がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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安里大親清信と金丸

2015年01月29日 | ・琉球史散策/第一尚氏



前回安里大親清信の若い頃の伝承
を紹介しましたが、
晩年、金丸と絡んでくる頃の伝承もあります。

有名な話なのですが
まだブログではちゃんと書いてないので
紹介しておきましょう。

 

 

ある日、清信が安里橋の東側を通り過ぎようとすると、
白髪の老人に出会った。

一礼すると、老人もそれにこたえ、
自分の家へと招いた。

それは林の中にあり
それはそれは素晴らしい建物で
まるで蓬莱島のようであった。

そこには二人の老人が碁をし、
子どもが茶を沸かしていた。

清信は不思議に思って
礼を言ってそこを去る時
印として馬の鞭を置いて行った。

翌日、再びそこに行ってみると
何もなく、誰もいなかった。

ただ、林の中に鞭が置かれているだけなのだ。

清信はただただ神秘を感じ
そこを去った。

後日、月の美しい夜にそこを通ると
またあの老人に出会った。

そして別れる時、
老人は清信に金塊を与えて言った。

「あなたとは不思議な縁がある。
ここを開拓して家を建てなさい」

老人はそういう言い残すと
風のように消え去った。

 

清信がその土地を改めて見てみると
とても良い場所であったので
家を建て、竹の垣根を作った。

そして悠々自適の生活を送った。

 

 

その頃、金丸は御鎖之側の役職に就いており
首里と那覇とを往来していた。

ある日、清信は家の前を金丸が通るのを見て
ひざまずいて言った。

「あなたには、ただならぬ高貴の相が表れています。
いつか必ず人の上に君臨するでしょう」

さらに後日、清信は
金丸が那覇から帰るのを待ち、
宴を設けて接待し、
わざわざ君主の席を作って
そこに座るように促した。

金丸がそれを断ると、清信は言った。

「あなたは普通の人ではないのです。
なぜ断るのですか」

 

これにはさすがの金丸もドン引き(゜□゜;)

 

…とは書いてませんが、

 

金丸はそれを聞くと驚いて立ち上がり
袖を払って出て行った。

清信はそれを敢えて止めようとはせず、
金丸を見送ろうと門外に出た。

金丸が馬に乗ろうとしたまさにその時、
金丸の足首がちらリズム

 

そこに見えたのは
ナント!


黄金のアザだったーーーっ!!!

 

 

清信はまたまたひざまずいて言った。

「ほら、前も言ったではありませんか。
あなたには高貴な相が出ていると。
なぜあなたは信じないのですか。
この痣を見るに、やっぱり間違いありません!」

 

参/「球陽」
訳参/「琉球の英傑たち(大城立裕著)」

(まじめに書くの疲れてきたから後半ふざけました(笑))

 

ちなみに清信が不思議体験をし
家を建てて住んだ場所は
今の崇元寺の所だと言われています。


 


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琉球の霊能者、安里大親清信

2015年01月26日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

「物呉ゆすど 吾が御主!」
(金丸こそが王にふさわしい)

と大演説をうって
クーデターの引き金を引いたのが
ご存知、安里大親清信(あさとうふやせいしん)

護佐丸の兄ちゃんらしいというのは
既に紹介済み。
(→  

その安里大親ですが、
彼は不思議な力、つまり霊力を持っていて
まだ役人だった金丸に王の印を見ていた…
というのは有名ですが、

若い頃もなかなかの
ぶっとびエピソードが残っているので
今日はそちらを(やっと)ご紹介。

 

23歳の頃、清信は明国に渡ります。
その理由は
『中国皇帝の病を霊力で治すため』

なんでも長く病気でふせっていた皇帝が
"琉球の霊力者を招いて治療させよ"
という神からのお告げをいただき、
白羽の矢がたったのが清信だったのです。

明国に向かう船の上で、
彼は流星を見て突然泣き崩れます。

「妻の星が落ちた」

つまり、琉球に残していた妻が死んだ、と。

しかし引き返すこともできず、
明国についてから、妻の訃報が届いたのであります。

 

 

