昨日、琉球朝日放送(QAB)で放送された、
平田大一さんのドキュメンタリー番組、
『島に根をはる』
ダビングしてもらったビデオを、早速観ました!
「島を囲む海は“壁”ではない。
海は“道”だ。どこまでも続く可能性の“道”なのだ」
(平田大一)
平田さんはその手がけるすべての舞台で、「シマ(=故郷)」にこだわります。
「グスクは、ずっと教えてくれていたんだよ。
自分の生まれたまちを知ることの大切さを」
(肝高の阿麻和利 劇中台詞)
これは肝高の阿麻和利のクライマックスで現代の「肝高の子」が発する台詞。
10年も続く肝高の阿麻和利の舞台、そして平田さんの舞台作りの意味、意義が
この一言に現れていると思います。
シマを知り、シマを誇りに思うことの大切さ。
そして、シマを自分の土台にして、生きていくことの大切さ。
毎度のことながら、胸が熱くなりました。
今日の天気予報のマーク、残念ながら大ハズレっ
明日も快晴マークだけど、どうかなぁ…。
むー。
GWの予定が立てられない…。
なかなか「これだ!」というものに出会えなくて。
「旅行」となると、さすがに今からでは融通利かなくて
↑はレタッチなしで撮った写真です。
シャッタースピードがやや遅めでシャッター押しながらカメラをぐるんと。
コレまでもやって遊んでたりしてますが(これとか、これとか)
何を撮っているかというと、こちら↓
佐敷森に行ってきました。
でもやはりお天気が悪い上に、暮れ行く夕方だったので
収穫はイマイチでした…。
やっぱりまた光のあるときに行かなきゃ…。
この間尚巴志のお墓に行った時に、手ぬぐい落としちゃって
(水色地に白の豆絞りー(涙))
アレからだいぶ時間がたってるのでもうあきらめてましたが、
やっぱりなかったです
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毎年のことながら、しっかりした予定を立て切れぬままGWに突入しそうです。
去年はやんばる巡りしたな~と思いつつ、
その時の今帰仁グスク(今帰仁城跡/世界遺産)の写真を掘り出してみました(笑)
「デジイチ、とにかく撮ってみよう・使ってみよう」の頃の写真。
あ、そうそう。
GWでデジイチ歴1年になりますね。
今帰仁城跡は1月末に、桜祭りで行ったのが最後です。
(昼と、夜と。)
その印象がまだ残っているので、
新緑に萌える今帰仁城跡は、
過去の写真ながら、新鮮に写って思い出されます。
沖縄はGWは曇りや雨など、
崩れるのが恒例なのですが、
そういえば、去年は好天に恵まれましたねー。
でも、やっぱり今年はぐずついたお天気日和らしいですが。
みなさんの地域ではいかがでしょうか?
もう各地では渋滞や混雑も予想されているのでしょうか。
有意義なGWをすごしてリフレッシュできるといいですね♪
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昨日、またひとつ、仕事のヤマを終えることができました。
あー。がんばったーぃ。
今日から世間はGW。
でもつかの間のGWを終えると、「5月病」の時期に突入ですね。
新生活を始めて一ヶ月、怒涛の一ヶ月はがあれよあれよと過ぎていき、
ふと振り返ってみると、慣れゆく部分と、まだ慣れぬ部分と。
そして現実の厳しさとギャップが見えてくる頃。
ワタシも大学入学、新卒の頃はいろいろ苦しんだなー。
そんな新天地に踏み出している人たちへのエールを、
平田大一さんが自身のブログ「シマとの対話」で書かれています。
ごくごく一部だけご紹介。
自分の底辺が見えてきたら
君のリベンジはそこから始まる。
*
君の可能性?
それは「苦手意識が働くところ」にある。
だから自分で自分を観察するんだ…
「自分の強み」と「自分の弱み」
確認出来たらあとはじっくりと自分自身と相談してみたらいい。
「シマとの対話」 南島詩人/平田大一 (全文はこちらからどうぞ)
さて、そんな平田大一さんと肝高の阿麻和利卒業生を追ったドキュメンタリー番組が
本日16:00~ QAB(琉球朝日放送)で放送されます。
で、でも見れない……
だ、誰か録画できる方いませんか……
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三重城に登て 手巾持上ぎりば
早船ぬなれや 一目ど見ゆる
真鶴は歌を聴いて体が震える思いがした。
流人になったあの日のことを忘れない。
三重城で雅博と別れた日のことが去来していた。
『花風』は恋人との別離の情を歌っていた。
―――雅博殿、もう一度会いたいです。
真鶴の思いが『花風』に宿る。
別れたくて別れたわけではない遊女の気持ちは、
まさに真鶴の恋と同じだった。
女性から男性への愛の証である花染手巾が渡されようとしていた。
―――雅博殿、どうか受け取ってください。
しかし思いは虚しく男は花染手巾を拒んだ。
それが悲しくて仕方がない。
真鶴はひざをついて首を振る。
この思いに偽りなどひとつもないのに。
朝夕さも御側 拝み馴れ染めの
里や旅せめて 如何す待ちゆが
「テンペスト(下)39-」より (池上永一著/角川書店)
首里城の下之御庭で行われている「舞への誘い」で、
『花風』が行われる、ということで、
淑順門の偵察がてら、見てきました!
初・『花風』でした。
『花風』はテンペストでは真鶴と雅博の恋模様を語るときに欠かせない
キーワードの1つになっております。
(他は、鳳凰木と、三重城)
情感たっぷりに踊られる『花風』は、
やはり芸達者が踊るものなのか、
今回のこの演舞でも、琉舞会の座長さん(?)に当たる方が舞っておりました。
現在の首里城です。
なんと!左半分の修復作業が終わって(?)いました!!
中央の唐破風は今回はいじらないので、そこの朱と、修復された部分の朱の違いが
おわかりいただけると思います
そしてお次は右半分へ。
今はちょうど、古い漆を掻き落としている作業のようでした。
赤をそぎ落とし、綺麗な白木の首里城。
この様子は、正殿内部から見学することができます。
これもある意味、今しか見れない首里城の姿。
この作業現場もちょっと覗いてみてください。
真正面図。
そうそう。
だいたいこの位置(正殿全景)から写真を撮って満足される方が多し。
もっと近寄って、細部の装飾、欄干のシーサーたちの表情ひとつひとつまで
是非楽しんでくださーい!
あー。
今日はすがすがしい晴れ日和の沖縄です。
昨日もこれくらい晴れてたらもっと鮮やかな写真が撮れたのになー
(でも今日は県民大会の日なのだ)
さて、では用意しておいたので、
淑順門のご紹介を続けます。
正殿内を見学して、北殿に入って(お土産コーナー物色して)、
北殿の奥から外にでると、目の前に淑順門!
これまで柵でふさがれていたところにぽっかりと通路ができており、
そこから進みます!
城壁の、新と旧。
首里城復元したてのころはこれくらい城壁が真っ白でした。
まだ新しい、という印象の首里城も
年季が入ってきたものです。
目の前に、どーん!と淑順門。
つやつや光る、真新しい弁柄の赤色。
首里城正殿はこのような赤を復活させる(塗りなおす)ために作業中。
観光客の皆様、どうぞご理解くださいねm(_ _)m
是非観てほしいのは、扁額の内側のレリーフ。
新しいので、極彩色豊かな状態を見ることができます。
風化し、色が褪せていく前に是非。
淑順門の階段を上ると、御内原にいける…はずなのですが、
やはりまだ「立ち入り禁止」
首を伸ばして御内原の工事の状態をうかがい見る。
門の向こう側に見えるのが首里城正殿になります。
↑で見えているのは正殿の側面。
位置関係はこんな感じ。
でも本来なら、城壁で囲まれているのでしょうけど。
(今後、囲んでいく予定はあるのかな?)
ほんの少しではありますが、首里城の行動範囲が広くなりました。
このお陰でコレまで見えなかった(見えにくかった)トコロも撮ることができました。
おいおい紹介していきましょう。
と、いうわけで、
龍潭池から望む首里城遠景に、新たに加わったのがこちら。
復元されて、一般公開が始まった首里城、淑順門です!!
正殿の裏にある御内原(琉球版大奥)に出入りするための門です。
でもやっぱりまだ御内原には入れなかった…
まずは、全景。
がんばってパノラマ(風)…。
解説入り。
正殿の側面はちょうど淑順門の後ろに隠れております。
途切れている城壁も、
本来なら御内原エリアをぐるっと囲むように
張り巡らされていたことと思います。
来るたびに変わり行く、
まだまだ未完成の首里城公園です。
久々の首里城に、「花風」も観て
「テンペスト」モード、と思いきや、
実は「百十踏揚」を読み返していて今、かなりいいトコロ。
というわけで『百十踏揚』モードです
(首里へ、行かねばならぬ。行って、父上に、勝連討ちをやめさせるのだ。
按司様を、そして肝高のこの勝連を、救わねば……)
「百十踏揚 429-」(与並岳生著/新星出版)
あ~!大城賢勇のバカぁ~!!
…ラ…、ラブラブッ!!!
見てて照れちゃうくらい、ラブラブにんじんっ!
いや~ん、ステキ
(いいなぁ~(…笑))
沖縄金武町より、ラブラブパワーを送りまーす
■在りし日の勝連城■
城は、勝連半島を貫いて伸びる琉球石灰岩の脊梁大地の北端、
一番高い所に築かれている。
自然の断崖を縁取って築かれた城壁は、鋭く聳え立って、
人を寄せ付けない構えである。
天守に当たる一の郭は海抜90メートルあるが、
そこは南側――踏揚が降り立った南風原の港から
そのまませり上げて鋭くそそり立っており、
麓から眺めると、いかにも天を突くようだった。
(中略)
つまり、勝連城は南風原御門、北原御門、東御門と3つの外門と、
2つの内門をもった構えである。
そんな構えの中に、内部もまた高い内壁を巡らし、
下グスクから上グスクは見上げるように高い。
東グスクから眺めると、三段構えの上グスクは、
それ自体が、城の中の城といったところである。
「百十踏揚 226-」より (与並岳生著/新星出版)
このブログでも、幾度となく登場している勝連城跡ですが、
在りし日の勝連城の姿は、このようだったと考えられています。
この図はパンフレットや、入り口の案内板で見ることができます。
現在、勝連城跡見学で上ってくる方向は西原御門方面、ということになります。
(南風原御門の通路跡も一応ありますがネ…)
これを見ると、今「城跡」として見学できているのは
上の、ごく一部分なんだなー、ということが分かります。
勝連城跡の発掘調査は続行中。
下グスクの整備・公開も待ち遠しいです
城はどこでもそうだと思うが、
高い場所にある。
首里城もまた然り。
正殿にたどり着くまでに、
歓会門、瑞泉門、漏刻門、広福門、奉神門と門が続き、
そのすべてで石段を登って行くことになります。
さあ、一歩一歩踏みしめて、
登っていこう。
デジブック 『*小春日和*』
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いつぞや、記事にしたときから倍増でございます。
ありがとうございます
デジブック「肝高の勝連グスク」と「琉球王・尚巴志」もよろしくです
ショクバの歴女のA氏、
今日少し話す機会がありました。
A氏 「テンペストって読んだことあります?」
和々 「はぁ~もぉ~、6回くらい読みましたよ!(笑)」
というわけで、そのとき読んでた「百十踏揚」も一緒にオススメして
順調に琉球史仲間に引っ張り込む作戦です(笑)