね。

 

確かにここは
安里大親のおうちとも近いです。


そして、
彼らが倒すことになる政敵・尚徳王が建てた
安里八幡宮とも近いという因果…。

 

 

ところで、この碁打御嶽。

数年前、大変なことになっていたのを
那覇まちま~いのブログで知りました。

御嶽に県警の立入禁止テープが…!

結局、事件の真相はなんだったんでしょう……。

気になります……。

尚徳の陵墓跡碑の破壊とも関係があったりして……?


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トヨタカローラ沖縄CM、新キャラ登場

2018年11月22日 | ・沖縄トヨタ×琉球偉人

沖縄TOYOTAグループ×琉球偉人CMシリーズ。

 

トヨタカローラ沖縄の新CMが始まっていますね。

 

カローラは女性(やパペット人形)を主人公にしていて、
これまでは百十踏揚でしたが、
今回は新キャラとして
あの女流歌人・恩納ナビーが登場!

 

トヨタカローラ沖縄CM 「かもはられな ナビーの唄 」篇

 

このCMに描かれたストーリーは、
ナビーが歌ったとされる次の琉歌を知っていると
より楽しめます。

 

恩納岳あがた 里が生まり島

森も押しのけて 此方なさな

 

〈意訳〉

愛しいあの人がいるのは恩納岳の向こう、

恩納岳が私たちが会うのを邪魔している。

森(恩納岳)を押しのけて

あの人をこちらに引き寄せたい。

 

 

遠距離恋愛で会いたいけど会えない恋心を
この山を押しのけて、
という、ダイナミックな表現に載せた
情熱的な歌です。

 

さあ、これを踏まえて、もう一度CMをご覧ください☆

 

 

 

 

…ねっ!?

 

 

 

 

+ + +

 

 

カロ―ラの最初の琉球偉人CMは
百十踏揚と阿麻和利、そして彼らの娘の3人が
家族仲睦まじく勝連グスクで戯れるCMでした→ 

今回のナビー編も
創作を交えつつ、偉人たちの幸せな姿を描いています。

 

ちなみに…
冒頭の車が林道を走っている空撮は
ホントに恩納岳らしいです!

 

キュンっ

 

ラストカットは万座毛。

ナビーと言えば万座毛は外せませんよね

 

さすが電通さん、
しっかりツボを押さえてございます

 

 

これまでの
沖縄TOYOTAグループ×琉球偉人のCMシリーズは
こちらにまとめています↓


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

護佐丸バス

2018年11月20日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

ある日、

中城村のコミュニティバス、
「護佐丸バス」を見かけました。

 

 

 

 

…ん?

 

 

 

……あれっ?

 

 

 

 

………あっ!!!

 

 

 

 

 

 

530!

 

そういえば昔、
護佐丸歴史資料図書館の学芸員さんに聞いた覚えがあるような…

 

護佐丸バスは数台あると思うんだけど、

他の車両はどうなんだろう。

最初のひらがなだけが違って
数字は全部530だったらウケる(笑)

 

今度、護佐丸バスを見かけたら
ナンバーチェックしてみようと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

2018年11月17日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

*お知らせです*

ツイッターにて
新シリーズを始めます。

題して、

です!

 

『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』
キャラクターを使ったスピンオフ四コママンガです。

本の<ゆんたくコラム>にも
少し四コママンガが収録されているのですが、
テイストはあんな感じです。

琉球史をマンガで紹介…というよりも、
本で描いた琉球史キャラクターたちが
自由にわちゃわちゃする
キャラマンガだと思ってください。

(もちろん琉球史のエッセンスが入ってくる時もあります)

 

 

これまでコツコツ描き溜めてきたものを
週に3~4のペースで公開していきたいと思います。

ただし、ツイッター内限定です。

基本的にブログでは掲載する予定は
今の所ありません。
(少なくとも1年間は)

 

よろしければフォローお願いします

 

 

@wawa_ryuq

 

 

 

イントロダクションマンガを
掲載しておきます。

 

 

ちなみに

(株)中山軍

は実在しません。

「北山(きたやまじゃなくて、ほくざん)」
「中山(なかやまじゃなくて、ちゅうざん)」
「南山(みなみやまじゃなくて、なんざん)」
を使ったものはあるけどね。
(病院は三山コンプリート。学校は北山のみかな?)

