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日本の系譜沖縄(ナワナハ語源考・琉球神道と古神道)+αで伊予国「宇和」について

2018-12-05 20:02:46 | 日本地理観光
波之上宮(ばんない堂)

沖縄の語源の通説は一般に「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」を由来とする説(伊波普猷)であり、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」を由来とする説(東恩納寛惇)があるそうですが(ウィキペディア「沖縄県」2018/12/05 引用及び地名由来事典「沖縄県」参照)、筆者はどちらも誤りではないかと考えます。

無人島ならまだしも付近で最も大きい有人島が沖の漁場と呼ばれる可能性は無さそうですし、自称することも無さそうです。沖合いの小島が好漁場だったら(水が出ない等の理由で本島から漁業に出かけるなら)、まだ分かるんですが。多分北九州の奴の津の通説が意識されていると思いますが、魚津なら北陸にもありますしこれは理解できますが、沖縄には当てはまらなそうです。沖縄の縄と那覇が同じものとすると、東恩納説は有り得なそうだと先の地名由来事典でも指摘されていますし、一般的に縄と那覇が同じと考えられているなら、那覇が漁場という地名になりますが、何処にでもある漁場が特定の地名になることも有りそうにないと筆者は思います。何処に漁村という名の漁村があるでしょうか?紛らわしい。しかも漁村ですらない漁場です。ムツゴロウの漁場の泥の中に掘っ立て小屋でも立てるのか。また、魚なんて獲りまくればいなくなるものです。多分、皆何となく不審には思うものの、他に良いアイディアもなく、放置されてきたものではないでしょうか?

簡単に検索した範囲では筆者が最初に考えました(少なくとも誰かのアイディアを受け売りしているのではなく、自分で考えました)が、沖縄=沖平 で本土から見て沖の平らな島という意味じゃないかと思います。沖縄本島にはヤンバルを除き、大体平らな島として知られています。特に日本本土や奄美と比較すれば、その平坦さと(最も)沖合いにあるという地名の意味が分かるでしょう。那覇も平という地名なら、福島県岩城地方を代表によくある地名で意味が通りやすいところです。那覇に高い山は存在しません。

正直なところ、そもそも東北を調べていて、福島の猪苗代の語源由来のナワに関する指摘(会津「猪苗代湖」(いなわしろこ)のゆらい 会津ひらつか農園 >「イナワシロ」とは、イが「井」であり水を意味し、ナワは「ナラ」と同じで「奈良盆地」のような平らを意味し、シロとは「代」で高いを意味します。※ただし筆者は代の語源に関しては賛同していません。イはイ草が水草ですし妥当だと思います)を見て裏づけをとったところ、日本語でどうもナワ=平だと気付いたのが、沖縄の語源の新説を思いついたきっかけです。

「名和」名字の由来、語源、分布(日本姓氏語源辞典 人名力・別館)を見ると、ナワ・ナナミ【名波】、ナワ【那波】、ナワ【縄】、ナワ【那和】、ナワ【名輪】、ナワ【奈波】、ナワ【繩】、ナワ【奈輪】が日本の地名として一般的で何らかの共通した意味が想定され、沖縄の縄も同じではないかと考えられます(沖縄の地名は本土の史書が初見ですし、沖縄方言自体が日本語の一派であることは学問上確立しているので、飛躍した発想ではありません)。ただ、意味が分かりません。そこで筆者は奈良と名和が近いのではないかとふと考えました。

ウィキペディア「奈良」(2018/12/05)を参照すると、柳田国男の「地名の研究」による説では、平(なら)した地の意で、緩傾斜地を指すと言います。東国では平(タヒラ)。これが最有力だとされており、平の地名も一般的であり、平城をナラと読むこともあるようですし、なるほどと首肯できます。ウリナラ地名で奈良=国説もありますが、記紀等で国はクニと読む以上朝鮮語の入る余地もありませんし、しかも国造(くにのみやつこ)のように地方名としても使いますし、ナラという地名は日本各地に使うので、全く違うと言えます。ウリナラ(我が国)という言葉を使用する(日本の知識がない)朝鮮人から見て、奈良が大和を指すなら間違いないと思えて不思議はないんでしょうが。また同義とされる平は盆地や微高地・高原を結構意味しますよね。佐久平、八幡平など。そう考えると、更に奈良=平説は真実味を帯びてきます。福島県岩城の平のように盆地でもないケースもありそうですが、高さはさておき、平という地名は日本語では一般的で、大和言葉ではナラらしい(均す=平らにするに由来する)ことは分かってきました。後は意味不明のナワにナラが転じるかというか近いか否かです。

