うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 1

2010-04-28 18:14:10 | ドラマ

新聞にソニーがフロッピーデスクの生産販売から近く撤退すると報じています。そんなことでFDの入った箱を取り出し懐かしく点検していましたら、「ひぐらし食堂」の第一稿なるFDが見つかりました。タイトルも仰々しく「焦土哀歓あり」とありました。「焦土」をやけあとと読ませています。ひぐらし食堂の原型といえますが大差はありません。「山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む」と並行して採録することにしました。<o:p></o:p>

徒然の己の愉しみといえますがご容赦ねがいます。           <o:p></o:p>

焦土に哀歓あり<o:p></o:p>

    二幕 八場   <o:p></o:p>

 

作 劇舎うたのすけ<o:p></o:p>

   

さる人の今に残せの言葉あり水戸のつれづれ書きし芝居(そらごと)<o:p></o:p>

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時    前大戦も終わって間もなくの頃<o:p></o:p>

場所   上野駅に近い環状線の或る駅前界隈<o:p></o:p>

人物   日暮謙三 大衆食堂「ひぐらし」の主人<o:p></o:p>

       よね 謙三の妻<o:p></o:p>

       清子 謙三の長女<o:p></o:p>

       邦夫 謙三の長男<o:p></o:p>

     前島英輔 地元旧家の息子、元特攻隊員<o:p></o:p>

     君山綾子 満州からの引揚者<o:p></o:p>

          綾子の母、弟<o:p></o:p>

坂田武治 駅前の顔役<o:p></o:p>

伊織   巡査、後に紙芝居や<o:p></o:p>

ジュン関 二世のアメリカ兵<o:p></o:p>

     その他  刑事・食堂の客・屋台の女・やくざの子分外多数<o:p></o:p>

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終戦から間もない、まだまだ復興の兆しも見えぬ混沌とした時代。ここ上野に近い環状線の駅前一帯も、空襲の跡も生々しく瓦礫の片付けも儘ならず、異様な雰囲気を醸し出している。しかしどこか活力の沸騰しそうな兆候が見え隠れしている。それは暴力団の親分坂田武治が仕切る、駅前一帯に乱立するバラック立ての闇の飲食店であったり、早朝から立つ朝市の、闇市またはアメ市と呼称された闇の存在の故かも知れない。そこには横流しされた統制品、進駐軍のPXからの夥しい品々と、あるとあらゆる生活物資が流通している。それらの逞しい闇の流通機構が、一面庶民の生きる術を支えているのかも知れない。しかし裏腹に暴力、無法と無秩序が充満していて、当時の日本の姿を凝縮したものとも言える。<o:p></o:p>

 そんな一帯から程近くに、謙三のバラック建ての外食券食堂「ひぐらし」はある。辺りにはまだ満足な住宅店舗など無く防空壕で寝起きをしたり、バラック住まいの住人が大半である。<o:p></o:p>

一幕<o:p></o:p>

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(1)<o:p></o:p>

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謙三の店、食堂とは名ばかりのテーブル二つで、八人坐れば満席といったバラック建ての店である。下手の戸を開ければ土間の店。上手奥が厨房、土間に続いて家族の寝所の座敷が一つ、襖を境に奥にもう一部屋ある模様。客が混み合えば勿論上げて客席に早代わりといった案配である。十一月も末、今朝も四五人の朝市の買出し客が、雑炊らしきものを目を据えて啜っている。<o:p></o:p>

 舞台下手から登場する英輔、肩を怒らし店の戸を開ける。飛行帽をあみだにかぶり飛行服姿に半長靴、首に白いマフラーを無造作に巻いている。<o:p></o:p>

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英輔  オスッ、(店の客たち一斉に英輔に挨拶をする)<o:p></o:p>

よね  お早う、今朝は冷えるね英さん。(にこやかに迎える) <o:p></o:p>

謙三  どうだね英さん、朝市の景気は?<o:p></o:p>

英輔  相変わらず何処から集まるのか、すげえ人だよ。(客たちに)あんた達、買出しはこれからかい、先に腹ごしらえってわけか。(みな肯きあいながら三々五々店を出て行く、英輔座敷の上がり口に腰を下ろし、火鉢の熾きを掻き回しながら)邦夫の姿最近見ないけど、相変わらず寄り付かないのかい小母ちゃん?<o:p></o:p>

よね  そうなんだよ、一日として落ち着いていられないんだよ。何でも上野あたりほっつき歩いてるらしいんだけど。帰ったら英さん、意見してやっておくれよ、構わないから横っ面の一つもひっぱたいて。(よね、そう言いながら英輔の傍に腰を下ろす)<o:p></o:p>