あと、人物名を使ったのは
居酒屋などの飲食店に多いです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎の坂本龍馬

2018年11月15日 | ・徒然日記

今日は坂本龍馬の誕生日で命日。

以前からこのブログを読んでくれている方は
覚えているかもしれませんが、
龍馬はワタシの(歴史上の)初恋の人。


これまで記事もたくさん書いてきているのですが、

ここ数年はこの記念日に記事を書いてなかったので
久々に龍馬記事をば。

 

数年前、
長崎に行った時に立ち寄ったこちら。

 

 

坂道が多いことで有名な長崎。

こちらも例にもれず、
坂道をえっちらおっちら。

冬でしたが、
天気が良かったこともあって
汗をかきました

 

たどり着いた先は……

 

 

念願の、
亀山社中。

龍馬が興した日本初の株式会社です。

龍馬巡りは京都や土佐ではやっていたのですが
長崎ではまだだったのでこれが初!

今は記念館になっています。

 

 

龍馬が持たれたという柱。
(こーゆー類のよくあるよね(笑))

スタッフのおじさんが
小道具(月琴)やポーズまで指定して
写真をとるように指示されました。

ちなみに男性客だとまた違う。
女性客はおりょうさんイメージなのか?

 

 

 

亀山社中のそばにある

龍馬のブーツ像。

…って、

ブーツ像でかっっ!!!

見下ろすのは長崎の街並み。

 

時がたち、家並みは違えど、
龍馬も見た同じ場所、同じ景色。

 

今日は龍馬が生まれて182年。
今日は龍馬が死んで151年。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【描いてみた】琉球史人物、を、32【キラ男子】

2018年11月06日 | ・琉球史散策/グスク時代

久々に

新規の
【描いてみた・キラ男子】シリーズです。

 

ラフで描いたデータはずーーーっと前からあったのですが
ようやくお披露目です。

 

今回は、英祖王です。

 

イメージ台詞
「太陽は、死んでもまた甦るのです」

イメージカラーはやっぱり
オレンジ~黄色系。

 

すっきり系の顔立ちに(唇も薄い)、

前髪オンザで内巻きマッシュルームカットの
モッズヘアにしたかったのですが
そのままだとあまりにも現代人っぽかったので
草髪を足しました。

やっぱりなかった方が良かったかなー?

太陽のイメージから
黄金系のアクセサリーを多くまとっています。

 

英祖は、舜天の次の王統の始祖になります(英祖王統)。

舜天王統の3代目、舜天の孫・義本王の時代に
天災が相次ぎ大飢饉が起こります。
義本王はこれは自分に徳がないせいだ、とし、
当時摂政として義本に仕えて、
幼いころから才徳高しと評判だった英祖に
王座をゆずり、姿をくらました…

とあります。

でも義本王のその後の消息が不明な事や
義本王の墓とされているものが
広範囲に点在していることから(  
実際にはなにかしらの争い(クーデター)があり、
義本王は追われたのでは、とも見られてもいます。

 

そんな彼ですが、
異常出生秘話として、

太陽が懐に入る夢を見て懐妊した。
いよいよ彼が生まれる時
部屋に光が満ち、瑞気は天に昇り
部屋中に香ばしい香りに包まれた
(「球陽」)

という逸話が有名です。

 

よって彼は

「太陽の子(てだ・こ)」

と称され
今でも浦添ではまつりや施設やお店や企業などに
「てだこ」を使ったものが多くみられます。

 

ワタシの彼個人としてのイメージは…
まだふんわりしていますが
頭が良く、大人で、浮ついたところがない落ち着いた人
というようなイメージ。

哲学(か倫理)の先生、みたいな。

うーん、きれいな優等生像しかない…。
人間臭さを感じるところまでは行ってないので
まだ英祖とはしっかり「お友達」にはなれていない証拠ですね…。

 

武系というよりは文系かな。

 

琉球に初めて仏教が入ってきたのも英祖の時で
英祖は浦添グスクのすぐそばに極楽寺を建てて
禅鑑を招いてもいますしね。

琉球で初めての仏教徒は英祖
って言ってもいいのかもしれない。

 

(でも先述したようにクーデターが起こっていて
英祖がその先駆けとなっていたのであれば
またガラリとイメージが変わりますね)

 

 

英祖関連の史跡は

浦添ようどれ( 

伊祖グスク

伊祖の高御墓(父)

などあるので

もっともっと「人間・英祖」を突き詰めていきたいです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第一尚氏期琉球一のお寺、天界寺

