観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「北方領土」「農業」を考察する予定(未定)。

北朝鮮解散

2017-09-19 23:00:07 | 政局・政治情勢
それでは駆け足で記事を連投していきます。少し遅くなりましたが、今日本政治における最大の話題衆院解散についてです。

保守速報経由で知ったのですが、安倍首相は「人づくり解散」と言っているようですね・・・(「人づくり解散」教育・子育て支援争点に 日テレNEWS24 2017年9月19日 11:56)。

>来月に行われることになった衆議院総選挙において、安倍首相は今回の解散を「人づくり解散」と位置づけ、教育や子育て支援に対する税金の使い道を拡大、充実させることを争点の柱として掲げる方針を固めた。

年上で日本で一番偉い安倍首相を勝手に時折安倍ちゃんなどと馴れ馴れしく愛称で呼ぶ筆者ですが(来松した時に見たことがあるような記憶はなくもないんですが、勿論面識はありません)、人づくり解散はイマイチですね。

筆者なら北朝鮮解散にします。みんな北朝鮮制裁に賛成だから争点にならないって?でもみんな何となく勘違いしていると思うんですよね。日本は議院内閣制であって、大統領制ではありません。実際問題明快な対立軸は必要ではないと思います。ホントですよ。信を問うって言葉があるでしょう?議院内閣制の本家本元とも言えるイギリスのメイ首相もブレグジットの信を問うとして解散しましたね?別にブレグジットの是非を論じる力量が無いので筆者はこのことに関してあまり言及しないことにしているんですが、議院内閣制において自分の政策の信を問うため解散を打つのはある意味当然の戦略なんですね。国民に議論がない問題で解散を打つのは勿論邪道でしょうが、北朝鮮問題に関連して安全保障で国民に対立軸はあるだろうと筆者は思っています。

