がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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テンペスト行脚~げらゑの間(?)~

2014年07月06日 | ・『テンペスト』行脚

テンペストファンにはたまらない
首里城の暗シン御門。

もう過去記事でも取り上げたんだけど
再訪してみたら、
これまた柵の位置がだいぶ手前に移動していて
御内原側を覗き見ることが
できなくなってました。

あ~あ。

 

あ、暗シン御門の途中に扉。

 

…げらゑの間?

 

しかも誰か入ってるのか、
扉の前に靴が2足。

 

思わず、ぷぷぷ。

 

 

暗シン御門は黄金御殿を貫くクランク状の背骨だ。

もう真鶴は足で覚えてしまっている。

暗シン御門に長居は禁物だ。
駆け抜けるのと同じ速さで女から男に変わらなければ、
いつ人目につくかもしれない。

今は助けてくれる嗣勇もいない。

真鶴はげらゑの間の扉を開けた。

「寧温の今日の衣装は……」

 

「テンペスト(下)276-」(池上永一著/角川書店)

 

でもテンペストで述べられている位置関係とはちょっと違う。
(でもドラマでは同じ位置設定…?参/以前コメントもらったforever-greenさんのブログ
なによりげらゑの間ってフィクションだよね…?

首里城を訪れるお客さんの中には
テンペストのことを話している人、まだまだ見かけました

 

 

これまた以前記事にした王妃様のバルコニー
テンペストにも載ってるなぁ!(P198)
今気付いた(^^;)
さすがにもう、テンペスト暗記、だいぶ抜けてるよ。


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テンペスト行脚~首里城/復元暗シン御門~

2014年02月07日 | ・『テンペスト』行脚

さて、首里城新施設公開記念シリーズ。

テンペストファンにとっては無くてはならないこの施設!

主人公の寧温と真鶴が性を入れ替わり、
首里城の男の世界と女の世界を行き来する
ファンタジーのような秘密の通路。

その名も左掖門(さえきもん)、
通称、暗シン御門(くらしんうじょう)!

 

重要スポットなだけに
このブログでも幾度となく取り上げているので
説明についてはそちらをご参照ください。
  

 

今回のミッションは、暗シン御門を体感すること!

では、入ります!

 

新しい白木のせいか、
明るくスッキリした印象。

手前に観音開きの扉がついています。

奥まで行くと柵があってその先は行けないのですが、
通路が確かにクランク状になっているのが分かります。

光のさす向こう側が、女の世界の御内原。

分かっちゃいるけど、通路としては大した距離ではなく、
本でイメージするような長くてじめじめしている地下通路のような感じではないデス(^^;)

(暗シン御門の中にある「げらゑの間」はさすがにフィクションなんでしょうかね)

振り返って、御内原側から見るとこう。

通常の見学ルートをたどるだけだと
通らない所にスポットなだけに
誰もいない、誰も来ない(笑)

有料エリアの中で一番静かなスポットかも?

正面に御庭。

南殿。

左の建物は近習詰所。

ちなみに手前右の暗がりは正殿です。
これまでは正殿内部の見学ルートの入り口だったのですが
本来なら正殿の壁になるのかな?

やっぱり極秘通路にするにはどう考えても無理あるよね(笑)
そこんところは、フィクションとして楽しむことにしましょう。

じゃあ、せっかくなのでテンペスト行脚。

 

黄金御殿は二つのバイパスが表世界と繋がっている。

二階の空中回廊は王族や女官たちが使う表の回廊だ。
そして一階には摩訶不思議な暗シン御門がある。

寧温は空中回廊から正殿に抜けてさらに1階の南風の廊下に降り、
暗シン御門に飛び込んだ。

途端、漏刻門の太鼓が申の刻を告げる。

連動して首里の寺が一斉に鐘を撞く。

たちまち王都が深錆色の重厚な波紋に包まれた。

「寧温、真鶴になりなさい!」

 

「テンペスト(下) 217-」(池上永一著/角川書店)

 

 

“たちまち王都が深錆色の重厚な波紋に包まれた”

この表現、最初に読んだ時から印象的でした。

なんか、スゴイ分かる。

その時の風景とか空気とか色とか温度とか匂いとか、
そういうのがイメージできる。

池上さんのイメージ的な文章描写ってすごくいい。

ただそのままを描写してありまのままの姿をイメージさせるんじゃなくて
+αの想像力を刺激するような、
そんな描写をする作家さんです

 


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テンペスト行脚~首里城の鈴~

2014年02月03日 | ・『テンペスト』行脚

 

「おまち。ここをどこだと思っている。
鈴を鳴らさずに入れば命はないぞ」
 

「テンペスト(上) 119」(池上永一著/角川書店)

 

真新しい木の香りがする首里城新施設。

やっぱ、いち早くチェックしたかったのは、
暗シン御門とこの鈴ですね!

