うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その320

2009-07-26 05:24:46 | 日記

 ここで山頭火この一年を振り返っています。忘れもせぬと構えます。そして日記は閉じられます。<o:p></o:p>

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去年の十二月十五日一洵老に連れられてこの新居に移ってきたのです。即ち御幸山麓御幸寺境内の隠宅、高台で閑静で土地も家も清らかであり市街や山野の遠望もよく、ことに和尚さんには何かと世話になり感謝あるのみと謙虚です。また俳友澄太が一草庵と名付けてくれました。即ち一木一草と雖も宇宙の生命を受けて、ひたすらに感謝の生活を続けよとの澄太の心と肝に銘じております。<o:p></o:p>

一草庵、挾間の六畳一室、四畳半一室、厨房も便所もほどよく、水は前方十間ばかりのところに汲場ポンプがあり、水質も良く、焚き物は裏から勝手に採るがよろしいとあります。東に北向きだからまともに太陽が昇り、月見にも申分なしといったところであります。<o:p></o:p>

東隣は新築の護国神社、西隣は古刹龍泰寺、松山銀座へ七丁位、道後温泉へは数丁、友人はみな親切。<o:p></o:p>

すべての点に於いて私の分に過ぎた住み家であると言います。「私は感泣して、すなおに慎ましく私の寝床をここに定めてから既に一年になろうとしている。それに、それに。」と言葉は切れます。<o:p></o:p>

十月七日 曇のち晴。<o:p></o:p>

 早朝護国神社参拝、感謝慎みの心が湧くと神妙であります。感謝! 感謝! 国への感謝、国に尽くした人、尽くしつつある人、尽くすであろう因縁を持って生まれ出る人への感謝、母への感謝、我が子への感謝、友人への感謝、宇宙霊への感謝、仏への感謝。一洵が師匠の空覚聖尼からしみじみ教えられたという感謝、懺悔、精進への生活道は平凡ではあるがそれは確かに人の本道であるとつくづく思うと尋常です。<o:p></o:p>

 この三道は所詮一つだと声を大にし……そして締めくくります。懺悔があればそこに感謝があり、精進があればそこに感謝がある。最後に言います。感謝の心で死んで行きたいと。<o:p></o:p>

昭和十五年十月八日 晴。<o:p></o:p>

繰り返して感謝の言葉が生まれます。そして日記は終わります<o:p></o:p>

種田山頭火(たねださんとうか)<o:p></o:p>

明治十五年(一八八二)十二月三日、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="35:山口県防府市;" Address="山口県防府市">山口県防府市</st1:MSNCTYST>に生まれる。名は正一。同三十七年、早稲田大学を中退。大正二年(一九一三)荻原井泉水に師事、「層雲」に初出句、同十四年出家し、九州、四国、中国などを托鉢、その行乞放浪の生活を淡々と句にした。昭和十五年(一九四〇)五月、一代句集「草木塔」刊行、同年十月十一日死去。<o:p></o:p>

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 おかげさまを持ちまして、山頭火の日記を追っての日々を終わることが出来ました。長い間のお付き合いを心より感謝申し上げます。<o:p></o:p>

 小生これで山頭火から離れようと、日記も終わりに近づきつつある時から心に決めておりましたが、ここへ来て一抹の寂しさがひしとこみ上げてまいりました。深間に嵌るという状態と言ったらよろしいのでしょうか、もうしばらく山頭火と共にと思い直しております。<o:p></o:p>

 幸い手元に春陽堂の文庫版の山頭火の句集があります。そこで選句集と申しますか、小生好みに片寄らせていただくと申しますか、勝手気ままに選び、山頭火の句の世界を放浪しようと考えました。一句一句は独断と偏見で選び、そこに彷徨(さまよい)ます。笑ってお付き合いいただければとお願いする次第であります。