夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

“昨日”の振り返り

2013-03-16 08:26:38 | つれづれなるままに
 PHP誌(12月号)に下園壮太氏(メンタルレスキュー・インストラクター)の「"昨日”を振り返る」に書かれてあったこと。

 「大きな不幸に遭遇すると、我々の心は、痛み傷つく。受験や就職の失敗、失恋、仕事上の大きなミス、長く続く対人トラブル・・・。
 震災では多くの人が苦しんでいる。そんなとき人は、早くこの苦しい状態から抜け出し、心を整理して、前向きに生活したいと思う。ただ過去に起こった事実は変えられない。そこに意識が向く限り、なかなか心は整理されていかない。ではどうすればよいのだろう。

 変えられることを変えていけばよいのだ。(略)昨日を振り返り、良かったことを3つ、悪かったことを一つ、その改善点(学んだこと)を一つ挙げるだけという簡単エクササイズ」良いことを3つ上げ、悪いことは1つで差し引き全体的に良かった一日にするのがコツ。

 悪いことを1つ上げた後、「次はこうしよう、明日はこうしよう」と対策を立てる。そういうイメージを持つことで先が読め、不安がなくなるのだという。(対策=学んだこと)

銘柄

2013-03-14 06:48:33 | つれづれなるままに
 銘柄とはブランドともいう。
 

 そういう意味では美術品の絵画や陶芸の「備前焼」とか「信楽焼」などのブランド品は、社会的な価値を誰がつけるかは別にして、自分から見て「よく見えるものが良いもの」であり、どんなに勧められても購入者の心が動かなければ商売は成立しないのだ。

 人間も定年前にはブランド品であっても、定年後にはその銘柄が意味を成さないことが多い。○○社長だった人・・・○○部長だった人・・・

 今現在の力を商売上は評価するものであり、明日のその人を評価するものは商売上にはない。しかし銘柄にあらずしても、その人の「徳」というものが備わっているかいないかで、その人間には人がついたりつかなかったりもするのだろう。

 この頃になると自分の年齢もあり、ネクタイ背広姿の自分と、ジーパン姿のラフなスタイルの自分では、まさに外観上からもその品格、人柄というものの方を問われることを感じている。

 職場での存在価値を失い評価されなくなった時こそ、まさに引退の時なのだから潔く立ち去ることをこそ望みたい。
 私自身は為すべきことをなしたという矜持があるのだから、勲章や賞状などの社会的評価は不要なものでしかない。私が成し遂げたかったことが、人生の上での最も価値のある勲章なのだと今更ながら思っている。
 

東日本大震災~近未来への警告

2013-03-12 06:29:06 | 東日本大震災
3月11日(月)

 未曾有の死者と行方不明者、そして副次的に福島の原子力発電所の想定外の事故による放射能禍は、福島県を孤立させている。
 私たちはこの災禍をどのように見ればよいのだろうか。
 テレビ報道で明らかになったこと、それは原発の仕組みそのものの危機管理のずさんさであった。
 NHKが放送した「アメリカスリーマイル島の原発事故」これは日本と同じ構造の原発機械だという。そこからに何も学ばず、最悪のシナリオの肝心かなめの措置を関係者が誰も知らなかったために、最悪のシナリオに至ったことは、東電本社はもとより、規制委員会も含めて、国家的な失態以外何者でもない。そのような中にありながらも安倍政権は、これらの問題を棚上げどころかないがしろにして、原発の再稼働を目指しているのは許しがたい。

 沖縄も東北北海道も何時の世も変わらず、中央政権から遠い地方にその繁栄の犠牲を強いて来たのだ。こんな地震国のちっぽけな細長い島に、原発50基以上を配置しているという。更にはその原発そのものの機能上の問題と立地基盤の脆弱さにより、稼働している原発は限りなく少ないことをどう考えるのか。