自民党は今度の選挙で敵基地攻撃能力の整備の着手と軍刑法の制定・9条の全面改訂を公約にすればいいと思います(※追記:ネガティブリストへの転換や日本では未対策のEMP対策もそうですね)。安倍首相は小野寺防衛相の敵基地攻撃能力検討発言に対し、敵基地攻撃能力はとりあえずやらないというようなことを言ったと思うのですが、敵基地攻撃能力の整備はこれまでも言われてきて結局はやらなかったこれまでの路線を踏襲した発言だと思います。でも北朝鮮情勢が緊迫してきて全ての選択肢を検討して整備することが重要になってきたのではないかなと筆者は思います。最初敵基地攻撃能力の整備が言われた時はトランプ(呼び捨てにしているのは米流で勝手に気安く呼んでいるのだと思ってください。書くまでもありませんが面識がある訳ではありません)就任以前で、北朝鮮問題が必ずしもホットではなかった時期です。トランプの本気がこれまで膠着してきた北朝鮮問題を前に進めているエンジンだと筆者は思います。安倍首相は最初敵基地攻撃能力整備の議論は認めるもののメリットと政権の安定性を考慮して整備しないという結論を下したのだと思います。9条3項追加もちょっとそんな感じですね。でも解散を打つぐらいの情勢ですから(誰がどう見ても北朝鮮情勢と解散は関連性が深いと思います)、ここは国民の信を問い国民の認識を引き上げにかかるべきではないでしょうか?ミンシンを筆頭とした野党は弱体な訳ですし、ちょうど良い反対勢力になってくれるでしょう。逆に賛成してくれるなら、長年の政治課題が一気に片付きます。今やらないなら、何時までたっても半永久的に戦後レジームは続いてしまうように思います。筆者は第一次安倍政権における安倍首相のトラウマ体験を理解しますが、今は随分情勢が変わってきているように思います。これは是非ともやってほしいですね。軍刑法の制定もそうで、普通に北朝鮮の魔の手から日本を守れるような体制を築いてほしいというのが筆者の望みです。公約は必ずしも実行できるとは限りません。公明党さんは反対するかもしれませんが、別に公明党さんと公約を同じにする必要もないでしょう。逆も真なりな訳で。選挙で国民に信を問い政策議論というステップを踏んで政策課題にチャレンジするというのが政治の常道ではないでしょうか?憲法改正の環境づくりが目的ですね。教育無償化もいいですが、無償化を邪魔する条文は現行憲法にありませんから、憲法改正の理由としては根拠薄弱は否めないと思います。リスクはゼロではありませんが、なんぼなんでも守りすぎのように見えます。国民にボールを投げないと何時までたっても前には進みません。経済もガラパゴスを言われますが、政治も大概カメ(ガラパゴスゾウガメ 画像)です。ウサギとカメでカメは真面目の象徴ですが、今行かないと何時行くんだで、ここは速球を投げ込めと筆者はモニターの前で外野から勝手に監督気分で指示を出しています。自民党に一部例外があってもほとんどの人は憲法9条に疑問を持っているそうじゃありませんか。当然ですよね。家族のあり方を憲法で規制すると誤解をうけるような案は封印しておいて、常識的に法律として明らかに可笑しいだろうというところを正論でズバっといけばいいと思うんですよね。今こそですよ。勿論範囲は今はアジアに限ると明示した方がいいと思います。カーブボールでイラク戦争(ウィキペディア)の正当性に巻き込まれるようなことでは選挙に勝ち目はありませんから。アフガン戦争に正当性はあると筆者は思いますが、正当であれども現実問題としてまだアフガン戦争は終わっていませんから(アフガン戦争に関してはいずれまた書くつもりではあります)、戦後レジームにつかり過ぎた日本にはまだ早い議論だと思います(これもやると選挙で負けるでしょう)。ステップバイステップでまずは東アジアの安全保障を日本は考えるべきです。拡大解釈のレッテルはそうはならないよう明文化する訳で笑止、デマを流すなです。北朝鮮問題は核不拡散問題ですから、日本の核武装の議論はマイナスの影響が強くここでは見送っていいと思います。代わりと言ってはなんですが、核武装大国中国相手に日本が前面に立つ議論も封印ですね。それでもアメリカと協力して敵基地攻撃能力を整備する話は安全保障問題に関して重要な一歩で、日本の平和を守る議論だと思います。如何にもGDP1%の縛りはキツ過ぎます。イージスアショアもやるんなら、予算は絶対足りないでしょう?(防衛産業が盛んな)アメリカの景気が良くなれば、日本への波及効果も馬鹿にならないはずです。安保法制反対のミンシンも黙ってろです。なし崩しと言われようが何だろうが諸国民の正義を信じ戦力の不保持をいう現行憲法下での自衛隊の創設は筆者は正しかったと思っています。筋論に拘り過ぎるとスパイみたいな方々がウヨウヨいて力を持っていた現実に為すすべも無かったでしょう。安保法制をやったおかげで今回の北朝鮮問題でも自衛隊は米軍と協力して給油など活動ができたようですので、やはり正解だったと言わざるを得ません。9条改正反対派のマッチポンプ「解釈改憲」反対論など筆者は一顧だにするつもりはありませんし、その必要も無いと思っています。

安倍首相、衆院解散は訪米の帰国後に判断 自公幹部は結束確認(ロイター 2017年9月18日 / 21:24)

解散は首相の専権事項でトランプがどうこういう問題ではないと思いますが、安全保障政策は日米同盟がありますから米国とのすりあわせは必須ですね。日本がアジアで戦争を始めてもアメリカがアジアで戦争を始めてもどちらも互いが巻き込まれることになります。今は核ミサイルがある時代なので特に互いの連携は密にするべきでしょう。安全保障を前に進める決意があるなら、トランプ政権とよく話し合って政策を提示するのも必要なプロセスでしょう。

チビチリガマ破壊と「平和教育」、琉球国非武装説・琉球が日本でないというデマ、日本左翼の犯した罪、アジアの歴史に関する脱線(主に朱子学と陽明学)

2017-09-19 22:59:58 | メディア
9月14日に琉球新報(<社説>チビチリガマ損壊 命どぅ宝の冒涜許さない)・沖縄タイムス(社説[チビチリガマ破壊]心ない行為 誰がなぜ)でチビチリガマ破壊に関して社説があったのですが、犯人が見つかったようです。※筆者はチビチリガマというものをニュースで始めて知りました。

沖縄の「平和教育」で一体何を学んだのだろう 戦跡破壊の理由は肝試し 9月18日(産経新聞 2017.9.18 05:03)

>器物損壊容疑で県警に逮捕されたのは、沖縄本島に住む16歳から19歳の少年である。「肝試しだった」「心霊スポットに行こうと思った」。少年たちは、現場を訪れた理由をこう語っている。オバケが出そうだから、スリルを楽しむために来た、というのだ。彼らは沖縄の「平和教育」で、一体何を学んできたのだろう。

