帰京に万感の想いあり<o:p></o:p>
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十月十五日(月) 快晴<o:p></o:p>
夜七時の汽車にて学生大半帰京す。ゆえに正午寮の二階にて会費十円にて会食を行い校歌を歌いしが、夕寮の前にてまた歌う。近所の人々驚きて家を飛び出せしが、すぐに口々にさよならさよならを叫ぶ。学生笑いつつ去れど哀愁覆い難し。<o:p></o:p>
大安に寄る。おばさんの眼に涙あり。児島寮前にも三年一輪となり帽を振り振り校歌を高唱しつつあり。近隣の人々群がる。半月のぼる朧なり。駅前にても広場に大円陣作りてまた校歌応援歌。<o:p></o:p>
電車の出るまでが大変なり。「しっかりゆけや」「早く来ウイ」「東京で逢おうぜ」等の喚声爆笑絶叫咆哮の間、校歌の怒涛波打つ。柵にまたがり、トラックに立ち、はてはホームに雪崩れ出で帽を振り、上着を翻し、歌、歌、歌。<o:p></o:p>
見送りの群衆に少女多し。勘太郎になりたる子をふくめる東京の疎開児童のむれ泣声にてサヨナラサヨナラを叫ぶ。駅員圧倒されて茫然たり<o:p></o:p>
哀愁風のごとく流れてさらに歌声これを覆い、はたと沈黙落ちてはまた万歳の声渦巻く。青春の哀歌ここに極まる。余は決してセンチメンタルになりておらず、実感にして実景なり。<o:p></o:p>
帰途、広場にて米兵を見る。一昨日一部進駐せるものなるべし。一人猫背にてのそのそ群衆の中を歩み去りしが、その巨大いまさらのごとく感服せり。一目見るより恐れてシクシク泣き出せし小学生の女児あり。いままでいい気になりて熱をあげたるだけに少し滅入る。半月冷やかに夜空に吹かれたり。<o:p></o:p>
チェホフ「無名氏の詩」を読む。<o:p></o:p>
十月十六日(火) 快晴<o:p></o:p>
朝霧深く寒し。晴れ来る。午前中蒲団を梱包す。午後松葉と天竜峡に出かける。飯田銀座通りの辻に、老人や娘や子供達が黒山のように集まっているのでのぞいてみたら、アメリカ兵がトラック止めて、チョコレートや煙草をならべて売っていた。<o:p></o:p>
「何でえ、進駐に来たのか商売に来たのか分からねえじゃあねえか」<o:p></o:p>
と言ったものがあって、みな笑った。<o:p></o:p>
赤い米兵の顔はすこぶるまじめくさったものである。暖かい美しい晩秋の日の光が蜜柑のように群衆の顔を照らして、そこには好奇心と微笑こそあれ、憎悪や敵愾の色はごうも見えぬ。自分の胸に淡い憂鬱の霧がたちこめる。<o:p></o:p>
東京から帰った斉藤のおやじは「エレエもんだよ、向こうのやつらは。やっぱり大国民だね。コセコセずるい日本人たあだいぶちがうね、鷹揚でのんきで、戦勝国なんて気配は一つも見せねえ。話しているのを見ると、どっちが勝ったのか負けたのか分りゃしねえ」とほめちぎっている。<o:p></o:p>
マッカーサーが誇るだけのことはある。これは残念乍ら認めなければならぬ。<o:p></o:p>
それに対して僕達は、大正年間に人と成った半老人達が、今の青年は骨の髄まで軍国主義がしみこんでいるときめつけている人間である。われわれは勝利者米国による日本の真の平和を八割まで信用していない。