 問題は福島第1から第4に至るまでの原発事故の処理が、これから40年間も先でなければ困難だという。
 今起きた事故すらその状態なのだから、もはや科学の限界を超えた機械としか言いようがない。
 この事故が起きたことによって大きな人命が失われ、未だに自らの責任外での難民が帰郷希望を持ちながら帰還できずにいる現状をこそ、もう一度みんなでどうすべきかを考え行動するべきではないだろうか。
 東通村や六ケ所村、大間原発、これらの事故の起きた時の、避難路などどこにもないのが現状だ。横浜町の避難先は弘前市で、5,000人を想定しているという。しかしこの地形の中で原発に近すぎて、逃げようにもどの方向に逃げるのだろうか。

 原発は人間の手によって引き起こされた、まさに史上最大の「欠陥製品」であると言わざるを得ない。
 私たちも日常生活のありようを、今から変えなければならない。いや、変えるというよりは、本来の生活に戻さなければならない。
 効率性だけではない、シンプルでスローで、循環型の暮らしである。
 「日本的なほどよい暮らし」は、昭和の30年代までで途絶えようとしている。アメリカナイズされた利便性ある暮らしがもっとも良いとされたが、結局はそこから始まった人間社会の精神崩壊である。
 日本人が、何故日本人なのか・・・同じ人間であっても、日本の気候風土によって形成された体質は、決してアメリカ人にはなれないのに・・・。
 むしろアメリカを象徴とする欧米的なマイナス部分をより多く、健康と引き換えようとして来たとも言えるかもしれない。

 

 

結婚披露宴~縁

2013-03-11 06:36:52 | つれづれなるままに
3月10日(日)暴風警報発令

 結婚披露宴の式場は青森市「国際ホテル」。
 送迎バスが弘前駅の城東口から出発することになっていて、家内と二人で向かった。往きも帰りも風が強く、大荒れの天候だった。
 ことに帰りのバスは片道1時間の所、鶴ヶ坂のバイパスで何かが起こったのか、旧道に回されたバスはなかなか前進せず1時間以上遅れて到着した。
 人生というものの縮図の有り様をこんな所にも感じてしまう。あと10分早ければとか、遅ければ遭わずにすんだマイナスの出来事。
 どんなときにも冷静に動ける自分であるか、それが問題なのかもしれない。私達の日常は、安全であることが当たり前のように思っているが、実はいつも紙一重の偶然という命運にかかっているに過ぎない。結果はどうであれ、万全を尽くして危機を乗り越えるために蓄積しているすべてを使って生き延びようとする努力が必要なのだ。

 私は5歳の時に井戸に落ち、たまたま妹が大声で泣き近くでたまたまその地殻の水田で田の草取りをしていた村人に発見され救われた。私は泳げたわけではなく、いったん沈んで浮いてきた所眼の前に合った庭のモミジの根につかまっていて、命拾いをした。そしてそれがたまたま夏であったことも・・・。
 そんな偶然が何度かあった。

 この日の主人公は、大学で机を並べた同級生同士。そして同じ福祉の道へと進んでいる。この条件をクリアできる人が、県内にどれくらいいるのだろうか。

 24日に結婚披露宴を予定している法人の女性も、その条件に合致している稀有な人たちである。

 人と人がつながっているのは、実は偶然ではなく必然だと思う。必然は本人が意識して起こるだけではない。「神のみぞ知る」ことも多かれ少なかれあるのだ。神とは誰を指すのかは分からないが、村上和雄氏(筑波大がk名誉教授)によれば、まさに「Great Something」なのだ。
 DNAの遺伝子の構造にすでに組み込まれている設計図が、私達の人生を左右しているものらしい。そしてその大きな誘因は、本人の希望であったり、願いであったり、目標であるという。
 「為せば成る』と言う言葉があるが、「願えば叶う」ということかもしれない。つまり諦めていては、何事も実現などしない。少なくとも私達家族は、そういう体験をして現在がある。
 無理だと思った瞬間に、夢は儚くも消え去るのだ。
 今日結婚をされたお二人は、そういう意味でどんな人生を歩まれるのだろうか。
 仕合せは少なくとも、待っていては実現しないことも確かである。仕合せという字の意味がまさに共同作業であることを示しているのだ。幸せという字も、辛いという字にもう一本の努力を重ねないと実現しないことを示している。
 
