愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

「あみだくじ」の歴史

2013年09月30日 | 民俗その他

あみだくじ。これを漢字で書くと阿弥陀籤。現代では誰もが知っているくじ引きの方法である。これは複数の縦線を書いて、くじに参加する者が横線を加えて書いていき、当たりを決めるやり方だが、その由来を知りたいと思って日本国語大辞典を見ると、ちょっと驚く記述であった。

「あみだくじ【阿弥陀籤】〔名〕(阿弥陀の後光のように放射状に線を引いたことから)線のはしに金額を書いて隠し、各自が引き当てた金額を出しあうくじ。あみだ。あみだのひかり」

このように記載されている。現在のあみだくじとは違う。縦線、横線のあみだくじではなくて、放射状に線を書くというのだ。この放射状方式から縦横線方式に変化するのがいつ頃なのか、という年代確定はいまは手元に材料が無いのでわからない。ただ、この放射状方式が「あみだくじ」の呼称より「あみだのひかり」の方が一般的で、中世(室町時代)にまで遡るようである。

享禄(1528~1532)年間から天文(1532~1555)年間頃の成立とされる俳諧連歌集『犬筑波集』に「一すぢにあみだの光たのむ也 ちゃわむのはたのすみぞめの袖」とある。また同じ16世紀半ばの「証如上人日記」(『石山本願寺日記』)の天文21年2月9日条に「去七日あみだの光をし」と出てくる。

あみだくじの「阿弥陀」とは、くじを引く際に阿弥陀如来はすべてお見通しであるといった意味ではなく、放射状に広がる後光の様子になぞらえて付けられたものだということだ。

それにしても、縦横線方式がいつの時代から成立、普及、流行したのか、ちょっと知りたいものである。

さて、あみだくじは平等で公正明大なくじの方法であると思いがちだがそうではない。これは確率の問題になるが、確率が高いのが当たりの真上の線で、その横線が次に確率が高くなる。縦線を5本(仮にA、B、C、D、E)を書いたとして、中央のCを当たりとすれば、確率が高いのはCであり、一番端のA、Eは確率が低い。当たりの位置を隠せば問題はないが、当たりを見せた状態で参加者が横線を書き足す場合もあるので、その時には当たりを引き寄せることができる。

さまざまな場であみだくじは使われているが、必ず当てることは無理にしても、確率を高めることが可能なのである。あみだくじは厳密に公正明大とはいえないのかもしれない。でもこれは確率の問題。結局は阿弥陀さまがお見通しで、くじの結果は神(いや阿弥陀?)のみぞ知る、ということにしておこう。






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