夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

水無月の始まり

2009-06-02 06:01:09 | 原ヶ平農場
 「水無月」は旧暦六月の別称である。水が無い月とは書くが、「神無月」と同じ読みで、無は「の」に言い換える。つまり水が無いのではなく水の月なのである。田植えがあり、梅雨の月につながる季節なのだろう。
 昔のこの月の呼び方は極めて情緒的で、ぼくは好きだなとふと思う。

 昨日は土曜日の運動会の代休である。原ヶ平農場に朝から夕方まで詰め、遅れている作業を続けた。
 先日土を掘って埋めたはずの腐ったりんごが、地中からいくつか掘り起こされカラスや桜鳥、ヒヨドリなどがかしましく騒いでいた。見えないように土をかぶせたはずなのに、よく見つけられたものだとふとその野生の力を感じていた。
 一昨日農場のおばあさんに言われたラフランスの枝の剪定作業と実スグリ作業がまず宿題であった。枝豆の鳩除けネットを外し、土寄せをした。ジャガイモがようやく芽を出してきた。ペースは少し遅いかもしれない。
 午前中は枝切りに精を出して、天に向かって突き出した自由奔放に育った枝を切り落とした。晴れの予想だったが、雲がどんどん厚く黒く天を覆い始めた。いつ降ってもおかしくないと思いきや、ぽつぽつと雨が当たり始めた。切り落とした枝を集めて、一箇所に集める。まるで樹木の床屋さんだ。
 カミサンがお昼を準備してやってきた。なんだか風もひんやりして、汗をかいた服を着替え、二人で畑を眺めながらのランチだ。こういう自然の中でのご飯はいつも、不思議にもうまく感じられる。
 午後からカミサンも手伝ってくれて、かぼちゃの畑に黒いビニールマルチを敷いた。ぼくはかぼちゃがこれから蔓を伸ばしていくときのために、藁で更にマルチングをした。1時過ぎに農場の関係者である次女の方が、実すぐりのお手伝いに来て午後3時に孫の保育所の迎えだと帰っていった。
 ラフランスは枝を落として、さっぱりとした姿をして初夏の農場に映えている。それにしても4,5本だと思っていたラフランスの木は、実は倍の8本もあった。
そしてどの木も老木で、かろうじて長らえている状態だった。私はできるだけ老木が負担を少なくできるように、枯れ始めている枝や収穫するのに大変な枝を切り落とした。もうラフランスの果実は、フナ釣りの浮きのような格好で一つの集団に5個づつ実をつけていた。その集団から中心の果実を選んで残りの果実は落とす作業だ。これから温かい日が続くと、クヨと呼ばれているアブラムシが取り付いて、果実全体がだめになるのだという。「薬かけはこの時期もう2回はやっていなくちゃ」というおばあさんの声が耳に残っている。私は薬かけなどしたことはないので、これからどなたにご指導を仰げばよいのか悩んでいる始末。とりあえず「元気丸」という焼酎とにんにく、唐辛子、木酢液の混合液を準備している。これからこの畑で本当にやっていけるのか、不安を残して作業を終えた。
 
 

詩 / あかちゃん

2009-06-02 05:37:21 | 創作(etude)

 あかちゃんが
 目の前にいる
 生後6ヶ月だって
 
 この汚れのない
 まんまるく
 透き通った
 瞳

 ソノヒトミニ
 ウツルモノガ
 ミズカラノ
 ケガレヲハジテ
 タジロイデシマウ
 ムクナル
 シンライ

 このぼくを
 とらえて
 はなさない
 視線
 
 ことばが
 話せないのではなく
 じゅうぶんに
 ことばをこえた
 明確な意思が
 その表情に
 示されている

 あらゆる
 生命体を
 許容しつくし
 わけへだてもない
 その
 裏表のない
 笑顔

 にんげんは
 ここから
 始まるんだと
 そう
 納得する
 そして
 こここそ
 大切なんだと
 理解する
 なにか
 母
 父
 祖父母
 兄弟
 親戚
 近隣
 住民

 みんながみんな
 あーらかわいい
 ちょっと抱かせて
 うらやましいな
 おーよちよち
 すべすべの肌ねえ
 お母ちゃん似かしら
 お父ちゃん似かしら
 おじいちゃんにも似ているし
 おばあちゃんの
 お鼻がここにある
 ほーんとだ
 
 こうして
 あかちゃんは
 じぶんのもとに
 そそがれる
 周囲の
 好意や
 感動
 感謝
 歓迎
 励まし
 期待
 あらゆる
 愛情を
 シャワーに浴びて
 満腹な
 こころは
 やすらかな
 夢の世界に
 落ち込んでいくのだ