さて、皇帝の元を訪れた清信は
皇帝の脈をとり、
胸部、腹部、背部と診察をし、

目を閉じて心の中で何かを念じると、
目を開けてこう告げました。

「陛下のご病気は何も重い病気ではありません」

もちろん、周りの者たちは信じられません。

清信は続けます。

「まず、皇帝が毎日使っている枕の中を調べてください」

側近が皇帝の黄金の枕を割り砕いてみると、
数万匹の白ひげを生やしたゴキブリが
うようよと動き回っていた。
(ぎゃー!!Σ(゜д゜;))

「次に、陛下が座っている所にある大黒柱を
取り外し、割り砕いて燃やして下さい」

その通りにすると、
今度は数万匹の白ひげを生やした白アリが出てきた。

「次に、陛下が毎朝使っている手洗い鉢の台石を
打ち砕いて下さい」

台石の空洞部分から出てきたのは
白ひげを生やした数十匹のムカデであった。

「これらのものが、陛下の精(しい)を喰っていたのです」

これらの動物がみんな死ぬと同時に
皇帝の病気はけろりと治った。

 

 

ってゆーか、
霊力云々じゃなくて衛生指導じゃん?

 

…というツッコミはお約束ね。

 

病が治った皇帝は恩に報いるため、
妻を亡くして落ち込んでいた清信に
自分の姪との結婚を勧めた。

清信はこれを受け、娶りますが
ああ、何と言う因果か、

琉球に帰る船の中で、
彼女もまた死ぬのでありました。

 

参/「 安里大親清信伝(※護佐丸一統繁栄記 内 25-)」
伊波盛誠著/1988/月間沖縄社

 

ちなみに、ワタシの上司は
安里大親の子孫らしいです。

(子孫の名乗り頭は「清」)

 

 

イラストの安里大親、
琉球戦国列伝で描いたのとちょっと髭をアレンジ。

近世琉球でナウかった
「五髭」にしてみた(笑)

元ネタ↓ (クリックでジャンプ☆)


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薩摩一の宮、板聞神社

2015年01月25日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

鹿児島の琉球史巡りをするなら
ここは絶対に外せないスポットの一つ、
指宿にある枚聞(ひらきき)神社。

薩摩一の宮の由緒正しき神社です。

航海安全の神としても知られ
無事に本土上陸を果たした琉球使節も
ここを訪れ扁額を奉納しています。
(1773年~1803年のもの)

その扁額7枚が今も残っていて
常時見ることができます。

(撮影はダメかな?と思ったので写真なし)

 

枚聞神社は昔から海上守護の神として信仰が厚く、
中でも琉球王の崇敬が深く、
島津氏に対する入貢の航海中
遥かに開聞岳の雄姿を拝するや、
神酒を奉り無事を祈ったと伝えられる。

琉球王は航海安全の神徳を報謝して
「徳光普照」をはじめ数面の額を奉納した。

(枚聞神社宝物目録より)

 

宝物殿…かなり質素な作りだったけど
陳列棚なども含めて
もうちょっとメンテナンスできたら
いいなぁ(^^;

 

 

背後には優々と開聞岳。

純粋に、「きれい」です。

陽も傾き、雨の降る寒い中の
枚聞神社訪問でした。

 


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Team NEXT TAO+肝高の阿麻和利

2015年01月21日 | ・現代版組踊レポ

 

現代版組踊「百十~MOMOTO~」

2015年1月18日(日)

きむたかホール

 

昼の招待公演と、夜公演と2回見させていただきました。

本当は招待公演の1回観劇の予定でしたが、
観終わったあと「あと1回見なきゃ後悔するかも」と思い、
マッハで帰宅し、残ってた仕事をマッハで終わらせて
再度、当日券を買って見ました(笑)

 

さて、今回は
Team NEXT TAO(基本現代版組踊のOG・OB+α)
のメンバーと、
現役の阿麻和利メンバー(一部)との共演作。

現役の阿麻和利メンバーで
スピンオフ的な舞台をやってみてもいいのでは?
と常々思っていたのですが
今回はその試み的な感じでできたのではないでしょうか☆

現役メンバーにとっても今回の経験が
肝高の阿麻和利を演じる上で
さらなる刺激や勉強になったと思います!