琉球新報では>今回の損壊について石原昌家沖国大名誉教授は「『命どぅ宝』という沖縄の平和の思想を発信している場所として注目を集めてきたからターゲットになったのだろう」と指摘している、>今回の破壊が仮に「集団自決」の真実をゆがめようとする動きの中で起こったとしたら、犠牲者の尊厳を傷付け、ガマを中心に平和を訴え続けている人たちへの冒涜(ぼうとく)だ・・・ということですから、2紙の推測(琉球新報は大学教授に言わせていますが、大学教授を選んで紙面に載せるのを決めたのは琉球新報に他なりませんから言い訳無用です)は憶測(いいかげんな推測をすること)だったということになります。チビチリガマ破壊は勿論やってはならない残念な行為だと思いますが、沖縄を代表する2紙が事件に関していい加減なオピニオンを発信することもやってはならない残念な行為だと思います。まぁこの少年達の真意は分かりませんが、左翼っていうのは存在しないワラ人形右翼と闘っているように筆者には見えています。子供って結構肝試しとか好きですからね。筆者もみんなで肝試しで空き家に入るなどロクでもないことを少年時代にやっています。特に少年が肝試しでこういうことをやったという話に違和感はないです。沖縄県民がどういう人達なのか知りませんが、通常器物破壊までするのは悪ガキの部類だとは思います。犯人が捕まって文脈が分かってみれば琉球新報も沖縄タイムスもバツが悪いんじゃないですか。訴えたいことがあるとしても社説にも書き方があるんじゃないでしょうか?

産経の指摘で沖縄の平和教育に興味を持ったので検索してみました。

平和教育、沖縄戦継承に危機感 施設活用、大半が県外校(琉球新報社説 2011年6月23日 09:50)

>「県外の子の方が沖縄戦のことをよく知っている。心配なのは資料館やガマに足を運ぶ機会が少ない県内の子どもたちだ」。沖縄戦の継承に取り組む平和ガイドたちは、県内の平和教育の在り方に危機感を募らせる。「子どもたちが沖縄戦をよく知らないまま学校を卒業してしまう」
>沖縄戦を学べる施設や平和ガイドの活用は、県外からの修学旅行生が圧倒的に多い。県平和祈念資料館を2010年度に訪れた小学校から大学までの団体数の86%は県外。小学校は県内公立学校の7割強が来館した形だが、中高は2~3割程度。ひめゆり平和祈念資料館の小中高校の来館団体数は96%が県外だった。
>戦跡の案内などを担う県観光ボランティアガイド友の会は、10年度のガイド要請約1300件のうち「99%が県外」と説明。沖縄平和ネットワークは09年度、県外からの要請は150校で県内は3校。県平和祈念資料館友の会も10年度実績の8割以上が県外だ。

沖縄本島の人口が沖縄県の85%ですから沖縄本島の小学校は大体県平和祈念資料館に行くんでしょうね。県内でどれだけ熱心に施設に行っているか他県と比較していないので良く分かりませんが(愛媛にはこの手の「反戦」的施設がありません)、海を渡ってお隣の広島の原爆ドームには(観光の一環で)何度も行っていますし、他県からの来館者が多いことは寧ろ施設に力がある証拠だと思います。県民がガイドを使わないのもそんなもんでしょう。修学旅行で沖縄にいったらそうした施設に行くというのも分かります。広島観光に行ったら何となく原爆ドームはいきますしね。愛媛は保守王国とされ特に反戦教育が強い部類ではなかったようですが(筆者もそんな覚えはありません)、原爆落ちたら不味いなとか自決を迫るとか酷いな(実際問題米軍は「戦争犯罪者」はともかく特に民間人に酷い扱いをしたとも聞きませんから(少なくとも死んだ方がマシというような扱いをしたとは聞きませんから)沖縄戦で民間人に自決を迫ったのは誤りだったろうと思います)(政治闘争で容赦するとは言っていませんので誤解なきよう)とは思いますから、そんなに気合を入れて洗脳みたいな平和教育は必要ないんじゃないかと筆者は思いますね。戦後レジームは自衛のための軍隊を持つなとか言ってきたそんな体制ですから、筆者は申し訳ありませんが、平和教育なんてものをそもそも強く疑っています。

沖縄県における平和教育の実態調査~平和形成教育の可能性~(平成 25 年度特定非営利活動法人沖縄平和協力センター)

