がじゅまるの樹の下で。

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金丸はどんな手段で王座についたのか

2010年09月09日 | ・琉球史散策/第一尚氏

綾庭の宴のコメント欄で、
「金丸(尚円)はどんな手段で王の座についたのか。」

というご質問をいただいたので、
記事にしてみました。



簡単に書きますと…

まず、第一尚氏最後の王、7代目尚徳がそれはそれは悪政を行っていた、と。

「王の驕奢、いよいよ盛んにして、残骸ますます甚だしく、
諫める者は之を罪し、へつらう者は之を悦びて、国政は日に日に壊る。」

金丸は6代目王尚泰久のころから引き続き尚徳にも仕えていましたが、
悪政を働く尚徳とぶつかり、隠居し(させられ?)ます。

その尚徳が、29歳の若さで急死してしまいます。
(ちなみに即位は21歳)

すぐに次の王を立てる会議が開かかれ、
尚徳の、まだ幼い子の即位を宣言しようとしたその時、
群臣の一人から「待った」がかかります。

その臣下は、悪政を行った尚徳を罵り、
そのままその子に王座を渡すわけにはいかぬ、
金丸こそが王になるにふさわしい方だ、と大演説を行い、
周りの群臣もそうだそうだ!と同調し、クーデターが勃発します。


金丸が隠居していた「内間御殿」の前にあるサガリバナの大木。

その後、金丸派は、尚徳の子、妃、乳母などを殺し、
王の衣服と乗物を担いで、金丸が隠居していた内間御殿に向かいます。


そこで、ことの次第をつげ、金丸を王として迎えようとしますが、
金丸は、この出来事を嘆き、王位に就くことを拒み、逃げます。
しかし、金丸派は金丸を追いかけ、懇願し、
その末、金丸はしかたなく王衣をつけ、首里に上った。



これが正史に書かれている
金丸が王に就いた経緯です。


ちなみに、このクーデター劇はほかにも様々な説があって、
尚徳が久高島で、娘(神女・国笠)と逢瀬を楽しんでいる最中首里でクーデターが起きて
時すでに遅しと気づいた尚得は嘆いて海に身を投じて死んだ、とか。

いっぽう、
クーデターは全部金丸の策であったのではないか、
という説(推理)もよく聞かれます。
(肝高の阿麻和利もそうだし)

護佐丸・阿麻和利の乱を始め、
尚徳の即位、そして急死、自分の隠居、クーデター勃発に至るまで。

尚徳は、父である6代目尚泰久の側室の子であり、正妃の子である兄が2人いました。
本来なら正妃の子である長男が7代目王となるはずの所を、
その2人の兄たちを押しのけての即位。

“謀反を企てた護佐丸”の孫(血がつながっている)ということで避けられた、
ということも考えられるのです、が。
(尚泰久の正妃は護佐丸の娘です)

真意はいかほど。
ほてさて。



この時代の主要人物を相関図にしてみると分かりやすいのですが、
金丸以外、全部「殺されている(もしくは死んでいる)」ことが分かります。
(かろうじて、百十踏揚とその兄たち、つまり尚泰久の正妃の3人の子のみは生き残りましたが、
現在の本島南部・玉城でのひっそりとした隠遁生活となっています)



つまり、この時代、1番得をしたのは「金丸」であることは一目瞭然。

即位後、かつて共に尚泰久に仕えていた大城賢勇まで討伐していることを考えると、
…やっぱり、正史が書いているような「悪政から人々を救った救世主・金丸」には…
どうしても疑問が残る部分もありますね…。



黄色の枠内が金丸が王府に入っている時代。
(6代目尚泰久~)

赤は戦での死亡、青はその他(寿命や病没など)、
尚徳の死因は謎なので、黒で。

※布里は死亡ではなく冠位剥奪で流罪という説もありますが、
王位継承者としては戦による死亡と同然、ということで。

ただ、誰もが王を夢見た時代、と言うのでしょうか。

誰が悪で誰が正しいとか一概には言えない、そして分からないのが歴史の妙ですけどね。

尚円王の子、3代目(実質2代目のようなもの…)尚真王時代は琉球王国の黄金期ともいわれ、
尚円王から始まった第2尚氏王統は明治まで400年余りも続き、
今に見ることができる「琉球文化」を確立していくわけですから。

その王統の最初の王となった尚円はやはり、重要な人物であったことは間違いありません。



参考までに、過去記事こちらもどうぞ♪

「百十踏揚行脚~内間御殿~」

「百十踏揚行脚~尚徳王陵墓跡~」

写真は2枚目の「内間御殿」以外は、佐敷森と尚巴志のお墓です。



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