そして阿麻和利メンバーが加わった分、
演舞シーンもより華やかに、
ダイナミックになっていて見ごたえもありました!
(特にエイサーシーンが印象的。
女子の囃子の入り具合がなんとも良かった)

まさに相乗効果

 

オープニングは戻ったような形に。
月照らす涙星での演舞復活と、阿麻和利の昇天。

んー、これは好みかもしれませんが、
個人的には前回の映画的な「静」の作りが好きかな?

 

 

*思徳金*

土曜日公演は違うキャストみたいでしたが
ワタシが見たのはずっと同じ子。

「母上!母上ー!」の叫び具合も
より必死さが増して相変わらず涙を誘う…。

ワタシは、思徳金が田場を振り切って
百十踏揚に別れを告げる
小さいながらも「察してる」感じと、
その後、一切振り返らず、歩みも緩めずに
きりっと退場していく様が好きです。

前も書いたけど、
思徳金、武士やね…。

原作の小説の方はもっと幼児(3歳)なんだけど
1458年~1469年までの時の流れとかを考えると
(その間に百十踏揚が再婚・妊娠・出産)
舞台の少年・思徳(8~9歳くらい?)の方が
リアリティはあるんだね。

 ※↑の1458年、タイプミスでなぜか1948年って書いてた…(大汗)
なんでか全く分からない(^^; 訂正します;

 

*思戸*

安定感抜群のナレーションに
たっぷりの情感がプラスされ
更に磨きがかかってました。

すばらしい。

将来、アナウンサーとかナレーターとかなれますね!

 

*尚泰久と金丸*

どちらも女の子役者さんでした。
男の子の役者も増えるといいなー。

ふと思ったんだけど、
尚泰久は城間との一人二役なので、
同じ役者さんが舞台の前半と後半で
立場が全く逆転してるという(笑)

内容とは全く関係ありませんが、
なんかちょっと面白かったデス(笑)

 

*百十踏揚と大城賢雄*

最後のカーテンコールで中央に立っている彼女を見て、
主役としての威厳と言うか
格というのもを感じました。

なんだか輝きオーラが

 でも最後の挨拶はちょっとあると良かったなー。
せっかくのスペシャルコラボでもあったし
一言聞きたかったです。

今回は、百十踏揚が昇天するときに
紅のうちかけを落として行くのが印象的でした。
そのままそれが百十踏揚の「肉体」として
現世に残ると言う。

昇天した百十踏揚と、
現世の思徳金との会話は
初演の時から好きなシーン。
(これと、賢雄が死ぬトコ)

でもその時、舞台端に天上の賢雄が
残っていたのが意味深でした。

その意味はちょっと読み取れなかったけど…。

んー。

思徳金の「父」として
見守りたかった的な感じかな?

あと、
二人のラブっぷりがアップ!?

賢雄が百十踏揚の肩に手をまわして
寄り添って…ってゆーのが多くなってる気がして
ちょっとキャってなりました(笑) 

また賢雄は攻められるシーンの
吐血感が良かったデス(笑)

あのシーンって、
初演の時に音楽の雰囲気的には
「北山の風」に似てるって書いてるけど、
北山の風じゃなくて、「アカハチ」だ。
(初演の時はまだアカハチ見たことなかったから…)

で、その時の賢雄の長刀を落とすまでの剣舞
もっとスピード感あるといいな。
曲のテンポに合わせているのかもだけど
せっかく体格がいいので
もっとダイナミックに力強く見せると
もっと死に際がかっこよくなると思いました!
(曲の倍速で動けば拍子は合うだろうし)

今回、現代版組踊初見の同僚と
一緒に行ったのですが
やっぱり賢雄の「声」に聞き惚れてました。

すばらしい武器です。

 

さて、今回見た2回の舞台で、
1番のツボだったのが夜公演のコレ。

 

クーデターが起こり、
賢雄に使者・城間が金丸の言葉を伝えるシーン。
巻き物を逆に持って「あれれ?」ってひょうきん者を演じる城間に
まさかの賢雄ツッコミ。

 

「逆だ(ぼそり)

 

はぁっ!!Σ(゜∀゜;)

 

あのシリアスで緊迫したシーンで
まさか賢雄からツッコミが入るとは(笑)

アドリブっぽかったけど、
どうなんだろ??

