がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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おきなわ湧き水紀行

2018年09月30日 | ・和心な本、琉球な本

『おきなわ湧き水紀行』
(ぐしともこ著/ボーダーインク)

 

一昨年の発行で前々から気になっていましたが
そのうち買おうと思いつつずるずると…、
今になってしまいました(^^;

 

この本は沖縄各地に残っている
湧水(樋川、井戸)を訪ねて紹介している本。

でも単なる史跡紹介本というよりは
著者がそこを訪れた時に食べたものや出来事、
人との出会い等も含めたカー巡りエッセイ、
という感じ。

 

なので読み物としても楽しめる一冊です。

 

私が知らないカーもあり
この本を片手に訪問したくなりますね。

 

ワタシがこれまで記事にしたカーもあったので
ざっとリストアップしてみます↓

 

垣花樋川

受水走水

チチンガー

嘉手志川

犬名河

辺戸大川

金武大川

龍樋

佐司笠樋川

繁多川のカー

森の川

落平樋川

 

本にはなかったけど(たぶん)、
仲村渠樋川も訪問のしがいがありますよ。

 

 

+ + +

 

ところで。

この本の嘉手志川の項で、
″他魯毎が地元の人たちのとっては
反面教師を揶揄するための存在となっている”
ことに触れており、
個人的にはうーん…となってしまいました(^^;)

 

嘉手志川と金屏風の逸話をそのまま受け取れば
他魯毎は愚かな王様そのものですが、
果たして他魯毎があの逸話の通りの人物であったかどうかは
疑ってみてもいいのではないか、と。

歴史の敗者は、勝者の言い分によって
いかようにも語られるもの。

もしかしたら嘉手志川と金屏風との取引にも
こんな裏があって(→  )、
他魯毎はハメられてしまっただけのかもしれない。

 

せめて、地元の人たちにとっては
他魯毎は愚王として人物像だけではなく、
それなりに地元のヒーローとして
愛されるキャラクターであってほしいな。

 

南山に光を!
(→  

 

と願ってやみません。


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由緒ある泉、佐司笠樋川

2018年09月21日 | ・琉球歴史/文化風景

沖縄県内各地に点在する湧水。

ヒージャー(樋川)と言ったり
カー(井戸)と言ったりもしますね。

その数、900とも、1000とも言われています。

 

 

かつて人々の生活に必要不可欠だった泉は
今は枯れてしまったり、人知れず埋もれてしまったりしているものある一方、
史跡や文化財、そして拝所として
今でも大切にされているもの少なくありません。

今回は由緒ある拝所の一つ、
首里桃原にある「佐司笠樋川(さすかさヒージャー)」をご紹介。

 

なぜ由緒あるかと言うと……

 

 

尚家のお宅(敷地内)にある泉だから!
(※尚家の生活空間とは分けられています)

その証拠に
「どうぞご自由に」の看板に「尚」の文字!

なんかもう、これだけでもありがたい

はは~っ!(平伏)ってなる感じ(笑)

 

ありがたきしあわせ。

おじゃまいたします……

 

 

 

さすが王家の泉!

実際に目にすると写真などで見てたよりも
ずっと大きくて立派!!

 

 

下まで降りていくと、
ぐるりと囲まれた石積が実に立派です。

見上げると空を覆うガジュマルの大木。

水は石樋をつたって今でも流れていて、
非日常的な空間に…。

 

 

左の石はなんだろう?
…椅子的なもの?

 

そんあ由緒ある佐司笠樋川の由来はこちらから↓

 

 

尚真王の長女が掘り当てた、
という経緯もやっぱり特別ですね

 

 

+ + +

 

佐司笠樋川の入口は
「ご自由にどうぞ」の看板があるところ一か所のみです。

 

↓この看板がある所からは行けませんのでご注意を。

 

 

はは~っ!(平伏)


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久々の沖縄トヨタ×琉球偉人CM

2018年09月20日 | ・沖縄トヨタ×琉球偉人

沖縄TOYOTA×琉球偉人の新CMが放送されているようです。

ワタシはまだTVでは見れてませんが
YouTubeにUPされていたので貼っておきます。

沖縄トヨタ自動車 新型クラウンCM

 

着物も皮弁服風で赤にリニューアル。

冠を取って走る尚巴志もなんだか新鮮ですね。


これまでのように
別車種も琉球シリーズ復活するのかしら?

