先般、清水史編著『内と外から見た愛媛の方言-方言意識の本音を探る-』(青葉図書)が出版された。清水史氏は愛媛大学教授で、現在、愛媛の方言研究の第一人者である。
この本では第1章にて、東予・中予・南予にわけてそれぞれの地域の各年代層が愛媛の方言をどう思っているのかといった方言意識の調査成果を紹介し、次に、愛媛の方言を、アクセントから(第2章)、語彙・意味から(第3章)、文法から(第4章)それぞれ紹介している。そして第5章では外国人から見た愛媛の方言を紹介している。
いずれも平易な文体で、内容も概説的なものであり、愛媛の方言の特徴を知る上で非常に参考になる本である。これまで、愛媛で出版されていた方言に関する本は、単に各地の方言の紹介にとどまっていたため、今回の本は、今後、愛媛の方言研究を始める者にとって有益であり、指針になるといえるだろう。
この本の趣旨とは異なるが、タイトルに「内と外から見た」とあるので、方言の「内と外」について考えてみた。本のタイトルに「内と外」を入れたのは、第5章にて「外国人から見た愛媛の方言」という項目があるからだと推察したが、私は「内と外」と聞くと、愛媛の方言を何気に使用する者と、愛媛県外から来た者、もしくは地域共同体を離れ、標準語を駆使する(もしくは第一と考える)者(学校の先生等)が出会ったことを契機に発生する方言認識を頭に思い浮かべてしまった。
昭和20年代以前の学校では、先生が、方言はよくない言葉だとして、子供の使う方言を矯正をし、標準語を押しつけた事例をよく聞くことがある。例えば、伊方町では父母のことを「トット」、「カッカ」と日常的に呼んでいたが、これを昭和20年代当時の学校の先生が汚い言葉と言って、「お父さん」、「お母さん」に代えさせられたというのである。学校現場での方言矯正は明治時代に始まるが、「国家」性を帯びた標準語が、地方に舞い降りた際、どのような変化、葛藤があったのか。この点に私は興味を持っている。学校現場だけではなく、昭和30年代以降のテレビの普及も大いに関係するところである。
つまり、私が「内と外」の標題を見て意識するのは、「地方(地域)と国家」、「方言と標準語」の交錯がどのように展開したのかという点である。本書を読んで、以上の点を改めて問題意識として抱いてしまった。今後のフィールドワークで、気に留めながら聞き取りをしてみたいと思っている。
2001年04月12日