裏をとるため「r w 発音」で検索したところ、rとwは間違えやすいという指摘を上位で二つ見つけました。

似たような・間違いやすい単語の発音を取り扱った本。(教えてgoo)>日本ではよくR-Lの話しが出ますが、私としてはR-Wの違いはわかりづらいと思っています(口の動きが似ているからです)
WとRの違いと発音のコツ(YouTube)>WとRは実はよく似ています。ポイントは口(唇)。鏡を見ながら練習しましょう。

日本も広いですし方言というのも結構違ってくるものです。識字率が低く、耳で聞いていた時代にwとrの間違いなんて朝飯前というか、もはや間違えない方・変わらない方がおかしいと言えるのかもしれません。先頭語ならまだしも後にくっつけると尚更間違えやすいでしょうね。そう考えると、浦と宇和(愛媛南西部のメジャーな地名)ももしかして。字にすれば間違えようがないにせよ、字がない時代に地名は結構決まっている訳であり、その辺が盲点なんじゃないでしょうか。

そう考えると、ナラ=ナワで平だと決め付けても、当たらずとも遠からずというか、当たっているんじゃないかと思いますがどうか。

場所が近いですし、ウィキペディア「九州地方の難読地名一覧」(2018/12/05)を確認しましたが、ナワ・ナラを含む意味不明の地名が散見されます。原義が忘れられたものだとも考えられます。

名和(ナワ)=奈良(ナラ)で平なら、東日本の平に対して西日本の「平」がハッキリしてきたと言えるのかもしれません。地名で平なんて凄く一般的でありそうです。昔の日本ではナワのブレでも分かるように漢字は自由きままに宛てていますし、奈良は特別に好字(好字令があった)したのだと思えます。この仮説が正しいとすると、沖縄=沖の平(な島)で、那覇=平(村)という普通のありそうな解釈になります。

そもそも沖縄の初出は、奈良時代鑑真の唐大和上東征伝の阿児奈波島なのだそうですが、これは通説通り、阿児をオキと読んでいいという確信はありません。普通ならアゴで志摩(三重県)に阿児=英虞という地名はあります。ただし、ナワが南西諸島の何処かの地名にあったことは間違いないでしょう。

また、続日本紀(797年完成。697年~791年の記録)掖玖(屋久)・多禰(種(子島))奄美・度感(徳之島と言われる)・信覚(石垣島と言われる)・球美(久米島)の地名が見られますし、屋久島・種子島・奄美大島は日本書記に記載があるほど古いのですが(地図を見れば納得いくでしょう)(種子島に至っては多禰国として国府・国分寺すらありました)、寧ろ日本書記以降、続日本紀とほぼ同時代の鑑真の頃(779年作)に奄美以外に度感・信覚・球美を知ってて、沖縄本島を知らないなんて有り得ないようにも思えます(あるいは現地で勢力が強いがゆえにお互い知ってて日本に朝貢はしなかった可能性はあるかもしれません)。この時代に先島諸島の国が朝貢してくるのかなとも思わないでもないですが。いずれにせよ、少なくとも初出はともかく(隋書の流求國(607年)※ただし台湾説など諸説ある。大陸に近い台湾ですが古くは小琉球と呼ばれました。大琉球が沖縄とされます)、地理的な観点からも昔から日本の方が当地に詳しかったとは言えるのだと思います。度々指摘していますが、言語学上日本の一派でもありますし、琉球王国最初の史書は和語で書かれてもいます。結局のところ平家物語の「おきなわ」に江戸時代に新井白石が沖縄を当てたようですが(それ以前の薩摩の史料にも「沖縄」は見えるとか)、少なくとも南西諸島におけるナワはかなり古いと言えると思いますし、沖縄が最大で鑑真の頃まで遡ると想定してもいいんだろうと思いますが(あるいは平家物語か17世紀薩摩)、やはり奄美を知っていたなら、何か本島の名前がないとおかしいですし、周辺の他の島の名前は古くから記載されてきたようです。