 

これまでの
沖縄TOYOTA×琉球偉人のCM集はこちらからどうぞ → 


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天地に燦たり。薩摩、朝鮮、琉球。

2018年09月16日 | ・和心な本、琉球な本


天地に燦たり
(川越宗一著/文芸春秋)


先月読んだ本です。

図書館で借りて読んだので
現在手元にはなく、
読み終わってからの間も空いてしまったので
心に残った文章やセリフの引用もできないのですが、
このブログの読者さんの中には
きっと気に入る人もいるだろうなーと思いまして
軽くでも記事にしておこうと思いました。


先ほど、図書館で借りて読んだ
と書きましたが、
それはつまり貸出期間の中で読み切ることができた、
ということです。
(延滞せずに返却しましたよ)

 

主人公は3人。

島津の武士の樺山久高
朝鮮国の被差別民明鐘
琉球国の官人で探索方の真市

時は戦国時代。

戦に明け暮れる島津、
秀吉の朝鮮出兵、
そして薩摩の琉球への侵攻。

儒教の「礼」をキーワードに、
戦火に包まれる3つの国と、
3人の主人公たちが交錯していく歴史小説。

 

琉球の薩摩侵攻はともかく、
戦国時代かー
島津かー
朝鮮出兵かー
大した予備知識ないし
難しそうだなー
読めるかなー
と思っていましたが……

 

興味深く読めました

 

+ + +

 

私にとって歴史小説と言えば、
がっつり系歴史小説の代表格、司馬遼太郎。
『テンペスト』でおなじみ、エンタメエッセンスが入った池上永一。

どちらかと言えば司馬遼太郎系と聞いていたので
少し身構えていましたが、
確かに(私的には)冒頭の島津の章は
久高のキャラらしく重々しい感じでしたが

朝鮮が舞台になると
明鐘の庶民的で聡明なキャラクターもあって比較的すいすいと。
師匠とのやり取りは、まるで『テンペスト』の麻先生と寧温のよう。

琉球の真市は自国・琉球が大好きなカラっと明るい人間で、
(でも探索方なんだよ)

"うふちぶる我那覇"も出てきたのには笑いました(笑)
後半には謝名親方も出てきます。

 

歴史上の出来事としては
朝鮮(明鐘)や琉球(真市)を蹂躙していく島津(久高)
なんだけど、
久高には久高の苦労や苦悩があって。

とりあえず、
朝鮮出兵ってあんなに長期間やってたんだ
とか
島津としてもかなり追い込まれてたのか
とか
やっぱり島津の強さパネェ
とか
そういうことも知ることができました。

 

こんな感じで知識の浅いワタシなので(汗)
深い読みのレビューは書くことができないんだけど
ワタシはこちらの書評を見て
「よし読んでみよう!」と思ったので貼っておきます↓

 

小説家・秋山香乃が読む『天地に燦たり』川越宗一著 誰も描いたことのない物語

 

ところで、この本を読んでのち、
たべのむらじさん(南九州の歴史専門家)のツイッターで知ったんですが、
薩摩侵攻で大将を務めた樺山久高。
その樺山家の当主は「中山国前大王(尚寧王)」を
今も慰霊し続けているのですね…。

 

該当ツイート

 

この小説をきっかけに、
琉球を攻めた島津軍の大将・樺山久高、から
少し、「樺山さん」とお近づきになれた気がしました。

 

+ + +

 

国がなくなっても民がそこにいる限り、どんな国も造りなおせる

これは『テンペスト(下)』で
琉球処分に際して出てくる文章なのですが、
『天地に燦たり』でも、
追い詰められる朝鮮や滅亡の危機に陥る琉球のシーンでも
このような意味のことが出てきたりしていました。

先に触れた明鐘と師匠のやり取りもそうだし、
『テンペスト』と似た雰囲気を随所に感じたりもしました。

 

ということで、

ワタシの全体の印象としては

『天地に燦たり』は、
『テンペスト』好きの方には
気に入ってもらえるかも!