 昨日の祝辞では言えなかったこと・・・・
 
 30分幸せになりたかったら、酒を飲めば良い。
 三日間幸せになりたかったら、結婚すればいい
 一週間幸せになりたかったら、豚を殺せばいい
 それ以上幸せでいたかったら、釣りをすればいい

 けだし名言であると思う。
 
 
 

 

 
 
 

卒業式

2013-03-10 07:24:31 | サイクリング
3月8日(金)10:00~

 この日私達が4年4ヶ月を過ごした、岩木山麓「常盤野小中学校」の卒業式に出席。校長室に案内され、すでに集まっていた開拓団団長の父を持つ鈴木さんが開拓当時の話を教えてくれた。故鈴木春夫さんは、愛媛県新居浜市出身で、お母さんは山形県出身だという。二人がどうしてあの時代知り合ったのかということが話題になった。樺太に当時東北の農家の人達が出稼ぎに行き、知り合ったらしい。つまり恋愛結婚という。
 式が始まる前に、校長室には主だった町会関係者が集まって、その顔ぶれもかなり若返ってきたのかもしれない。
 私の知らなかったことなどの幾つかを、話の中に拾ったりしている。
 梅田校長先生時代に、私達「生活リスムセンターノーム」はかなり親切していただいた記憶がある。そしてその当時の梅津教頭先生が、自動車事故でなくなった時の話もその場に話題になった。百沢の交差点で通勤途上信号無視のダンプカーが梅津先生の車に衝突して、即死だったそうである。出掛けに電話応対をしなければ・・・など人生の予想のつかない不運は、たった数分の時間のズレで起きてしまうのだろう。
歴代の校長先生の中では6人ほど現在までに変わっていることになる。

 帰り際に鈴木さんが、常磐野小学校も寂しくなったから、あんたんとこあたりがこっちを賑やかにしてくれるといいんだが・・・といってくださった。有り難いことである。

 いつか恩返ししようと思いつつ、現在に至っている。
 
 卒業生は小学校が3名、中学校が2名であった。

暴風警報

2013-03-10 06:57:47 | つれづれなるままに
3月10日(日)

 昨夜から明け方にかけて強風が吹きすさんで、猛烈な風が家の建物をすり抜けていく。
どうやら今日から明日にかけ、東北・北海道は大荒れらしい。

 昨夜はケアホームに届け物をするために家内と出かけた。土曜日なのに帰宅できない娘たちが二人だけ居間に寝転がっていた。
 帰宅できない理由は、きょうが青森市での結婚披露宴があり、家内と二人招待されているためだ。
 夕食の時間を娘たちに寄り添った。次女は昨日の朝方から少し腹具合が悪かったのか、朝食が進まなかったという。あうんで浣腸をして、出るものが出てスッキリした様子。でもいつもの彼女の陽気さはなく、名前を呼ぶと愛想笑いをする程度。

 長女は私が見えると、「あー来たのか」というふうで手を伸ばしてきた。座ってではあるがこの夜は彼女が姿勢正しくピアノの鍵盤を右から左に手を動かして鳴らしている。倒れるかなと思うと、また元の方に上手に指をスライドするのだから結構しっかりしている。

 PM7時から長女の入浴が始まり、我々もそれに合わせて帰宅した。
申し訳ないという思いは、車に乗っている間意識から離れない。
 
 今日と24日は職員の結婚披露宴があり、22日が理事会・評議員会。
 22日のPM4:00からあうん増築棟の竣工式。
 23日が町会の行事「お山参詣」の審査会があり、プレゼンテーションをしなければならない。
 そういう中、18日から新任職員の研修実習が始まる。師走以上にこの月は忙しくなりそうである。補助金をもらってまでやらなければならないイベントは、もう時代遅れかもしれない。人づくりのための研修に金をかけたほうが、はるかに社会は活性化する気がしている。これらもみな市民の税金なのだ。
 意識を変えていく必要が迫っている。

