がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

尚徳王代の首里城CG

2020年03月02日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

ドラマ「尚円王」で
毎回登場していた「首里城CG」について。

特に2話の最後でピックアップされ
「15世紀の首里城を時代考証にもとづき再現したCG」
とのテロップもついたこともあって、
ちょっとした物議を醸しだしてしまいました

 

う~ん、やはり、
ワタシとしても
スルーすることはできない…なぁ…。

 


念のため最初に断っておきますが、
これは特定の誰かを批判したり
擁護したりするためのものではなく、

番組で初めて見て、
イチ琉球史ファンである私が率直に感じたことであることを
記しておきます。


そして、
色んな人の目と、意見で
今後、より良いものにしていけたらいいな

との願いも込めて、
ワタシも見解を書いておきたいと思います。 

 

 

 


第一話で出てきたのを見て、
一目で正殿位置と向きが変わっていることに気づいて、
え、ええぇぇぇ……((((;゚Д゜))))??!?!?
ってなりました…。

 
「かつて首里城は南面しており、
美福門が正門だった」

という伝承があるのは知っていましたが、

え、でもこの伝承って14世紀とか、古い時代の、
とにかく首里城最初期の話だよね…?

しかもこのCGの正殿、北向きになってるから
この伝承をなぞってるわけでもないよね??
と思ってたら、

「CGは(この伝承に基づき)南面しているのを表現」、
とのこと…。

うむむ?????


だとすれば、
首里城を後ろからみた図を
視聴者に見せてるってことになるよ?

敢えて南面説をとるなら
違うアングルの(南側からの)絵にするべきでは???

それに、あれが南面正殿だとしたら
他の施設との関係がおかしくない?
正殿と御内原が更地を挟んであんなに離れてるってことある?
御庭空間は?(〝背後〟にあるのは御庭ではないことになるし)
グスク全体の構造としてはどうなの?
正門とされた美福門周辺は???

…と、正殿だけを移動させて南面させても
他を近世と全く一緒にしてしまってるから
至極ちぐはぐな印象に…。

もちろん、全体的に見て
外郭を消しているとか
系図座を消しているとか
建物の色味を変えているとか
高世層理殿をいれているとか
色々と押さえているのは分かります。


でも、
 尚徳期は実際に今の正殿の場所に基壇が出てるし
火災前までは1階の床の一部をガラス張りにして
実際に見学できるようになってたんだから、

仮に、この基壇が「正殿」ではなかったとしても、
何もない更地にしちゃうのはマズイくない……?(´;ω;`)
 
と、
結局、これがずーっとつまずきになってしまいました…。

 


首里城跡-正殿地区発掘調査報告書-(2016)』黄色が尚泰久や尚徳の時代の基壇。水色が戦前まであった首里城の基壇ライン。

 
もちろん、
その時代の首里城を誰も見たことがないんだから、
100%の「正解」なんて誰にもわからないし
「フィクションドラマ(娯楽)」だからある程度は……
というのは十分分かるけど、

「完全正解」ではなくとも、
もっとリアル(研究成果)に近づけられたはずだし、
一般視聴者からの
「これが当時の首里城なんだ!感動!」
という類の反応をみると
正直「うぅ~~~ん………(困)」
となってしまったのも事実。
 
当時の姿がわからないものを
ビジュアル化して公に提示することは
とても効果的ですが、
その分リスクもあるんですよね…。
(ワタシも絵を描く人間として、その点は重々…)

ゴールデンタイムのTVだと、
さらにそれは大きくなるわけで…。

 
 


とりあえず問題提起というか、
製作サイドにとっても「次」につながればいいな、
との願いを込めて、
あのCGを、
「(尚徳時代の首里城であることを前提に)〝私なら〟こうする」
というのを上げてみます。
 



首里城正殿の位置と向きを
平成復元の首里城正殿の所に戻す
(発掘調査結果から、尚徳王時代にこの場所が更地なのはありえない)
もちろん、「南殿」の場所にもなんらかの建物を建てる。
(こちらも南殿地区の発掘調査から建物の存在が分かっている)



正殿の外観(屋根、壁の色など)を
朝鮮王朝実録の目撃証言に合わせて、
これ」のようにする。


周辺施設の建物の屋根を
灰色ではなく木の色にする


奉神門の高さ及び三門の形式を、なにかしら変える。
今の奉神門のスタイルは1754年以降のことらしいので。
(参/『首里城 甦る琉球王国』海洋博覧会記念公園管理財団)


御内原の色味を他とそろえる
(作画ベースにしたであろう空撮写真の、
新築の色味そのままで他と統一感がない)
これは美術的なこと。


御内原側の内郭城壁ラインを
単に緑で削るのではなく、きちんと取る
(ただ、正殿が元の場所に戻れば見えなくなるかも)


高世層理殿(3階建ての塔)の位置をもっと奥にする。
実際に礎石が出ていて、
高世層理殿跡ではと推測されている場所がちゃんとあるため。
(参/『首里城京の内展』(沖縄県埋蔵文化材センター)、他)

 


瑞泉門の外側のすべてを原生林にしない。
 
 →15世紀前半頃(尚巴志期か)に
  綾門大道が整備されていることを考えると、
  それに続く瑞泉門に至る道が未整備だとは考えにくい。

 →安国山樹花木記碑(1427年)から、
  この一帯が憩いの場として様々な木や花を植え、
  「太平の世の象徴」として整備されていることがうかがえる。

 →龍潭は画面外だとしても、
  安国山エリア(園比屋武御嶽石門の裏)は入るはず。

 →もし入らないとしても、以上の点から
  この一帯すべてが未整備の原生林だとは考えにくい。
 


首里城のすべてに施設・エリアついて調べているわけでないのですが、
少なくとも以上のことは上げられると思います。

 

繰り返しますが、
ワタシが上げたことや、資料も
必ずしも「正しい」とは限りません。
同じ資料でも、解釈や判断も色々あるでしょう。

 

あくまで、イチ意見として、
私が現時点で考えたこと、思ったことです。

 

いかがでしょうか。

 

 

 

 

【追記】
今回、ドラマの時代考証をした嘉数さんが
このCGについての見解をツイートしていたので
リンク貼っておきます。

合わせてご覧下さい→