>第 3 節では、友人同士のケンカと国同士のケンカという異なるレベルでの争いについての理解を確認した。~略~ 国家間のケンカの解決法については、双方が「負けない」方法を提示する回答も見られ、紛争の種を残さないことが真の解決
であるとの理解もあることが分かった。

双方が「負けない」のは大岡裁きですが、それが前提になると一方が無茶な要求をしてされた方が怒りを抱くという展開になる可能性もあります。国家間でものの見方は共通しない部分もありますので、双方が「負けない」ことを強調するのは筆者は疑問ですね。例えば中国が兆過去の朝貢を理由にかつての朝貢国に何らかの要求をした場合、つっぱねてゼロ解答、寧ろ報復するぐらいが適切でしょう。奴らは何やら沖縄を独立させ米軍を追い出そうとしていますよね。やってはならないことをやって足して2で割ろうもクソもないもんです。またアジア左翼(日本だけかもしれませんが)は中国の南シナ海侵略に関して暗黙の了解を与えたり、一対一で話し合おう!などという中国の言い分を理解したりするシナスパイ同然の連中が多い。経済ならまだしも地域の大国中国が軍事力を背景に一対一で領土問題を話し合うのは筆者は適切と思いませんね。何にせよ、国際法で決着をつけようという意見ならリベラルかもしれませんが、ヤクザ同然の相手に(九段線!)丸腰で(憲法9条!)で話し合おうなどと言うのが日本の左翼どもですから、奴らの言うことを聞いていたら黒幕の思惑通り中国の支配下になってしまうわって思いますね。

>調査の結果、多くの子供たちは「学徒動員」「集団自決」などの、沖縄戦での「出来事」については知識として持っているか、あるいは耳にしたことがあることが分かった。しかしながら、「皇民化教育」のように、それらの出来事の背景についての理解は低いことも明らかとなった。

皇民化教育(ウィキペディア)

>皇民化教育(こうみんかきょういく)とは大日本帝国の統治地域における日本人以外の民族に対し日本、皇室への忠誠及び同化を指導した政策を指す。内地・外地を問わず用いられる。皇民化政策、皇民化運動とも言う。

皇民化(ウィキペディア)を参照すると、日中戦争に始まりによって台湾の漢民族が中国に忠誠心を持つことを警戒して行ったのが皇民化が言われ始めた始まりのようです。勿論それはそれ以前の政策の延長線上にはあったでしょうが、あくまでそれは後世から見た便宜上の用語に過ぎず、皇民化政策なるものが戦前古くからあったようではないみたいですね。「皇民化政策への理解が低い」というものはそうした文脈からでしょう。やはり左翼は自分がつくったワラ人形と闘ってしまう癖があるようです。左翼のワラ人形作りには罪があって創氏改名(ウィキペディア)を参照すると「創氏改名をしなかった著名人として、陸軍中将まで上り詰めた洪思翊や陸軍大佐の金錫源、満州国軍中尉の白善燁、舞踏家の崔承喜、東京府から出馬して2度衆議院議員に当選した朴春琴らが挙げられる。他にも大韓帝国皇太子李垠や朝鮮貴族、朝鮮名のままの道知事や総督府の朝鮮人官僚などが多数存在していた。」とあります。現在の日本の歴史教科書は強制説にたつようですが、これは端的に誤りでいずれ真実は明らかになるでしょう。洪とか金とか白とか崔とか朴とかどう見ても朝鮮人名字ですが、日本が朝鮮人名字を強制的に消したという現在の「歴史」は事実によって既に反証されているからです。嘘つき左翼がワラ人形右翼をつくりあげて事実を指摘する人に歴史修正主義のレッテルを貼って息巻いている滑稽な状況はいずれ終焉を迎えます。皇民化教育に議論はあって然るべきですが、多少行きすぎはあってもハワイ州の公用語が英語でキリスト教が布教されるようなものかなって思いますね。国家神道って言ってもイングランド(ウィキペディア)も国教会ですし(筆者はこれをプロテスタントと思っていましたが(ウィキペディアもプロテスタントに分類されることもあると書いています。筆者が過去に参考にした記述にはプロテスタントと書いてあったはずです)、典礼的にはカトリックに近いようです。中国としてはイギリスをマネたつもりなのかもしれませんね)、専門家やイギリス人に言わせれば全然違うんでしょうが、「イギリス君主がイングランド教会の最高ガバナー(Supreme Governor of the Church of England)である」とのことです。

