歴史的仮名遣(ウィキペディア)
>現行の「現代仮名遣い」の見直しを含む国語改革と歴史的仮名遣の復権を主張する者は今も残る。作家では阿川弘之、丸谷才一、大岡信、高森明勅等、学者では小堀桂一郎、中村粲、長谷川三千子等がそれであり、井上ひさし[2]や山崎正和にも歴史的仮名遣によって発表された著作がある。
旧仮名遣いに戻すのが保守とは思わないんですよね。筆者は。確かにぽいイメージはあるかもしれませんが。
というのも旧仮名遣いに戻して古い文献が読み易くなったところで、現代の膨大な現代仮名遣いの文献が読み難くなります。そもそも古語というのも一定ではありません。上代日本語(ウィキペディア)と中古日本語(ウィキペディア)は違います。旧仮名遣いに戻したところで、日本書紀(ウィキペディア)こそが日本の源流!漢文に戻せ!って言われたらどうするんですかね?
古い時代の良い部分を参考にするのはいいと思います。ですが、現代を捨てて古い時代に戻るのは寧ろ革新的です。良くない革新だと思いますけどね。今あるものを守り、時代の変化に対応するのが保守でしょう。保守反動(はてなキーワード)は左派の悪口に過ぎません。
>昔の政治体制に戻そうとする政治思想およびその勢力。左翼、リベラルとされる側が批判的に用いることが多く、自称として用いることは少ない(彼らは概ね保守と自称する)。現代の日本においては、戦後民主主義を否定し第二次世界大戦前の大日本帝国を肯定する考えやそれら勢力を指す。
筆者は戦後民主主義で育ったので、民主主義の価値観を守ることが保守だと思っています。民主主義じゃなくしていこうってのは保守的心性と思いませんけどね。良くないところを改革していくのは当然で具体的にああだこうだは書いている訳ですが、左派の設定した保守反動の枠組みにおさまるつもりは全然ありません。戦前もしも民主主義を上手く使いこなせていなかったら、上手に使いこなしていくだけの話です。今が民主主義体制だからです。
時代の流れには対応しなければなりません。自民党の憲法改正草案に対する批判が結構あるのも(ケント・ギルバートさんなんかも批判していますね)、戦後守られてきた価値観(権利)を「戦前的な」道徳に置き換えているように見えるからでしょう。第二次安倍政権が支持されているのもそこらへんだと思います(海外からはリベラル認定され、国際協調!などと言っています)。戦後生まれ戦後育ちは多数派でしょう。保守派はそこを忘れてはなりません。
明治維新のようなレジームチェンジを必ずしも筆者は求めませんが、民衆がそれを求めることもあるでしょう。今はおちおちしていると、選挙でそうなります。レジームチェンジを否定するためにレジームチェンジをするのは矛盾でしょう。そもそも何処まで?と言う問題があります。旧体制に属していた人はそれでいいかもしれませんが、新しい時代に生まれた人がそれに賛同することはないでしょう。起こってしまったレジームチェンジを認めるのも保守の立場だと筆者は思います。それは反省したり古い時代を参考にしたり文化を守ったりそういうことが出来なくなることを意味しません。
>現行の「現代仮名遣い」の見直しを含む国語改革と歴史的仮名遣の復権を主張する者は今も残る。作家では阿川弘之、丸谷才一、大岡信、高森明勅等、学者では小堀桂一郎、中村粲、長谷川三千子等がそれであり、井上ひさし[2]や山崎正和にも歴史的仮名遣によって発表された著作がある。
旧仮名遣いに戻すのが保守とは思わないんですよね。筆者は。確かにぽいイメージはあるかもしれませんが。
というのも旧仮名遣いに戻して古い文献が読み易くなったところで、現代の膨大な現代仮名遣いの文献が読み難くなります。そもそも古語というのも一定ではありません。上代日本語(ウィキペディア)と中古日本語(ウィキペディア)は違います。旧仮名遣いに戻したところで、日本書紀(ウィキペディア)こそが日本の源流!漢文に戻せ!って言われたらどうするんですかね?
古い時代の良い部分を参考にするのはいいと思います。ですが、現代を捨てて古い時代に戻るのは寧ろ革新的です。良くない革新だと思いますけどね。今あるものを守り、時代の変化に対応するのが保守でしょう。保守反動(はてなキーワード)は左派の悪口に過ぎません。
>昔の政治体制に戻そうとする政治思想およびその勢力。左翼、リベラルとされる側が批判的に用いることが多く、自称として用いることは少ない(彼らは概ね保守と自称する)。現代の日本においては、戦後民主主義を否定し第二次世界大戦前の大日本帝国を肯定する考えやそれら勢力を指す。
筆者は戦後民主主義で育ったので、民主主義の価値観を守ることが保守だと思っています。民主主義じゃなくしていこうってのは保守的心性と思いませんけどね。良くないところを改革していくのは当然で具体的にああだこうだは書いている訳ですが、左派の設定した保守反動の枠組みにおさまるつもりは全然ありません。戦前もしも民主主義を上手く使いこなせていなかったら、上手に使いこなしていくだけの話です。今が民主主義体制だからです。
時代の流れには対応しなければなりません。自民党の憲法改正草案に対する批判が結構あるのも(ケント・ギルバートさんなんかも批判していますね)、戦後守られてきた価値観(権利)を「戦前的な」道徳に置き換えているように見えるからでしょう。第二次安倍政権が支持されているのもそこらへんだと思います(海外からはリベラル認定され、国際協調!などと言っています)。戦後生まれ戦後育ちは多数派でしょう。保守派はそこを忘れてはなりません。
明治維新のようなレジームチェンジを必ずしも筆者は求めませんが、民衆がそれを求めることもあるでしょう。今はおちおちしていると、選挙でそうなります。レジームチェンジを否定するためにレジームチェンジをするのは矛盾でしょう。そもそも何処まで?と言う問題があります。旧体制に属していた人はそれでいいかもしれませんが、新しい時代に生まれた人がそれに賛同することはないでしょう。起こってしまったレジームチェンジを認めるのも保守の立場だと筆者は思います。それは反省したり古い時代を参考にしたり文化を守ったりそういうことが出来なくなることを意味しません。