2018年11月04日 | ・琉球歴史/文化風景

前記事の続き

「三ヶ寺参詣行幸」の、3つのお寺、

今回は天界寺について。

 

天界寺は、玉陵の隣にありました。

その敷地は現在の
首里城公園管理センターから首里杜館のあたるようです。

 

 

とはいえ、
玉陵、それから円覚寺も
第二尚氏、尚真の時代に作られたもの。

 

天界寺はその前の時代、
第一尚氏の、尚泰久~尚徳の代にかけて建てられました。

(尚泰久代に着工され、完成を見ずに尚泰久死去。
次王の尚徳が引き継いで仏殿を建て完成させた、と考えられている)

尚泰久は在位中に数々のお寺を建て、
多くの梵鐘をつくりましたが、
天界寺はその集大成として着工されたのでしょう。

本格的な伽藍も備えた広大で壮麗な、
当時琉球一のお寺でした。

 

後の冊封使・郭汝霖も
天界寺と円覚寺を琉球で最も大きい寺だ
と記録しています。

 

初代住職は渓隠
万国津梁の鐘の銘文を作ったあの彼です。

 


↑クリックで拡大

 

そんな天界寺ですが、

現在はその面影は見ることができず、

ただ、井戸が残っているのみです。

 

 

こちらがそれ。

道沿いにあるので
これも知らないと見過ごすポイントかもしれませんね。

拝みの人がきているようでした。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天王寺跡、あの人のおうち。

2018年11月03日 | ・琉球歴史/文化風景

今日は文化の日。

首里城祭の一環としての
「古式行列」が催される予定でしたが
雨で中止になってしまいました。

また、来年までのお預けです。

 

さて、この古式行列とはなんぞや。

 

「古式行列」は琉球国王の行幸の一つ、
正月三日「初行幸」と呼ばれる「三ヶ寺参詣行幸」の行列を再現したものです。

琉球王国時代、国王が国家の安寧と五穀豊穣を祈願するため、
首里城下にある三つのお寺を参詣した様子が華やかに再現されます。

(首里城サイトより)

 

この「三ヶ寺参詣行幸」の3つのお寺と言うのが

首里城近隣にある、
円覚寺、天界寺、天王寺。

そのどれもすでに記事に書いているか
ツイッターで軽く写真UPでもしてあると思いきや、

あれ…っ!?

円覚寺は当然のごとくあるもの、
天界寺も、まさか、あの天王寺さえUPしてないとな…!?

 

マジかー!

 

(最近、訪問済なのにアウトプットしないの多すぎ

 

というわけで、
急きょ写真フォルダをあさって
写真を整えて記事にしてます!

 

まずは、

 

天王寺(跡)について。

 

 

場所は首里城龍潭にほど近い、

首里公民館の向かい、

現・首里教会に当たります。

(琉球を代表するお寺が今は教会ってちょっと面白い)

 

 

石垣の一部は当時のものだそう。
(でもこの写真の部分とはちょっとずれるのかな~?)

 

そして、個人的に、
この天王寺の萌ポイントはこれ!

 

金丸さんち。

 

そう、天王寺って、金丸のおうち跡なんです!

 

で、

 

オギヤカが尚真を生んだ場所

なのです!
(尚真が生まれた時は金丸はまだ役人で、王ではありません)

 

だからオギヤカも一緒に暮らしていた場所
ということにもなります。

 

金丸が尚円として王になって首里城入りしたあとに
邸宅跡をお寺にした…という感じなのかな?

 

とにかく、そうと分かると
俄然この天王寺跡の見え方が変わってきます…よね!?

 

金丸さんちといえば
西原の内間御殿が有名ですが、

首里城下で暮らす、
王府高官としての金丸を感じ取れる史跡です。

 


↑クリックで拡大

 

天王寺跡の観方をもう一つ。

それは石垣の中にある、
首里教会。

 

 

この十字架のたつ塔に
なにやら見覚えがある…という方もいるでしょうか。

 

沖縄戦の写真として有名な
こちらの一枚。

 


↑写真クリックで写真元記事にジャンプ


これが首里教会なのです。

この塔が、昨年復元されています。


戦火を乗り越えた首里教会 旧会堂塔を復元 沖縄戦の激戦地
(沖縄タイムス 2017.10.16)


時代は違いますが、
歴史を語るスポットとして外せない天王寺跡。

龍潭前の通り沿いとはいえ、
知らないとすーっと通り過ぎてしまうスポットですので、
車窓からでも目を向けてみてください。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする