空爆激化、ルーズベルトの弔い合戦か<o:p></o:p>
四月十四日(土)晴
昨夜十一時より今暁三時にかけ、B29約百七十機夜間爆撃。
一機ないし少数機にて波状的に来襲し、まず爆弾を以って都民を壕中に金縛りになし、ついで焼夷弾を撒布す。ために北方の空東西にわたり、ほとんど三月十日に匹敵するの惨状を呈し、目黒また夕焼のごとく染まる。余
一人留守番なれば大いに頑張る。
(風太郎氏の推測?通り、爆弾、焼夷弾と投下するのが米軍の作戦ならば、まさに日本人抹殺といった鬼畜の非道ぶりといえます。焼夷弾を撒布とはまた恐ろしい表現といえます。)
明くれば都内諸所交通機関途絶し、上野、池袋、新宿間の山の手線も不通なり、電車大いに混む。
(わが家もこの空襲で焼け?二三日焼け跡で野宿した後、父と母とでリヤカーを引き、成増の母の実家に、一時身を寄せたと聞かされています。その時祖父、連絡無きを烈火のごとく怒ったといいます。)
宮城、大宮御所、赤坂離宮等も火災発生、明治神宮のごときは本殿烏有に帰せり。
ルーズベルトの死にその弔い合戦としてB29大挙来襲せるなるべし。ただしルーズベルトの死に対する各誌の論調はおおむね彼の偉大なりしをしのび、死者に鞭打つがごとき言をみずから抑う。この日本の態度及び猛然来襲せるB29の態度、いずれも雄々しく男らし。
新宿駅に着くに、二幸より伊勢丹に至る線を第一線として、そのかなた焦土と化す。そこよりちょっとゆくに、思いがけざる位置よりわが母校の本館見えたり、すなわちその周辺ことごとく焼け野原と化したればなり。<o:p></o:p>