がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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まさかの事態【追記あり】

2015年05月30日 | ・琉球史散策/第一尚氏
さて、530護佐丸の日です。

ワタシも久しぶりに絵を描いて
アップしようと思っていたのですが、
まさかのパソコンがクラッシュ……😱

今日中に直る見込みがないので、
(下手したら買い替え…orz)
何もできそうにありません💧


とりあえず叫んどくか。

護佐丸の日!
護佐丸の日!!



【追記】
昨日は、結構みんなつぶやいたり描いたりと、
発信してくれて楽しませてもらいました☆
Yahooのリアルタイム検索などで、探してみて下さい(^ ^)
検索キーワードは、 護佐丸 です。
FMよみたんや、中城村護佐丸歴史資料図書館ブログからも参戦ありです!

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今年の530

2015年05月29日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

明日は5月30日。

そう、530(護佐丸)の日です。

ここ数年、この日に合わせて
色々と企画をしてきましたが、
今年はお休み。
(忘れていたわけではない)

 

特に企画はしませんでしたが、
明日はそれぞれ、
護佐丸についてつぶやいたり
絵を描いてみたり
想いを馳せてみる機会になれば
いいなと思います。

 

画像は一昨年の沖縄トヨタの企画で描いた
子ども向けのぬり絵原画。
(実際のぬり絵と一部違います)

トヨタバージョンなので、ハチマチ護佐丸です。

 

 

…で、中城村は今年もノーアクションなのかな??


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グスク時代の遺跡

2015年05月28日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

もう1年以上前の訪問になりましたが、
今日は宜野座村にある、
漢那ウェーヌアタイ遺跡をご紹介。

「ウェーヌアタイ」とは
「森」や「墓所」のことなのだそう。

 


↑クリックで拡大

 

この遺跡のポイントはグスク時代まで遡る
鍛冶屋跡があること!

ここで鍛冶屋集団が鍛冶を営んでいました。

600年前!グスク時代!琉球戦国時代!

各地の按司たちがしのぎを削っていた時代。

戦いに使われた火器や武器は
もしかしたらここで作られていたのかもしれません。

もしかしたら、攀安知や尚巴志も…。

 

 

実際の鍛冶場跡は残念ながら見られません。

ここかな?
あのあたりかな?
と想像を膨らませつつ、進みます。

 

 

どんどん緑が深くなっていきます…。

 

 

奥には漢那ウェーヌアタイ遺跡のもう一つの
重要スポット「風葬墓」があります。

 

 

古琉球の時代、
崖下のくぼみなどに葬られていた風葬墓。

 


↑クリックで拡大

 

こちらもグスク時代、1350年頃・察度の時代(!)のお墓です。

でもスゴイのは、↑にもあるように、
1912年までは墓として使われていた、ということ!

500年以上にも渡って使われ続けていたお墓なのです。

 

 

洞窟の中には木製家型墓があり、
調査が行われた結果、
170個体以上の骨や、
遺物が入っていたことが分かっています。

この木製家型墓はなんと、
良好な状態で残されており、
宜野座村立博物館で見ることができます。

(現在この場所にある木製家型墓は復元されたものです)

 

 

当時をしのぶ、石積みの囲い。

現在はその周りを更にブロックで囲っています。

 

 

ちなみに、鍛冶屋集団とこのお墓の関連性は
よく分かっていないとのことでした。

 

参/「漢那ウェーヌアタイ木製家型墓」(宜野座村立博物館)

 


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【書籍化】人ものがたり

2015年05月23日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

琉球新報の子ども新聞「りゅうPON!」で連載していた
「人ものがたり」が書籍化されました。

どうやら4月末には出版されていたようです…。

 

琉球・沖縄史の人物紹介の本で
取り上げている人物は、
察度から、2004年没の金城次郎さんまで。
(※目次の最後は屋良朝苗)

 

ワタシも近世までの差し絵メンバーとして参加しています。
(連載当時の制作裏話やイラスト一覧はこちらから→

 

もし良ければ手にとってみてください。

画像をクリックするとショッピングサイトにジャンプします。 

 

『人ものがたり 琉球・沖縄の先人たち』
(琉球新報出版/新城俊昭 西銘章 高良由加利  仲村顕 金城睦 著) 

1868円(税込)

 


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スーマンボースー

2015年05月21日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

5/19、沖縄を通り越して梅雨入りした奄美地方。

その翌日の5/20、
ようやく沖縄地方も梅雨入り宣言。

 