首里城には男(表)の世界と女(裏)の世界があり、
その境界線に設置された鈴で合図をし
相互に取次、伝言をしていました。

この鈴は男の世界側にある近習詰所に想定再現されたもの。

 

 

紐を引くと向こう側(黄金御殿)の鈴が鳴る仕組みなのですが
残念ながら、今回の想定再現では鳴らすことはできません。
(想定再現は近習詰所のみで黄金御殿側にはありません)

ただ、スピーカーから鈴の音が
BGMとして時々流れています。

凝ってます(笑)

 

「お待ち。ここをどこだと思っている。
鈴を鳴らさずに入れば命はないぞ」

ふてぶてしい巨体で廊下を塞いだのは女官大勢頭部だ。
昨日も、一昨日も、もう何十回とこの台詞を聞かされて、
既に形骸化した様式になっている。

おそらく女官大勢頭部の言葉に意味はない。

ここまでしつこいと
「ようこそ御内原へ」
くらいの意味にしか聞こえなかった。

「孫寧温、通ります。廊下を開けなさい」

 

「テンペスト(上) 124」(池上永一著/角川書店)

 

この扉の向こうが女(裏)の世界の黄金御殿。

鈴を鳴らさずに扉を開けたとたん
女官大勢頭部の扇子が飛んできた
という感じでしょうか(笑)


ちなみに鈴引があった取次ポイントはもう一か所あって、
正殿の一階(下庫理)と二階(大庫理)の境目のこちら。

この部分に関しては過去記事でも書いてるので
一緒にどうぞ♪ → 

 

↑これ(2011.2撮影)が、

こうなってまーす!

 

というわけで久々のテンペスト行脚記事でした!

…テンペスト、もうしばらく読んでないんだけど
また読もうかな?


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テンペストのロケ地

2013年11月30日 | ・『テンペスト』行脚



先日、近くまできたついでに真栄田岬に行ってきました。

真栄田岬といえば、
ドラマ「テンペスト」のロケ地です。

↑こっち。

テンペストにおける恋舞台、
三重城(みーぐすく)のシーンをとった場所。
(ドラマでは縁に石積がありますが、それはドラマ上の美術セット)

あいにく天気が芳しくなかったので
スマホで撮った写真をレタッチで誤魔化し誤魔化し…。

三重城のロケ地が真栄田岬っていうのは知ってましたが、
真栄田岬自然公園内をまわってみても
それらしい場所にたどり着けず…。

文明の機器(スマホ)を駆使して、なんとかたどり着けました(笑)

確かに真栄田岬ではありますが、
公園内ではなかったです(^^;




で、すぐ側のこの浜もロケ地。
真鶴の父ちゃんの処刑とか、真鶴が自殺未遂して助けられたりと、
色々浜のシーンは出てくるのですが、
だいたいはこの浜っぽいです。

もうずっとドラマは見てないので
久しぶりに見てみようかと思った、
テンペストロケ地行脚でした☆


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在番奉行所跡と天使館跡

2013年09月13日 | ・『テンペスト』行脚

 

今月25日発売予定の池上永一さんの新刊「黙示録」
amazon予約完了!

近世の、尚敬王時代の話なんだよね。

雑誌で連載してるんだけどそれは全く読んでないので
単行本化を待ちに待ってました!