個人的にはあの渋い低音ボイスで、
しかも大真面目なシリアスな顔で
ぼそっと言い放ったツッコミがかなりのツボで、
爆笑ではなかったけど、
新鮮な驚きとおかしみがありました(笑)

 

 

*以下、個人的な意見・要望*

年代のこと。

前回書いた百十踏揚没1499年は
1477年に修正されてました

…がっ!!

百十踏揚が死ぬ直前の、思戸のセリフ、

「(前略ナントカカントカ)1477年。その後、玉城で余生を過ごされ…」

1477年没なのに、
"その後、玉城で余生を過ごされ"…!?

ん~~~~!惜しいっ!!

1469年(70年)のクーデター&逃亡劇の後、
玉城で7年ほど余生を過ごして没。

そういう意味を言いたかったのだろうけど、
セリフの組み立て方からは
1477年の後に余生という風になってました

実に惜しかったです

こういう時間経過の描写や数字のつじつま、
スタッフでもキャストでも、
誰か一人でも事前に気付けたらいいんだけどな…。
(同公演ばかり3回連続となるとちょっとさすがに…;)

 

 *

 

ところでクライマックスの演舞、
んーーー…、しつこいようだけど、
やっぱりやっぱり囃子や掛け声や効果音
(例えば扇子やサンバやエークなどの小道具や、
手をたたく、踏み込むなどの動作などによるものでも)
が欲しいな―。

そういうので観客を巻き込んで
拍手なり手拍子などを引き出すってあると思う。
(今回2回とも演舞中は手拍子なかった、できなかった)

百十踏揚が前に出てきてソロ演舞して、
お辞儀してすぐあとの所とか
全体の掛け声とかあると絶対手拍子引き出せるよ!
って思ってたら夜はちょっとやってた感じ?
…が、あまり聞こえず

観客を圧倒するほどの大合唱でもいいし、
全体のエネルギーの集大成がもうひとつ欲しいと思いました。

やっぱりイメージは肝高の阿麻和利の
「肝高の詩」の構成なんだよな。

 

 

今回招待公演を見たというのもあるけど、
「観客力」ってのも大事だよねーと
改めて感じました。

観客がどれくらいいて、
どのような熱量(テンション)なのか、で
舞台の印象ってだいぶ変わると。

舞台も「ライブ」だからね。

招待公演はやっぱり観客人数も少なかったので
(半分…以下…くらいよね?)
なんだかちょっと妙でした
(今回なんで招待公演を分けて設定してたんだろ?)

歌舞伎みたいに観客からの掛け声
…とまでは言わないけど
指笛とか手拍子とか拍手とか、
やっぱりそういうのがあると全体が盛り上がるし
演者さんたちもそれに乗せられるっていう
側面は絶対にあると思う。

ワタシたち観客を、是非「利用」して欲しいです(笑)

ちなみに、観客力が1番強いのが
「肝高の阿麻和利」の卒業公演の最終公演です。

前も書いたけど、熱すぎる(笑)

個人的には初見者は火傷しないように
卒業公演でも別日をおススメしてます。

なぜならばそのノリに上手くハマればいいけど
すごすぎて引いてしまう危険性も秘めてるから(笑)

 

 

あと、可能ならキャラごとに衣装のテーマカラーは
違うといいな~~~。

阿麻和利と賢雄が一緒すぎる

頭巾+向立(つまり髪型・頭部の見た目)が外せないのなら
せめて衣装のテーマカラーは替えたほうが

どれが誰というのを分かりやすく提示するのは
歴史モノでは必須だと思いますデス。

費用的なトコもあるかもしれませんが、
次に衣装を作るときは意識して変えてもらえたら
いいなーと思いました☆

 

以上、備忘録レビューでした。

 

ところでせっかく1月に百十公演があったというのに、
今年の百十の日(1月10日)、すっかり忘れてた!!
完全に、100%忘れきってました(^^;)


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宇座グスクとカクリグスク

2015年01月19日 | ・琉球歴史/文化風景

 

昨日の百十(MOMOTO)の公演で
久々に再会した琉球歴女仲間さんのために
舞台レビューの前にとりあえずこの記事を。

読谷村にある宇座グスクです。

畑が広がる平野の中に
ぽこっと小さな丘がある、
ここが宇座グスク。

 

 

とは言っても、
今は古墓(墓地)タイプのグスクで
石垣や生活などの遺構は
見つかっていないようです。

 

 

中には鍋之甲の墓や、
山内の墓、
宇座ウェーキの墓などがあり、

伝承によると泰期とも
関わりがあるとかなんとか。
(宇座ウェーキ=泰期?)