琉球王国は非武装だったというような話を聞いたことがある人もいると思います。最近では天下の大新聞(新聞発行部数で検索、1位の日本新聞協会のデータにはパッと見会社別の発行部数のデータが無かったため2位のガベージニュース「全紙前半年期比マイナス、朝日は2.4%の最大下げ率…新聞の販売部数などをグラフ化してみる(2017年前半期・半期分版)」(押し紙とかあると言いますが、625万部も発行されているんですねぇ・・・)にリンク)、2017年大学入試出題数No1の朝日新聞(左翼教師が利用して一番利用されていると宣伝する左翼業界マッチポンプ(^_^))の看板コラム天声人語(ウィキペディア)>命名者は西村天囚で、「天に声あり、人をして語らしむ」という中国の古典に由来し、「民の声、庶民の声こそ天の声」という意味とされるが、この古典が何であるかは高島俊男によれば不明であるという。>ラテン語の“Vox populi vox dei.”が元になっているという説もある。直訳は、『民衆の声は神の声である』。 この題で、Asahi Evening Newsに天声人語の英訳が掲載されている。>大学などの入学試験で取り上げられることが多いとして、自社の広告でも(特に大学受験生向け)その点をアピールしている。>天声人語を書き写すための専用の「天声人語 書き写しノート」を発売している。>2014年9月13日朝刊の天声人語で虚偽とされている「吉田証言」を1983年以降から朝日新聞が虚偽と判断してすべての記事を取り消した2014年8月5日までの間に天声人語でも15回取り上げていたとして、取り消し、謝罪をした。・・・でも、2014年01月20日に沖縄は非武装だったというデマを流したようです(未確認/検索して出てきた個人ブログの記述による>今朝の朝日新聞の天声人語を見て驚いた。琉球王国を非武装国家としているのである。その非武装国家を琉球処分で自国領に組み入れたと主張しているのだ)。

ブサヨどもによって流される琉球=非武装国家説がデマである根拠をふたつリンクしておきます。特に後者の金沢大学の論文は詳細ですので宜しければご参照ください。

琉球古武術(ウィキペディア)

>沖縄では、琉球王国時代より各種の武器術が首里・那覇の士族を中心に行われていた。正史『球陽』(1743-45年)には、17世紀に「槍棒の法あり」との記述があり、薩摩服属後も琉球士族の間では槍術や棒術が稽古されていことが分かる。広く知られている俗説の一つとして、琉球には禁武政策により武器がなかったため、徒手空拳の空手(唐手)が発展したとの説があるが、現実には薩摩服属後も、琉球士族は鉄砲を除いて武器の所持を禁じられておらず、こうした武器術は引き続き稽古されていた。

空手道史と禁武政策についての一考察:琉球王国尚真王期と薩摩藩の支配下を中心に(金沢大学 ビットマン, ハイコ)

>「『アルブケルケ伝』には「ゴーレスの本国はレケア(琉球)である。人々は色白で,長衣をまとってトルコ風に装い,やや細身の長剣と四十二センチほどの長さの短剣を帯びている。勇猛な彼らはマラッカで恐れられている。」とあり,また『朝鮮世祖実録』(一四六二年)には,「其の俗,常に大小二刀を佩し,飲食起居するに身より離さず」とあるように,十五~十六世紀の琉球人は日常的に大小の刀剣を腰に差していた。」

第3者である外国人が15~16世紀琉球人は大小の刀剣を腰に差していたと言っているんですね。どう見ても日本の武士そのものだと思いませんか?

