うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その224

2009-03-16 06:15:19 | 日記

五月十八日<o:p></o:p>

 岩村田から小諸まで二里半、車窓からの千曲川の川筋を楽しみます。乙女という駅名から、九州に妻という地名があると言います。小諸に着いたのは夕暮れ、「簡易御泊処鎌田屋」とはまた大仰な宿を見つけます。老婆が孫を相手に商売をしており、前金で六十銭渡します。<o:p></o:p>

 暮れきらないうちに懐古園(小諸城址)を逍遥とあります。藤村詩碑は立派なものながら、そのそばの松の木が枯れかけているのが寂しかったと述懐しております。<o:p></o:p>

 夜は一杯ひっかけて街を散歩、小諸銀座といっても人は通らないと笑わせます。<o:p></o:p>

五月十九日 曇、風、雨。<o:p></o:p>

 浅間の麓町だけあって、さすが風が強くて雨が冷たいとは判じ物のような物言いです。こうなれば山頭火「やつぱり酒だ、酒より外に私を慰安してくれるものはない(句作と友情とは別物として)、朝から居酒屋情調を味つた。」<o:p></o:p>

 風雨の中を中棚鉱泉宿に落ち着きます。一泊二食一円と安くしてもらいます。<o:p></o:p>

五月二十一日 晴。草津滞在<o:p></o:p>

 吾妻駅から電車で草津とあります。<o:p></o:p>

 「五里七十四銭は高いやうであるが、登り登るのだから成程と思ふ…」浅間高原の空気を満喫しながらも、高く来て肌寒いとは実感がこもります。<o:p></o:p>

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☆私は何故時々泥酔するのか、泥酔しないでは何故いられないのか。<o:p></o:p>

☆私はほんとうに落ち着いていない、いつも内面で動揺している。その原因であるが、私は自己忘却を敢えてしなければ堪えられないのである、悲☆しいかな。<o:p></o:p>

☆私はまだ自己脱却に達していない、泥酔は自己を忘れさせてはくれるが、自己を超越させてはくれない。<o:p></o:p>

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☆生死を生死すれば生死なし。 煩悩を煩悩せずば煩悩なし。<o:p></o:p>