13日(火)品川バスターミナルに6時30分に着いた我々の出で立ちは、背中にリュックとキャスター付きの手引きバッグ?である。品川駅からとりあえず横浜駅を目指して東海道線に乗り換える。品川と横浜がこんなに近いのかと思うほどの時間である。空腹を感じて駅構内の早朝開店の喫茶店で、サンドイッチとコーヒーを腹に満たした。それにしても夜行バスというものの過酷さは、到着後の足関節末端部に現れる。靴下から下が膨張するのである。乗車券の安さと引き換えに、中途半端なリクライニングシートでは体中が悲鳴を上げているのがわかる。9時間もの狭い座席での拘束は、拷問台に縛り付けられた囚人の様だった。
鎌倉駅のロッカーに重たい荷物を預けて、とりあえず鎌倉を目指した。朝8時ともなると通勤の人々がホーム内にあふれ出している。そのような車内で、我々夫婦のリュック姿はなんとも迷惑な姿に映ったのではないかと今更ながら汗が流れる想いである。私はいつも足早でせっかちな歩き方をするので、カミサンはこうした都会は歩きなれないため景色を見るどころか私の姿を見失わないようにするので精一杯のようだった。
幸運なことに鎌倉駅に着くと、お日様も差して上天気である。駅からぶらぶらと鶴岡八幡宮を目指して歩いた。早朝のためにまだ商店街のシャッターも、閉まっているところが多かった。
中学校の修学旅行で一度来たきりで、それ以来だから40数年ぶりの訪問かもしれない。10分ほど歩くといよいよ正面に鶴岡八幡宮の威容が見えてくる。
二の鳥居を抜け、正面入り口には池をまたぐように、太鼓橋がかかっている。寒さが続いているせいか、桜はまだ健在で、今を盛りと咲き出したのは八重桜だ。そしてこの鶴岡八幡宮を自由に闊歩している小動物が、尻尾の長いやや大柄の台湾リスだったのは意外だった。
しばらく歩くと舞殿の美しい建物が現れた。頼朝の求めに応じて静御前が舞ったというが、史実はこの建物ではなかったらしい。
その静御前が義経を思って詠んだ歌がこれ
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
その下拝殿を過ぎるといよいよ、大銀杏のある61段の石段である。しかし左側の大銀杏の木は、今年3月の強風で倒れ、根株のみがその年輪を天にさらしていた。
石段を登ると本宮で、日本の神社で始めて賽銭箱をつけたといわれる賽銭箱にお賽銭を投げ入れ拝殿をすませた。
鎌倉駅のロッカーに重たい荷物を預けて、とりあえず鎌倉を目指した。朝8時ともなると通勤の人々がホーム内にあふれ出している。そのような車内で、我々夫婦のリュック姿はなんとも迷惑な姿に映ったのではないかと今更ながら汗が流れる想いである。私はいつも足早でせっかちな歩き方をするので、カミサンはこうした都会は歩きなれないため景色を見るどころか私の姿を見失わないようにするので精一杯のようだった。
幸運なことに鎌倉駅に着くと、お日様も差して上天気である。駅からぶらぶらと鶴岡八幡宮を目指して歩いた。早朝のためにまだ商店街のシャッターも、閉まっているところが多かった。
中学校の修学旅行で一度来たきりで、それ以来だから40数年ぶりの訪問かもしれない。10分ほど歩くといよいよ正面に鶴岡八幡宮の威容が見えてくる。
二の鳥居を抜け、正面入り口には池をまたぐように、太鼓橋がかかっている。寒さが続いているせいか、桜はまだ健在で、今を盛りと咲き出したのは八重桜だ。そしてこの鶴岡八幡宮を自由に闊歩している小動物が、尻尾の長いやや大柄の台湾リスだったのは意外だった。
しばらく歩くと舞殿の美しい建物が現れた。頼朝の求めに応じて静御前が舞ったというが、史実はこの建物ではなかったらしい。
その静御前が義経を思って詠んだ歌がこれ
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
その下拝殿を過ぎるといよいよ、大銀杏のある61段の石段である。しかし左側の大銀杏の木は、今年3月の強風で倒れ、根株のみがその年輪を天にさらしていた。
石段を登ると本宮で、日本の神社で始めて賽銭箱をつけたといわれる賽銭箱にお賽銭を投げ入れ拝殿をすませた。