楽しみです

 

というわけで、池上さんのテンペスト繋がりで
今日は久米村(付近含む)散策してた時の写真で
これまた久々のテンペスト行脚記事を。

天使館跡と、薩摩藩在番奉行所跡です。

当時の面影は全くないのですが、
案内板が立っています。

そして天使館と在番奉行所…

 

近っ!!Σ(゜∀゜;)


二重従属の形にあった近世琉球は
一応、薩摩と清国との直接の接触は控えていたそうなのですが
この距離なら普通に道で出会うこともあるだろうに。


ああ、木漏れ日の影が…(^^;)

親見世跡の案内板にあった地図。

ホント、こんな感じで近い。

 

清国と日本との二重外交を続ける琉球には
それぞれの国に出先機関が設けられている。

清国の福州にある琉球館、
そして薩摩にも琉球館があった。

これが現在の大使館の役割を果たしていた。

琉球にもまた薩摩の出先機関が設けられている。

那覇港付近にある御仮屋と呼ばれる屋敷がそうだ。

天使館に清国人がいるように、
御仮屋には日本人がいる。

「テンペスト(上)143-」(池上永一著/角川書店)

 

御仮屋(うかりや)=薩摩藩在番奉行所です。

天使館については過去に何度か
行脚記事UPしてますのでそちらもどうぞ。
 


↑クリックすると拡大します。


↑クリックすると拡大します。(でもちょっと見えにくいかも…)

 

ちなみに天使館と在番奉行所の間にある
「親見世(おやみせ)」とは王府時代の那覇の役所のこと。

創設は第一尚氏王統の頃からっぽい。

港からあがってきた貿易品を販売する
「御店(おみせ)」が元だったのだとか。

すぐそばに市場が展開されていったのも納得です。


↑親見世の案内板 クリックすると拡大します

 

それにしても、この記事書くって
ひっさびさにテンペスト開いた。

いや~、さすがにだいぶ記憶抜けてるわ~

 

photo by コンデジ


明日は取材だー。資料準備しようっと。
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テンペスト行脚~フール~

2012年05月17日 | ・『テンペスト』行脚

テンペスト第6話「八重山の流刑者」

というわけで、ドラマ本編にもでてくるアレが写真ストックにあったのを思い出して
急遽テンペスト行脚。


 

■フール■

「孫寧温、観念しろ。王府の命令により投獄する」

「どうか、どうかお許しを……。
私は列強の脅威を王宮に報せたかっただけでございます……」

寧温は朦朧とした意識の中で牢舎に投げ込まれた。

豚小屋と併設された牢舎は、
罪人を家畜扱いしても罪悪感を覚えずにすむ造りだった。

夏場になると衛星環境は最悪で
糞尿の臭気が鼻腔に容赦なく襲いかかる。


「テンペスト(下)27-」(池上永一著/角川書店)

 


沖縄の豚小屋、フールです。
(イントネーションはまっすぐよ。プールに非ず)

原作では「フール」という単語は出てこないのですが、
ドラマではまさにこれ。

フールのポイントは、トイレと豚小屋が一緒になっているということ。

つまり…人間のモノを豚さんが…ということです。

 

フール=牢舎というのは……テンペストでの創作かな?

この場面、かわいそうなくらい寧温君が悲惨です。
ドラマ版はかわいいものです。
きっと原作をリアルにビジュアル化すると
仲間由紀恵さんがとんでもないことになるはず…

 

トイレを兼ねた使い方は衛生上の問題から大正時代に禁止となりますが、
豚小屋としてはその後も使われ続け、
ワタシの母ちゃんもフールは「豚小屋」として(かろうじて?)知っている世代デス。

今でも重要文化財の民家などではこのフールが併設されているので
結構目にすることがありますよ。

↑の写真は「中村家」のフールです♪


戦後撮影のフール↓
http://naha.machitane.net/old_photo_big.php?id=2760 

フールについてくわしく知りたい方は↓
http://takara.ne.jp/oroku/wafuru.html
 

 


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【6話語録】

「王府に納める上布だ。いったー、手ぇ抜くなよー」
「抜かずに急げ」

いったー = お前ら

やったー とも言います。
やー(お前) の複数形で やったー。

やったーじゃなくて、ゴーヤーと一緒でまっすぐ(笑)

私たち は わったー

6話はわき役が光ってる回

コメント (6)
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テンペスト行脚~末吉宮~

2012年04月26日 | ・『テンペスト』行脚

木曜日なのでテンペスト記事。
(その前に「プロジェクトX」ですけどね!!)

末吉の森にある遍照寺については前回書きました。

末吉の森にある、もう一つのお寺が「末吉宮」

テンペストでは「末吉宮」との単語が出るのはたぶんここだけなので
引用箇所は前回の遍照寺とかぶってしまいましたが…
(遍照寺の引用箇所、他のところにすればよかったな

 

■末吉宮■


原生林に覆われた森は王都の民がもっとも身近に感じる自然である。

森は人を寄せ付けない強靭な意志が備わっていて、
この森はしばしば怪異の舞台ともなる。

この森は人を阻んでいるが、流刑地ほど隔絶しているわけではない。

近くにある末吉宮の丘に立つと、赤い王宮の屋根が見える。

真美那や朝薫、思戸や多嘉良の毎日を遠目に見るのが
真鶴の慰めだった。

 

「テンペスト(下) 348-」(池上永一著/角川書店)

 

 

では、末吉宮についての説明を案内板より。

末吉宮は「末吉社壇」の名で沖縄県民に親しまれたお宮で、室町時代中期に建立されたものです。
波上、沖、安里八幡、識名、普天間、金武、天久と共に
琉球八社の一つにあげられている近くの万寿寺(現遍照寺)の鎮守として熊野権現を祀ってあります。
 
本殿は沖縄の地方色をよくあらわしている三間社流造本殿として
昭和11年国宝に指定されましたが、第二次大戦で砲撃を受け
建物の礎石と柱二本と虹梁(頭貫)を残したのみで飛散しました。

現在の建物はこれら残った礎石と資材を基に昭和47年に復元修理をしたものです

もうひとつは、参道の案内板より。

末吉宮は、かっての琉球八社の一つで、俗に「社壇」と呼ばれている。
尚泰久王代の1456年頃、天界寺住持鶴翁和尚が熊野三社権現を勧請して奉祀したのにはじまるという。
本殿は三間社流造り本瓦葺きで、前面に向拝を付している。
磴道は、参道を登りつめたところから祭場までの8段、
祭場から拝殿跡までの21段および拝殿跡から本殿までの7段の一連の石造階段部分をいう。

本殿と祭場はそれぞれ別の岩盤の上にあり、両間は切石積みの石造単拱橋(アーチ橋)で継いでいる。
なお、磴道は昭和46年に修理され、本殿は昭和47年に復元された。

(後略)

裏のほうには、なんとお花に囲まれた小道が!

まぁ、まるで絵本の世界のよう

末吉宮に至るまでの道のりがうっそうとした山道という雰囲気だったので
このエリアだけなんだか別世界のような印象を持ちました(笑)

 

   
末吉界隈、まだまだあるヨ。
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キンマモン

2012年04月20日 | ・『テンペスト』行脚

 「偉大なる琉球の大神キンマモンよ。私の布令が正しければ降りて来い!」


刹那、京の内が閃光に包まれた。

馬天ノロの勾玉に落ちた雷は、京の内の半分を吹き飛ばした。

 

「テンペスト(上)401」(池上永一著/角川書店)

 

毎週木曜日22:00~の「テンペスト」地上波放送に合わせて、
テンペスト関連の記事をちょこちょこ入れていきます(笑)

でも今日はいつもの「テンペスト行脚」とは趣を変えて。
(本文引用してるのでカテゴリはこっちにしときますが)

今回引用したのは「超人」寧温君が
“国の有事にしか現れない伝説の神、キンマモン”
を降ろすというシーン。

 

というわけで、今日のピックアップはこちら!

キンマモン

漢字で書くと「君真物」

 

キンマモンについての細かい見解や説は
たとえばコチラのサイトを見ていただくとして。
(※追記※サイトが変わっていたのでリンク外しました)

 

 

ワタシが今回ネタにしたいのは

この、とりあえずとんでもなく偉大な神「キンマモン」を、

 

 

 

あの大城賢雄が降ろしていた(!)