沖縄の方言で梅雨は

スーマンボースー。

二十四節季の小満と芒種を合わせて
スーマン(小満)ボースー(芒種)。

※イントネーションはまっすぐ。

 

 

つい数日前まではこれくらい青空一色だったのにね。

久々に訪れた残波岬の泰期像。

鳥、ナイスポジション☆

 


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守忠と守知の伊舎堂墓

2015年05月18日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

ここんトコロ、ピックアップしている(→ 
南風原按司守忠さんと、
その息子・花城親方守知のお墓。

別名、伊舎堂墓とも呼ばれています。

 

 

立派なお墓ですね。

今でもしっかり子孫の方々が
お墓を守られておられます。

お墓前のスペースがとても広々としていて
さぞかし賑やかなシーミーが行われているんだろう
と、想像しました(笑)

 

 

石碑の裏には門中の銘が。

 

 

石碑の隣に立てられている解説板。
(クリックで拡大します)

この解説版では、守知は
孫の華后が尚真の側室になった後に、
尚真の養父となった
とありますが、

『沖縄のサムレー 家譜に見る士族』
(比嘉朝進著/球陽出版)
によると、


尚真がまだ赤ん坊だった頃、
父である尚円が彼について占わせた所、
「吉日に赤ん坊(尚真)を城外に出し、
最初に出会った男を養父にすれば
至福で長寿を得られるだろう」
と言われます。

早速言われた通りにすると
登城してくる守知と出会い
彼を養父として迎えた、

とあります。

尚真は“育ての親”である守知に
とても懐いていたようで、
1511年に守知が死んだ時は
葬列を見送り、号泣したのだそうです。

時に尚真、46歳。

尚真と守知の深い絆が垣間見れるエピソードですね。

 

 


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墓参りでご報告。

2015年05月17日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

ひとまず尚巴志の現代版御後絵完成
ということで、
尚巴志のお墓にお参りに行ってきました。

久々の墓参りで、お礼とご報告。

 

 

i Phoneで縦パノラマ。

 

 

しっかし、ホント、
立派な樹だよね。

尚巴志のお墓は今まで巡ったお墓の中では
1番感動した場所かもしれない。

 

 

ちなみに、
この現代版御後絵:尚巴志については
5/15(土)のタイムスにも
大きく紹介していただきました。

まさかのトップページにもカラーで載るとは…

記事では「南城市」っていうのが
大きな見出しになってましたが、
この画像はフリー素材なので
南城市以外の人や、用途も
もちろんOKですヨ☆


聞くところによると、
市長や同席していた南城市行政の方々には
顔つきがイケメンふーじーなのが好評だったとか(笑)

敢えて特徴や癖をなくしたのが
功を奏したかも?(笑)

 


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【フリー素材】現代版御後絵:尚巴志

2015年05月13日 | ・琉球史散策/第一尚氏

このページは現代版御後絵:尚巴志のフリーダウンロードのページです。

本画像は上里隆史氏(歴史研究家)の企画・監修のもと、
三山を統一した第一尚氏第2代の王・尚巴志の肖像を
「現代版御後絵」として当時の皮弁冠服姿で再現(想定)したものです。
本画像はフリー素材としてどなたでも無料で自由に利用できます。

利用のためのお伺いメールは必須ではありませんが、
広告・出版物・展示などに使用する際は、ご一報いただけると嬉しいです。

 

*使用にあたっての留意点*

1 本画像は商業用も含め、許可なく自由に利用できます。ただし画像データそのものの販売・配布は不可です。

2 利用に際しては、必ず ©和々 を明記してください(著作権は放棄していません)。
  ※イラスト内左下にある「和和」の印はあくまでイラストの一部であり、これをもって©和々の明記とはみなしません。

3 画像を加工した場合は、その旨を明記してください。

4 本画像を利用し第三者間でトラブル等になった場合は、一切関知しません。

 イラストの使用はダウンロードした本人のみでお願いします。
  ダウンロードしたイラストデータのみを他者と共有・流用・転用することは控えてください
   (※利用条件を知らない人が使用することを防ぐため)

 

※ダウンロードをした場合、以上の留意点について同意していただけたものとします。

 

利用に際してご不明な点や心配な点などがありましたら
事前にこちらにあるアドレスまでご連絡ください。

 