ただ、かつての独立国琉球が日本でもあったという根拠は腐るほどあるんですが、それでも何故か中国の影響が強いとされてきた経緯には疑問が残ります。それほど明らかに日本だったら中国がでしゃばる余地は無かったに違いありません。琉球侵攻(ウィキペディア)>以後、尚氏代々の王は江戸幕府の将軍に、使節(琉球国王の代替り毎に謝恩使・将軍の代替り毎に慶賀使)を江戸上りで派遣する義務を負い、また琉球と清との朝貢貿易の実権を薩摩藩が握るようになった。薩摩藩の服属国となって通商と技術の伝播を義務付けられたが、清にも朝貢を続けた。薩摩藩は、江戸へも琉球の使節を連れたが、その際の服装は、琉球に清帝国使節が来た際に用いる中華風のものを着させた。・・・この辺の経緯は知識不足・時間不足で未検証ですが、鎖国(ウィキペディア)で貿易を制限していた日本(ただし中国との貿易が全く禁じられていた訳ではない)が、中国との貿易を十分行うために琉球に中国コスプレをさせて迂回貿易していたという話は十分に有りそうな話です。日本(武士)は中国と貿易をしたくない訳じゃなかったのでしょうが、頭を下げさせられるのが嫌だったんだろうと思います(朝貢(ウィキペディア))。琉球を通じて中国と貿易を行っていた薩摩は明治維新の原動力となったのは皆さんご承知の通りです(琉球貿易(ウィキペディア)>中国から日本へ生糸・薬種・砂糖をもたらし、日本から中国へは銀、干鮑や昆布などの俵物をもたらした琉球貿易は幕末期(19世紀中期)に至るまで東アジアの貿易では大きな役割を果たして長崎の会所貿易を脅かす程の存在感を持ち、その利益を掌握してきた薩摩藩の財政に対する貢献も大きかった)。政策にはいろいろな側面があって、薩摩のこうした扱いは沖縄の複雑な感情を生んだ側面は否定できないと思います。いずれにせよ、琉球が日本が一部であるという歴史的経緯は明らかで、特異な非武装国家でも無かったということですね。琉球が非武装国家であったというデマをあえて取り上げたのは、こうした偽史に基づき現代でも非武装を!という話が出てくると思うからです。過去できたのに何故今できないんだって言われたら厄介ですからね。でも非武装で国が守れるというような構図は琉球でも成立したことはありません。それは御伽噺でありデマです。自然に成立したというよりは狡猾なスパイが流したと見た方が正しいとは思いますが、それはさておきます。

以前にこのブログでヅラ氏が五輪で空手の会場を沖縄にと言った時少し反応したのですが、これは筆者に沖縄=非武装の話に疑問があってそれを打ち消す厄にたつかなと思ったからです。

空手道(ウィキペディア)

>1936年(昭和11年)10月25日、那覇で「空手大家の座談会」(琉球新報主催)が開かれ、この時、唐手を空手に改めることが決まった。1960年代までは唐手表記も珍しくなかったが、現在では空手の表記が一般化し定着している。