 

 

 

という、古琉球の話(笑)

 

時は1458年。

阿麻和利の、王府反逆へのたくらみを知った大城賢雄は
百十踏揚を連れ、勝連グスクを脱出。

途中、勝連の追っ手に追いつかれそうになるも、
オモロを唱えて超常現象を引き起こし
無事に首里城までたどり着きます。

しかし、父である尚泰久王は
「こんな夜中に女が男(賢雄)に連れられて来るとはなんとふしだらな!」
と怒り、扉を閉ざしてしまいました。

門があかないことに絶望した百十踏揚は首をつって死のうとしますが、
賢雄が急いで止めに入ります。

そして賢雄が手を合わせオモロを唱えると、

キンマモンが出現し、託宣が下された、

というのです。

キンマモンの出現によって百十踏揚の潔白を知った尚泰久は門は開き、
阿麻和利のたくらみを知るのです。

 

出た!スーパー賢雄!!

やっぱり、ただものじゃないぜ

 

ちなみに、↑は護佐丸の子孫が書いた
「毛氏先祖由来伝」から引用しました。

でも賢雄の子孫が書いた「夏姓太宗由来記」では
キンマモン(君真物)という単語はなく、

忽然として押明森の下南方に奇異成大光出現あり

という表現になってます。
尚泰久が門を開けなかった理由もちょっと違うのもオモシロイです。

 

   
キンマモンって面白い響きだよね。
10回言ったらなんだか愉快な気持ちになれます(笑)
ちなみにこのシーンはドラマ版テンペストにはありません。

コメント (8)
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テンペスト行脚~遍照寺跡~

2012年04月12日 | ・『テンペスト』行脚

本日、22:00~ NHK総合(地上波)にて、「テンペスト」再放送です!

20:00にはメイキング番組も放送されるみたいですよ。
(ん?沖縄のみ?)

というわけで、地上波放送を記念して、
ひっさびさの(おお、ちょうど3カ月ぶり!)、テンペスト行脚記事。

今回はこちら。

 

■遍照寺跡■

「さあ、今のうちよ。王子様を連れて逃げて。
末吉の森に遍照寺というお寺があるわ。
そこの住職を頼って。
向家の菩提寺だから私の手紙を見せれば匿ってくれるわ。」

 

真美那は火事のどさくさに紛れて真鶴の背中を押した。

真美那はにっこりと笑った。

「ねえ、もしかして私たち、これが最後の縁かもしれないわね。」

 

 

遍照寺は首里の郊外、末吉の森の中にあった。

原生林に覆われた森は王都の民がもっとも身近に感じる自然である。

 

この森は人を拒んでいるが、流刑地ほど隔絶しているわけではない。

近くにある末吉宮の丘に立つと、紅い王宮の屋根が見える

 

「テンペスト(下) 345-」(池上永一著/角川書店)

 

 

これが遠くから見た末吉の森と末吉宮。

遍照寺はこの末吉宮よりも左下のほうにあります。


今は表示も何もなく、石垣がわずかに残るばかりです。

 

   
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テンペスト行脚~首里城/銭蔵跡~

2012年01月12日 | ・『テンペスト』行脚

1月14日から沖縄で先行上映される、
映画「テンペスト 3D」
(↑クリックすると映画の予告編が見れますよ☆)


今日、その一般試写会が沖縄で行なわれています。

先月行なわれた沖縄での関係者試写会
東京での試写会以来、
このブログもテンペストつながりの訪問者さんが
ずーっと増えていることから、
テンペストの影響力の強さをつくづく感じている今日この頃です。

というわけで、
テンペスト3D沖縄先行上映にあわせて
テンペスト行脚シリーズ、行きます!
(いつの間にやら60記事突破!(笑))

 

■首里城/銭蔵跡■

 

「よし、わしの今日の業務はこれにて終了。
後は任せたぞ。がはははは」

と日がまだ高いのに、多嘉良は最近仕事をさぼってばかりいる。

目当ては銭蔵奉行の儀間親雲上が管理する泡盛だった。

古酒を造るのに注ぎ足す酒を
少々味見を兼ねていただくのである。

「古酒のことならこの多嘉良に任せておけ。
まず大切なのは品質を常に管理することだ」

要するに試飲するのである。

酒蔵の番人の儀間親雲上は閑を持て余して琉歌を詠んでばかりいる。

どれもこれも恋の歌ばかりだ。

 

「テンペスト(上) 220-」(池上永一著/角川書店

 