 

*ダウンロードの方法*

1 下からダウンロードしたいサイズを選び、クリック
2 別ウィンドウで画像が表示されます
3 画像の上にカーソルを置き、右クリック
4 [名前をつけて画像を保存]をクリック

 

 *おまけ* 制作裏話→ 


*方心曲領(首飾り)なしバージョン*

◆JPEG(背景白タイプ)
大サイズ  小サイズ

◆PNG(背景透明タイプ)
大サイズ  小サイズ

 

大サイズよりも大きいデータが必要な場合は相談に応じます。
こちらにあるアドレスまでご連絡ください。


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現代版御後絵:尚巴志、描きました!

2015年05月13日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

もちらっと触れましたが、
久しぶり(5か月ぶりくらい)に
フルカラー、本気モードで描いた絵がコチラ。

その名も、

現代版御後絵:尚巴志

デス。

御後絵(おごえ)と言えば、
第二尚氏の歴代の王の肖像画のコト。

先の戦争で焼けてしまったため
現在は1枚も残っていませんが、
戦前に撮られた白黒写真が残っています。

最近、尚育王の御後絵が最新技術で分析され
フルカラーで再現されたと話題になりましたね。

 

第一尚氏の御後絵は残念ながら1枚もありません。

元々はあったがクーデターの際に末梢されたのか、
そもそも描かれてさえいなかったのか・・・。

謎なのです。

 

ないならば  作ってしまえ  ホトトギス

 

と、いうことで!

歴史研究家・上里隆史さんの企画・監修のもと、
「現代版御後絵」として、
尚巴志がもらったであろう当時の皮弁冠服を
史料に基づいてできるだけ忠実に
想定再現するお手伝いをさせていただきました!
(「琉球戦国列伝」のよりも忠実度はかなりUPです)

今回は絵として華やかに魅せることよりも、
史料に忠実に再現することが最重要・最優先事項。

たとえ物足りないように見えようとも、
手を加えてアレンジしたりして“盛る”ということは
一切しておりません。

また今回の企画は
史料がない(少ない)ことで曖昧だった“尚巴志像”を、
イラスト化することで分かりやすくする
という狙いもあります。


尚巴志の絵はこれまでも色々ありましたが、
これだけ時代考証ガッツリな
尚巴志像は初めてかも!?

 

ちなみに服飾に関しては史料に基づいていますが
尚巴志の風貌に関しては全くのイメージです。

この絵に限っては
身長150センチ未満も無視!!
(お墓・骨を調査した人が150センチ以上あったのでは、とも言ってもいますしね)

顔つきも敢えて特徴や癖は出さず、
すっきりオーソドックスな見た目にしております。

 

 

ほんで!

なんとこの現代版御後絵:尚巴志の画像は
フリー素材として提供いたします!
つまり、無許可で自由に利用可です!

企業、団体、サークル、学校、その他いろいろな場面で
どんどん使ってもらえたら嬉しいです☆

画像ダウンロードは次記事で描きますが、
トップの「めんそ~れ♪」、もしくは左サイドバーの
どちらかにリンクを貼っておきますので
いつでも御利用下さい

 

詳細&ダウンロードは次記事にて。

 


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イラストで見る、守忠周辺関係図

2015年05月07日 | ・琉球史散策/グスク時代

というわけで、前記事の続き。

 

南山の南風原守忠さんって
どんな人!?

 

他魯毎の弟で、
南山戦の時に逃亡して、
結婚して、
子どもの守知(しゅち)が尚真の・・・

って言っても分かりにくいだろうから、
イラスト関係図にしてみました!

 

固有名詞振り仮名ないけど、

●汪応祖(おうおうそ) ●達勃期(たぶち) ●他魯毎(たるみ)

ね。

 

 

つまり、現代に続く尚家の血には
尚忠さんの血、南山王の血も
入ってるってコトです。

尚巴志に滅ぼされた南山王族のその後。
不思議な因果関係・・・。

ね。

南山も面白いでショ。

 

ちなみに守忠さんをかくまった
安里大親なる人物ですが、
護佐丸の兄で
第二尚氏のクーデターを引き起こし
“あの安里大親”ではなく、
具志頭村の安里の大親(→有力者)
ということかもしれません。

今も(旧)具志頭村に安里というエリアが残ってます。

 

※具志頭村は2006年に東風平町と合併し「八重瀬町」になりました。

 


