うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む228

2010-09-23 04:27:08 | 日記

風太郎氏、依然懊悩消えず<o:p></o:p>

 <o:p></o:p>

午後うどん作り。すり鉢にて小麦粉を練り、机の上にてすりこぎを以ってこれをのばし、庖丁にて細く切る。仲々うまくゆかず、縄のごときうどんを生ず。それでも食えばやっぱりうどん的にして頗るうまし。<o:p></o:p>

 夕食後(夕食は四時なり。今は朝飯を九時乃至十時に食い、昼食抜きの二食生活なり)高須さんと三軒茶屋より若林町の方へ散歩す。<o:p></o:p>

 キャンプでもあるにや、米軍ジープ往来しきりなり。町の子らことごとく双手をあげて、一台毎に喚声をあぐ。苦笑いのほかなし。この子ら先日まで皇軍に歓呼す。強者こそ彼らの絶対無条件の英雄なり。無邪気という点に於いて、女子また群衆、小児に大同小異。<o:p></o:p>

 松陰神社も暮れんとして幽暗閑寂。村塾の模型にも人住めるがごとし。裏に回れば芋干されあり、火も見えぬ。罹災者なるべし。<o:p></o:p>

十一月十二日() 快晴<o:p></o:p>

 午前木村教授、日本数学史第二回。<o:p></o:p>

 日本人は敗戦の打撃による自失からようやく立ち直ろうとしている。むろん自失は未だまったく消えたわけではない。醒めてもマッカーサーの厳酷なる命令には服従しなければならぬ。しかし民衆の心の底には、これまでの総司令部の命令を夢うつつのごとくにはきかない一種の批判力が生まれて来つつあるように思われる。この感情がすなわち「時」の賜物であって、再起の第一歩となるものである。<o:p></o:p>

 米軍総司令部は、東条大将が三菱財閥からその邸宅と一千万の贈与を受けたと公表し、その後郷古潔から左様な事実なしと訂正の申し入れを受けた。事実のあいまいなるに拘わらず、がむしゃらに東条を悪漢にしてしまおうとする魂胆はここにも見え透いている。<o:p></o:p>

 UP社長ベーリーの「日本には食糧もいかなる種類の援助も与えず、世界の前に惨たる日本たらしめよ」云々という談話。その他天皇制問題について最近敵側が露わにしはじめた、ただ勝利者としての圧迫的放言は、いまでこそアメリカは天下無敵だからいいようなものの、これが後世にタタって来ないと誰が保証出来ようか。<o:p></o:p>

 圧迫歓迎、弾圧万歳。われわれは米国の甘い「人道的政策」を心配しているのだ。精々残忍と圧制をほしいままにして、日本人に或る感情を蓄積せしめよ。<o:p></o:p>

 「将来日本の政体は日本人民の自由なる意志にもとづいて決定される」と敵はいう。<o:p></o:p>

 この「自由なる意志」というのにみな安心しているが、そう安心していいことであろうか。<o:p></o:p>

 現在ただいまならば、公平に見て、日本人中九割九分までは天皇制を支持している。しかし「将来」とはいつのことか。敵はそれを明言していない。<o:p></o:p>

 敗戦のとき日本は反覆して天皇制存続のことにつき条件を保留した。敵はこれに対して空とぼけた。苦しまぎれに日本は、敵が黙っている以上は承知したものと考えて(考えようと無理に考えて)降伏した。敵が絶対不承知なら、あの際日本のダメ押しを明確に一蹴すべきである。そのときは素知らぬ顔をして、今や日本が丸裸となってから「われらは天皇制を支持すると曾て言明したことはない」と放言しようとしている。日本自ら進んで欺かれたのだとも云えるが、敵も進んで欺いたのである。