ということでした。

 

気になってた方は是非手に取ってみてください。

 

私も図書館本で読んだ本でしたが
そのうちkindleで買おうかなと思っています。


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察度のおうち、黄金森グスク

2018年09月12日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

宜野湾市大謝名にある黄金森グスク(黄金宮)。

中山王になる前の察度が住んでいた場所
とされている所です。
(ちなみに察度の実家はコチラ

住宅街の中にあるのでとても分かりにくい…
と聞いていましたが、
『黄金宮』という標識がどーんと立っていて
分かりやすくなっていました。

でもこの標識がないと
一般民家の庭にしか見えないので
確かに分かりにくかったかも。

以前のこの場所の写真を見ると
大きな木があったりして
もっと緑が生い茂っている感じでしたが、
台風でやられたのか伐採されており
こざっぱりとした印象でした。

 

 

中には案内板と、

拝所のみ。

かつては石積などもあったようですが
今はすっかり住宅地となっていて
その面影は見当たりません。

 

 

なぜ黄金森、黄金宮というと、

貧しかった察度が勝連按司の姫を嫁にゲットし、
この住まいに戻ってくると、
なんとそこらへんに黄金がゴロゴロ。

驚いた姫が問いただすと、
「これなら畑にいっぱい転がってるぞ」と。

姫から黄金の価値を教えられた察度は
その黄金で港に来ていた商人から鉄を買い、
農機具を作って皆に分け与えた。

…という逸話に由来しています。

 

 

昔はこの近くまで海岸線が伸びてたんですね。

釣りなどをして放蕩していた察度
…というのも納得な環境。

 

 

道中にも案内板があったので
迷わずに行けました。

 

↑案内板(クリックで拡大)



りゅうPON「人ものがたり」で描いた察度。
勝連グスクに嫁を無心するの図。


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琉球/沖縄、一問一答 【第123問】

2018年09月08日 | ・琉球/沖縄、一問一答

【第123問】

 

程順則が中国から持ち帰った
道徳の本の名前は?


 

(答えは下)

 

 

 

琉球/沖縄、一問一答シリーズについて

 

 

 

 

■ ■ ■ ■


 

 

 

【答え】

 

六愉衍義(りくゆえんぎ)


この本は琉球から薩摩を通して江戸の将軍にも伝わり
全国の寺子屋で使われることとなる


名護市ではかなりの六諭衍義推しです。
(那覇市久米でもそうだったっけかな?)


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沖縄空手会館と大城賢雄

2018年09月06日 | ・琉球歴史/文化風景

前回の「沖縄空手会館」の続き。

 

 

展示室前のロビーにある
空手(=手:ティー)にまつわる名言・格言。

世界中の空手愛好家たちが都合場所として、
英語表記もばっちり。

 

このパネルの、展示施設入り口を挟んで向こう側には…

 

 

名だたる空手家たち(空手の各流派の開祖など)の写真が。

だいたい等身大くらいなのかな。

右端の本部朝基は、彼を題材にした小説『武士猿』を読んでいたので知っていました。
あと、左端の船越義珍。彼は本土に空手を広めた人の代表として勉強しました

私が歴史的空手家で知ってる人…と言えば
この二人くらいだったのですが……

 

ふと、この人に目が留まる。

 

 

左から2番目の方、摩文仁賢和(まぶにけんわ/1889~1952)。
糸東流の開祖
初めて聞くな?と思っていたら、沖縄にその流れの道場はないのだとか。
船越義珍らと同様、関西を拠点にし空手を広めていった方です。

さて、その摩文仁賢和。

 

摩文仁…賢…。

 

摩文仁家(姓)… 名乗り頭 賢…

 

…ときたら、
もしかして、大城賢雄の子孫?

 

帰ってからググってみたら、

 

ビンゴ!

わあ、夏氏の家紋もがっつり!