謙三  (煙草に火を付けながら座敷に上がり、半ば独り言のように)あの炬燵、人様の意見を素直に聞く耳なんぞは持ち合わしちゃいないよ。<o:p></o:p>

英輔  そんなこた無いよ小父さん、あいつは気は優しいし、会えば何時も、これからは気持入れ替えて商売に身を入れるって……<o:p></o:p>

謙三  それが炬燵の外面が好いってことなんだよ。英さんの意見聞いてたって、腹ん中じゃ舌出してんに違いないよあの炬燵。<o:p></o:p>

英輔  そうかなあ、何であいつグレてしまったのかなあ、何の不足があるんだ、優しい両親が揃っているってえのに、(嘆息交じりに)贅沢な男だよ。<o:p></o:p>

謙三  そうそうそこよ英さん。(よねに向かって)こいつが甘やかし過ぎたのよ。<o:p></o:p>

よね  (笑って)それはあんたの方じゃなかったのかね……止めとこう、愚痴からお決りの夫婦喧嘩になっちゃ間尺に合わない、ねえ英さん。<o:p></o:p>

英輔  そうだよ、朝っぱらから喧嘩はないよ。それより小父さん、邦夫のこと炬燵炬燵ってよく言うけど、前から一度訊こうって思ってたんだ……<o:p></o:p>

謙三  その事かい、以前は陽気のいい頃は遊びほうけて家に寄りつかねえでて、寒くなると食い詰めて戻って来てたからよ。<o:p></o:p>

英輔  ふうん、炬燵ねえ。<o:p></o:p>

謙三  まあ今んところは幸い炬燵で済んでて、後に手が廻ることはしてねえようだが、それも時間の問題だあの根性じゃ。芯から腐ってやがる。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む87

2010-04-28 05:21:03 | 日記

日本と独逸を比べる<o:p></o:p>

 日本人はおめでたき国民なるゆえ、日独同盟日独同盟とお祭り騒ぎせるが、ドイツは日本をおのれのための東洋の番犬か飼猿のごとく見あるのみ。もっとも今は彼らふるわざるゆえに、溺るる者は藁をもつかむ眼にて日本を見あるならんも、かつて数年前、ドイツがオランダを席巻せし当時、蘭印に眼を向けんとせし日本を、背後より綱を引きしめたるは誰ぞや。<o:p></o:p>

 而してドイツもまた日本を最もゆだんできざる国民となす。何んとなればその真似の迅速にして見事なる、彼らも呆るるほどの手腕なればなり。(教授苦笑い)例えば医学方面に於いても、かのサルヴァルサン、ズルフォンアミド剤、その他、ドイツはその製法を極力秘密とし、また三十余の特許を設けて、疎をも漏らさざる天網を張りめぐらしたるも、あれよあれよいう間に、日本はさらに優秀なるものを作りて彼を愕然たらしめき。<o:p></o:p>

 今やドイツ破れんとす。されど一から十まで日本に悲観すべき事態なりと考うるなかれ。最も恐るべき敵の一人が亡ぶるなりと見ればよろしと。<o:p></o:p>

 スタンダール「ヴァニナ・ヴァニニ」を読む。<o:p></o:p>

四月二十五日(水)晴<o:p></o:p>

 きのう頗る暑かりしゆえに、きょうは薄着してゆくに風寒くして、終日教室にて震う。<o:p></o:p>

 サンフランシスコ会議ひらく、ソ連軍ベルリンに突入。ドイツ最後の幕下らんとす。実に感慨無量なり。<o:p></o:p>

四月二十六日(木)曇<o:p></o:p>

 生暖かし。午前中の四方教授、家焼かれたりとて細菌学休講。<o:p></o:p>

 オートジャイロ低く飛ぶ。十にもみたざる男の子ら、「あれあれ、オートジャイロが飛んでら!」と町を走ってゆく。労働者もぼんやりと手を休めて「あんなものがまだ役にたつのかなあ?」とつぶやいている。余はあのプロペラに遠心沈殿器をとりつけたくなる。<o:p></o:p>

 ヴィリェ・リラダンの短編を読む。<o:p></o:p>

四月二十七日(金)曇夜雨<o:p></o:p>

 白き雪ドンヨリと垂れ、全身快き蒸気に肌なぶらるるごとく、頗る眠し。<o:p></o:p>

 正午、一年に校歌を練習せしむ。二十回くらい歌わすに、声涸れ、帽子振る手も萎ゆ。甚だしき者を前に出して殴る。津端、岩男教授の子の横っ面をひっぱたくに、打たれたる頬いちど赤らみてさっと蒼くなる。津端のごとき喧嘩馴れたる男も、顔面異様にひきつる。<o:p></o:p>

 殴る、殴られる、この景、中学時代より幾たび見しことぞ。それどころか、中学時代余も大いに殴りかつ殴られき。この学校に入ってからですら去年殴られき。いまはただ座して頬杖ついて見あるのみ。殴る上級生、殴らるる下級生にして、いまだ双方さすがに悠然たる者あるを見ず。殴らるる方いかに気弱き子も眼ひかり、殴る方いかな暴れ者も顔色変わる。かくて醸し出さるる一種異様の凄壮感、若者同士の「教育」は、忘れがたき人生の一景なり。

(早い話が旧日本軍の内務班における古参兵の新兵苛めリンチと同じ光景と見ました。新入生に対する先輩の教育?決してこれは戦時下ゆえとは限らないと思います。終戦の年小生は中学一年生。昼休みにドカドカと先輩たちが教室に押しかけて来て、応援歌の練習を強要されたり何かといえば説教、一度など全体責任とかでビンタを喰らったりしました。)<o:p></o:p>