夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

旅は道連れ・・・友よ

2010-04-22 07:14:13 | つれづれなるままに
 レンタカーの旅もいよいよゴールの、JR松山駅そばのTレンタカーに到着した。何とか無事四国路の一部を2日間走り抜けた。外気はただただ肌寒く、四国は北国からやって来た龍に影響されているのか?とすら思う。
 乗りたかった路面電車に乗って、松山市内を目で観光した。ホテルにはすでに吉田町からYさんが到着して、私たちを待っているとメールが入った。10年ぶりの再会なので、果たして自分をわかってくれるだろうかという不安があった。待合室に本を読むYさんがいて、挨拶を交わした。カミサンがそばにいるのもあって、なんだか照れくさく挨拶がぎこちなかったかもしれない。10年前に広島で、守る会全国大会が開催された。どういういきさつだったのかすら思い出せないが、広島の役員の方々と一緒に楽しく飲んだメンバーの中にYさんが居たのだ。それから手紙のやりとりからメールでのやりとりに変わってはいるが、お互いの地域での障がい児者活動を随時情報交換していた。
 それから間もなく地元Tさんの奥さんがやって来て挨拶を交わした。Tさんの奥さんとは電話で挨拶はしていたが、初対面である。Tさんは大阪出張から今夜帰るということで、行きつけの飲み屋さんに先に案内して待つことになった。
 しばらく談笑しているとTさんがやって来て、硬い握手を交わした。私と違って体躯もスリムで、髪も十分に保たれまったくうらやましい限りである。彼とは東京の重症児を守る会本部からの帰り道、羽田空港までのお互いに北と西に別れるまで熱く話したことがあった。
 この三家族の共通点は、ハンディを負って生まれた子どもを地域で育て上げたという親としての共通点がある。それぞれの家庭の子どもたちはようやく親元を離れ、社会の中で支えられながらではあるが暮らし始めている。そしてYさん夫妻は何年かの時間をかけながら、今数箇所での八十八箇所結願を目前にしているところとのことだった。私たち夫婦もこういう流れの中で、初めて四国の地を踏むことができたのだった。
 限りある時間だったが、私たち夫婦にとってもとても思い出深い、そしてなんとも言いがたい幸せなひと時を過ごさせていただいたのだった。
 YさんとTさんご夫妻にあらためて感謝を申し上げたい。そしてまたどこかで必ずや会いましょう!