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南山のドラマ人、南風原守忠

2015年05月06日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

 

この連休にひっさりぶりにラフではない、
フルカラー本気モードの絵を描きました。
(正確に言うと途中まで書いてて数ヶ月放置していたものを再開してやっと完成させた)

しばらくしたら皆さんにも
お披露目できると思いますのでお楽しみに♪

 

ということでお絵描きモードの勢いで描いた
南風原守忠(はえばるしゅちゅう)さん。

南山の人たちをイケメンふーじーに
描いてみようシリーズ第5弾。

とは言っても、もともと守忠さんは
それなりの風貌で描いてたんですけどね。
描いたあとからキャラをはめたから南山組にしては違うタイプ)

とりあえず、青髭をなくしました(笑)

なで肩にしたのは、
「なんとなく」です。
別に根拠はありません(^^;)

面長・首長・背長のイメージ。

 

で、なんでいきなり守忠さんかと言うと…

 

 

彼のおうちに行ってきたから。

 

 

具志頭グスクのすぐ近くで
偶然出くわした居住跡。

石板もかなり見えにくくなってるので
最初は通り過ぎていたのですが、
気になって後から再訪してみると
これですよ。

これはもう、呼ばれてましたね(笑)

 

 

今でも子孫の方がしっかりと
管理しているという感じでした。

「阿氏」

南山、他魯毎の系統の氏ですね。

 

 

ところで、守忠さんと言われても
まだまだピンとこない方も多いと思います。

ここは守忠さん、
ひいては南山のために!
ひとはだ脱ごうじゃありませんか。

イラスト入り人物相関図で
複雑な南山の人々の関係を
スッキリ解決~!

 

というわけで、続く。

 

↓がんばるんでポチっと応援してくれたら嬉しいデス★


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こどもの日って、

2015年05月05日 | ・徒然日記

 

今日は「こどもの日」ですね。

ところで「こどもの日」の定義って知ってますか?

「こどもの人格を重んじ こどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日」

なのですよ。

こどもと同時にお母さんも主役なのですよ。

ちなみに「こども」とひらなが表記なのもポイント。

 

もうひとつ、
こどもの日と言えばこいのぼりですが、
こいのぼりのデザインって好きです。

目のあたりとか、ウロコの表現とか
結構かっこいいよ。

手書きの工芸品レベルのものは言うまでも無く、
100均にあるようなプリントモノでも
それなりに踏襲されてるしね。

改めてじっくり見ることってあまりないかもしれませんが
この機会に是非見てみてみては?

 

 

というわけ、写真はこいのぼりパラグライダー☆

具志頭グスク(公園)から飛び立っていって
笑いました(笑)

ナイス☆パラグライダー!

インスタグラムに動画もあるので
よかったらどうぞ。
(wawa.camera)

 

5年前の比謝川こいのぼりフェスタの記事はこちら


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東風平のガジュマル

2015年05月04日 | ・琉球歴史/文化風景

 

GW、皆様いかがお過ごしですか。

i Phoneに替えてからというもの、
最近はめっきり出番が少なくなった
デジイチ君と特殊レンズたちを
久しぶりに持ち出して、

向かった先は南部、東風平(こちんだ)。

 

 

当銘のガジュマルに出くわしました。

推定樹齢800年って!!

1200年代!めっちゃグスク時代!!

義本とか英祖とか!

 

 

すごいな~…。

絡み合った気根の造形が好きです。

 

 

周りには拝所もたくさんありました。

ざっと見ただけでも5つ。

そりゃ、拝みたくもなりますわな。

周りは住宅街だったので
こじんまりとしたスペースながら
草もキレイにされていて
風通しもよく、気持ちのいい場所でした。

 

 

東風平のガジュマル、
もう一つは世名城のガジュマル。

 

 

こちらは推定樹齢250年。

だけど沖縄1の巨木に認定されたことのある
ガジュマルだそうな。

んーーー……、ホントかなぁ?(^^;

名護のひんぷんガジュマル
金武の伊芸のガジュマル
波平のガジュマルほうが
個人的にはインパクトありました。

こちらはすぐ隣にお墓や養鶏場があり、
周りは畑で人通りの少ないエリアでした。

薄暗くて蚊もいたりで、
ちょっと憩いの場には厳しいかなぁ…(^^;

 

 

根元にはカーのような…。

拝所のような??

 

 


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