テンペストの愛すべきキャラクター
多嘉良のおじさんの管轄エリアです。

多嘉良のおじさんが門番を勤めていた久慶門の隣が銭蔵です。

現在はただの更地になっていて、建物はありません。
(前までは発掘作業を行なってましたが今は塞がれています)

物語にあるように、銭蔵は多嘉良のおじさんがぶらっと立ち寄れる
すぐそこの距離なのですね。

ちなみに、龍樋との位置関係はこんな感じです。
(写真は広角レンズで撮っているのでオーバーパースで写ってますが実際はもっと近い距離です)

 

久慶門、銭蔵、龍樋、

 

そう、アレですね(笑)

 

 

実際にその場に立ってみるとが
テンペストのキャラクターのリアルな動線が分かって
とても面白いですよね

 

ちなみにトップ写真は龍碑のある場所から見下ろした、
久慶門と銭蔵です。

 

 
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テンペスト行脚~綾門大道-中山門跡~

2012年01月03日 | ・『テンペスト』行脚

沖縄県内のファミマでは数日前から黄色いのぼりがずらっと立ち始めました。

「テンペスト 3D」ののぼりです。

沖縄では全国よりも2週間早い1/14に一般公開されます。

テレビでも試写会ご招待のCMがやってたり
首里城では衣装展示があったりと
まだまだテンペストブームは続くようです。
(そしてそまま古琉球の世界にいらっしゃいませー(笑))

 

さて、ではもう数週間前に準備してあったテンペスト行脚記事です。

今回は綾門大道(あやじょううふみち)。

すでにUPしていた項目ではありますが、
綾門大道とは守礼門前の通路だけではなく、
信号の先もずっと南へ続く、全長約500mほどもある王府のメインストリートでした。

 

■綾門大道―中山門跡■

「私は戻ってきた。ついに戻ってきたのよ!」

「どうした、都がそんなに珍しいか?」

綾門大道を在番奉行筆者と歩いている道のりに、
鳳凰木を見つけて立ち止まる。

もう間違えないと真鶴は頷いた。

  

「テンペスト(下) 42-」(池上永一著/角川書店)

 

 

うーん、やっぱりここよりはこの箇所がいいな。

 

 

守礼門から綾門大道に出た瞬間、
人混みが完成と共に後ずさる。

「おい、あの妖しい二人は誰だ?」

「新しい踊奉行か。すごい。なんという色気だ」

前回も引用しているので以下略(笑))

 

「テンペスト(下) 283-」(池上永一著/角川書店)

 

綾門大道の入り口には守礼門と同じ形式の「中山門」が立っていました。

創建なんと1428年!

尚巴志が三山統一をする1年前です(!)

綾門大道もその頃に首里城と共に整備された
「琉球王国・歴史の道」ということですね。

今は中山門は影も形も残っていませんが、
中山門があった場所に碑が建てられています。

現在「琉染」という染め工房がある場所です。

2つめの写真はこの琉染から、首里城に向かってのびる
現在の“綾門大道”の写真になります。
(1年前の写真ですが…^^;)

守礼門まで伸びるこの王府のメインストリートは、
イシグーと呼ばれる石灰岩の白い粉が敷き詰められ、
聞くところによると、花の蜜や樹液などで固められていたのだとか。

 

さ、イメージしてみてください。

 

青い空、

豊かな緑、

遠くに見える守礼門や首里城の朱、

そして真っ白い道、

ほのかに香る花の香り…。

 

これが人々を王城へ誘う風景であったのです。

まさに「美と教養の王国」ですね!

首里城のお越しの際は、
首里城内の正規ルートだけでなく、

是非その周辺まで足を伸ばして
当時の琉球に思いを馳せてみてくださいね

 

 
まだまだあるあるテンペスト行脚ネタ(^^;
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テンペスト行脚~玉陵2~

2011年10月08日 | ・『テンペスト』行脚

世界遺産、玉陵(たまうどぅん)。

第二尚氏王統の陵墓である玉陵は、
首里城のすぐそばにあるメジャーな史跡&観光スポット。

もちろん、とっくの昔にテンペスト行脚、upしてあるのですが
写真が暗いので、去年の夏に行った時の写真で再度ご紹介☆

 

