うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む233

2010-09-28 05:30:50 | 日記

この項なお続きます<o:p></o:p>

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十一月二十一日(水)曇寒<o:p></o:p>

 午前道部師ドイツ語、午後浅田師法医。<o:p></o:p>

 平石よりアメリカ煙草ラッキー・ストライクを買って来てもらう。白地に赤丸のデザインなり。平石、日本占領記念なりというがほんとうかな。<o:p></o:p>

 本庄繁大将自決す。<o:p></o:p>

 里見弴の短編を読む。<o:p></o:p>

十一月二十二日(木)雨夕上る<o:p></o:p>

 右に走り左に馳り、これに附和し彼に雷同する者すなわち愚衆にして、愚衆とは一億人中、九千九百九十九万九千九百九十九人の意なり。<o:p></o:p>

 学校の飯田より送れる荷はすべて送れりと判明。万事休す。<o:p></o:p>

 村井順「源氏物語評論」を読む。<o:p></o:p>

十一月二十三日(金)快晴<o:p></o:p>

 ほがらかなる秋天。三軒茶屋マーケットにて石鹸一個を買って来る。泥色のこんにゃくのごとく軟かきもの八円なり。<o:p></o:p>

 (この種の石鹸、わが家でも大いに使用しました。ぐっと握り締めると五本の指の間からにょろにょろと出てくるのです。勿論泡立ちはなく大変な代物でした。)<o:p></o:p>

十一月二十四日(土)晴時々曇<o:p></o:p>

 午前佐々病理。<o:p></o:p>

 新宿マーケットで、向う鉢巻のあにいが「尾津組長の都民のみなさまへの大奉仕です。はまぐり一升六円、市場卸しの半額」と書いた看板の下で「さあ買ってゆきやがれ、こんなこと二度とねえぞ」と叫んでいるから、つりこまれて一升買って来る。高須さん曰く、それは船橋で五円で売っていると。<o:p></o:p>

 武者小路実篤「人生論」を読む。<o:p></o:p>

十一月二十五日(日)午前曇午後晴<o:p></o:p>

 朝高須さんの父君逝去されたりとの電報。<o:p></o:p>

 佐藤春夫「指紋」「瀬沼氏の山羊」「のんしゃらんの記憶」など読む。「指紋」はコケオドシなり。<o:p></o:p>

十一月二十六日(月)薄曇<o:p></o:p>

 高須さんは名古屋へゆく切符を手に入れるため、玉電もまだ通らない未明の三時、渋谷まで歩き、省線<st1:StationName w:st="on" StationName="一番に乗って東京">一番に乗って東京駅</st1:StationName>へゆく。徹夜組多くそれでも買えないところを、何かの偶然で幸い一枚手に入れたと九時ごろ帰宅。二十二時十分の列車に乗ると夜七時ごろ家を出る。香典三十円を呈す。<o:p></o:p>

 午前緒方校長のカシンベック病論。満州の研究所の運命を憂うる顔悲痛なり。<o:p></o:p>

 「われわれは戦争中心ならずも真の声をあげることが出来なかった。これからはそれが出来るわけである」とほとんどの言論人がいっている。<o:p></o:p>

 なるほど戦争中いえなかったことはいえる。そこで彼らは今を限りと軍閥と侵略戦を鞭打つのである。屍に鞭打つのだから「吾々は戦時中臆病であったことを自認する」と言う彼らでも平気なわけである。