でもちょっと考えが浅かったかもしれませんね。ヅラ氏的には中国との絆を主張するためだったかもしれないからです(ただし筆者は条件として辺野古への速やかな基地移設を挙げています)。しかしながら、空手が唐手と呼ばれていたことは否定できないと思いますが、これは中国との絆というより日本との絆を示す事例だと思うんですよね。可笑しいと思いますか?筆者はそうは思いません。日本で中国が源流の技術は幾らでもあります。中国=唐でカラと呼ぶのは全く日本そのものだとしか筆者には思えません。空手の起源には諸説ありますが、中国武術を琉球人が習った時(そういう事実は筆者はあったんだろうと思います。そうでなければ唐手と広く呼ばれることはなかったろうと思うからです)、当時の王朝は唐では全くありませんでした。隋は短命でしたので、唐が日本がある程度きちんとした国家機構が成立してから長期にわたって交流した最初の国家です。他の呼び名の漢は秦が短命だったので、中国である程度ちゃんとした統一国家が長期続いたと言える最初の王朝です(周・殷は存在しましたが伝説的な存在です。中国の正史(ウィキペディア)は春秋に始まるようですが、これは春秋時代の一地方政権魯国による記録です。正史の第一に数えられる史記(ウィキペディア)は前漢の司馬遷の手によるものですが>「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝から前漢の武帝までである。このような記述の仕方は、中国の歴史書、わけても正史記述の雛形となっている・・・ということで建国神話から夏(殷のように文字資料では裏付けられない)・殷・周の話は遥か降って主に前漢時代に纏められた史記の話に拠るんですね。日本では日本書紀がこれにあたり神話から皇室・日本の歴史が纏められました(720年唐の時代)。ちなみに朝鮮では三国史記がこれにあたりますが(1145年完成)、文字通り三国時代の歴史で個別の国の建国神話はあっても朝鮮全体の建国神話の類は存在しないようです。楽浪郡や衛氏朝鮮もありましたから、地理的に中国の影響は日本より早かったとは思いますが、逆に近すぎで、日本の方が統一国家の成立は早かった(古くから強かった)と考えられます。これが中国史書にも見える古代日本の朝鮮の一部支配に繋がる訳ですが、朝鮮人はこの現実をどうしても直視しようとしません。儒教とりわけ朱子学(ウィキペディア)>朝鮮の朱子学受容の特徴として、李朝500年間にわたって、仏教はもちろん、儒教の一派である陽明学ですら異端として厳しく弾圧し、朱子学一尊を貫いたこと、また、朱熹の「文公家礼」(冠婚葬祭手引書)を徹底的に制度化し、朝鮮古来の礼俗や仏教儀礼を儒式に改変するなど、朱子学の研究が中国はじめその他の国に例を見ないほどに精密を極めたことが挙げられる。こうした朱子学の純化が他の思想への耐性のなさを招き、それが朝鮮の近代化を阻む一要因となったとする見方もある[5]※296pに日本人は西洋文明を積極的に受容しようとしており、朝鮮人は西洋人を厄介者扱いしていたという記述があります※残忍さも指摘され外国人には良く分からないかもしれない織田信長人気も彼の南蛮趣味と関係があると信長好きの筆者は思います(※四書大全(ウィキペディア)>元朝をモンゴル高原に退けて、漢民族による中国統一を達成した明朝では、民族的・伝統的文化復興の気運の高まりを背景に、再び儒教が盛んとなった>『四書大全』と『五経大全』(ともに1415年刊)は、『四書』と『五経』を朱子学の説によって解釈した注釈書で、以後中国と朝鮮で科挙試験の解釈の基準となった。また『性理大全』(1415年完成)は、宋・元の性理学の学説を集大成した書である。しかし、国家が経典の解釈を定めたために、儒学は形式化し、思想の固定化が進んだ。科挙の受験者はこれらを暗記するのみで、明・清代の知識階級の自由な研究心は阻害されたといわれる)(ただし朱子学の一派であるところの陽明学(ウィキペディア)は「形骸化した朱子学の批判から出発し、時代に適応した実践倫理を説いた」とされ、幕末の統幕運動に影響を与えたとされており(幕末の思想家吉田松陰もその一人ですが、安倍首相(倒幕派の雄藩長州が地盤)は故郷の偉人吉田松陰を尊敬していると言います。安倍首相のプラグマティズムはこんなところからの影響も考えられる訳ですね)、戦前日本経済の基礎をつくった岩崎弥太郎・渋沢栄一や日露戦争でロシア海軍を打ち破った東郷平八郎も信奉者だとされているようで、戦後日本の自民党のフィクサー安岡正篤氏も功罪はあるようですが陽明学者だということです。朝鮮では本場中国以上に陽明学は弾圧されたようです)・・・の毒だと思う訳ですが、朱子学はモンゴルによって滅ぼされた南宋の朱熹が創始した学問で、モンゴルを退けた明では民族的文化復興の気運をうけて儒教が再び盛んになったようです。話が大分逸れましたが、筆者は暗記重視の科挙的アジア(中国)文化の強みは認めますが、やはり思考力重視の西欧文化の方に魅力を感じますね。また日本のいいところは柔軟に西欧だろうが何だろうが良いところを取り入れられるところだとも思っています)。ローマと秦が同時代でchinaの語源になったと言い、古代ギリシア(ウィキペディア)ポリスの時代と春秋戦国(ウィキペディア)が大体同時代で、中国最初の文字甲骨文字を造った殷よりは圧倒的に(2000年近く)中東の方が古い(インダスも殷よりは1000年古い)というのが大体の文明比較の相場観かと思います。

話を沖縄の平和教育に戻し次の記事でこの投稿は最後とします。

沖縄の平和教育に中国の影(IRONNA 月刊正論 八重山日報編集長 仲新城誠氏)

>現在の沖縄では、日本復帰を「米軍基地の重圧を残したままの復帰」と否定的にとらえる論調が、主要マスコミを中心にむしろ支配的だ。在沖米軍を撤退させることが目的の「沖縄独立論」がもてはやされる風潮も、その一環といえる。

>「慰霊の日」前後には各学校で集中的に平和学習の授業が行われるが、戦争への恐怖をいたずらに煽り、子どもたちに非武装を促すような内容が目立つ。戦争犠牲者を追悼し、国を守るために戦った人たちに敬意を捧げるという、本来あるべき「平和教育」の要素はほとんど感じられない。