全日本空手道連盟 糸東会
糸東流空手道 養秀館拳忍会

 

武将・大城賢雄つながりとは
なんだかより強そうですね。

ちなみに、この写真がほぼ等身大だとしたら、
賢和さんは(今から見たら小柄だけどおそらく当時としては)普通の背丈の印象でした

さすがに賢雄同様、身長2m(伝)ってことはないか(笑)
 


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豊見城グスクの沖縄空手会館

2018年09月05日 | ・琉球歴史/文化風景

 

豊見城グスク跡に建てられた
『沖縄空手会館』

今や世界中に愛好者のいる「空手(手:ティー)」

オリンピックの新種目としても
追加されたり
先月の沖縄空手国際大会が開催されたのも
記憶に新しいところ。

 

〝沖縄空手を独自の文化として保存・発展・継承するとともに
「空手発祥の地・沖縄」を国内外に発信し、
空手の真髄を学ぶ拠点として″
この施設は建てられました。

道場や鍛錬室がメインですが、
他にも研修室、売店や食堂、
そして展示施設(有料)があります。

 

以前、その展示施設に見学に行った時のことを振り返ってみます。
※展示等内容は変わっていないと思いますが…実際に見学した時と時差がありますのでご了承下さい。

 

 

展示室入り口のパネル。

首里城正殿を背景に
様々な空手にまつわる名言が。

「空手に先手なし」

空手の精神がこのパネルだけでも垣間見ることができてぞくぞくします。

 

 

展示施設内は写真NGなので
ざっくりと見どころだけをご紹介。

空手の歴史や各流派の偉人(達人)たち
それにまつわる資料を見ることができるのはもちろんなので、
それ以外をあげるとしたら…

 

1 入ってすぐのプロローグ動画

映画の様でカッコイイ演出!(HPで見られるPR動画とは別)
墨絵アニメーションがCOOL!
墨絵はおそらく、
廃藩置県後の本部朝基を描いた小説『武士猿』の表紙絵を描かれた方かと。

帰る前に、もう一度見ました。

 

2 古武道について

古武道で使われる様々な道具も展示されています。
棒やぬんちゃくは比較的目にしますが、
他にもサイや鉄甲など様々な道具、動き(動画)を見ることができます。

 

3 体験コーナー

鍛錬のための鉄下駄を履いてみたり
ゲーセンなどにあるパンチゲームのように
突きをして合否を計るものなど、
少しですが体験コーナーもあります。

 

全く空手に詳しくないワタシでも
その歴史や偉人たちの功績の一端に触れることができ、
学び、楽しむことができました。

 

 

庭にあるこちらの道場(守礼之館)は
高段者の昇段試験や、セレモニーなど、
特別な時にだけ使用される特別な道場。

普段は締め切りです。

 

 

その裏。

豊見城グスクのエリアの一部です。

関係者と拝みの人以外は
立ち入り禁止、となっていました。

 

奥の緑の部分、

 

 

このあたりが城部分だったのでは、
とのことでした。

 

豊見城グスク。
他魯毎の父ちゃん、汪応祖のグスクです。

 

空手についても学び、

三山時代の南山にも思いを馳せ、

 

そして…(続く)


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琉球/沖縄、一問一答 【第122問】

2018年09月02日 | ・琉球/沖縄、一問一答

【第122問】

 

「沖縄の祖国復帰が実現しない限り
日本の戦後は終わらない」

誰のセリフ?


 

(答えは下)

 

 

 

琉球/沖縄、一問一答シリーズについて

 

 

 

 

■ ■ ■ ■


 

 

 

【答え】

 

佐藤栄作(さとうえいさく)

沖縄の本土復帰を実現させた総理大臣


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琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑まとめのページ

2018年09月01日 | ・和心な本、琉球な本

≪琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑まとめのページ≫

・本の紹介と特徴
・経緯まとめ(きっかけ~意図・意義)
・初版正誤一覧

 

琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑
(イラスト・文/和々・澪之助 ボーダーインク発行)

ボーダーインクのページ→ 
Amazon→ 

 


〝琉球史をとことん楽しむ〟がモットーの琉球歴女たちが、
今までとはまったく違う女子目線で、 琉球史の新しい人物像にアプローチ!