次いで那覇ですが、琉球国由来記(1713年。琉球王府に献上された地誌)に奈波から那覇に改字したとあるようです(那覇の地名の由来について知りたい。 レファレンス共同データベース)。これまで見てきたように寧ろ奈波表記が日本的でナハ=日本によくあるナワという地名説に符合するように思います。また、通説とされる伊波説に専門家による疑義が提起されていることも確認できます。いずれにせよ(分かるにせよ分からないにせよ)、ナハという地名はあって何らかの意味はあったに違いありません。

筆者はそもそも沖縄方言は言語学上日本語の系統で日本語で解釈できるものも多いことは確実ですし、ナハはナワで平としたいと思います(本土でもそういう指摘(ナワの意味の解釈)が無かったので今まで分からなかったのかもしれません)。

さて、本日沖縄一宮「波上宮(なみのうえぐう)」(海の上から目立つ崖の上の神社。熊野信仰。琉球王国時代から、那覇港を出入りする船は、崖の上の神社を目印にしたのだそう。灯台なんかも崖の上に立っていることが多い)を調べていたのですが、琉球神道が本土の古神道に似ていると益々確信を持ちました。言語学で確定できるだけでなく、宗教面でも沖縄が古い時代に日本から別れたと言えそうです。

波上宮の解説によると等、元々聖地・拝所だったそうですが、波上宮の御鎮座伝説では、(那覇近郊)南風原の崎山の里主(琉球王国の身分制度で中間にあたる士の上層)が浜で霊石を見つけ、熊野権現の信託を受け、王府に奏上し祀ったのが直接の起源のようです。崎山という姓は全国にあるようですが、(熊野信仰の)和歌山と沖縄に特に多いとか。次いで愛媛(伊予)・鹿児島。

石を祀るのは古神道における磐座(いわくら)信仰によく似ており、沖縄古来の御嶽(うたき)信仰の御嶽とは森の空間や泉や川・島を主に指すようですが、これは日本古来の古神道/自然崇拝(アニミズム)によく似ます。沖縄においては水が貴重だったので水場の信仰がメインになったのでしょうが、元々は御岳(おんたけ)で山を信仰する宗教だったかもしれません(御岳山の修験道は有名)。日本語で島は島を意味しますが、沖縄奄美方言では島は集落を意味するように変化しましたし、有り得ない想定ではないと思います。

女性が祭主なのは、邪馬台国における女王に似ます。当時の中国から見て日本の王は女性で鬼道を行っていました(邪馬台国=九州説は邪馬台国以前漢代の北九州にあった倭国王が女王と書かれていないことを説明する必要があると思います)。古い習俗が寧ろ大和に残っていて、先に北九州が男王化したかもしれません。卑弥呼以後も中国の史書でも日本の史書でも「女王」は登場しており(女系ではありませんが)、そもそも日本の皇室は神の血筋とされており、神事に関係していました。

皇室には殯(もがり)という風習があって、中世日本に風葬の伝承があることから、仏教以前は日本は風葬だったかもしれません。沖縄の洗骨も一種の風葬と言えるようです。まぁ風葬は世界各所であったようですが、言葉が同系であること含めて、沖縄が日本人の一派であることは疑いないように思えます。物忌みも言葉を含めて日本と沖縄に共通します。

念のため、何でもウリナラ起源の韓国に関して言えば(くどいようですが、裏を返せばそれだけ日本古代の話に韓国起源説がでしゃばってきて目にすることが多いということです)、検索するとその基層のシャーマニズムは巫俗といって、元は男女半々であったり、被差別民だったりして、詳しくありませんが、あまり似てないように思えます。元々言語系統も違いますしね。


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