私は遂に自己を失った、そうろうとしてどこへ行くとは自戒の念でしょうか。雨は梅雨らしく降ります。かねてから会いたいと思う抱壷君に会うため仙台へ向かいます。これもひとえに澄太君の温情によるもので、仙台までの切符を買って頂いたのです。まさに山頭火の人脈は東北の地においても途切れることなく、見事と感嘆せざるを得ません。<o:p></o:p>
十時半の汽車に乗ります。<o:p></o:p>
「青い山、青い野、私は慰まない、おゝこの憂鬱、この苦悩、くづれゆく身心」<o:p></o:p>
六時過ぎて仙台に着きます。抱壷君としんみり話すといいます。彼の病状を案じての訪問のようです。予期したより元気と一安心、どちらがはたして病人かと己に活を入れてます。<o:p></o:p>
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☆歩々生死、刻々去来。<o:p></o:p>
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翌日令弟に案内されて市内見物となります。<o:p></o:p>
「仙台はよい都会だ、品格のある都会である。しないで郭公が啼き、河鹿が鳴く。」広瀬川、青葉城と目の保養であります。<o:p></o:p>
六月二十五日 曇。<o:p></o:p>
握飯、傘持参、おまけに切符まで買ってもらって松島遊覧の電車の客となります。塩釜神社参拝、境内神さびて、自ずから頭がさがります。多羅葉樹の姿と感嘆。松島遊園は度をこした遊園化にうるさいと評します。<o:p></o:p>
瑞巌寺、五大堂、福浦島。松嶋は雨の夜月の夜、逍遥する景勝であろうと満悦の様子であります。<o:p></o:p>
三時の電車で石巻へ、露江宅に落ち着きます。くどいようですか行く先々に友ありです。<o:p></o:p>
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☆入浴、微酔、おなじ道をたどるもののありがたさ。<o:p></o:p>
☆寝ること寝ること、忘れること忘れること。<o:p></o:p>
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翌日、汽車で平泉。沿道の眺望を楽しみます。旭山、一関……。<o:p></o:p>
私は海育ちなので、山ばかりのところを2・3日旅行すると、海が見たくってどうしようもなくなります。広々とした海が好きです。
今日は。
確か山口、彼は山も海も好きです。よほど落ち込んだ心境にあるのでしょう。
小生、現在気軽に海を見る場所ではありません。山も関東平野のうちでして、筑波山を遠くに眺められるだけです。ちとさびしいですね。