続きます<o:p></o:p>
<o:p></o:p>
午前十時より第一講堂にて始業式。校長の演説、また軍部を弾劾す。東条のごとき首はねても足らずと叫びしとき、拍手せる馬鹿あり。<o:p></o:p>
伊沢凡人「毒」を読む。<o:p></o:p>
十一月十七日(土) 快晴<o:p></o:p>
朝勇太郎さんと、勇太郎さんのチッキを渋谷駅に取りにゆく。<o:p></o:p>
満員の玉川電車の窓から、広茫たる焼野を背に、浮浪者のむれがさまよっているのが見える。その中にアメリカ人夫婦が、乳母車を押し歩いている。夫の口からは紫煙がながれ、妻の唇は紅に彩られ、子どもの帽子や蒲団はまるで花のようだ。「さっそうたるもんだな」と車中の一学生が嘆じた。<o:p></o:p>
渋谷駅の石の壁には、全東京至るところそうであるが、ベタベタ貼紙だらけで、破れてはためいているもの、落ちたあとの汚らしく残っているもの、文句も百花繚乱といいたいが、玉石金糞紛然錯然たるものがある。<o:p></o:p>
曰く「餓死対策国民大会!」<o:p></o:p>
曰く「吸血鬼財閥の米倉庫を襲撃せよ!」<o:p></o:p>
曰く「日本自由党結成大会!」<o:p></o:p>
曰く「赤尾敏大獅子吼、軍閥打倒!」<o:p></o:p>
曰く「財閥の走狗毎日新聞を葬れ!」<o:p></o:p>
曰く「天皇制打倒、日本共産党!」<o:p></o:p>
曰く「爆笑エノケン笑いの特配! 東京宝塚劇場!」<o:p></o:p>
曰く「十万円の夢、宝クジ!」<o:p></o:p>
この中に薄く、護持、という文字だけ壁に残っているのは、その上に神州か国体という文字がのっていたのだろう。<o:p></o:p>
その壁の下に、青年や老人が、リュックやトランクや籠から何か出して売っていた。鯖を半分に切ったもの一枚十円。アメリカ兵が蜜柑売りをのぞいている。傍の中学生が得意そうに「トゥエンティ・ファイブ」といった。二十五銭の意である。アメリカ兵は「ワン?」と一本指を立てて、「トウエンティ・ファイブ・シェーン?」といったイエス、イエスと答えると、大きな手に小さな蜜柑を一つもらって、「オー、O・K」といい口笛を吹いていってしまった。みな笑った。アメリカ兵だから安くしたと見える。一般に蜜柑は十五、六で十円するのである。<o:p></o:p>
駅の倉庫にゆくと、自分たちで勝手に探してくれという。探したが、チッキなし。帰る。<o:p></o:p>
十時ごろ、高須さん勇太郎さんと地下鉄で浅草にゆく。<o:p></o:p>
地下鉄、ガラス破れ、言語に絶する超満員。身体は宙に浮き上がれ、足は踏んづけられ、子どもは泣き、女は金切声をあげ、男は怒声を飛ばす。形容ではなくまさに窒息一分前といったありさまで<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="23:田原町;" Address="田原町">田原町</st1:MSNCTYST>に着く。<o:p></o:p>
仲店の向こうに松屋だけ壮然と浮かび、コバルト色の空に雲が流れているが、地上は相変わらずの群衆の修羅地獄。瓢箪池のまわりに食物屋が露天を並べている。汁粉一杯二円、蜜柑は五つで五円。その他浅利汁、芋、林檎、汚らしい妙なパン、どれもがその一個その一杯もはや銭単位でない。