※ウェーキ(金持ちの意味)

 

鍋之甲の墓は移動されていて
道路側からすぐに見れましたが、
山内の墓(人物詳細不明)、
宇座ウェーキの墓は
直接確認はできませんでした。

内部に入る場所、間違えたかなー;
それか藪で閉ざされてしまったか。

 

 

 

ついでにこれ↑は
トップ写真を撮った付近にある
瀬名波のカクリグスク(別名ハナグスク)。


こちらにも古墓があり、
宇座グスクと同様、古墓タイプのグスクのようです。

 

沖縄では近所にある丘が、墓が、藪が、
昔ながらのグスクってことも
あるかもしれません。

 

参/「読谷村文化財めぐり」(読谷村教育委員会/H17)

 


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覚書

2015年01月17日 | ・徒然日記

 

正月飾りに欠かせない葉牡丹。

でも沖縄ではあまり見かけないね。

 

 

*覚書*

マス分割(700マス) 
ペイント 35×20(横×縦)
A4出力 余白設定上30 下30 左43 右44
マスサイズ 横210 縦150 
(※最下段、余白差あり)
完成図 横7m35cm 縦3m

ブログに書いとくと
検索すればすぐ出てくるから
ノートとかより便利なんデス。

今回の記事はこれがメイン(笑)


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サンライズセラピー

2015年01月16日 | ・徒然日記

 

サンセットセラピーならぬ、

サンライズセラピー。

 

休みの日の朝は
時間を気にせず
ゆっくり楽しめるからいい。

 

さあ、明日は休日

 


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*心理テスト*

2015年01月13日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 突然ですが、心理テストです。

 

あなたの目の前にお城があります。

 

窓は何個ありますか?

 

 

 

 

 

「ない!」

…と答えたワタシの頭の中。

 

 

 

そりゃ、ねーわな。

 

城は城でもグスクで、
しかも、
窓どころか建物自体ない(笑)

 

 

ちなみに、

答えた窓の数が多ければ多いほど
ナルシスト

らしいです。

 

 

さて、皆さんの頭の中のお城は
窓はいくつでしたか?

 

写真/2014.11 座喜味グスク

 


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沖縄トヨタ充実・安心カーライフ1-3月号

2015年01月12日 | ・沖縄トヨタ×琉球偉人

 

沖縄トヨタ自動車の機関紙、
2015年1→3月号が発行されてます。

琉球サウダーヂからの特集は
「エイサー」と「泉」。

表紙はお正月らしく首里城と日の出。

残念ながら首里城での日の出は
正殿の背後からになり、
逆光で上手く撮れないので
今回は日の出写真と合成です。
(首里城と日の出写真はCMとかにもあったりするけどたいてい合成)

今回も写真提供で
協力させていただきました(^^)

ちなみに元となった首里城写真は
【エスクァイア「ここからだ篇・沖縄ver」】CMの
ラストカットにも使用されてます。

バッドマンのやつ。

写るのは一瞬(約1秒くらい)ですが
見た方いますか~?

ちなみに中城グスクバージョンもあります。

 


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薩摩の玄関口、山川

2015年01月11日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

 

 

近世、薩摩の支配下に置かれ、
薩摩への行き来が盛んになった琉球。

船で北上し、
本土上陸の玄関口になったのが
指宿市の山川。

前に記事にした石敢當(石散當)でも分かるように
琉球人の足跡が残っている町でもあります。

 

 

現在の山川港。

さつまいも上陸の碑。
(ザビエルもね)

琉球人鎮魂墓碑。

花ブロックも結構見かけた。

山川石の造形。
(河野覚兵衛墓石群)

西南戦争鎮魂碑。

仮屋跡石垣。

武家屋敷石垣群。

道の駅で食べた指宿温泉ソーダと
芋の餡が入ったかつおやき。
(山川はかつおが特産)

津口番所跡。

 

 

2009年に薩摩侵攻400年を記念して作られた
琉球人鎮魂墓碑の説明。

 

 

