うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その305

2009-07-08 05:04:50 | 日記

今日は(八月十七日)饒舌です。<o:p></o:p>

「……私は来世を信じない、過去を放下する、私はひたすらに現代を信ずる、即今、永遠の刹那を充実すべく全身心を尽くすのである。宇宙霊を信ずるけれど個人霊を否定する、個は全から分れ、そしてまた全に合するのである、この意味において、生は寄であり死は帰である。」<o:p></o:p>

自分の食卓についてあれこれ語っています。<o:p></o:p>

開口一番、私の食卓は貧しい、しばしばお菜を欠き、ときには御飯のないこともあります。しかし彼はその貧しさには嘆きません。嘆くことは己の胃袋の大きい、大きすぎることだと言います、そしてアルコールを欲しがることと言ってのけ、一杯やりたいなあと酒貧を起こすことだと告白してます。そして己を断じています。無芸大食、貧婪鬼であると。<o:p></o:p>

八月十八日 晴、午後小夕立。<o:p></o:p>

 盆の十五日、私は快く食べ快く眠ったとありますが、今朝も待つもの来たらず沈静な気持ちと言います。それでも今朝は気持が高揚しているようです。<o:p></o:p>

 「私は昼も夜もしょっちゅう俳句を考えている、夢中句作することもある、俳人という以上は行住座臥一切が俳句であるほど徹底した方がよいと思う。」と弁じております。しかし返す刀と言いますか、「ともすれば死を思い易い、死を待つ心はあまりに弱い、私は卑怯者!」と己を罵ります。<o:p></o:p>

 第七句集の発送の準備をする、切手がないから用意だけだと念を押します。<o:p></o:p>

 夕方の散歩はいやにセンチです。「ほんにうつくしい満月が昇った、十分の秋だった、私はあてもなく歩いたが、何となくさびしかった、流浪の寂寥であり、孤独者の悲哀である、どうにもならない事実である。」<o:p></o:p>

八月十九日 晴。<o:p></o:p>

 旧盆十六日、薮入。少しいらいらしています。米もなく、煙草もなしのうらぼんと嘆き、腹中清掃と洒落、今日は到来物の胡瓜でキリギリスのように送ろうと開き直っております。それでも現実は「正直な胃袋がぐうぐう飢えを訴えるけれどしょうがない。水を飲め、飲め水を…」。<o:p></o:p>