坑道跡を見学した後は、島内を回った。 もちろん炭鉱内ツアーも面白かったが、個人的には、その後の廃墟化していく過程の建物群に圧倒された。
昭和34年の出炭から平成13年の閉山まで、49年にわたって石炭火力発電所へ石炭の供給を行った池島炭鉱、昭和40年代には7500人ほどの人が池島に住んでいた。 閉山して23年だが、その間に住民は減り続け、それに伴い、人が生活していた空間が急速に自然にどんどん飲み込まれていっている姿に触れたせいか、これまで感じたことない人や人工物の儚さに包まれた。
SF映画ではないが、突然、人が消えた街に、迷い込んだという感じである。 他であれば、多くの場合、人の手が入り、解体や撤去が行われるのであるが、この池島はそれとはまったく違う。
まさに時の流れの中で、少しずつ崩壊し、多分、数百年後には、何事もなかったかのように、元の島に戻るような気がする。
昭和45年の最盛期には1287名の生徒が通っていたというこの小学校も人口の減少とともにたった全校生徒3人になってしまったという長崎市立池島小(中)学校。 立派な校舎、広い運動場、そして二つの体育館、その大きさ故に、現状があまりにも寂しく感じてしまう。
ほんとうに静かなこの島を歩いていると、海からの風の音がよく聞こえた。 地震や台風といった短い時間での自然の驚異とは全く異質ではあるが、自然の持つ静かではあるが想像を越える力を感じた。 人類がどんなに抗っても、いずれこの自然への帰趨することは明らかである。 帰途は高速船だったので約10分で神浦港に到着した。 ただ、神浦周辺もほとんど人気がなく、改めて過疎化の広がりを感じた。
From Face Book: The closed coal mine in Ikeshima (2).
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