明治になり、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で
めちゃくちゃにされた墓石などを集めた
旧正龍寺跡墓石群。

首なし仏や破壊された鬼瓦が痛々しい。

その数ある墓石の中には
1786年の大城仁屋の墓石も。
(写真左下。琉球國の字が確認できます)

右下は現在の正龍寺と仁王像。

 


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小禄良忠(馬 克承)

2015年01月08日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

半年くらい前に描いてた没ラフを
改めてちょっと直したモノ。

小禄りえこさん。

もとい、

小禄里之子。
(ちなみに元絵はこちらに)

 

楽童子さんです。
what's 楽童子? →   

 

江戸上りの行列を描いた巻物で

至而美少年ナリ

とまで注意書きがされたほどの
絶世の美少年。

 

彼は三司官にまで出世しますが
牧志・恩河事件で失脚。

美貌も才能も地位も名誉も手に入れていても
最期だけは報われなかった
(投獄され拷問を受け島流し)
悲劇のヒーローでもあります。

小禄里之子、
和名は小禄良忠、唐名は馬 克承(ば こくしょう)。

現在彼の書が首里城南殿で展示されています。
(12月中旬の情報。展示替えになってたらゴメン!)

 


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レトロステキな嘉例川駅

2015年01月07日 | ・徒然日記

 

今回の薩摩旅で思いがけずステキスポットだった
鹿児島で1番古い(100年以上!)木造駅舎の「嘉例川駅」。

無人駅ですが、今でも現役です。

かもめ食堂とかそういう系の
ゆるい映画のロケ地になりそうな
レトロでステキな駅でした。

 

 

有形文化財にも登録されている
この嘉例川駅。

ちょっと行ったところには
大型バスも停まれる駐車場もあり、
観光スポットとして人気のようでした。

偶然にも電車がくる時間帯に訪れたこともあってか
観光客もけっこういましたよ。
(乗車客ではなく見物客(笑))

電車好きにはたまらないスポットでしょうねー。

 

 all photo by i-phone

 

 


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琉球史ゆるゆる漫画byとらひこさん

2015年01月05日 | ・琉球歴史/文化風景

「目からウロコの琉球・沖縄史」のとらひこさんが
ゆるゆる琉球史漫画を始めましたよー

すでに3話まで掲載中!

画像の直接コピペ・転載・拡散OKだそうなので
こちらでも紹介してみます!

 

 

*何か食べながらこれ見てる人は以下要注意*

 

 

 

 

 

なんで敢えてこのネタを載せたかと言うと、

ワタシが初めてとらひこさんを見た(話を聞いた)時に
この話しててすごいインパクトがあった
思い出のエピソードだから(笑)
(ちなみにジュンク堂でのトークイベントでした)

しかし、この話、カラーだとアレですねぇ…

1話、2話も見たい方は直接ブログにGOです!

 

 


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石敢當≒石散當

2015年01月04日 | ・琉球歴史/文化風景

 

沖縄ではお馴染の魔除けの置物(?)
「石敢當(いしがんとう)」

中国から伝えられたものですが
日本でも沖縄唯一のものではなく、
県外、特に鹿児島にはまだ多く残っており
今でも見かけることができます。

ということで、
琉球人の本土上陸の玄関口
鹿児島は山川の港町で見かけた石敢當コレクション。

 

 

歩きながらざっと目についたものだけでも
かなりの数がありました。
ちゃんとT字路の所に置かれてましたよ。

 

ところで後で復習して気付いたのですが、
山川の石敢當は実は
石敢當ではなく、石當。

 

 

 

誤植してしまったのが広まり、
今は山川の6割が石散當なんだとか(笑)


読み方も「せきさんとう」。

元祖の「石敢當」は
読み方は「せっかんとう」。

また、石も四角ではなく
駒の形をしているのも特徴です。

同じ石敢當でも
違いがあるのは面白いですね。

 

 

これは山川の町最古の石敢當。

隣の木札が文化財としての案内板かと思いきや
地元小学生の交通安全標語なのは笑った(笑)

 

参/「モモトvol.14」「山川港まちあるきガイド」

 


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間違い探し

2015年01月03日 | ・徒然日記

  

色んなところが なんだか違う。

 

@鹿児島塩浸温泉龍馬公園

 

 


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