新年度に向けて

2013-03-05 06:54:07 | 私と福祉とであいの旅
3月4日(月)晴 3.5℃

 昨年12月着工の「作業棟」の増築工事が、いよいよ山場を迎えている。工事監理者に昨日会い、3月20日竣工とのこと。この工事にともなって、本館の床なども張替えの必要が出てきている。施設ができて10年を超えると、あちこちが痛み始めるということを最近はとよく感じている。

 新年度の準備はもう一つ、新任職員の研修実習カリキュラムづくり。こちらの方も、なかなか職員が予定の期間にそろわないために、頭が痛い問題でもある。

 就労系の計画に反映されるかどうかまだわからない事項に、同じ価値観を持つパン屋さんに昨日お目にかかる機会を得た。天然酵母を使ってパンを焼いているパン屋さんで、自然農の農場のオーナーと以前から交流のある方だった。私はご主人とは初対面だが、S農場では奥さんとお嬢さんには何度かお会いしている。
 パンに取り組んだのは今までで18年間というから、私が無認可施設をスタートした頃と重なっている。今回のオファーは、同じ価値観ということもあるが、オーナーが少し健康面で体調を崩したことがきっかけという。

 6月頃からの予定で法人のパン工房メンバーにて、りんご酵母使用の食パンを焼成することが可能かというオファー。施設内の器具も見ていただいたが、それらは文句はないらしい。天然酵母パンは醗酵だけで9時間を要するというし、何より室温28℃をいかに保つかという課題もあるのだという。

 約2時間半にわたり、オーナーのお話を伺った。天然酵母はもちろん初めての体験になるし、更にパンに使用する小麦のうんちくには知らないことばかりで唸るものがあった。今後わが法人がさらにグレードアップするには、これを超えなければならない。
 イースト菌は天然酵母と違って、「スペシャリスト」であるという言葉をオーナーが使っていた。Yパン製のパンと代わらないほどの威力らしい。つまり誰が作ってもそんなに変わらないということか・・・。それだけにりんごの酵母を使って焼成するのには、季節ごとに水分量の調節やら、小麦の特徴などを考えながら焼かないと美味しいパンが焼けないと言われていたのが頭にこびりついている。

 S農場のオーナーとは、農業での連携を模索している。これから何度か通う必要がありそうだ。
 それにしても今年の雪は半端ではなく、農場のビニールハウスが倒壊したとオーナーはがっくりしている。健康面でも少し不安を持っている様子だった。午後から病院で検査だというが、何事もなければよいのだが・・・。健康が何事においても一番大切であることは言うまでもない。
 

 
 

 

雪かきの日曜日

2013-03-04 06:57:24 | つれづれなるままに
3月3日(日)ひな祭り

 久しぶりに何にもない日曜日。
 でも雪がたっぷりありすぎて、家の周囲は四方向が雪の壁です。家の中は明かりもとれない状態でになって、たまらず雪かきをしました。
 気温が高いので結構雪は柔らかく、歩くたびに足がぬかります。
 雪で埋まっている居室の窓を開放して、階段を作りました。これから雪が降ってももうそんなに降らないのではないかと、勝手に思い込んでいます。気温がマイナスにならなければ、結構雪は溶けています。
 最初の写真は、寝室側の居室(南側)です。

 
この写真は西側の小屋と客間方向で、此れまで見たことのない雪の量です。

 これは小屋の屋根雪です。

 これから湖の雪が溶けるにつれて、木々の枝折れが心配です。雪が下がっていくと、枝も引っ張られて枝折れを起こすのです。
 ブルーベリーは大丈夫だろうかと、少し心配になってきました。

 でもお日様は明らかに、春の日差しです。