■玉陵■

死者の王宮・玉陵で墓守を務める嗣勇は、
毎日世間から遠ざかっていくのを感じていた。

花の王宮は近いようで遠い。

今頃同僚たちは新しい舞台芸能の話題でもちきりだろう。

組踊の戯曲も書いていた嗣勇は、
創作活動に打ち込みたいが、玉陵には番所がない。

ただ日がな一日、草むしりをして過ごすだけだ。

「なぜぼくが墓守に。こんな役人の墓場に」

ふと黒黴に覆われた霊廟を眺める。

ここは第二尚氏王朝の墓だ。

よく考えると第一尚氏王朝の末裔の自分が
なぜクーデター王朝の尊厳を守っているのか意味不明だった。

「第二尚氏王朝さえなければ、
ぼくは今頃、首里天加那志か、王子様か、
悪くても按司だったのに。

そしたら流行の衣装を清国から取り寄せて
毎日楽しく遊んで暮らせたのに」

「テンペスト(下) 277-」(池上永一著/角川書店)

せっかく玉陵まで来ても、
「ふぅ~ん」で終わったらもったいない!

ワタシ的、玉陵の見所は2つ。

まず1つ目は欄干や岩の上のシーサーやレリーフ。

遠くて見えにくい…という人は、
カメラをズームさせてファインダー越しに見てみるのもいいですよ☆

おもしろいシーサーたちにお目見えできます。
まさに古のゆるキャラです
(首里城の欄干のシーサーもお見逃しなく)

 

↓欄干の左の動物は…蝙蝠か…。

なんてたくましい蝙蝠なんだ(笑)
(※蝙蝠は中国では縁起物のモチーフです)

ってツッコミつつ楽しめます(笑)

 

*追記*
…あっ…?もしかしてコレ、
蝙蝠じゃなくて翼の生えた猫(豹)?どっちだ?

もうヒトツの見所は屋根。

瓦ではなくて、板葺きのさまを模したつくりになっています。

古琉球の首里城は、瓦ではなく板葺きの屋根であり、
この玉陵の屋根を見ればその様子を忍ぶことができる、ということです。
(参/「誰も見たことのない琉球」)

玉陵は、第一尚氏王統の陵墓「天山陵」を模しているとも言われているのだとか。

是非、テンペストだけでなく古琉球の世界にも思いを馳せて
楽しんでみてくださいね♪

 

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古琉球といえば、
小説「百十踏揚」を読みはじめた方や古琉球ビギナーの方へ、
古琉球の人物相関図ありますよ★
人物関係の整理に使えたらどうぞ~♪
(絵はちょっと古いけど~;)

  

人物相関図(1450~1460年)

 人物相関図(三山時代)


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テンペスト行脚~国学跡~

2011年10月03日 | ・『テンペスト』行脚

■国学跡■
 

科試の合格発表の日がやってきた。

発表は初科と同じく国学で行われる。

初科の時の人ごみは受験生たちだが、
再科の人ごみのほとんどは野次馬である。

科試に通った者は一躍王国の英雄となる。

その新たな英雄が誕生する瞬間に立ち会おうと
科試とは関係のない野次馬たちが押し合うのだ。

「寧温、心配するな。おまえが受からなくて誰が受かるのだ」

「おじさん、私は怖くて失神しそうです……」

まるで平等所で斬首か無罪かを宣告させるのに等しい緊張感だ。

 

あと数分で民衆は暴動を起こしかねないほど昂ぶっていた。

いよいよ我慢の限界といったとき、試験監督が声を荒げた。

「主席。真和志塾、喜謝場朝薫!」

一気に爆発した民衆の熱狂が津波のような歓声となって国学全体を揺るがす。

同時に喜謝場家の使用人たちがありったけの餅を宙にばらまいた。

真和志塾の塾生たちの手ですぐさま朝薫の胴上げが行われる。

餅と熱狂の吹雪の中を朝薫の体が舞う。

 

「テンペスト(上) 84-」 (池上永一著/角川書店)

はい、国学跡です。

龍潭池の隣、今の県立芸術大学の所に石垣の一部が残されています。

首里城の、こんなすぐ近くにあったんですねぇ。

ちなみに国学は儀間親雲上が最初に働いていた場所でもありますね。
(儀間親雲上、なんかドラマではちょっとヤな奴でしたね

 