>「協議会の実態は、県民の感情を巧みに利用した反安保闘争組織であり、裏では日米同盟の破棄を企む中国共産党が糸を引いていた」

>仲村さんの子息でジャーナリストの覚さんは、教職員を中心に展開されていた沖縄復帰運動のルーツを、こう指摘する。

>証拠の一つとして挙げているのは、復帰直前の72年、中国が沖縄から友好訪問団を招いているという事実だ。団長は仲吉良新という人物で、協議会とともに復帰運動をリードした1人だった。訪問団は周恩来首相と会見。周恩来は「沖縄返還協定はペテンだが、しかし返還の始まりとみることができる」と発言したという。

>覚さんは、協議会が「沖縄復帰」の目的として「軍事基地の撤去」「安保条約の破棄」などを掲げていたことに着目する。毛沢東が1964年の人民日報で「(日本国内の)すべての米軍基地の撤去要求と米軍武装部隊の撤退の要求、日本の領土沖縄の返還要求、日米安全保障条約の廃止」を応援する、と述べたことと「見事に一致する」からだ。

>「沖縄を共産革命の拠点に」と画策する中国共産党の工作活動が、教員を中心に徐々に浸透していった―と仲村さん親子はみるが、象徴的な出来事が復帰前に開かれた教職員会の集会であった。

>「ヤクザに刃物を持たせると人殺しをするように、日本に軍を持たせると戦争になる」

>こう叫んだ参加者がいた。あきれた俊子さんは「有史以来、戦争をしたことがない国があったら教えてほしい」と発言し、立ち去った。すると残った参加者から「今の発言者を吊るし上げろ」と要求する声が上がったという。

>あとで判明したところでは「ヤクザ発言」をしたのは教員ではなく、革マル派の大学生だった。教職員会の集会には、こうした人物が紛れ込み、堂々と発言していたのである。

>仲村さんは70年6月、教職員会から脱会した。上原義雄さん(77)=那覇市=は仲村さんと行動をともにした教員の1人だが、学校の同僚が、中国が核実験に成功したというニュースを喜んでいたことを今も覚えている。

>「米国の核は侵略の核だが、中国の核は平和の核だと言っていた。最初は純粋な復帰運動だったのに、日教組の影響を受けて『核抜き、本土並みの復帰ではないからおかしい』などという運動に変わっていった。じわりじわり洗脳されていく感じだった」

>「平和教育」も、ひたすら日本軍の残虐性を強調する内容へ傾いていった。仲村さんは、復帰当時、教職員会から衣替えした教職員組合(沖教組)作成のパンフレット「これが日本軍だ~沖縄戦における残虐性」を現在も大切に保存している。

>冊子では、日本兵が軍刀で住民を斬首したとか、泣く子を絞殺したとかいうエピソードが約60ページにわたって満載されている。

>「復帰を前にして、なぜ沖縄県民は27年前の日本軍の残虐行為をあばこうとしているのか。それは自衛隊の沖縄配備と無関係ではありません。(中略)自衛隊即日本軍隊であるからです」

>冊子は「まえがき」にそう記しており、彼らの「平和教育」の究極的な目的とは「反自衛隊」(または反米軍基地)であることが分かる。

引用が長くなりましたが、中国共産党が沖縄を日本から奪うため邪魔な米軍・自衛隊を追い出すために展開したのが沖縄の「平和教育」という名の西側軍隊ヘイトで、それは旧軍の人命軽視とも言える姿勢や伝統的な日本の沖縄の扱いもあって沖縄県民に拡散してしまったというのが経緯だと思います。東側(中国)を美化して何も語らないあたりが詐欺の詐欺たる所以ですが・・・。「本土」の左翼も自衛隊反対の系譜で今のミンシン・シャミン・共産・朝日・毎日に連なります。筆者は日本に右翼は(ほとんど)いないと思っており、保守派の安倍総理をずっと支持してきました。やはり戦後レジーム「平和主義」は脱却しないといけないのであって、必ずしも戦争を好んでいる訳ではないのですが、左翼から見ると右翼に見えるんでしょうから、好きに言ってくれ(勘違いしてくれ)と思っています。デマはこっちで情報を流して打ち消しますから。敵に力量を低く見られるのは歓迎されるべきですからね。まぁフリーターで「安倍信者」がネトウヨとやらの典型的なイメージだとしたら、あながちその決め付けは筆者に関して間違っている訳ではありません。筆者に弱点を晒す趣味がある訳ではありませんが、人から言われるぐらいだったら自分で言った方がマシですね。それは兎も角、どっちが最終的に勝つかは自明だと思うんですがねぇ・・・。手加減するつもりはほとんどありません。