夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

老師匠

2009-06-01 06:40:21 | 原ヶ平農場
 カッコーの鳴声が響く朝5時。原ヶ平農場に行き、枝豆の土寄せをした。肥沃な農場の土は、草をもはびこらせる力を有していた。気温が上がれば植物は活性化し、あっという間にその勢力が広がっている。
 草掻きに汗をしていると、畑の所有者のSさん親子がやって来た。畑ができないという老いた母は、その自覚なく心配だけを背中に背負っている様子だった。
 自分が元気だったら、こんなにへたくそな畑作りなどに任せるものかという気概だけは秘めているかのようだ。Sさんは「母といるとけんかになるから・・・」とい残して、戻っていった。私も朝食をとるために戻ろうかとすると、おばあさんが話し出した。この農地をここまでするのには、とんでもなく苦労したんだ。私は済州島出身だから、なお更のこと大変だったんだよ。それでも野菜作りで、もうけることができるようになった・・・。爺さんが病気でぼけてきたので、毎日が大変さ。あんたにこの畑を借りてもらって大助かりさ。良かったと思う。わたしもできるだけ応援するから、何とかがんばってほしい。」そう云って励ましてくれたのだった。
 いったん自宅に戻って朝食を済ませ、カミサンを伴ってまた畑に舞い戻った。相変わらずおばあさんは草取りをして、畑にいた。おばあさんの心配は、ラフランスの実すぐりや、草の心配のようだった。ラフランスの木は4本もあり。その果実が沢山つき過ぎていて、花が咲いたときに摘花する必要があったようだが、私もできなかった。いや、どのようにやればよいのかすら知らなかったし、どうすればよいのかもわからずにいたのだ。おじいさんが具合が悪くなって、木の剪定もできないままに今日まで来たらしい。おばあさんに「あんたが見て邪魔だと思う枝を切ってくれ」といわれ、見よう見まねで枝切りをしたり、実スグリ作業もやってみた。
 「薬かけももう2回はやっていないといけないんだ」そうおばあさんは、自分に言い聞かせるようにつぶやいていた。農薬をかけるなど今まで経験もなく、また明日からの私を悩ませる課題が増えた。それでもやるしかないだろう。