実際の科試の合格倍率は最高600倍だったとか。

現在の東京大学や司法試験、国家公務員試験の合格倍率の比ではありません。

小国ゆえに資源も乏しく武力もなかった琉球が、
一つの国として成り立ってきたのは、
このような過酷な試験と、
合格のために血のにじむような努力をしてきた根性ある琉球人たちに
支えられてきたということですね。

沖縄人、決して遊んでばかりの怠け者ってわけじゃなかったのだ。

 

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写真は今年2月撮影。
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テンペスト行脚~ニンブチャー~

2011年09月29日 | ・『テンペスト』行脚

■ニンブチャー■

 

「妾がニンブチャー。葬式女だと?」

ニンブチャーは庶民の壮烈の後ろを歩く念仏屋だ。

常に白い喪服を着、白い頭巾で顔を覆わなければならない。

ニンブチャーの唱える経は頓狂で無教養なものと相場が決まっている。

貧しく無学な庶民がせめて形だけでもお経らしくしようと
ニンブチャーを雇うのだ。

「おい。ニンブチャー。西原で病人が死んだそうだ。
葬儀に行け」

貧しい農民の葬儀は悲惨だ。

泣く余裕もないほど皆が生活に疲れ果てている。

まるで動物の死骸を処理するかのような、
淡々と乾いた葬儀だった。

「これが人の死と呼べるのか?
愚かな奴らじゃ。
こんな葬儀で霊が弔えると思うのか?」

形だけの粗末な葬列が物悲しく連なっていく。

遺体が、使いまわされて痛んだガンに納められ集合墓地に葬られる。

真牛は葬列の最後尾で半鐘を鳴らしながら念仏を唱えた。

他のニンブチャーには決してできない見事な念仏だった。

真牛は頭巾の衣越しに空を見ながら、
ミセゼル(祝詞)を謡っていた。

真牛の謡ったミセゼルは死者の生涯を讃えるものだった。

「この者は農民として生まれ、よく働き、子を育て、
よい織物を納め、王府から感謝された。
どうかあの世では豊かな生活を送れますように。
聞得大君から神にお願い申し上げます」

と。

「テンペスト(下) 326-」 (池上永一著/角川書店)

 

というわけで、写真は県立博物館にあります葬儀文化コーナーより。
(ここは写真撮影OKエリアなのです☆)

真牛が鳴らした、半鐘がコチラ↓

ドラマでは尺の関係で実にあっさりしていましたが、
寧温君の策略で身分を剥奪されての聞得大君の後半戦は実に波乱万丈。

上巻では感じられないような聞得大君の、
むちゃくちゃだけど憎めない、魅力的な人間性が見られる場面も多く
下巻の主人公は聞得大君と言ってもいいくらいです。

ワタシもテンペストの女性キャラでは
真鶴よりも聞得大君や真美那さんのほうが好きかも~
(思戸もなかなか…

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テンペスト行脚~首里城/白銀門(寝廟殿)~

2011年09月22日 | ・『テンペスト』行脚

珍しく、連続でテンペスト行脚記事です。

今回は首里城、御内原の奥にある白銀門。

テンペストでは白銀門っていう単語は、
確かなかったと思いますが…

白銀門の奥(中)にある寝廟殿が登場するので
こちらに絡めてのご紹介です。

 

■首里城/白銀門(寝廟殿)■

「首里天加那志が薨去されたですって?」

1847年9月18日、
尚育王が密かに世を去った。

享年34歳。

あまりにも若すぎる逝去だった。

*

王の遺骸は防腐処理され、
王家の墓、玉陵に葬られるまでは保存される。

葬儀の準備にかかる約2週間、
王の遺骸は御内原の東のアザナにある
寝廟殿に安置されることになっていた。

 

「テンペスト(上) 366-」より (池上永一著/角川書店)

尚育王の突然死、
消化器系の病気によるもの、という説もあるようですよ。
(くわしくはコチラから)

 

写真は去年の4月末に、
淑順門が新しくオープンしたときに撮ったものです。
(淑順門 【1】 【2】
(写真3枚目、右手の赤い建物が正殿です)

このあと、工事のためにできた柵などに阻まれて、
これほどはっきりとは見えなくなってしまったのですが…。

今はどうかな~?

 

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