大槌町は、私の父の戦友が復員後亡くなるまで暮らした町です。
小さい頃には、送ってくれる海産物を通じて交流がありました。
国道から入ってすぐの市街地は火災が発生したらしく、燃え尽きていました。
その先はガレキに埋もれ跡形も無く、JR山田線は高架のコンクリート製橋脚が倒れ、線路は無残に湾曲切断されています。
さらにその先には高さ5m位の防潮堤を越えて、鉄骨2階建ての民宿の上に乗っかってしまった大きな観光船が見えます。
釜石湾の観光船「はまゆり」がその時、大槌の港で点検中だったのでここにいて、流された。
(このモニュメント?を、「つらい悲しい思い出は撤去して欲しい」と言う地元民の声と、原爆ドームのように、あの時「つらい悲しい思い出は撤去して欲しい」声はあったけど残した決意、今「残す!残さない!」の議論が対立しているようです。
今は穏やかになった海の向こうには「ひょっこりひょうたん島」(正式名は宝来島ですが、形があの島にそっくりで)が浮かんでいますが、灯台と鳥居は被災していました。
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