松山市二日目の朝。前日のうす曇から一転、松山市は雨が降り続きました。肌寒の朝です。朝のテレビニュースでは、例年に比べて19日ほど桜の開花が遅れているとのことでした。おかげでぼくたちの諦めかけていた松山城の桜もまだ一部見ごろでした。といっても既にツツジも咲き始めていました。松山城の印象は、石垣城という印象です。本丸に入るまでいくつかの門を潜り抜けるのですが、それにしても見上げるような石垣の壮大さや美しいループには感動しました。高台にある松山城は県庁そばからロープウエーでもたった2,3分で登れます。きょうは雨が降っていて、リフトはお休み、それに肌寒い。早朝9時台にお城を目指していたのは、数組の家族連れと、シルバーの皆さん。松山城本丸から見る松山市内は、とっても壮観でした。
体が冷えた私たちが次に向かったのは、歴史的な三層楼仕立ての「道後温泉本館」でした。別名「坊ちゃん温泉」とか。
宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」のモデルともいうこの道後温泉本館。
「朝6時、「刻太鼓」の音で道後の1日が始まる。明治27年築の大屋根母屋造り木造3階建ての堂々たる姿で、温泉街の中心に構える「道後温泉本館」。その一番上に据えられた「振鷺閣」から1日に3回打ち鳴らされる「刻太鼓」が、今も道後の時を刻む。日本三大連立式平山城の1つ「松山城」の北東に湧く道後温泉は夏目漱石、正岡子規、高浜虚子をはじめとする“明治文学ゆかりの地”。町のあちこちに句碑が建てられ、漱石の「坊ちゃん」の舞台としてはあまりにも有名。」
歴史を感じさせる建物は、玄関先の昔ながらの下駄箱と広い更衣室。男湯は二つに分かれていて、神の湯と霊の湯。(東湯・西湯)温泉の叔父さんに聞いたところ、昔は片一方が女湯で、後に増築したとのこと。
我々は入浴のみの400円の入湯料金を支払って、お風呂を楽しみました。浴槽は結構深くて、浴槽の中央には湯樽のような丸い石樽があって、そこから滾々と湯が流れ込んでいた。津軽の温泉と比べると比較的お湯はぬるめに感じられた。午前中のお風呂は近所のおじいさんたちが中心で、松山弁での会話が旅情をかもし出します。木桶と木の腰掛がとっても懐かしく、そして浴槽内にその音が響き渡ります。
すっかりあったまった我々は、道後温泉前に広がる商店街の一角で、昼食をとりました。ぼくは鍋焼きうどんと食堂の入り口で上げている牛肉入りのコロッケをいただきました。熱々でとっても美味しかった。カミサンはこの地ならではの「ジャコ天」ラーメンです。
この後夜の友人たちとの待ち合わせ時間まで、歌舞伎や文楽などの有名な「内子」へ足を伸ばしました。
内子の「内子座」
明治末から大正にかけて内子の町が木蝋や生糸などの生産で栄えていた頃、地元の人々の娯楽の場として発案され、大正天皇の即位を祝して地元有志の出資により創建された。農閑期に歌舞伎や文楽、後に映画や落語なども演じられた。その後昭和40年代にはホール的に活用されていたが、老朽化により取り壊されようとしていた。しかしながら、町並み保存地区に近接していることもあり、まちづくりの核として活用していくべきとの町民からの要望により復原され、今日に至っている。
内子の町並みはとっても風情にあふれ、木造の建物や瓦屋根、そして白い壁なども見事な、そして縁側のある素的な景観を守っていました。
普段余り歩かない私たち夫婦は、この町並みに魅せられて結構な距離を歩いて回りました。帰途の寄り道で、道の駅で買った「八朔」がとっても懐かしく、疲れた脳を刺激してくれたのです。
体が冷えた私たちが次に向かったのは、歴史的な三層楼仕立ての「道後温泉本館」でした。別名「坊ちゃん温泉」とか。
宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」のモデルともいうこの道後温泉本館。
「朝6時、「刻太鼓」の音で道後の1日が始まる。明治27年築の大屋根母屋造り木造3階建ての堂々たる姿で、温泉街の中心に構える「道後温泉本館」。その一番上に据えられた「振鷺閣」から1日に3回打ち鳴らされる「刻太鼓」が、今も道後の時を刻む。日本三大連立式平山城の1つ「松山城」の北東に湧く道後温泉は夏目漱石、正岡子規、高浜虚子をはじめとする“明治文学ゆかりの地”。町のあちこちに句碑が建てられ、漱石の「坊ちゃん」の舞台としてはあまりにも有名。」
歴史を感じさせる建物は、玄関先の昔ながらの下駄箱と広い更衣室。男湯は二つに分かれていて、神の湯と霊の湯。(東湯・西湯)温泉の叔父さんに聞いたところ、昔は片一方が女湯で、後に増築したとのこと。
我々は入浴のみの400円の入湯料金を支払って、お風呂を楽しみました。浴槽は結構深くて、浴槽の中央には湯樽のような丸い石樽があって、そこから滾々と湯が流れ込んでいた。津軽の温泉と比べると比較的お湯はぬるめに感じられた。午前中のお風呂は近所のおじいさんたちが中心で、松山弁での会話が旅情をかもし出します。木桶と木の腰掛がとっても懐かしく、そして浴槽内にその音が響き渡ります。
すっかりあったまった我々は、道後温泉前に広がる商店街の一角で、昼食をとりました。ぼくは鍋焼きうどんと食堂の入り口で上げている牛肉入りのコロッケをいただきました。熱々でとっても美味しかった。カミサンはこの地ならではの「ジャコ天」ラーメンです。
この後夜の友人たちとの待ち合わせ時間まで、歌舞伎や文楽などの有名な「内子」へ足を伸ばしました。
内子の「内子座」
明治末から大正にかけて内子の町が木蝋や生糸などの生産で栄えていた頃、地元の人々の娯楽の場として発案され、大正天皇の即位を祝して地元有志の出資により創建された。農閑期に歌舞伎や文楽、後に映画や落語なども演じられた。その後昭和40年代にはホール的に活用されていたが、老朽化により取り壊されようとしていた。しかしながら、町並み保存地区に近接していることもあり、まちづくりの核として活用していくべきとの町民からの要望により復原され、今日に至っている。
内子の町並みはとっても風情にあふれ、木造の建物や瓦屋根、そして白い壁なども見事な、そして縁側のある素的な景観を守っていました。
普段余り歩かない私たち夫婦は、この町並みに魅せられて結構な距離を歩いて回りました。帰途の寄り道で、道の駅で買った「八朔」がとっても懐かしく、疲れた脳を刺激してくれたのです。