夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

旅は道連れ・・・横浜そごうピカソ展

2010-04-23 06:28:13 | つれづれなるままに
 Tさんに案内をいただき、雨が降っていたが松山市内から30分ほどの砥部市の陶器センターで砥部焼なるものを見た。陶器の特徴は白磁様の下地に藍色を配した食器や器が多かった。近くに陶房の集落があるということで、そこも訪問することになった。若手の作家が多いのか、全体にかなりモダンな建物としゃれた佇まいの庭が特に美しく見えた。あいにく早朝の平日でもあり、間もなく陶器祭りが予定されているとかで、陶房の窯元は見ることができなかった。若手の作家の小作品であるコーヒー碗と皿などいくつか購入して、一路松山空港へと送っていただいた。
 松山空港を10分ほど遅れて、飛行機は一路羽田空港を目指した。天候は曇り。旅の疲れか、家内と二人少しの間眠りに落ちている内に、機は間もなく羽田という放送で眼を覚ました。
 羽田空港には4年来のブログ仲間といえばいいのか、横浜のすずき画伯が出迎えてくれた。この日関東地方は気温が異常に低くて風も強く、雨交じりであった。
 すずき画伯が横浜のスカイビルレストランを夕食会場に予約してくださっていて、その時間まで美術館を案内してくれることになった。しかし今度は雨風が強くなって、結局そごうビルで「ピカソ展」を開催しているポスターを見たことから急遽その見学となった。

 ピカソ、ブラック、クレー、マチスなどのキュビズムでおなじみの画家や以後20世紀初頭のポップアートの旗頭アンディウォーホルの作品に至るまでが展示されていた。
 鈴木画伯からの詳細な解説を受けながら、絵を見ることができてそのことの方がまたとてもそれぞれの画風の特徴を身近にすることができ愉快だった。
 ことに私にとって印象深かったのは、「モモ」や「ネバーエンディングストーリー」を書いたミヒャエルエンデのお父さんエドガーエンデの油絵を見ることができたのは、とっても嬉しかった。シュールレアリスム画家であるが退廃画家という酷評を受け苦労したらしい。しかしミヒャエルエンデはその父の影響を受け自らの児童文学に世界を広げたという。
 
 その後心地よく脳細胞も疲労して、スカイビル29階の和風のレストランで楽しい夕食のひと時を楽しませていただいた。
 家内はこの旅行中二度、誕生日のお祝いしていただいた。鈴木さんの奥様と同い年であるばかりか、同じ兎年の4月生まれという共通性もあって、なんだかとってもまた親しみがわいたのである。
 アーティスト・はせくらみゆきさんと油絵画家すずきゆきおさんという共通性は、この福祉の道を歩き続けて自然に惹かれあうように今共通の友人としてつながっている。不思議な縁であると思う。すずきさんが「はせくらさんと前にお会いしたとき、「三人が何故つながってきたのかはそれが決まっていたことだから・・・いつかその理由をお話をしましょう」と言われたとか。私もそれをお聞きしたいと思うし、三人でまた再会の日が来ることを信じている。
 結局夕食をすずきさんにすっかりご馳走になって、品川のバスターミナルまでお見送りをいただくことになった。なんだかいつの間にか、すずきさんとは親戚関係になっているようなそんな身近な存在となっていることに気づいている。
 再会を期し硬い握手をして、私たちはすずきさんとお別れをした。
 私たちの小旅行は、こうして終幕を迎えた。その終わり方もとっても相応しい終わり方だったと、我々夫婦は今更ながら満足していた。