今や巷にあふれている、戦国や幕末などの歴史上の人物を
イケメンキャラにしたゲーム(アプリ)やアニメ、
刀剣乱舞などに代表されるのモノを擬人化したキャラクターetc……
その琉球史版、というような立ち位置の本です。

琉球史の人物たちを、
ゲームやアニメのようにキャラクターデザインしてキャラ設定をしてみたら……!
これまでとは違った人物像や、琉球史が垣間見えてきました。
(詳しくは下記にリンクを貼った「キラキラ化に、何の意味があるのか」参照)



 

 

「ひとこと」で触れた『琉球戦国列伝』(’12.3発行)↓


 

『キャラクター図鑑』は『戦国列伝』の姉妹本として
両方を比較しながら見ていただけるとまたより楽しめます。
絵柄、全然違いますが(^^;)、どちらもワタクシ和々です。



+ + +



この本では、現代版組踊についても20ぺージあまりにわたって特集しています!
県内各チームの舞台レポや、メンバーさん(卒業・現役)たちとの対談も(収録は'17秋)。

現代版組踊ファンが見ても楽しい1冊になっております。


 

 



+ + + + + + 



≪経緯まとめ≫

琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑、について1(きっかけ)

琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑、について2(制作スタート)

琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑、について3(現代版組踊)

琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑、について4(編集)

キラキラ化に、何の意味があるのか(意図・意義)

 

 

+ + + + + + 



≪初版・正誤一覧≫

現在流通している初版に、誤字脱字(誤植)等を含むいくつかのミスが見つかっています。
読者・関係者の皆様にはご迷惑をおかけしてしまい、お詫び申し上げます。
ここに正誤一覧を掲載します。

 

P4下
現代版組踊協議会 → 現代版組踊推進協議会

P18・19下
泰期ステータス → 尚巴志ステータス

P19上
1402年に中山王武寧を攻略後、 → 1406年に中山王武寧を攻略後、

P25上
(見出し)龍潭池 → 龍潭(池をトル)

P25上
(本文)龍譚 → 龍

P62・63下
尚徳ステータス → オギヤカステータス

P84 上
魏古城(ルビ・ごえく)→ 魏古城(ルビ・ぎーくじょう/ごえくじょう

P98右上
【伊平屋島】●屋蔵大王 → ●屋蔵大

P98左中
【久米島】●ガサシワカチャラ → 笠末若茶良(漢字表記)


P114 上
岩切里穂さん写真 → 要差し替え

※差し替え用の写真(コピー紙に掲載サイズでプリントアウトしたもの)希望の方はご連絡ください。

 

P13 下
泰期と一緒に何度も琉球と明国を行き来しています 云々… →

※私の記憶違いにより発生してしまった文章で、
史料上は二人が何度も一緒に航海したという記録はありません。
(事前に内容チェックもしてもらってましたが、見落とされていたようです。
しかし史料による再確認をしてい
なかった私の落ち度です)

史料上はこうです↓


明実録の記録では、2人が一緒に行き来したのは1382年の1回のみ。
亜蘭匏はこの年が(朝貢使者としての)初見で、その後連続で出てくるが、代わりに泰期の名は消える。
一般的にはこの年を境に泰期が死去、もしくは引退したと考えられている。

そこで、初版本ではこじつけフィクションとして以下のような裏設定がある事にします…

1382年、泰期の引退にそなえ引継ぎ航海をした二人。
しかし亜蘭匏がひょんなことで溺れてしまい、泰期が助ける。
そんな亜蘭匏をみて心配になった泰期は引退を撤回し、
その後も一緒に航海を続けることにした。

ただし、泰期自身は非公式(NO役職)としての乗船だったため
公式記録には残っていない…。


 

 

この年(1382年)は、泰期による初進貢(1372年)から10年が経過しています。
…が、ここでは漫画的超法規的措置としてこの姿(見た目)のままでお送りしております。


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