津軽では太宰治の生誕百年記念の事業が花盛りである。私の心の中に宿っていた「矢沢宰(おさむ)」は「光る砂漠」という詩集を死後残した詩人である。しかし、彼は21歳で夭逝したのだから、自分の詩集の存在については知らないはずである。かれは私の卒業した高等学校の8年先輩である。そして今も心の中に残り続ける詩人である。
<少年>
光る砂漠
影をだいて
少年は魚をつる
青い目
ふるえる指先
少年は早く
魚をつりたい
<小道がみえる>
小道がみえる
白い橋もみえる
みんな
思い出の風景だ
然し私がいない
私は何処へ行ったのだ?
そして私の愛は
そして終わりに
(一)
いい人になってください。
幸せになってください。
私だってあなたに負けないぐらい
いい人になります。
幸せになります。
(二)
しかし
私は予感していた。
首飾りをした美しい
あなたが
黙って椅子にかけていた と。
とおい国を想っていた と。
(三)
秋の日の中で
あなたと会う約束はもうはたせない。
風は泣くだろう。
野菊は飛行機雲を見あげないだろう。
(四)
俺が悪かったな
欲情な言葉
愚劣な行為
俺が悪かったな
悪いことをした
利己主義だった
(五)
よくわかった。
私はよくわかった。
私はまだやれる。
私はやってみせる。
そしていつかきっと帰ってくる。
(六)
それでも秋の夕暮れに淋しいときは
夏の日のよみがえる想いを許してください。
☆作者・矢沢宰(おさむ)について
1944年、中国江蘇省で生まれる。父の現地応召で日本に引き上げるが、小学校二年にして腎結核を発病。
療養生活を繰り返し、新潟県立三条結核病院小児科に入院。14歳から詩や日記を書き始める。
病を克服し、新潟県立栃尾高校に入学するが、2年生で結核を再発。1966年、21歳の若さで永眠。
詳しい年譜や詩・日記などの遺稿は、こちら(http://www11.plala.or.jp/y-osamu/)で見られます。
<少年>
光る砂漠
影をだいて
少年は魚をつる
青い目
ふるえる指先
少年は早く
魚をつりたい
<小道がみえる>
小道がみえる
白い橋もみえる
みんな
思い出の風景だ
然し私がいない
私は何処へ行ったのだ?
そして私の愛は
そして終わりに
(一)
いい人になってください。
幸せになってください。
私だってあなたに負けないぐらい
いい人になります。
幸せになります。
(二)
しかし
私は予感していた。
首飾りをした美しい
あなたが
黙って椅子にかけていた と。
とおい国を想っていた と。
(三)
秋の日の中で
あなたと会う約束はもうはたせない。
風は泣くだろう。
野菊は飛行機雲を見あげないだろう。
(四)
俺が悪かったな
欲情な言葉
愚劣な行為
俺が悪かったな
悪いことをした
利己主義だった
(五)
よくわかった。
私はよくわかった。
私はまだやれる。
私はやってみせる。
そしていつかきっと帰ってくる。
(六)
それでも秋の夕暮れに淋しいときは
夏の日のよみがえる想いを許してください。
☆作者・矢沢宰(おさむ)について
1944年、中国江蘇省で生まれる。父の現地応召で日本に引き上げるが、小学校二年にして腎結核を発病。
療養生活を繰り返し、新潟県立三条結核病院小児科に入院。14歳から詩や日記を書き始める。
病を克服し、新潟県立栃尾高校に入学するが、2年生で結核を再発。1966年、21歳の若さで永眠。
詳しい年譜や詩・日記などの遺稿は、こちら(http://www11.plala.or.jp/y-osamu/)で見られます。