注 「松山日記」最後の八月二日につづく日記であるが、八月三日からノートを改めて書き起こしている。<o:p></o:p>
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一草庵日記<o:p></o:p>
昭和十五年八月三日 晴。<o:p></o:p>
「絶食、私は絶食しなければならない、食物がないという訳ばかりでなく、身心清掃のためにも。」<o:p></o:p>
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◎せめて今日一日だけでも素直に慎ましく正しく暮らしたいと思う。その日その日、その時その時を充実してゆくことが一生を充実することである。<o:p></o:p>
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「黙々と読書、おのれに籠っておのれを観た、労れると柴茶をすすった…」<o:p></o:p>
八月四日 曇、晴。<o:p></o:p>
今日も絶食、少しよろよろする。老いたるかなと苦笑の朝です。穏やかではありません。しかしここからが山頭火の真骨頂といえます。空腹をかかえ、旅行中の□庵を訪ねて奥さんから当面の生活費を少々となります。混合米二升、八十二銭です。<o:p></o:p>
「あゝ御飯のおいしさありがたさ、一粒一粒の光明をひしひし味わった、(まず仏前に供えて合掌懺悔して、)と殊勝であります。<o:p></o:p>
私は私の健康を呪うと言います。それは裏返せば健康でありすぎるために、脱線転覆を繰り返す原因だというのでしょうか。いや違います山頭火おのれを把握しています、意志薄弱はどうにもならない私であると。<o:p></o:p>
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ある友へのたよりとあります。<o:p></o:p>
「…私は相変わらず片隅にちぢこまって、あるかなきかの生活を続けていますが、その生活も行き詰って来ました。私はどうでもこうでも一転歩しなければならなくなりました。のるかそるか、私は全心全身で私の新生活を結成しつつあります。」その意気や壮でありますが…。<o:p></o:p>